第4話-6 いろとりどりの紅葉トンネル
■春馬視点
「――結局、兄さんにはぐらかされた」
「何のことやら」
鞍馬山を降りた先、貴船街道を歩きながら奈々は少しだけむくれていた。
僕は苦笑いをこぼしながら視線を自然豊かな道に向ける。
そこは斜面と斜面の間、谷を走る道であり、その横は透き通った水が流れる貴船川がある。街道沿いは紅葉が彩り――それを引き立てるように、灯りが灯り始めていた。
貴船街道の、ライトアップ。暗闇に沈む貴船をどこか幻想的に引き立てている。
「……しかし、なかなか綺麗だな。空気も澄んでいて、水も綺麗だ」
「それは間違いない。だから、神社の名前も濁っていないからね」
「ん、どういう意味だ、それ」
ちら、と僕は奈々に視線を向けると、彼女は目を細めて言葉を続けた。
「ここの地名は正確には『きぶね』と読むの。だけど澄んだ水があり、祭神が水神だから、それにちなんで神社の名前は『きふね』神社。濁っていない」
「ああ、なるほど……そういう意味が。相変わらず奈々は京都に詳しい」
「いろいろ勉強したからね」
にへら、とすぐに笑みをこぼす奈々はライトアップされた貴船川に視線を注ぐ。その横顔を眺めながら、ああ、と内心でつぶやいた。
(本当に綺麗だよ、奈々も)
楽しそうに笑う彼女も、真剣な眼差しの彼女も、少しむくれた彼女も。
従妹で幼なじみの奈々。京都にいたはもちろん、東京にいたときも頻繁に連絡を取り合っていた。だからこそ、彼女のことは知っている気でいた。
だけど――こうして一緒の時間を過ごして気づかされる魅力があり。
自然と奈々を視線で追いかけてしまうのだ。
僕と奈々の間を小さく風が吹いた。谷から吹き抜ける風はどこかひんやりしていて、身体の熱を芯から奪っていく。奈々は小さくぶるっと身震いした。
「うぅ、貴船は少し寒いね……油断した」
「まぁ、仕方ないよな。厚着したところで、鞍馬山で暑くなっていたと思うし」
「とはいえ、貴船は冷えた水が湧き出ているから、空気が冷蔵庫みたいに冷たいし……自販機は当然のようにない、と」
奈々は辺りを見渡して残念そうに吐息をつく。
僕たちはもうすでに神社から離れてのんびりと駅まで歩いている最中。その道中には自動販売機は見当たらない。駅までは温かい飲み物も飲めそうにない。
(東京では何気ない場所に自動販売機があるんだけどな)
軽く指先をさする奈々を見て、僕は自然と手を伸ばしていた。
「ほら、奈々」
「あ……」
掌で奈々の手を包み込むと、ひんやりとした感触が小さな手から伝わってくる。軽く手の中で揉むようにし、僕の手の熱を分けていく。
「……兄さんの手、温かい」
「奈々が冷たすぎるだけだ。冷え性だものな」
「ん……こうしてくれるの、久しぶり」
奈々は両手で僕の掌を逆に包んでくる。その仕草は幼い頃の奈々を思い出させる。
「昔も奈々が寒がっているときは、こうやって温めたな」
「そうそう、それでこうするの」
奈々は悪戯っぽく目を光らせると、少し身を寄せてきて片手を僕の脇に挟み込ませた。くっついてくる奈々に思わず僕は苦笑いをこぼす。
「歩きづらいぞ、奈々」
「山道じゃないからいいでしょ……というか、兄さんの脇、温かくない」
「当たり前だろ、上着着ているんだから……」
幼い頃の奈々はこうして僕の首や脇に手を突っ込み、勝手に暖を取っていた。奈々が嬉しそうにしているので適度にそれに付き合いつつ、時々仕返しで奈々をくすぐってたわむれていたのは懐かしい思い出だ。
それを思い起こしていると、奈々は僕の腕を掴んで密着し、ん、と満足げに一つ頷いた。
「これなら温かいかも。兄さん懐炉」
「それは良かった……ちなみに、もう少し別の場所で暖を取る気は?」
見ようによっては恋人同士のように腕を抱いている状態――はっきり言うと、彼女の柔らかい胸がぐいぐい押し付けられているのだ。
「別の場所?」
だが、奈々は自覚していないのだろう、きょとんとした顔で僕を見上げる。彼女は何気なく僕の腕をさらに抱き寄せるので、ふにゅ、と確かな感触が腕に伝わってくる。
(……全く、性格はあまり変わっていないのに)
その身体は確かに大人の魅力を備えている。
ビデオ通話では分からなかった成長を、今知ることになるとは。
なんとなく複雑な気分になりながら、いや、と首を振って苦笑いをこぼした。
「いいか、別に。僕も暖かいし。ほら、もっとくっつけ」
「えへへ、やったっ」
そうして笑う奈々は昔みたいに無邪気なのに、押しつけられる身体は大人で、少し頭が混乱しそうだ。とはいえ、これも奈々の一面なのだろう。
なら、ちゃんとそれは向き合うべきなのだろう。きっと。
そう思いながら二人でくっついて歩いていくと、遠くから電車の音が響いてくる。それを聞くと、ん、と奈々が小さく言葉を紡ぐ。
「もう叡電だ。結構距離あるのに、あっという間だった」
「まぁ、くだらないやり取りしていたからな――温まったか?」
「ん、充分だよ。兄さん」
そう言いながらもどこか名残惜しそうに身を離す奈々。腕が少し涼しくなったのを感じながら、僕は小さく笑って言う。
「よし、じゃあ帰って早く温かいコーヒーでも飲もう」
「ん、悪くないね。だけど、兄さん――メインの観光がまだだよ」
奈々が悪戯っぽく笑いながら再び僕の手を取る。くい、と改札口の方に引っ張られながら、はて、と思わず首を傾げる。残りは叡電で帰るだけだと思うが――。
そのタイミングで丁度、叡電がホームに滑り込む。観光客が結構乗っているが、奈々は僕に手を引いて先頭車両まで行くと、隙間を縫うように乗り込んだ。
失礼します、と僕は軽く頭を下げながら移動し、奈々の傍に立つ。
(結構、混んでいるな……と)
立ち位置はさりげなく奈々の背中側に。彼女が壁側に向かって立っているので、ここの立ち位置にいればたとえ、不埒者がいても守ってやれそうだ。
そんなことを考える僕とは裏腹に、奈々は楽しそうに目を輝かせて先頭の窓に貼り付いている。扉が閉まり、がたんと電車が動き出す。
貴船口を出て車窓に目をやると、目に入ってくるのは紅葉――だが、夕闇に沈んだ紅葉は美しさを十全に帯びているとは言えない。
なんなら往路の明るい時間の方が紅葉を楽しめたのだが。
だが、奈々はわくわくとした顔つきで車窓に視線を逸らしている。僕の視線に気づいて振り返り、彼女はくすりと小さく笑った。
「大丈夫だよ、兄さん。メインはこの先」
ゆるやかに電車が次の停車駅で止まる。わずかな停車時間の後、発射すると奈々が早速、僕の手を引いてきた。
「兄さん、ほら、前」
言われて視線を上げる。前の窓を見ると、幻想的な光景に思わず目を見開いた。
「これは――」
紅葉が、光り輝いていた。
夜闇の中、いろとりどりに色づいた紅葉が下からの柔らかい光がライトアップされている。ゆるやかに徐行する鉄道を取り囲むように、天蓋まで光る紅葉が覆っている。
それは清明なほど澄んでいて、飽きるほど満ちていて、どこまでも紅い。
まるで燃えるような美しい、幻想的な光景。
「あきらかなあきに、あきみちる」
奈々が可憐な声でそう呟く。ああ、と僕は喉の音だけで応じた――声を出すのをためらうほどにその紅葉は美しく続いている。
そんな幻想的な道は次の駅に到着するまで続いていた。電車が停車すると、思わず吐息をこぼして視線を下ろす。奈々も満足げに頷いていたが、振り返って僕に笑いかける。
「ね、紅葉を電車の中で見るのも悪くないよ」
「……ああ、間違いない。今日はいろんな一面を楽しめたな」
「この季節が丁度いいよね、11月中旬くらいが」
奈々の言葉に小さく頷く。鞍馬山の紅葉はそれくらいが見頃を迎える。色づきはもちろん、場所によっては緑も残っていてそのグラデーションを楽しめる。
だが――京都の景色が引き出してくれるのは、それだけではなく奈々の姿も魅せてくれる。嬉しそうにする奈々に目を細め、その頭に手を載せた。
「ありがとうな、奈々。いい景色を見せてくれて」
「気に入ってくれた? 兄さん」
「ああ、もちろん」
「なら良かった。兄さんに喜んでもらえるなら、私冥利に尽きるからね」
そんな風にはにかむ彼女も愛おしくて――僕はただ目を細め、その髪を梳いていた。
その後、洛中に戻った僕たちは缶コーヒーで身体を温めてから帰宅。そして奈々の家で夕食をご相伴に預かった。そこでも奈々の新しい一面を見たのは、また別の話だ。