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第5話 秋の夜長に繋がる声

■春馬視点

 ペンを置いて顔を上げると、もう時間は夜遅くだった。

 一息つき、机に置いたマグカップを口に運ぶ。中のコーヒーはすでに冷えてしまっている。意外と長い時間集中していたようだ。


(……今日は、落ち着いた一日だったな)


 マグカップを置いてから背伸びをする。机に広げられているのはいくつかの書類とコピー。会社に提出するための書類をせっせと書いていた。

 他にも今日は役所に出向いたり、ドラッグストアで男性化粧品を買ったりと、やることを捌きながら一人の時間を過ごしていた。

 おかげで作業も捗り、落ち着いた時間を過ごせたが――ふと手を止めると、妙に静けさが際立つ気がする。思わず苦笑いをこぼし、机の引き出しから缶コーヒーを取り出す。


(この数日で、大分奈々に毒されたかな……)


 考えてみれば、こんな静かな日を東京にいたときは毎日のように過ごしていた。だから慣れているはずなのに、数日奈々と過ごしただけでその日常が変わってしまった。

 だが、悪くない変化だと思う。少なくとも、だらだらと休みを過ごしていた一人暮らしのときよりは。少なくともここ数日はとても楽しかった。


(……奈々、か)


 片手でプルタブを開ける。そうしながらスマホを取り出し、指先でアルバムを呼び出す。『家族』『友人』『仕事用』――中は細かくフォルダ分けして分かりやすくしている。その中の一つ、『家族』をタップする。

 フォルダの中に保存されているのは家族の写真――だが、その中のほとんどを占めるのは奈々の写真だ。


(昔の携帯からデータはちゃんと保管してきているからな)


 父さんのこまめにバックアップする癖が移り、僕も頻繁に外部メモリーにデータは保存し続けている。その上で、スマホを変えるごとにきちんと全てのデータを移し続けている。だからここには、奈々と過ごした日々の写真が詰まっている。幼い頃から今に至るまで、様々な奈々の写真が。

 この数日にも、奈々との写真は少し増えていた。それを眺めながらふと表情を緩める。


(奈々も大人、か)


 共に過ごしていると、昔の面影ばかり追いかけてしまうが、写真を見比べてみると分かる。彼女の笑顔は徐々に大人びていて、綺麗になっている。

 当然と言えば当然だ。僕が東京に行く前は中学生だった彼女も、一番成長する時期を経ている。がつがつ甘えてくるような距離感は変わらないものの、着実に奈々は大人になっているのだ。

 そんな彼女を――ここ数日で、僕は急に意識している。


(……奈々)


 なんだか奈々の声を無性に聴きたくなった。


(電話するかな)


 ちら、と思うものの、時計を見て悩む。奈々とは気心の知れた仲、電話くらい何でもない。だが、今は大分遅い時間だ。

 兄貴分としては、妹分に迷惑をかけたくない。かけるか、かけないか――ふと悩んでいるうちに、ふとスマホが震えた――液晶には『奈々』の文字が浮かんでいる。


(……悩んでいたのが、馬鹿らしいな)


 思わず苦笑し、スマホを手に取ってタップ。それを耳に当てた。


「もしもし?」

『もしもし。こんばんは、兄さん』


 耳元で響く奈々の声。昨日聞いたばかりの声なのに、聞けただけでなんだかほっとする。僕は表情を緩めると椅子に背を預けて答える。


「ん、こんばんは――どうした? こんな夜中に」

『何となく兄さんの声が聞きたくなって。ほら最近、毎日会っているから、何だか今日会わないだけで物足りなくなっちゃって』

「……僕は酒か何かかな」

『そうなると、私は兄さん中毒になるね』


 くすくすとおかしそうに笑う奈々――耳元で聞こえる彼女の声はなんだか新鮮だ。


(東京のときの通話は、パソコンを使ってのビデオ通話だったからな)


 これも悪くない。思わず表情を緩めながら言葉を返した。


「まぁ、僕も今日は何だか物足りなかったからな。振り回してくる従妹がいなかったおかげで、ゆっくりはできたが」

『何よぅ、私がいつも迷惑させているみたいに……迷惑、じゃないよね?』


 少し遠慮がちに小さくなる声。そんな声を出されると、仕方ないな、という気分になってしまう――毎度、甘やかし過ぎている気もするが。


「まさか。ちょっと僕も電話しようか悩んでいたくらいだし」

『あはっ、本当に?』

「ああ。というより、今更遠慮はいらんだろ。どんどん甘えてこい」

『兄さんは頼りになるぅ。じゃあこれからもお言葉に甘えるね』

「ああ、奈々を甘やかすのは僕の特権だからな」


 瞬間、ごっ、と鈍い音と共に「あいたっ」と悲鳴が響いた。思わずスマホを少し耳元から離すと、慌てた様子の声が返ってくる。


『ご、ごめ、兄さん、手元が狂って』

「いいけど、大丈夫か? 痛そうな声が聞こえたけど」

『ん……痛かった。寝てスマホ弄っていたから、頭に直撃して』

「それは自業自得だな……」

『……半分は兄さんのせいだけどね』

「僕のせいか?」

『兄さんが不意打ちしてくるから』

「……離れているのにどう物理攻撃しろと……」


 釈然としないが、僕は一つ吐息をつくと苦笑い交じりに声をかける。


「分かった。なら、埋め合わせに何かしよう。要求は?」

『あ……っ、それじゃあ、またお出かけに付き合ってもらっても?』


 途端に弾んだ声を出す奈々。その笑顔が目に浮かぶようで僕は目を細める。


「喜び過ぎてまたスマホを落とすなよ」

『大丈夫、布団の上に置いたから。兄さんは行きたい場所ある?』

「奈々の行きたい場所に任せるよ。そっちの方が絶対楽しいし」

『嬉しいこと言ってくれるねぇ、兄さん。んじゃね……うーん……明日は土曜か。観光地系は絶対混んでいるよねぇ……』

「新京極は別の日にしとくか?」

『うん、平日に行こ。兄さんも人混み、あんまり好きじゃないよね』

「まぁそうだが……苦手なのは、東京の人混みだな」

『え、何か違うの?』

「そうだな。例えると」


 京都で一番混んでいるのは、どこだろうか。恐らく休日の京都駅か四条通だろう。


「……休日の祇園と、平日の都心の駅構内が同じくらいの混雑度だ」

『……え、マジ』

「大マジ。そんな場所で休日を迎えてみろ。池袋とか地獄だぞ」

『まともに歩けなさそうだね……そんな場所で兄さん、働いていたんだ』

「まぁ、腐っても首都だな」

『首都は京都ですぅ、まだ遷都はしていませんから』

「冗談に聞こえるけど、それ本当なんだよな……」


 実は日本には現行法では『首都』という定義が定められていない。便宜上、東京が首都と見なされ、首都圏整備法などで『首都圏』は定義されているが、それでも『東京都が首都である』とはどこにも言及されていない。

 そのため、京都の人々は半分冗談ではあるものの、京都が首都だと言い続けている。


『今、陛下は東京に行かれているだけで、平安京以来、遷都は行われていないからね』

「で、京都でも先の大戦を迎えたと」


 茶化すように僕は続けてみる。ちなみに日本人からすると『先の大戦』は第二次世界大戦を意味するが、京都の人々からすれば別の戦を思い浮かべる。


『そうそう、応仁の乱ね』


 さすがに分かっている奈々はおかしそうにくすくすと笑ってくれる。

 やはり、奈々とのやり取りは小気味よくて心地いい。他の友人なら、こんな撃てば響くようなやり取りはできないだろう。思わず僕は表情を緩んでくる。


「それで? 京都人が休日に行くなら、どこがオススメかな」

『……だったら敢えての新京極はどうかな』

「ほう、混んでいる場所を敢えて」


 新京極商店街は京都市内有数の繁華街だ。休日は祇園ほどではないが、かなり混み合う。それを奈々が知らないはずがないのだが。

 ふと、奈々が悪戯っぽい笑みを浮かべた気がした。


『そう、新京極。だけど、新京極では遊ばない。池袋って聞いて、アニメイト行こうかな、と思ったけど……よく考えたらその辺にいい場所あると思って』

「ふむ、アニメイト」


 ちなみに、東京の池袋にはアニメイトの本店があることで有名だ。そして新京極商店街にもアニメイトの支店があり、他にもらしんばんや虎の穴、メロンブックスが近くに点在する。意外とオタクにも優しい街、それが新京極商店街だ。


(とはいえ、その近くか……想像がつかんな)


『地名で言うと、裏寺町通り』

「余計に分からんぞ……」


 うろ覚えの京都手毬唄を思い出しても、そんな地名は聞き覚えがない。

 ふっふっふ、と奈々が悪役のような笑い声を響かせ、嬉しそうに声を続ける。


『仕方ないな、兄さんが休日の京都の楽しみ方を教えてあげるよ』

「……よろしくお願いします」


 少し不安があるものの、奈々が案内する場所に間違いはない。少し期待を膨らませていると、ふと奈々の声色が変わった。


『ね、兄さん、明日どんな服で出かけようか』

「ん? 服?」


 どこかゆったりとした、穏やかな声。電話の先で彼女はどんな顔をしているだろうか。そんなことを考えながら、僕は答える。


「温かい服装がいいんじゃないか? もう冬になるぞ。確か明日も冷えるし」

『そうだけどね……うーん、なんて言えばいいかな』


 うにゅ、と彼女が妙な声をこぼし、ごそごそと身動きする音。


(布団にスマホを置いている、って言っていたし、寝ながら通話しているのかな)


 そうすると、もう大分眠たいのかもしれない。


『なんというか……兄さんに、寄せたい』

「……僕の?」

『うん、兄さんの……好み、的な何かに』


 その言葉は、どこか一途ささえ感じさせる、切実な声で。

 だけど、少し照れたような言い方に、僕は一瞬息を詰まらせてしまう。胸がきゅっと甘く締め付けられ、息苦しささえ覚える。

 電話の向こうからも、息を詰めているような気配。それに僕は強引に言葉を紡ぐ。


「……奈々は、普段もお洒落、だけどな」

『そう、かな……? そう見えているなら嬉しいけど』

「ん、京都に来てから見ている奈々は、どれもお洒落だよ」


 良かった、会話が続いている。それに訳も分からずほっとする。

 そうしていながらも、胸の鼓動は強く奈々を意識するように脈打っている。今、彼女がどんな表情をしているのか、気になって仕方がない。

 彼女の声がもっと聴きたくて耳を澄ませると、彼女が微かに笑った。


『兄さんも素敵でカッコいいから、釣り合うようになりたくて』

「………っ」


 一瞬、スマホを取り落としかけた。


『……兄さん?』

「あ、ああ、悪い、僕も手元が狂った」

『あは……兄さん、眠いんじゃ?』

「それは奈々もだろう?」

『ん、そうかも……ふわぁ』


 さすがに眠気を隠そうとしない。欠伸をこぼす彼女――その眠たげな表情は容易に想像がつく。心拍を落ち着かせながら、僕は彼女にゆっくり言う。


「今日は寝て、昼くらいに迎えに行くから、新京極に行こう。奈々」

『うん……裏寺町に、ね』

「ああ、そうだったな。温かい服装は忘れるなよ。明日から寒くなるし」

『ん……そだね』


 うつらうつらとしてきた奈々の声。もうさすがに寝落ちしそうか。

 なら、それまで付き合ってやろうと表情を緩め、僕は声のトーンをゆっくり落としながら、穏やかに語り掛ける。


「しかし、奈々の似合う服装か……奈々は可愛いから、何でも似合いそうだが」

『かわいい……? ぇへ……』

「ん、そうだよ。それに綺麗になって大人びた服も似合うようになってきたからな。そういうデキる女系も似合うかもしれない」


 とはいえ、背伸び過ぎない程度が似合いそうだ。


「ま、ファッションなら僕よりも叔母さんに相談するくらいが丁度いいだろうけどな」

『……ん……』

「……奈々?」


 小声で呼びかけると、微かな寝息が聞こえてくる。どうやら無事寝落ちしたらしい。


「……おやすみ、奈々」


 小さく言って返事がないことを確かめてから電話を切る。ふぅ、と思わず吐息をこぼしてしまい――少しだけ苦笑いをこぼした。


「なるほど、不意打ちか」


 意識している相手に、意識されるようなことを言われれば、それは不意打ちかもしれない。


(奈々、か)


 幼なじみで従妹の女の子。少しずつ大人になってきた子の魅力に徐々に気づかされ、もはやごまかせないくらい惹かれている気がする。

 そして奈々から向けられている好意も――身内として、だけではない気がする。


(気がする、ばっかりだけど)


 大事なことだ。慎重なくらいが丁度いい。

 自分の気持ちと相手の気持ちを見定めよう。時間はたっぷりあるのだから。


「ひとまずは、明日か」


 ふむ、と一つ頷き、鞄を用意してからスマホを充電器に差す。いくら楽しみであっても準備は万端にする――それだけは譲れない一線だ。


(この気持ちがどうあれ、奈々の兄貴分であることは変わりないからな)


 そう思いながら寝る準備を進める。明日の奈々の姿に微かな期待を寄せながら。

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