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温風と冷風

作者: ヘルベチカベチベチ

「必ずだからね。温風、冷風の順番だよ。そうすれば髪がツヤツヤになるのよ。」

 僕はおばあちゃんの髪を乾かしてあげています。僕が髪を乾かしてあげるときに、おばあちゃんはいつもこれを言います。僕はこれを始めて教えてもらった時、なぜなのか分からなかったので、「どうして」とおばあちゃんに聞きました。するとおばあちゃんは「魔法だよ。魔法には順番が大切なのよ」と言うので、僕はそうか魔法なのかと、次の日からは何もふしぎに思わないでおばあちゃんの髪を乾かしました。

 毎日おばあちゃんの髪を乾かしていると、僕は髪を乾かすのが少しずつ上手になっていきました。乾かすのが上手だと、乾かし終わるのが早くなるので、つまり、つまみを温風から冷風に切り替えるタイミングが早くなります。僕が乾かすのが上手くなったのは、僕だけでなくおばあちゃんも気づいていました。するとおばあちゃんは僕を褒めてくれました。

「ほんとうに上手になったねぇ。ほうとうにいい子だ。その調子で毎日私の髪を乾かしておくれ。」

 僕は褒められてとてもうれしくなりました。僕が髪を乾かすとき、おばあちゃんが僕に何か言ってくれるのは、これまではいつものあの言葉だけだったからです。僕のよろこびが風に乗っておばあちゃんの髪の毛にも伝わったのか、おばあちゃんはこう言いました。

「上手なのはいいけれど、気は抜いてはいけないよ。気を抜くと、いまに温風が冷風を追い越して、順番が間違ってしまうからね。順番は、必ず、温風、冷風だからね。そうすれば髪がツヤツヤになるのよ。」

 なんだか僕は、うれしさが消えたわけじゃないけれど、心が元のところに戻ってきたような気になりました。おばあちゃんは大好きだけど、いつもの、誉め言葉、いつもの、の順番じゃなくて、いつもの、いつもの、誉め言葉、の順番の方がいいなと思いました。これもおばあちゃんの魔法だと思います。

 その日から数日して、おばあちゃんの言っていたことは本当でした。僕はどうしてしまったのか、まだ濡れているおばあちゃんの髪に冷風を当ててしまいました。おばあちゃんのきれいだった白髪が、冷風を当てたところからどんどん溶けてしまいました。おばあちゃんは僕の間違いにすぐに気づいて、いつも一緒に暮らしているときからは考えもつかない素早さで僕から離れました。おばあちゃんの座っていたイスは同じ方にたおれ、こんなに大きくて乱暴な音を、僕はひさしぶりに聞きました。

 僕は自分のしたこととイスの音とおばあちゃんの髪と冷風が頭でごちゃまぜになってしまっていました。でも僕はすぐに「ごめんなさい」を言おうとしました。悪いことをしたならそう言いなさいと、パパによく言われていたからです。でも僕は言えませんでした。僕の目の前では、おばあちゃんが床で転んだまま泣いていました。自分の後ろ髪を、もうなくなってしまったのに手で探しているみたいでした。僕は大人がこんな風に泣いている姿が嫌いでした。

 僕は一人で布団に入って、ぜんぜん寝られる気がしませんでした。あのあとおばあちゃんは泣き止んでくれたけれど、僕がそばにいなくなった今また泣いているのだろうと思うと、僕は不安で不安でたまりませんでした。そしてこの不安は、おばあちゃんに悪いことをしたとか、おばあちゃんの髪をどうするかとか、そういう素敵な不安ではなくて、おばあちゃんという同じ家に住む大人が不安だということでした。おばあちゃんは、この家の大人は髪がなくなったくらいで泣き崩れました。髪なんていつかまた生えてくるのに。そんなことでこの家は、生活は、子供である僕は大丈夫なのでしょうか。このままでは寝られる気がしません。

 次の日、僕はことあるごとにおばあちゃんを思い出しました。食べるのは野菜から、最初はグー、足し算より掛け算、手洗いうがい。

 僕は試しに野菜を食べる前にカレーライスを食べてみました。すると「野菜から食べなさい。残しちゃだめよ」と言われました。

 僕は試しに最初はチョキにしてみました。ちょっとだけ人気者になりました。

 僕は試しに足し算から解いてみました。テストは十五点でした。

 僕は試しにうがいからしました。何も言われませんでした。

 僕は家に帰るのが嫌でした。髪はまだ戻っていないから、おばあちゃんもまだ泣いているのだろうと思いました。

 空が暗くなるまで公園にいて、やっとのことで僕は家に帰ろうと思いました。そうじゃないと、最近この辺りには不審者がいるらしいのです。

 家の窓は光っていて、当然おばあちゃんはいました。また嫌だなと心がキュッとして、でも僕は頑張って玄関を開けました。

 するとそこにはおばあちゃんが待っていました。おばあちゃんは僕を見て笑顔になり、そして僕を抱き寄せました。

「遅くて心配したよ。おかえりなさい。」

「ごめんなさい。ただいま。」

 おばあちゃんの髪は、短いままだけれど綺麗になっていて僕は安心しました。

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