第4話-2 叡山電鉄で行くダイエット
■春馬視点
鞍馬山――それは京都市左京区に位置する霊山だ。
左京区は京都芸術大学もあるが、そこから近所とはお世辞にも言えないほど、鞍馬山ははるか北に位置している。そもそも左京区は南北に30km以上の広さがあるのだ。
密教の有名な修行場であり、源義経が幼い頃に修行した場として伝承が残ることで知られている。その風光明媚な山は整備され、気軽に山に登ることができ、観光名所として親しまれている。そこを目指し、一本の鉄道は山深くまで登りつつあった。
「便利だよな、叡山電鉄。手軽に鞍馬山まで行けるんだから」
がたん、ごとんとのんびりと揺られる車内。僕と奈々は隣り合って座り、外を眺めていた。すでに車内は秋の森に入り、いろとりどりに彩られた木々に迎えられていた。ゆるやかに走っていく車内から見える紅葉は鮮やかな赤だ。
「そうだね、出町柳から電車で一本だから、手軽に登山を楽しめるよ」
そういう奈々の服装はニットの白いセーターにジーパンを合わせたアクティブなスタイルだ。髪の毛を三つ編みで一本にしており、ちょっと緩めの可愛らしさだ。
(奈々はどんなスタイルでも似合うな)
思わず表情を緩めつつ、ふと気になって訊ねる。
「とはいえ、なんでいきなり鞍馬なんだ? 別に悪くはないんだけど」
「あはは、今日、テレビで山の紅葉特集をやっていたから、行きたくなって」
そう笑う彼女の表情はどこか曖昧で、視線が泳いでいる。いつもの溌溂とした笑顔ではなく、何かごまかすような感じだ――少し、気になるところだが。
(もしかしたら何かサプライズを考えているのかもしれないし)
深く考えずに、そうか、と頷いてから続ける。
「確かに運動不足気味だったから、悪くないかも」
「ゔ……やっぱり、そう思う?」
「ああ、そりゃな」
京都に来てからいろいろ歩き回っているが、東京にいた頃は全然運動していなかった。そのせいで、奈々の大学まで自転車を漕ぐだけで息が上がるのだ。
少なくとも奈々の自転車のペースに合わせられる程度には体力を戻したい。
そういう意味でも、この登山は渡りに綱だっただろう。
「これから適度に運動しないとな」
「そう、だよね、やっぱり……あはは」
「……なんで凹んでいるんだ? 奈々」
「う、ううん、なんでもない」
しょぼん、と頭を垂れていた彼女は顔を上げると、大丈夫、と笑顔を返してくれる。若干、無理したような笑顔だったが。
(今日はなんだか百面相だな)
となると、もしかしたらまたあのときの真剣な彼女の眼差しが見られるだろうか。そう思いながら奈々の顔を見ていると、彼女が目を合わせて首を傾げる。
大人びた顔つきが可憐に見え、思わずどきりと胸が跳ねる。
(――と、いけない)
動揺が顔を出ないように視線を逸らし、車窓に視線を向ける。いつの間にか貴船口を発ち、終点に向けて叡電は走っていく。見えてきた鞍馬山を見て告げる。
「楽しみだな、鞍馬山」
「ん、そうだね。兄さん」
車窓から眺める山の色はいろとりどりに染まっていた。
---◇---
鞍馬駅に降り立つと、一層冷えた空気が身を包む。京都よりも一足先に季節が来ているような雰囲気だ。日差しは温かいが、秋の空気は澄んでいる。
奈々は辺りを見渡し、うん、と小さく頷いた。
「私も久々に来るかもしれない。一年ぶりかな。同級生と来たんだけど」
「なるほどな、僕は――七、八年ぶり、くらいか」
「あ、じゃあ、あのときの夏以来だ」
「そうなるな」
それは高校生の夏――つまり、奈々が小学生の頃だ。彼女が自由研究で京都の妖怪を調べると言ったので、叔父さんと一緒にここへ連れてきたのである。そのとき、初めて来た奈々は目をきらきらさせていたのをよく覚えている。
今もそのときの面影を感じさせつつ、だけど、落ち着いて微笑んでいる。
「どうかな、兄さん。久々の鞍馬」
「……ぶっちゃけ、変わらないな」
「だよねぇ、安心する」
「駅舎も、ほとんどそのままだな」
二人で駅舎に入り、改札を潜る。寺院を彷彿させる木造の駅舎のそのままでなんだか安心する。そこから駅舎を出ると、昔と同じ景色が視界に広がる。
(そう、こんな風景で――確か、そこに天狗がいた)
『お兄ちゃん、天狗っ、天狗様だよっ!』
無邪気に手を引く奈々に天狗像まで引っ張られていた、あの日が鮮明に思い出し――。
「兄さん?」
落ち着いた声に瞬きする。思わず立ち止まって物思いにふけってしまったらしい。記憶の光景は掻き消え、代わりに立っていたのは大人びた女性、いや奈々だ。
一瞬だけその微笑みにどきっとしてしまった気がして、それをごまかすように視線を天狗像に向けた。
「変わらないな、と思って――あれ」
変わらない、と思っていたが。よくよく見ると何か違和感がある。
天狗像に足を進めていくと、記憶が蘇ってくる。顔の角度が違う。それに赤色も渋みがなく、どこか明るい――そして顔の正面に回り込むと、確信に至る。
「……こんなに可愛い顔じゃなかった気がするんだが」
「そうだよ。あれ、兄さんは知らない? 2017年の大雪で天狗の鼻が折れたの」
「……マジか」
「大マジ。それで改修が行われて、二代目に変わったの」
その二代目の天狗は厳めしい顔つきの初代に比べると、厳めしいことには厳めしいが、迫力に欠ける感じだ。奈々もそれを眺めて苦笑いを浮かべる。
「初代を知っていると違和感があるけど……まぁ、これはこれで、ね」
確かに、と頷いてから視線を山の方へと向ける。駅から少し歩くだけで、鞍馬山の登山口だ。
「なら、そろそろ登るか。確か、山の中は飲み物もあまり買えないよな」
「途中の休憩所くらいだね。お茶買っていこうか」
「賛成だ」
途中に目に入った自動販売機で二人分の飲み物を買う。奈々は通学用の鞄にそれをしまってから、さて、と視線を鞍馬山の入口へ向ける。
早速広がるのは階段。その先にあるのは荘厳な門だ。よし、と気合を入れる彼女を微笑ましく思いながら、僕は軽口を叩く。
「疲れたら言えよ? また帰り道に背負ってやるから」
「そ、それは子供の頃の話でしょっ! それに、この程度のハイキングコースなら大丈夫」
「ならいいが……僕も気合を入れるか」
そう、ハイキングコースとはいえ、登山道――ここはただの観光地ではない。高低差もあるからしっかり油断せずに歩かなければ。僕は奈々と軽く頷き合うと、並んで鞍馬山を登り始めた。