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恋愛もの練習

還俗した王女は道化師と踊る




 修道院は退屈だけれど、いいこともあった。第一は文字を学べたこと。第二は、友達ができたこと。わたしが王女でも誰も気にしない。

 これから死ぬまで修道院で、好きな本を読み、薬草の世話をし、へただけどレースをあみ、日記をつけて眠る日が続くのだと思っていた。


 今、馬車にのってる。親友のルキアが、出発直前に持ってきてくれたこのまっさらなノートと、木炭を持って、これまでのことを書き付けようと思ってる。それであんな書き出しになった。ばかみたいな。


 それにしてもルキアは、凄くいいノートを持ってきてくれた。気にいらないから破りとろうとしたのに、無駄だった。そもそもわたしは力が弱い。水汲みや農作業でもすぐに疲れる。薬草の世話だって、わたしは記録をつけて、次の作の為に採種して、刈りとったものを束ねて干して、乾燥したら保管室へ運ぶだけ。


 すっごくどうでもいいことを書いている。


 わたしはクライセ。友達はリアって呼ぶ。

 立場は王女。王さまの娘。


 わたしの母親はもう死んでしまっていて、父親もこの間死んだ。


 王国は、あまり安定した状態ではない。院長先生から聴いた。院長先生は、若い頃からずっと修道院に居て、尼僧を指導してきた。わたしの四倍か五倍くらいの年齢だと思う。わたしが十六だから、四倍で、六十四。あ、五倍でもありうるかも。とにかく、凄くお年を召したかたで、でも矍鑠としてる。


 彼女が、どうしてわたしが修道院から出されるのかを説明してくれた。今朝、宮廷から使いが来て、院長先生と話していたと思ったらわたしが呼ばれ、慌ただしいお話のあとに馬車へのせられた。そのノートと、木炭と、赤い宝石がはまった指環がはいっている袋と一緒に。指環は、十年前にわたしが持ってきたもの。服はもうサイズが合わないし、指環だけ返してくれたんだろう。還俗する人間には、持ちものを返してくれる。




 少し歩いてきた。騎士と一緒だ。凄く丁寧だから変な感じ。仕方ないのだろう。わたしは女王になる。


 馬車の揺れはさほどじゃない。十年前、修道院へ行く馬車は凄く揺れた。


 十年前、わたしの母親が死んで、すぐに王さまは再婚した。直後に、わたしは修道院へいれられた。母の実家になにか罪があるってことになって。それが事実だったのかは知らない。


 それで?

 自分でも混乱してる。わたしはそれから十年、安全な場所に居た。

 怪我人や病人が運び込まれるような場所だけれど、わたしはそういうひと達に関わらなかった。誰かがわたしが王女だと云うことを知っているかもしれない。わたしを表に出さないことは、教会と宮廷の約束。わたしをとじこめておくことで、教会は弾圧されない。


 十年経って、今日、宮廷から騎士達がやってきて、修道院は混乱した。わたしもだけど。


「あなたはこれから宮廷へ戻り、戴冠します、王女。陛下が崩御されただけでなく、あなたのご兄弟がすべて亡くなったのです」


 だって。あっそう、という感じ。

 弟に関しては顔を見たこともないし、兄とも交流はない。母親違いだし、女のわたしは顧みられない。

 ただ、そうだったな、とも思った。男が死に絶えたら、女が王になる。そういう決まり。多分、小さい頃に聴かされたんだ。なんとなく知っていた。


 指環をはめてみた。小指にしかはいらない。


 院長先生のお話は面白かった。他人の話だと思えば。自分のことだと思うと気分が悪い。薬草の保管室に閉じこもってやろうかと思った。修道院が騎士達にむちゃくちゃにされるのはいやだからおとなしく従った。


 わたしが修道院にはいってから五回、戦があったそうだ。最初の一回で、王国を囲むように存在するみっつの国のひとつと同盟を結んだ。いろんな技術や品物がそちらからはいってきている。今でも友好的な関係だ。

 王さまは(父親なんだけどそういう感じがしないから、これでいい)欲張った。その国と親しくしていて、武器を融通してもらえるからって、残りのふたつの国と戦った。三回戦って、ひとつの国は滅ぼした。そして、同盟国と仲好く領土を山分けした。

 ついこの間、大きな戦があって、王さまは死んだ。王子達も。王室の男児は死に絶え、同盟国へ嫁いだ姉ではなくわたしが呼び戻された。


 もしかしたら同盟国の狙いはそれだったのかもしれない。姉をおさえておけば、姉の結婚相手がこの国をとれると思ったのかも。






 都までは時間がかかる。貴族の城へ泊まることになった。院長先生から助言されたから、よくわからないものは食べたくないし、誰が信用できるのかもわからない。院長先生が持たせてくれた解毒剤は、肌身離さず持っている。

 院長先生は、レッツェルというひとをさがすようにと云っていた。そのひとがわたしをまもってくれるそうだ。でも、(レッツェル)ってなに? 本名とは思えないし、院長先生がそれ以上のことを説明する前に騎士達がきたので、どんなひとかもわからない。男というだけ。


 「亡くなったお母上によく似てお美しい」だって。ウエー。お母さまの顔はおぼろにしか覚えていないし、声や仕種はさっぱり。淋しいとも思えないくらい。指環だけがわたしと両親をつないでいる。

 貴族達との食事があった。わたしが口にしたのは、みんなと同じ水差しから注がれたお酒と、大皿の料理だけ。ここの料理人の腕はよくない。

 宴のおこぼれに預かろうと、民達が来ているそうで、外は騒がしい。貴族達はなにか恵んでやるって。わたしに好かれたいのかも。


 騎士達をまいて、外へ出てみよう。わたしは朝寝坊で、夜が好きだ。月明かりの下、薬草園でぼんやりするのが大好きだった。夜にしか摘めないものもあった。そういうものをひとりで集め、丁寧に洗って蒸して、台へ並べておいて朝日をあてる。夜の間に蒸した薬草は、体の痛みによくきいた。

 それらから離れているのが悔しい。




 吃驚した。

 薬草園をさがして庭をうろついていた。解毒剤の材料を集めておきたいし、ほんのちょっぴり錐麦をもらっても誰も気付かないだろう。わたしみたいにありとあらゆることをきちんと記録して、薬草園を管理する尼僧は、ほかに居なかった。尼僧でさえしっかり記録をつける人間はめずらしいのだから、あんなに適当なことを云っていた貴族の薬草園はきっと適当だと思った。


 そうしたら、男が塀から落ちるところを見てしまった。

 井戸の近くに落ちたから、そのひとは泥に塗れていた。心配になって行ってみると、彼は笑っていた。怪我はない。わたしにも笑いがうつってしまって、しばらくふたりで、声をひそめて笑った。彼は座りこんだまま、わたしはその傍にしゃがんで。

「酷いおちかただった」彼は笑った。「音を聴いた?」

「ええ」

「どんな音だった?」

「蛙が水へ飛びこんだみたい」

 彼は尚更笑った。わたしも。


 笑い終えて、彼は立ち上がった。痩せているから小柄に思えたけど、そうでもない。獅子のたてがみのような頭をしていた。

 なんだかまだ、笑いをこらえるような顔をしてる。なにを云うかと思ったら、「お嬢さん、君はわたしが無様なおちかたをしたことを忘れてくれる? その為になにか必要かな?」ですって。とっても面白いひと。月明かりで、瞳が上等なお酒みたいな、琥珀色にきらめいていた。薬草を漬けこんだ、打ち身にきくお酒にそっくり。

 どうしてあんなことを云ったんだろう? わたしはそれを見ていたら、彼のあの薬草酒みたいな瞳を見ていたら、口に出していた。「どこか素敵なところへつれていって」って。修道院で毎日、悪魔のことを注意されていたのに。彼みたいなひとのことを云うのかもしれない。彼みたいな魅力的なひと。どうにかして傍に居たいと思わせるようなひと。


 彼はわたしの手をとって、凄く丁寧に、その辺りを案内してくれた。


 途中、こわくなったけれど、おそろしいことはなにも起こらなかった。彼はわたしの皮をはいだり、主を冒瀆するようなことをささやいたり、わたしの体を火であぶったりはしない。


 彼はここの貴族に仕えている道化師だそう。わたしはその辺りの制度や決まりは知らない。道化師というのはただ単に、宴やなにかの場で面白いことをしたり、滑稽な動きでひとを笑わせたり、貴族や騎士をからかったりするひと達、という認識だ。

 彼は道化師だし、歌うこともある。楽器を持っているのはその為。滑稽な歌や謎々の歌を得意としているのですって。

 名前は教えてもらえなかった。君の名前を教えてくれるならと云うから。わたしは彼に、王女だと知られたくなかった。それを知った彼が態度をかえるのではないかと思うと




 まったく呆れる。尼僧として、わたしは常に落第点だった。朝寝坊で宵っ張りのくせに、薬草園の管理のことになると煩くなる。それを理由に反省室へいれられたことは何度もある。

 男の反応を気にするなんて。院長先生にこんな話をしたら、鞭でぶたれてしまう。




 書いていたらいつの間にか寝ていた。


 また馬車で移動している。退屈。

 昨夜、彼はわたしを薬草園までつれていってくれた。錐麦はなかった。染草はあった。効果は劣るけど代用できる。つかいかたを誤ると毒になるものにしては管理が甘い。

 幾らか拝借した。盗みまで働くなんて、王女としても尼僧としても落ちぶれたものだ。

 こんなふうに寝てしまっていいのは嬉しい。どうしても昼間、眠たくなる。お日さまの光が気持ちいいんだもの。外はあたたかい陽気なんだろう。

 彼もこの、お日さまの光を感じているかな。わたしが染草を摘む間、彼はそれを見ていた。髪の毛の泥を落としながら。彼の顔色は悪かった。わたしが王女であることに気付いたのかもしれない。そのあと、出会った場所まで黙って戻って、気を付けて帰るようにと云っていた。


 馬車が停まって、出されたものを食べた。尼僧はいいものを食べてる。


 彼らはわたしが昨夜ぬけだしたことに気付いていない。

 彼らはお酒をしこたま呑んで、お城の女中達にちょっかいをかけていた。それに忙しくて、王女の(そして次期女王の)警護はおろそかになった。わたしは彼らをきらってる。不躾で、無礼で、品性の欠片もない。

 彼の名前をきくべきだった。わたしになにかあったら来てくれるって云ってた。そんなのありえないけど、信じてみる。

 彼は品があって、賢くて、礼儀正しかった。薬草酒の瞳がきらきらしていて、爪を伸ばした手が楽器の弦を器用に弾いていた。素敵なひと。たまに男子修道院から来ていた僧とは大違い。




 わお! 信じられない。 彼が来てくれた


 木炭をくれた。薬材が手にはいった。わたし達はさっき、ぶどう酒を呑んで、チーズをたっぷり食べて、同じベッドへはいってる。彼は礼儀正しくて、ふたりの間には短剣を置いてある。

 そう彼。彼と一緒。


 歩くのに疲れた。足は傷だらけ。道端にあった聖ツァルロスのマントを摘んでおいたから、それを湿布にしてる。彼にも。


 貴族のお城に泊まって彼と知り合ったのは一昨日。

 昨日はずっと馬車にのって、途中でご飯を食べて、また移動だったんだけど、襲われた。相手は不明。目的はわかってるつもり。わたしの命。

 それ以外にある? 女王がいやなのか、わたしがいやなのか、知らないけど、とにかくわたしを殺そうとしてた。

 騎士達は戦ったけど、まともに動けていなかった。彼らの名誉の為に書いておくと、それは多分、彼らが弱いからじゃない。食べものになにかまぜてあったんじゃないかな。わたしはお昼ご飯を食べてすぐ、解毒剤を服んでおいたけど、彼らにはそれはない。可哀相なことをした。彼らはきらい。でも死んでいいとは思わない。とりわけ、わたしの為にひとが死ぬのは、どんな理由でもいやだ。


 馬車からとびおりて、走った。荷物はひとまとめにしていたから、その袋を持って。気付かなかったけど途中で木炭は折れてしまった。

 馬車の後ろに居た騎士も動いていなかった。武装した男達がその騎士を殺したと思う。その瞬間は見ていない。どこからかあらわれた彼が、わたしを馬へのせ、馬を走らせたから。

「目を瞑っていて」

 彼はそう云い、わたしはそれに従った。


 日が暮れるまで走り続けた。彼は凄くせまい道や、藪のなかでも馬につっきらせる。馬はいやがっていたけれど、彼が器用に操るので結局は云うことをきいた。わたしは、あなたは誰? どこへ行くの? さっきのは? なんて質問ばかり。彼は、落ち着いたら教えるって。

 それで、この町へ着いた。彼はどこから見ても道化師で、わたしはお姫さまで、場違いだし変な組み合わせだ。でも彼が、自分達は旅回りの芸人で、仲間とはぐれて追っているのだと説明すると、門番は納得した。わたしは横で頷いてた。泥棒の次は嘘を吐いたってこと。まあそんなに悪いことをしたという気分でもないのだけれど。

 それで、宿をとって(宿へ行く途中に薬草を売っているおばあさんが居たから買えるだけ買った。指環と交換したの。親からもらったものといっても、命にはかえられないから仕方ない)、ぶどう酒とチーズをおなかへ詰め込んで、ろうそくの光でこれをつけようとしたら、木炭がめちゃくちゃになっていた。それでわたしが泣き言を云ったから、彼は呆れ顔になって出て行って、すぐに木炭を持って戻ってきた。


 という訳で、まだ彼の名前は知らない。彼が訊かないから、わたしもなのってない。名前も知らないで、一緒のベッドで寝ていた。


 今日はずっと歩いていた。馬は居なくなってる。売ってしまったんだって。お金が必要みたい。わたしは着ているものを売って、古着を買った。余ったお金で、パンやチーズなど日持ちする食糧を手にいれた。荷物のほとんどは彼が持ってる。

 ところでわたし達はどこへ向かって歩いてたの? 明日も歩くみたいだけど、ずっと修道院に居たから、この国の地理を知らない。女王になるのに。

 彼は寝てる。今日もなのらなかった。互いに。




 昨日は疲れててなにも書けなかった。書こうと思ったけど寝てたの。宿の厨房をかりて、解毒剤をつくったら、もう限界だった。

 昨日今日と、またずっと歩きづめだった。といっても、わたしが文句を云うからか、彼はゆっくり歩いてくれた。わたしの短い、くしゃくしゃの髪や、朝寝坊なこと、それに寝ぼけて妙なことを口走ったのもからかった。

 からかわれ、おどけた様子を見せられたけど、品がないとか失礼だとかは思わなかった。宿ではやっぱり同じベッドだけど、間には常に剣がある。


 森のなか。彼が綺麗な小川を見付けたから、そこでお水を飲んで、汲んで、足をひたしてる。

 彼は薬草酒の瞳でわたしを見ている。わたしがせなかをまるめて、膝の上にひろげたノートに書き込むところを。ルキアはいい子だ。でもこのノートは凄く重たい。


 顔を上げると彼と目が合った。彼がふざけて、わたしがぶつふりをすると、彼はくすくすして、なにか食べられるものをさがしてくるって、どこかへ行った。

 凄く不安になったことは彼には秘密。彼はすぐに戻ってきた。たっぷりのすっぱいぶどうを持って。


 野宿なんて二度としない。




 野宿というのは最低。人間のやることじゃない。動物達が来てこわいし、寒い。わたしは彼と布にくるまって、震えていた。彼はあまり震えていなかった。わたしと彼にどれだけの差があるって云うの?

 朝、文句たらたらのわたしに、彼は笑った。「君は自分が王女だからって、気温までどうにかできると思っているのか?」

「わたしが王女だと知ってるの?」

 彼は、しまった、って顔をした。てっきり、わたしのことを尼僧と思っていると、そんなふうに考えていた。

 彼は黙って、肩をすくめた。わたしは狼狽えていた。


 彼は変なひとだった。わたしが王女だとわかっても、だから、次の女王だとわかっても、態度はかわらない。

 当然なのかもしれない。どこでまた、襲われるともしれないし、王女であることをふれまわるのは危険だ。

 実際、また襲われた。宿に柄の悪い男達が踏み込んできて、彼はわたしの手をとって、窓から飛び降りた。信じられないくらい身が軽い。彼はわたしを抱きかかえて、走って、からの酒樽に隠れた。むっとするような匂いで胸が悪くなったけど、殺されるよりはいい。

 ごろつき達は居なくなった。ノートにぶどう酒のしみができてる。きゃあ!


「あなただけがわたしの名前を知っているのは不公平だと思わない?」

 そう訊いてみたら、彼はやっと名前を教えてくれた。ドゥムだって。ドゥム。ドゥムね。

 何度も呼んでみた。彼はその度にふざけた返事をくれた。逆立ちしたり、とんぼを切ってみたり。

 彼もわたしの名前を呼んだ。クライセはめずらしい名前じゃない。まちなかでわたし達が呼び合っていても、彼のふざけた態度が目をひくだけ。彼はそのあと、手品やなにかを見せて、食べものをせしめていた。わたしもあれくらいできないといけない。お金は乏しくなってる。




 楽器なんて一生できない。

 彼に教わったけど、彼がなにを云っているのか、なにをしてほしいのか、まったくわからなかった。わたしが覚えたのは、彼が持っている楽器には弦が三本張ってあるということだけ。

 彼は軽業の所為なのか、わたしを抱えて逃げた為にか、怪我をしていた。治療したけど、大丈夫かな。

 大きな変化は、彼とわたしの間に短剣がなくなったことだ。昨日、宿から逃げる時に、彼はわたしを抱えたので、荷物を置いてきてしまった。手品につかっていたものがあるのにと思ったけど、見せかけだけで、本当に切れるものではないんだって。


 悪い夢を見た。延々、馬車に揺られるというものだ。あんなのは二度といや。みんな、どうしてわたしが平気だと思っていたのだろう。顔を合わせることが少なかったと云っても、母親を亡くしたばかりで、乳母や侍女達からひきはなされた子どもが、どうして平気で修道院に慣れると思っていたのか、訊いてみたい。あの時わたしを修道院へいれた誰かに。きっと、死んでしまったお父さまなんだろう。だから答えは生涯、わからない。

 まだよなかだ。


 あのあと、彼の手を掴んだ。泣いていた。はずかしいけれど。彼はわたしを宥めてくれた。眠そうな声で。それがおかしくて、笑ったら、気分がよくなって眠れた。剣がなくなっていてよかったと思った。でも、子どもができたらどうしよう。




 彼は警戒してる。

 また、襲われた。彼は戦わない。わたしを抱えて、もしくは負ぶって、逃げるだけ。彼は今回、楽器を捨てた。彼の大切な楽器を。

「どうして助けてくれるの?」

 彼は答えなかった。「どうせ置いていくなら、売っておけばよかったな」と云っただけ。


 行商人といきあって、彼は残り少ないお金で短剣を買った。それをつかって、木に穴を開け、なかをくりぬき、笛をつくっている。なかなか素敵な音がする。彼はなんでもできるみたいだ。






 彼が笛を吹いて、滑稽な仕種や手品を見せ、わたしは道端で摘んだ薬草を売った。そうやって路銀を稼ぎ、ひたすら歩く。方角から、都へ向かっているのはわかっていた。彼ははっきり云わない。

 数日かけて都へ近付くにつれ、ひとが増えてきた。それはわたしには好都合だった。わたし達のような妙なとりあわせが、めずらしくなくなったから。ほかの大道芸人達ともめることはあったけど、彼が居ればなんとかなった。悪魔も口がうまいんだっけ。


 彼はいいひとだと思う。

 ううん。いいひとだ。


 このページに縫い付けておきたいくらいだけど辞めておく。指環。

 赤い宝石の。わたしが、薬材を手にいれる為におばあさんへ渡したもの。それがまた、わたしの小指にある。どうしてかって? 彼が持っていた。


「どういうこと?」

 それしか云えない。彼が指環をとりだした時、そう喚いていた。

 わたしは覚えてない。でも、この指環は親からもらったもの。解毒剤にはかえられないから手放したけど、ほんとは少し哀しかった。

「ずっと渡そうと思ってた」

「どうして?」

「君にとって大切なものなんだろう?」

「どうしてわかるの?」

 ばかみたい。彼は肩をすくめた。わたしは泣きながら、彼に指環をはめてもらって、それで彼に飛びついた。彼が他人だってことを忘れてたんだと思う。凄く嬉しくて。自分でもよくわかってなかったけど、この指環はわたしには大切なものだった。

 どうしてそんなことも自分でわからないの? ほんとにばかみたい。

 彼はどこかへ行っている。彼の笛と、わたしの薬材とでひと儲けあったから、馬を手にいれることができるんだって。もしかしたら、指環の為に馬を売ったのかもしれない。明日からは馬にのる。尼僧なのに乗馬もできないわたしを、彼はまたからかうだろう。彼にからかわれるのが好きみたい。指環と違って、失う前に気付いてよかった。




 こんなことある?

 最高の気分の日の次には最低の気分の日がやってきた。


 彼は居ない。彼を失った。彼が、わたしが考えているようなひとだったか、疑問。


 ここからはインク。

 なにを書こう。

 彼は居なくなった。わたしの前から姿を消した。


 指環を返してくれた次の日(あれからまだ何日も経っていないなんて信じられない)、都に着いて、彼はすぐに、わたしを城へつれていった。指環はわたしが王女である印。彼は王女を無事に城へ送り届けた英雄。

 騎士達にわたしをひきわたす時に、彼はなんだか困ったような顔をしてわたしを見ていた。わたしが泣いていたからだと思う。騎士達はばかだから、わたしの涙を誤解した。無事に城へ辿りついた安心から泣いていると。

 違う。彼に裏切られたから泣いた。彼がどれだけのお金と、宝石と、立派な馬や剣を、不満顔の官吏達からもらったか。

 彼はそれをめあてにしていたんだろう。じゃなきゃ、こんな厄介な王女なんて助けない。

 彼はわたしを助けてくれたんだと思った。違う。官吏達は、彼は国を救ったと云っていた。でも不満そうだった。ただの芸人が国の危機を救ったのが気にくわないんだ。

 ここにはばかしか居ない。




 わたしは大臣達と話すので心底疲れた。貴族にはまともな頭を持っているひとは居ないのかもしれない。もしくは、自分達が得をすることしか考えていない。それにかけては賢いんだと思う。彼らが考えるのは自分や、自分の家の得で、国のことじゃない。

 勿論、わたしのことを考えてくれるひとはひとりも居ない。


 結婚することになった。最後は占いで決めた。最終候補が五人出てきて、持ってきた花を水にうかべて、最後まで沈まなかった花の持ち主がわたしの夫になるひと。教会では占いや霊媒を禁じてる。悪魔の所業だからだ。彼らがますますばかに見える。

 夫になるのは、きらきらした白い髪に、猫みたいな金色の目をした男の子。信じられない。お相手はまだ八歳なの。彼は今、弟と王城の庭を走りまわって、木剣で戦のまねごとをしている。さっき、擦り傷に薬を塗ってあげたら、くすくす笑っていた。わたしは王女から尼僧、尼僧から女王になって、今度は年齢が自分の半分しかない夫の世話をするらしい。誰か助けて。






 なにが起こったのかよくわからない。

 ほんとにいやだった。結婚が。だって、相手は洟を垂らした子どもだし、結婚の意味もわかっていない。わたしは学んだ。王城についてすぐに、侍女達が絵を見せてくれて、夫婦がなにをするのかを教えてくれたから。あの子とあれはできないなとしか思わなかった。

 結婚の準備をしている時に、ほんとにいやになって、叫んだ。「ドゥム、助けて!」って。

 そうしたら彼が来た。


 どこから這入ってきたのか訊いた。「正門から」だって。意味がわからない。彼は魔法でもつかうの? 本当に悪魔かもしれない。


 彼があのタイミングで来たのは偶然。

 彼はわたしに会おうとしてた。もっと正確には、わたしに求婚しようとしてた。信じられない。

 彼はわたしを王城へ送り届けた英雄で、ご褒美の剣をもらっていたから、それで門番を説得したそう。彼の口のうまさを忘れてた。

 彼はわたしを、支度室で妻にした。わたしも彼を夫にした。わたしが尼僧だと云うことを誰もが忘れていたみたい。落第点の尼僧でも、結婚の誓いの言葉くらいは覚えている。侍女達ははなたれ小僧が王配になるのには反対だったから、立会人になってくれた。わたし達が冷静だったとは思えないけど、結婚なんて冷静じゃできない。

 侍女達が大喜びした。わたしの婚約者、可哀相な八歳の男の子、あの子の父親はやなやつなんだって。わたしを甘く見ていて、自分達で国を動かすつもりだった。ばかなひと達。女に頭がないと思ってる。


 わたしは彼と一緒に礼拝堂へ行って、すでに彼と結婚したこと、正式な誓いなので反故にはできないことを告げた。大臣達が騒いだけど、彼は抜け目なかった。ご褒美のお金をつかって傭兵を雇っていたのだ。傭兵達は、侍女が持っていったわたしの署名いりの登城許可証で、大手を振ってやってきた。武装した屈強な男達に睨まれていては、大臣達も自由に発言できない。ついさっきまでわたしと結婚するつもりだった可哀相な男の子は、弟と一緒にわたしに寝返った。彼は洟を垂らしてるけど賢いみたい! すぐに父親を切り捨てたから。


 さて、わたしの悪知恵の働かせどころだ。




 傭兵達には騎士になってもらった。前まで居た騎士達は全員、馘首。

 大臣達や貴族達は、それぞれの働きやなにかに応じて、地下牢から客間まで、適当なところにはいってもらっている。しっかりと護衛をつけているので問題はない。

 彼らの命と、わたしが政治を自由にする権利とを引き換えようと思う。彼との結婚を認めさせるのも。貴族がつれていた騎士達、衛士達は、わたしが侍女に渡した、染草からつくった毒で、寝てしまっていた。侍女達に云われてすぐに服んでしまうのだから、呆れる。戦で負ける理由がわかった。

 彼に訊くことがある。




「レッツェル」

 そう呼ぶと彼は苦笑いした。わたしも。

「どうして黙ってたの?」

 彼は肩をすくめた。院長先生が云っていたレッツェルは、彼ではないらしい。彼が云っていたことはこう。

「レッツェルっていうのは、わたしの一族の騎士のことだよ。といっても、ごくわずかな人間しか知らないことだ。わたしの一族は代々、名前をひきついで、王に密かに仕えた。王をまもり、助ける為に」

「あなたも?」

「いや、わたしの祖父の代でくびになった。君のお父さんは、わたし達の一族をきらっていたんだ。こそこそとして、汚い連中だってね。それで、わたし達は職を失った。さいわい、道化の才能があったから、大丈夫だったけれど」

「それじゃあ、こんな厄介な女を助ける必要はなかったのに」

「本気で云ってる?」

 自分でもよくわからなかったから、肩をすくめた。彼はくすくす笑った。

「何故助けてくれたの?」

「君が可愛かったから」

「本気で云ってる?」

 彼はわたしの手をとって、口付けた。わたしは彼の頬に口付けを返した。それで充分。なにせ、わたし達はもう結婚している。




 最初は王女と気付かなかった。尼僧だと思ったそう。髪が短いから。

 でも、顔をよく見て気付いた。彼のお父さまは、騎士に戻りたがっていて、王家の人間の名前や顔を彼に覚えさせていたそうだ。

 彼はわたしに興味を持った。貴族に仕えている道化師というのも嘘で、忍びこんでなにかくすねようとしていたらしい。「城なんてどこも似通ったつくりだからね」だって。

 それで彼はその次の日、わたしの馬車を追った。そうしたら、たまたま馬車が襲われて、わたしを助けた。

「考えなしに飛びだしてたんだ」

 王城へつれていったらご褒美があるだろうとは、あとから思ったって。だからつれていこうとしたけど、段々とお金のことはどうでもよくなった。でも、何度も襲われたから、城へはつれていこうとした。「王城が安全なのは間違いないから」。

 それで、彼はお金を受けとって、わたしをひきわたした。そのことを云うと、彼が弱った顔になるから、もうゆるす。

 それにあれは、厳密には裏切りじゃない。彼はご褒美のお金で、傭兵達をつれてくることをあの時すでに考えていた。わたしに教えてくれなかったのは、彼のお父さんの教えから。物事は密かにすすめるのがいい。彼の家訓。




 もう幾つか書いておこう。忘れそうだから。


 わたしを襲ったのは貴族が雇った傭兵達。ごろつき。何故か?

 簡単な話で、その貴族は他国と通じていた。同盟国と。やっぱり、同盟国はこの国をのっとろうとしているみたい。自分達が手を汚して露見したらまずいから、この国の貴族にやらせた。

 やりとりした証が残ってるんだけど。ばかな貴族でもそこまでばかじゃなかった。使者を行き来させてて、手紙は残さなかったけど、その使者を留め置いた。彼が尋問してくれたら、あっさり喋った。わたしの夫はなんでもできる。

 これを材料に、同盟をこちらに有利なものにする。それに、貴族達には好き勝手させない。わたしは女王になっているし、爵位を持った貴族達はみんな捕まえてる。数人は死ぬけど、それは仕方のないことだろう。

 暢気にも、結婚式と戴冠式を見物するつもりで来ていたばかなひと達。


 同盟国に使者を送って、この国の王位継承に横槍をいれようとしたことを責めるつもり。多分、誰かが企てたことだって話でまとまる。何人かが死ぬことで。でも、こっちに有利になるように動く。さいわい、今度の騒ぎで本当につかえる人間が誰なのかは判断がついた。

 官吏達は優秀だし、無駄に戦をしなかったらこの国は充分保つと保証してくれた。官吏のなかでも優秀なひと達、特に働きのめざましいひと達は、継承可能な爵位を与える予定。女王はそういったことをしないと思われているみたいだけれど、わたしはやる。そうしたら、官吏達にある程度、仕事を任せる。洟を垂らしたもと婚約者殿が、意外にも法典にくわしいから、わたしの助けになってくれているし。


 わたしは歴史上はじめて道化師と結婚した女王で、これからも朝寝坊して、夜は薬草園の世話をする。そして、月明かりのもとで踊る。彼とふたりで。




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