ロシア鍋
もう、世の中全てが嫌になっちゃって、私はビルから、えいやと飛び降り自殺をしてみた。
足を踏み出しジャンプしたときはもう、それはそれは爽快で『私はかもめ』などと心の中でソ連の女性宇宙飛行士テレシコアを気取って言ってみたが、勿論、空を飛べるわけはなくて夕暮れの空をどんどんおちて走馬燈とか見た。
衝撃と共に辺りは真っ暗になり、目が覚めると病院で、同僚の共ちゃんに死にたくなるぐらい説教された。植え込みに落ちたらしくて、別に障害の残る怪我もなく手と足の骨が折れただけで二ヶ月もしないうちに退院した。
共ちゃんに、精神を癒しやがれと、なんだか乱暴な事を言われて、そんなんでは癒しにならないよう、と言ったら、マジ切れされてめちゃくちゃ怒鳴られた。
共ちゃんに連行されるように精神病院とかに連れて行かれて、やだなあやだなあとは思っていた。でもアレな人が鉄格子の中できゃあきゃあ絶叫してるかも。とかわくわく感もあって、とにかく行ってみたんだけど、ごく普通の病院で、好奇心とかが満たされなくてちょっとがっかり。
薬を飲まされて、頭ふにゃふにゃで、ふらふらだらだら、仕事を休んでネットとかしてると、私ってニート? ニート? って流行の最先端気分を味わいつつ、でも今の流行はネットカフェに泊まって秋葉原をぶらぶらだよなあ、とか思いついたので、電車にのって秋葉でネットカフェ難民してみた。でも一日で煩わしくなってマンションに戻ったりして。なにやってんだろ私はと深く反省したりした。
そんなある日、私はネットで『自殺から生還する掲示板』というのを見つけた。
面白そうなので、持ち前の明るさで快活に挨拶の書込をしたら、ほがらかに仲間にいれてもらえた。そいでもって、しばらく掲示板で、おたくも大変ですなあ、とか、家族の問題は根が深くてとても同情いたします。とか適当な事を書き込んでいたら、友だちというか、知り合いというか、なんか微妙な関係の人たちが増えてきて、うざったいんだか、くすぐったいんだか解らない感じではまりこみ。
掲示板にはオオクマさんと言う管理人さんがいて、自殺願望があって悩んでる人へ、それはそれは親切に親身にかいがいしく世話をやきレスを返し直電をして、掲示板のみんなにとんでもなく頼られていた。
この掲示板にはオオクマ鍋という行事があって、君は自殺から生還したとオオクマさんから認定されると、家によばれ、すんごい美味しい鍋をごちそうになり、卒業できるらしい。
掲示板の書き込みぐらいで癒されて自殺を思いとどまるのはさあ、結局本気じゃねえ証拠だよねえ、くけけ。などと腹黒く馬鹿にしつつも、へらへらと私は毎日書込をつづけていた。
オオクマ:
緑川さんもそろそろ、落ち着いて来たみたいですね。どうですか、今度の日曜日に僕の家で鍋をしませんか。
緑川:
わーーーい。鍋のお誘いだあ。私は卒業? 卒業?
なんというか、とても頭の悪いレスを返して、私は次の日曜日オオクマさんのアパートへ出かける事にした。
当日、同室の共ちゃんに、おまえ今日仕事だろっ! とか言われ、首ががくがくするぐらい胸ぐらをつかまれてゆすられたが、鍋がまっておるのじゃ、と膝蹴りを水月に撃ち込んで悶絶させて出かけようとした。だが、敵もさるもので、人のハンドバックに商売道具をむりむり押し込んだあと、床に沈み込んだ。
「あたしゃデートなんだよ、オオクマのアパート行くと、お客があたし一人で、きっと、『やあ、みんなこられなくてねえ』、とか言われて、『ええ、困りますわ』とか言って、『まあ、いいじゃないですか』とか言われ、『鍋は煮えてるんですよ』、言われるので、『そうですか、しょうがないですねえ』とか言って、お部屋にあがって、こう、お燗をさしつさされつしてさあっ!」
「だまれ、このくそ暴走妄想娘め。鍋食べたら、とっとと職場に来て仕事しやがれ」
もー、ハンドバックが重くなるじゃんかよう、ぷんすか、とか思うのだが、仕事をさぼってオフ会に行く私の行動も行動なので文句は言えないかもしれない。
オオクマの家は郊外沿線でがったんごっとん揺られること二時間の片田舎の駅からバスに揺られて二十分、降りて畑のなかを、えっちらおっちら上がった先の丘の上の古ぼけたアパートだった。ハイヒールなんか履くんじゃなかった。
アパートの鉄製の階段をカンコン言わせてドアをコンコンとノックすると
「やあ、いらっしゃい」
などと、小太りで眼鏡でひげもじゃのオオクマが現れた。ハンドルそのまんま。
「や、あなたは、うーーん、緑川さんですね」
「ぴんぽーん」
「あはは、書き込みそのままの方ですね、いらっしゃい、みんな来てますよ」
なんだよ、私一人じゃないのかよう。とか思ったのだが、ドアから漏れ出る良い匂いに誘われて、私は憎むべきハイヒールを脱いでオオクマんちに上がった。
八畳ぐらいの部屋に、なんというか、幸薄そうなしょぼくれ兄さん姉さんが沢山いて、私を見るとハイテンションで挨拶をした。まあ、自殺生還掲示板に書き込むような者共がハツラツとして格好いいわけないので予想の範囲だったが、オオクマの部屋だけは予想外に簡素でがっかり。もっとこう、魔法少女アニメの痛いポスターとかさあ、山積みのDVDボックスとか、薄っぺらい癖にゲロエロな表紙の同人誌の山とか想像していたのだが、家具もあまりないような普通のアパートの一室。こんなんじゃ来た意味ねーよ。とは思ったが口にはださなかった。ほら、あたしは常識ある社会人だしね。
一瞬、血の匂いをかすかに嗅いで、自分の手を嗅いでみたが、私じゃないようで、なんだ? と思ったのだが、すぐ鼻が慣れて鍋の匂いに混ざり感じなくなった。
なんとなくヤンキーな気配を残す反っ歯のお姉ちゃんが、こっちこっちと私を呼んでくれた。ちゃぶ台の上にはもう大きな土鍋がセットされていて、卓上コンロの火でくつくつ煮えている。昆布の匂いが漂って、朝ご飯を抜いてきた私はお腹が減ってくらくらしたのだ。
「今日は良く来てくださいました。このオオクマ鍋も今回で六回目で、自殺生還者互助掲示板の卒業生もそんなになったんだなあと主催者として感無量です。この鍋の会を想い出の区切りにして、今後の人生に強く逞しく生還していってくれることを望みます。では、右回りで自己紹介をしましょう」
うー、そんなこと良いから早く食べようよー。
「こ、こんにちわ、千葉から来た山田です。掲示板のハンドルはやまっちです」
おー、あんたがやまっちでしたか。中肉中背の若者で、ほがらかな中にも陰気な風が吹く好青年だった。掲示板ではいつも悲しそうなポエムを書く男で、わたしはそれを読んではモニターの前で微妙になま暖かい笑顔を作ったものだったなあ。
「僕が自殺を考えたのは、獣のような実父に毎晩犯されたからで、その頃は本当に地獄に居るようでした。でも自殺生還者互助掲示板の存在を知り、辛いのは僕だけじゃないんだな、みんな苦しんでるんだと解り、掲示板のみんなから温かいカキコを貰って、僕は立ち直る事ができました。オオクマさんの勧めで実家から独立し、バイトを始めて、沢山の善意に囲まれて、今は幸せな毎日を送っています。こうして卒業を迎えてとても胸が一杯で……、ほ、本当になんとお礼をいっていいやら……、わ、解りませんが、みなさん本当にありがとうございました……」
わーっと拍手が湧いた。やまっちは涙を拭いにっこりと笑った。
うんうん、よかったね、やまっち。やまっちの相談はここ二ヶ月の掲示板のハイライトだったりして、みんな心配したものだったよ。
って、次の自己紹介、私じゃん!
「えー、どもども、川崎から来た緑川やや子と申します。ハンドルは緑川です」
きゃあ、緑川さんだったの。うわ綺麗だね。とか賞賛の嵐が渦巻いて、私は一瞬にんまりした。
「わたしが自殺を考えたのは、仕事がうっとおしくて上司が馬鹿揃いで、もうなにもかも面倒になってビルから飛び降りてみました。したら奇跡的に助かってしまい、通院とかしてたのだけど、ある日この掲示板を見つけて冗談で書き込みをしてみました。そしたら、真心のこもった返事を貰い、なんか嬉しくなって居着いてしまいました。正直、えーもう卒業なのって感じですが、これからもあの掲示板の書込を糧に一生懸命生きて行きたいと思います」
わあ、っと拍手が来た。みんな温かい目で私を見た。
なんかみんな善人な感じで、仕事でつきあっている連中とは人種が違う感じで、なんともくすぐったいのだが、まあ悪い気分ではないなあ。
「さ、埼玉から来た、真行寺奈美恵といいますっ。は、ハンドルはナミミンですっ」
男の子たちからナミミーンとかけ声が飛んだ。
やや、ナミミンの本物はこんな感じでしたか。赤毛のアンを読むようなアーリーアメリカン娘を想像していたのだけど、ほのかにヤンキーっぽい、反っ歯のお姉さんだった。
「わ、私が自殺を考えたのはっ、あのあの、彼が、えと、その頃の彼にお金をたかられていまして、それで、子供も出来ちゃって、貯金も無くなって、どうしようもなくなっちゃって、お風呂で手首を切ったんですが、お母さんにみつかっちゃってっ、で、えー子供も、その、りゅ、流産しちゃって、もー、どうしようもない絶望の淵に居る時に、この掲示板を見つけました。おそるおそる参加してみたら、みんないい人ばっかりでっ、オオクマさんの『そんな男とはきっぱり別れなさい!』という助言で、彼と別れてっ、それで、その」
ナミミンは隣りの痩せた男を見た。
「えと、すごく親身になって応援してくれたシンくんと交際を始めてっ、それで、あの、もうすぐ結婚します」
座が結婚と聞いて湧いた。
へー、掲示板見てるだけじゃ気がつかなかったよ。ナミミンおめでとうー。
「子供もその、出来ましたっ。いま四ヶ月ですっ」
うおー、お子さんー! と座が湧いた。
ナミミンとシンくんは幸せそうに寄り添った。
「練馬から来ました水木真一です。ハンドルはシンです。僕が自殺を考えたのは大学の研究が上手くいかず悩んでいて、人間関係にも疲れてしまって、自殺を企てました。でもどうしても死にきれなくて落ち込んでいた時にこの掲示板を見つけました。本当にみんな心に傷がある人たちなのに、自分の傷よりも人の事を第一に考えるような気持ちが優しい人ばかりで、何度もモニターの前で泣いてしまいました。今では研究も波に乗り、ナミミンとも出会えて、幸福の絶頂ではないかと思っています。ナミミンと子供と僕の三人で、これからの人生を歩んでいけたらなと思っています」
拍手が湧いた。
大学院の研究生が妻子やしなってけるのぉ? と意地悪な感想が湧いたが、もちろん黙っていましたとも。困窮したら困窮した時に考えれば良いことだよねえ。若者は刹那的に生きればいいのさ。
「ども、若い人ばかりでちょっと僕は困っていますが、横浜から来た真壁雲蔵です」
おお、ウンゾーちゃんだ。へー、書込を芝生(wの事、wwwww wwと連発すると芝生みたいに見えることから)にするから、若者かと思ってたら、意外におじさんだったのね。
「僕が自殺を考えたのは、事業に失敗して、妻も子も去り、多額の借金を負って前途に絶望したからです。考えが甘かったのもあったのですが、なにより親友に売り上げを持ち逃げされ、僕は何も信じる事ができなくなってしまいました。そんなときにネットでぶらぶらしてたら、この掲示板を見つけました。大した期待も無く、書込をしたのですが、オオクマさんが親身になって相談に乗ってくれ、弁護士を紹介してくれて、借金の整理も目途が立ちました。決して人生をあきらめないこと、これが僕がこの掲示板から教わった一番大事な事でした。本当に、この、卒業の日を迎える事が出来て、なんというか、か、感無量です……」
ウンゾーちゃんは眼鏡を取って涙を拭った。
拍手がわき起こった。
「埼玉から来た、蛇山大知です。もう僕は掲示板を前回卒業してしまったので、ダダイチってハンドルを言っても知らない人の方が多いと思います。今回は勇気を出して鍋をまた食べに来たんです。みんなの自己紹介を聞いて、ああ、前回の僕らと一緒だな懐かしいなって胸が熱くなりました。オオクマさんがこれからするゲームで、皆さんはとまどったり怖い思いをしたりするでしょうけど、大丈夫です、この鍋の会を乗り越えたら、もうこの世に怖い物は無くなります。オオクマさんを信じてこの鍋を乗り越えてみてください」
鍋を乗り越える? 足が熱くなりそうなんだけどなあ。
一回り自己紹介が終わった。オオクマさんが眼鏡をきゅっと上げた。
「オオクマ鍋を主催している、大隈重太郎です。ハンドルはオオクマです。もうこのオオクマ鍋も六回を数え、数々の卒業生を出してきました。ひとえに皆様の善意とあたたかいご支援のたまものです。僕がこの掲示板を立ち上げるきっかけは、やっぱり自殺を考えた事なのです。僕は変態性の性欲の持ち主で、愛するパートナーが居ました」
うへえ、オオクマさんSMの人なのか。
「ある日僕はプレイに熱中するあまりパートナーを殺してしまいました。僕は激しく自分の性癖を憎み、こんな忌まわしい男は世界に要らないと独り決めし、海に身を投げました。五時間、海を漂い、僕はイカ釣り漁船に助けられました。そして、漁師さんの一人にこう言って諭されたんですね。『なにがあったかしらねども、ここで助かったのは運命だ。これからは死んだと思って人のために生きてはどうだね』と。僕は頭を金槌で殴られたようなショックを受けました。それまでの僕は自分の悲しみしか考えて無かったんです。人の為に生きる。誰かを支えて、そして、その支えた事実で、自分の心も支える。汚れた自分だからこそ出来る事があるのではないか。僕はそう思いました。そうするとなんだか胸の奥に力が湧いてきました。僕はIT企業に勤めていてネットに詳しかったので、ネットで人と共に歩む道は無いのかと模索しました。それが『自殺からの生還掲示板』として身を結びました。皆さんを支え、支える事で僕自身も支えられ、今に至っています。今日、皆さんは自殺から生還したんです。どうかこれからの人生で、この鍋の会を忘れず、雄々しく生きていく事をお祈りします。そして、傷つき、心が暗くなったときは、また、掲示板に戻ってらっしゃい。その時には、きっと、また、生還の為に僅かばかりのお手伝いをいたしたいと思います」
わあっと感動の拍手が湧いた。
みんな笑顔だった。ナミミンとか、やまっちは感動の涙をながしていた。
「では、まずは乾杯っ!」
ビールの王冠が開けられた。
ナミミンが私のコップにビールを注いでくれ、お返しにナミミンのコップにビールを注いだ。
「さって、鍋なべ~」
私が土鍋の蓋を開けようとすると、
「まってまって」
と、オオクマの待ったが掛かった。
「え、まだ煮えてないの?」
「もう、緑川さんは食いしん坊みたいですね」
す、すいません。
「さて、この鍋ですが、食べるルールがあります」
む、オオクマって鍋奉行?
オオクマは座卓の下からリボルバーを取り出した。
モデルガンマニア? と思って見たのだが、どうも、きちんとした金属で出来ていて、銃口が空いていて、ライフリングも切ってある、本物のコルトパイソンのようだった。
オオクマは慣れた感じでラッチを外し、シリンダーを開いて、弾丸を一発込めた。
撃鉄を引いて、シリンダーをくるくると回した。
「ロシア鍋って、僕らは呼んでいます。ロシアンルーレットをして生き残った者だけがこの鍋を食べる権利があります」
みんなシンとしてしまった。
ダタイチだけがニヤニヤしていた。
オオクマはコルトパイソンを自分の額に当てた。
「人生には困難があります。時には理不尽な事が襲いかかります。弱い我々は心を強く鍛えねばなりません。大丈夫、みなさんはこれに耐えられるだけの勇気が復活しています。毎回、六分の一の確率で死が訪れますが、きっと生き残る事ができるでしょう」
そう言うとオオクマは引き金を引いた。
ガチリ。と金属音が響いた。
くつくつと鍋の音だけが六畳一間に鳴っていた。
「……ぼ、僕たちにやれって言うのか?」
「三周します。発射の確率は二分の一です」
オオクマは鍋を開け、海老とホタテとはんぺんを取り皿に移した。
わーうまそうだなあ。
「この鍋は塩をベースにし、利尻昆布で出しをとり、北海道で取れた蟹、ホタテ、仙台のはんぺん、浜松のかまぼこ、山田ネギに、宮城の白菜を煮込んだ絶品ですよ」
オオクマは私に向かって食べながら目を笑わせた。いいなあー。
「や、やらないと、やらないと言ったらっ!」
「わ、わたしいやよ、帰るーっ!!」
「その時は悲しいですが死んでいただきます」
オオクマは別の拳銃を座卓の下から出して構えた。
ベレッタM92、米軍の横流し品?
「確率的に言うとな、この中の半分は死ぬぜ、だけどな、これに生還したって事は、人生に絶対に勝つって事なんだぜっ」
ダタイチが言った。
というか、こんな馬鹿げた鍋を一回生き残ったのに、二回目を喰いに来るとはねえ、ダタイチは阿呆?
「俺たちが自殺をするほど追いつめられたのはなあっ、運気が人よりも悪いからなんだよ。このロシア鍋で人が死ぬ、必ず誰かは死ぬ、だけど、死んだ奴も生き残った奴も気にすることは無いんだ。死んだ奴の運気が生きてる奴に乗って、それからの人生を暮らす助けになるんだよ! 俺もな、前回のロシア鍋で生き残って、しばらくは腑抜けみてえになったが、その後どんどん運気が上昇してよ、競馬をすれば万馬券、スロット打てばドル箱だ。元いたチームではパシリだったけどよ、今ではボスに次いでのナンバー2になれた! だから怖れずに挑むんだっ! 生き残れたら人生勝ち組だぜっ!」
なんかオカルト雑誌の後ろに乗っかってる魔法のペンダントの広告みたいだな、と私は思ったが、もちろん口にはだしませんよ。わたしは、ほら常識的な社会人だし。チームのナンバー2になれるのが出世かあ? とも思ったですが。
オオクマはやまっちに優しくコルトパイソンを渡した。
やまっちは銃を手に真っ青になって震えていた。
「や、やらないと駄目ですか」
「がんばるんだ、やまっち」
オオクマは優しい目をしてやまっちを見た。
やまっちの顔面はついに真っ白になり、大粒の脂汗がだらだらながれ、コルトパイソンの銃身にぽたぽた落ちては蒸発していた。
やまっちは意を決するように、こめかみに銃身を当てた。
「って、ちとまって、弾出たらこっちくる」
私は慌てて言った。
弾が出た場合、やまっちの頭を貫いて、直線で私に当たる角度に銃が向いていた。
ああ、という感じでやまっちは体を横にひねった。
「こ、これが出来たら、出来たら……。お父さんはHな事しないで僕を愛してくれるかな」
「大丈夫だとも、やまっち、きっとお父さんと和解できる」
「じゃあ、やるよ、オオクマさん」
やまっちの引き金にかけた人差し指が白くなった。
轟音が鳴ったので、私は無意識にうひゃあと言って、座布団を頭に被った。
やまっちの頭の半分が吹き飛んで、ゆっくりと後ろに倒れた。
ナミミンの悲鳴がサイレンのように長く抑揚をつけて鳴り響いた。
ああ、ずらしておいてよかった。斜めに撃ったので、こちらに血とか肉とかが飛んでこなかった。大体は部屋の隅に向けて散らばっていた。
「やまっち、君は運がなかったね」
オオクマがとても残念そうにつぶやいた。
投げ出された左腕からオオクマはコルトパイソンをもぎ取り、排莢して、また一発実包を入れた。
やまっちの腕がぴくぴく動いていた。
私は座布団を引き直して、オオクマからコルトパイソンを受けとった。
しかし、己の一生で実包を入れた銃でロシアンルーレットをする日がこようとは思わなんだなあ。
「シリンダーを回すのはあり?」
「……うむ、そうですね、一回だけ」
私は撃鉄をあげ、二の腕にシリンダーを当てて回した。
適当な所で止め、こめかみにあてた。
みんなが私をじっと見ていた。
思い切って引き金を引いた。
がちんっ。
ほっと、私は息をついた。
「これで、お鍋食べていいの?」
「え? ええ、ど、どうぞ、緑川さんの権利ですよ……って、ホタテは人数分しかありません二つも取ってはっ」
「えー、やまっちの分も食べて供養を」
「なんて食いしんぼなんですかあなたは。いけません」
ちえー、オオクマのけちんぼ、と言いながらホタテを一個鍋に戻していると、みんなの視線が固い。
「ど、どうして緑川さんは……」
「平気な顔で」
「え、だって、一発出たなら、続けて出る確率低いでしょ」
「え? ああ、まあ……」
「いや、でも……」
みんないぶかしげな顔で私を見ていた。
そんな事より、鍋鍋~。
「うわー、おいしいなあっ! なにこれ」
「美味しいでしょう、それは生死の境を飛び越した味、生きている味なんです」
「いや、普通に美味しいけど」
「……」
オオクマが、何か珍獣を見るような目で私を見ていた。
な、なんだよう。
「……、み、緑川さん、ナミミンさんに銃を渡してください」
「はい、ナミミン」
私はナミミンの膝に銃を乗せた。
うわあ、はんぺんが汁を吸って、おいしー。
ナミミンがボロボロ涙をこぼしていた。
「わたし、で、できないです……」
「ナミミン……」
「では、死んでもらいますよ」
「い、いやですっ!」
「怖れずに銃をとり、引き金を引くのです。銃は人生の障害の現れの一つにすぎません。自ら引き金を引くことで、悪いことも、良いことも、自分の手で引き受ける勇気を心に産み出すのです」
「できないできないできないっ! 赤ちゃんがいるのっ! わたしそんな事できないっ!!」
オオクマがベレッタを取り出し構えた。
「やめてくれ、オオクマさん。ナミミン、勇気を出すんだ。君が引き金を引かなかったら、君も、僕たちの赤ん坊も確実に死ぬんだ。引き金を引いたからって死ぬとは限らないんだよ」
「シン君、怖い、私、怖いのっ!」
「頑張るんだ、僕がついてるっ!」
ナミミンはコルトパイソンを手に取った。
「そうです。あなたが頑張らないで、どうしてお腹の中の赤ちゃんを守れましょう」
「わ、わたしが守る?」
「守るのです。赤ちゃんを。そして自分の未来を」
「未来?」
「未来です。この鍋を生き残った後の事を思うのです。あなたは何も怖がる事が無くなります。何時でも親の顔、彼の顔、友だちの顔をうかがって、おどおどびくびくしていた、ナミミンでは無くなるのです。さあ、引き金を引きなさい」
ナミミンは目をきつく閉じ、歯をむき出しにしてくいしばり、脂汗を流してこめかみに銃を当てた。
「きいいいいいっ!!」
がちんっ。
部屋に沈黙が降りた。
ナミミンは前屈みになって、荒く息をついていた。スカートのお尻が尿で濡れていた。
「さあ、勝利の鍋を食べるのです」
ナミミンは黙って、椀に鱈と海老とホタテを入れた。
「はんぺんがすごくおいしかったよ」
私が言うと、はんぺんも取った。
「さあ、食べなさい」
ナミミンは鱈を口に入れた。
「美味しいですか?」
ナミミンは目をつぶり、黙って激しく頷いた。涙がばたばたっと辺りに散らばった。
「さあ、銃をシンくんに渡してください」
私の椀の中身が無くなってしまった。
「ねえ、おかわりしちゃ駄目?」
「な、何を言ってますか、ロシアンルーレットをしないと取っては駄目です」
「もー、なかなか食べれないなあ」
私はビールを口にした。
ふと気がつくとやまっちの血が私の席の方に進行していた。私はおしぼりを取って、やまっちの血をせき止めた。
シン君は黙ってコルトパイソンを握り、考え込んでいた。
「シン君……」
「だ、だいじょうぶだ」
でもなかなかシン君はコルトパイソンを持ち上げようとしない。
「考えていてもしかたがありませんよ」
「わ、わかってる、ちょと待ってくれっ!」
シン君は巨大な岩石を持ち上げるように銃を持ち上げ、こめかみに当てた。
「うっ、うっ、うわあああああっ!!」
がちんっ。
シン君は汚い物のように銃を投げ捨てた。コルトパイソンは畳の上に転がった。
そんな扱い方すると暴発するよう。
「さあ、鍋を食べるのです」
シン君はだまって、椀を取り、震える腕で白菜、ネギ、しらたき、ホタテを取った。
一口、白菜を噛んで、シン君は恍惚の表情を浮かべた。
「う、旨い……」
「死の淵から浮かび上がって食べた物の味は、天上の食品と変わりません。さあ味わいなさい」
シン君はがつがつと、椀の中の物を泣きながら口に入れた。
「もうがまんできん、俺はそんなのごめんだっ!」
ウンゾーちゃんが立ち上がり、玄関に向かって逃げた。
オオクマはベレッタを握り立ち上がった。
「緑川さん、勝手に食べては駄目ですよ」
「はーい」
くそう、読まれていた。
オオクマはシン君の横のコルトパイソンを拾って玄関の方へ歩いた。
「くそっくそっ! ちくしょうっ!」
玄関の方からガチャガチャという金属音が聞こえていた。
「僕の鍵が無いとそのドアは開きません」
「ちくしょう、オオクマさん、どういう事なんだ、もうやめてくれよう」
「さあ、帰って一緒にロシア鍋をしましょう」
「もういやだ、俺は帰る。昨日妻から電話があったんだ、日曜日に朝子の学校に授業参観に出てって。俺は、俺は」
「では、ロシアンルーレットをすべきです。奥さんの為にも、お子さんの為にも、銃の引き金を引き、生まれ変わるのです」
「いやだいやだいやだーっ!!」
「では、死になさい……」
轟音が一、二、三発鳴り響いた。
ベレッタM92は9mmパラベラムで装弾数十五発。残弾は十二発。
もう一度轟音が鳴った。あと十一発。
「なんで緑川さんは……」
ナミミンが私につぶやいた。
「ん? なになに?」
「平然としてるの?」
「え、平然としてないよう、私だって怖いよ。おしっこすこしちびっちゃったよ」
「でも……」
「どうして、銃の扱いに慣れてるんだ?」
「え、あー……、そのー。お、弟がモデルガンマニアなんで、ははは」
職業柄慣れてるとは言えないなあ。なにしろ合コンでは嫌われる職業で、共ちゃんなんかと一緒に呼ばれたときは必ず団体職員と自称して、商売っぽい事は言わないようにしているぐらいだよ。
「君はオオクマの仲間じゃないのかっ!」
「そりゃねえよ、前回は居なかった」
むむ、ダタイチに庇われるとは思わなかったぞ。
「きっとやや子ちゃんは頭が変なんだよ」
な、なんだよっ。シン君にナミミン、なるほどって顔すんなよっ!
「頭が変ってなにようっ」
ぷうと脹れてダタイチを睨むと、奴はへらりと嗤った。
「失礼致しました、鍋を続けましょう」
足元にべったり血を付けたオオクマが戻ってきた。
鍋を覗きこむと、台所に行き、ボールに水を入れて持ってきて、鍋に足した。
「さあ、ダタイチ君の番です」
おうっ、とダタイチはコルトパイソンを取るとシリンダーを回した。
奴はためらいも無くこめかみに銃を当てると、引き金を引いた。
がちんっ。
ふうと大きく息を付くと、ダタイチは鍋から、海老、ホタテ、白菜、はんぺんを取った。
「うめえっ、やっぱり旨いですよ、オオクマさん」
「それはよかった、こんどはチームのトップになれると良いね」
「あったぼうですよ。次は関東一を狙いますよ」
オオクマは鍋の前で両手を広げた。
「さあ、銃は一周しました。二人もの犠牲者が出ました。でも人生とはそういう物なのです。私たちは少し前まで彼らのような犠牲者でした。でも、今は違います。我々は自分で引き金を引けたのです。自分の命をかけて食を得る事が出来ました。さあ、次の周も勇気を出して引き金を引こうではありませんか。生き残れば生き残るほど勇気は尖っていき、何ものにも捕らわれない心の自由を得ることが出来ます。それは時に運の形をとることもあるでしょう。時にプライドを守る意志の堅さに現れるでしょう。引き金を引く勇気こそが、我々をどん底から引き上げるのです」
誰も拍手はしなかった。
ナミミンもダタイチもシン君も目をギラギラさせて、ただ鍋だけを見つめていた。
私はビールを注いで、タクアンを囓りながらちびちび飲んでいた。
オオクマがシリンダーを回した。カチカチカチカチカチカチ。
私は耳を塞いだ。
がちりっ。
……あーれー?
私は唖然としてオオクマの手元のコルトパイソンを見た。
……。
ああなるほどね。
指摘するべきかなあ。だけど、お客の前で主催者に恥をかかせるのも良くないよなあ。
オオクマが鍋からはんぺんと白菜とホタテを取っていた。
「オオクマさん、ホタテ二個目」
「あ、ああ、しまった。……よく見てますね、緑川さんは」
オオクマは苦笑しながらホタテをもどした。
そして、にこやかな顔でコルトパイソンを私に渡した。
私は撃鉄を上げシリンダーを二の腕で適当に回した。
こめかみに当てた。
なんというか、引く前が怖いよね。
ゆっくりと引き金を引きしぼった。
がちりっ。
ふうっ。
「さてさてー」
鍋から私は白菜と卵としらたきと鱈を取った。
「あー、おいしいー、幸せ」
「……」
「どうかしてるわ……」
「すげえよなあ……」
な、なんだよう。そんな変な虫を見る目で私を見るなよう。
「度胸がありますね、緑川さんは」
「どうかなあ。想像力が無いのかもしれないよ」
「恐怖が無いから思い切って跳べるという事なのですか?」
「怖いけどねえ、別に弾が出てもいいし。死ぬだけだしさ」
「命を鴻毛のように軽く扱っているのですね、ある意味、底が浅いですが、ある意味すがすがしくもありますね」
私はナミミンの膝にコルトパイソンをそっと置いた。
シリンダーに弾頭が見えなかった。
やべー、一発違いだったなあ。あぶないあぶない。
ナナミンが、そのままこめかみにあてようとしたので、私はあわてて止めた。
「シリンダーを回して回して」
「ああ……」
ナミミンがシリンダーを回した。
「え……?」
シン君が私をいぶかしげな目で見た。
「緑川さん、あなたのご職業はなんでしたか?」
オオクマが聞いて来た。
……気付かれたかな?
「だ、団体職員だよ」
オオクマが眉間に皺を寄せた。
「どこの団体ですか?」
「ひ、秘密」
「ただの事務員ではありませんね」
「うんにゃあ、お茶くみとかコピーとかする人」
つうか、この前、部長にコピーとお茶くみをしろと言われて、絶対にやらねえと大暴れをしましたが。
「ナミミンさん、銃を貸してください」
ナミミンから銃を受けとったオオクマは、ポケットから弾を五発出して、弾丸と薬莢を外し、中のパウダーをやまっちの鉢の中に捨てた。火薬の入っていない薬莢に弾を戻し、コルトパイソンに装弾した。
オオクマは仕事を確かめるように前からシリンダーを覗きこんだ。
「これで、目で弾丸の位置を確認することはできません」
そして、シリンダーを回した。
「毎回私に銃を戻してください。シリンダーを回すのも私がやります」
むう。
まあ、自分の時は卑怯なので弾位置を読まないようにしてたから別に良いのだけどな。
オオクマはナミミンに銃を手渡した。
ナミミンはハラハラと涙を落とした。
「怖いですか?」
「怖いです」
「怖くても良いのです。泣いても良いのです。でもあなたの人生の引き金は自分の意志で引くのです」
「……はい」
「家族の人にも頼らず、シン君にも頼らず、子供のせいにもせず、ただ生きるために引き金を引きなさい。あなたの為に」
「自分の為にですか」
「そうです。言い訳も無く、ただ生きる為に」
「なんだか……。わかったような気がします」
「もっともっと解りましょう」
「はい」
ナミミンは銃をこめかみに当てた。
引き金を引いた瞬間。
ナミミンの頭の横半分が吹き飛び轟音が部屋に反響した。
血と脳漿が壁にぶちまけられ、ナミミンはぱたりと倒れた。
「ナミミンッ!!」
シン君が立ち上がって叫んだ。
シン君は、ナミミンの遺体に取り付いて、ガクガクと揺すった。そのたびに傷口から血がどっぷどっぷと吹き出して畳を汚した。
「オオクマァっ!!」
シン君が怒りの表情で顔を歪ませて立ち上がった。
鍋からお玉を取り上げた。
「次はあなたの番です」
「ナミミンを返せっ!」
「ほっとしているのでは無いのですか、これで研究を邪魔する妻も子供も居なくなりました」
「ふざけるなっ! きさまっ!」
シン君はお玉を振り上げてオオクマを打とうとした。
ベレッタが火を噴いた。
一発。二発。三発。四発。五発。
ベレッタの残弾はあと六発。
シン君は口から血を吐き出しながら膝を付いた。
「じゃ、じゃまだなんて思った事は無いんだ……」
「メールで相談してきたじゃあありませんか……」
「あ、れ、は、ち、が、う、ん、だ……」
シン君はナミミンを抱きかかえるように、守るように崩れ落ち、動かなくなった。
「あーあ」
ダタイチがつぶやいた。
「人生は悲しいですね。私は彼女とシン君の幸せを誰よりも願っていました。でも運命は過酷です」
オオクマはナミミンの手から銃を取り、シリンダーを開けて、実包を詰め替えた。二の腕にシリンダーの側面を当て勢いよく回した。
ラッチ音がアパート内に響き渡った
ダタイチはコルトパイソンを受けとってぶらぶらさせながら溜息をついた。
「結局さ、生き残るのはたぶん、俺とオオクマさんとやや子ちゃんだと思ってたよ。運気の強さがちがうんだよな。オオクマさん、やや子ちゃんはすげえ残ると思わなねえか?」
「そうですね、今回は残ると思います。あと二、三回は天運が味方するかもしれませんね」
「なにしろ、ぜんぜんビビってねえもんなあ。すげえ度胸だよ」
「なに、卒業しても食べに来ていいの?」
「はい、卒業生は好きな時にロシア鍋に参加する権利があります。もう二度とやらないという人も居ますし、ダタイチ君のように鍋の味が忘れられずに戻ってくる人もいます」
「さて、二回目やっかな」
ダタイチはゆるりとこめかみに銃口を当てた。
「やや子ちゃん、これ終わったらデートしねえか」
「うーんどうしようかなあ」
「いいじゃん、二人とも生き残れた記念にさ」
「それは後にしてください」
「そりゃそうだね」
ダタイチは引き金を引いた。
首が折れたような勢いで頭が揺れ、轟音が響いた。
パラパラと雨音のような音を立てて、血と脳漿がシン君とナナミンの体に降り注いだ。
ばたりと音を立ててダタイチの体は倒れた。
「なんか仕掛けした?」
「していません。彼の寿命だったのでしょう」
八畳の部屋に血の匂いが充満していた。
オオクマと私の二人だけが、ぐつぐつ煮える鍋を囲んでいた。
「二人だけになりましたね。寂しい事です」
そう言って、オオクマは弾を詰め替えた。
「あと一周すれば、今回のロシア鍋は終わりです」
私はハンドバックを取って、中から商売道具を取りだし、オオクマに突きつけた。
共ちゃんに感謝だなあ。
「フリーズ」
「な、なんですかそれは」
「スミス&ウエッソン、M66 コンバットマグナム、3,1インチバレル、スナップノーズ」
「いえ、そう言うことを聞いているのではないのです。どうしてあなたがそんなものを」
「クイズです。拳銃の訓練を受けないと卒業できない学校ってなーんだ」
「け、警察学校ですか?」
「ぴんぽーーーん。では、女の人が銃を持つ職業ってなーんだ」
「婦警さん?」
「ぶぶー、婦警さんはあまりもたないよう」
「け、刑事さんですか」
「ちょとちがいます。公安」
「公安!」
「ロシアのスパイとか、北朝鮮のスパイを追いかけ回す職業です」
「で、ではなぜもっと早くに動かなかったのですか?」
「え? ああ、ちがうのゲームの邪魔をするつもりはないのよ。ちがうちがう。ズルをしちゃいやって事」
オオクマの額に汗が湧いた。
「銃をすり替えてるでしょ。自分の番だけ」
私はオオクマの手元を覗きこんだ。座布団の端からもう一丁のコルトパイソンが見えた。
「だめでしょう、自分だけ発射しない銃でロシアンルーレットして、鍋食べたら」
「……」
オオクマがベレッタを私に向けようとした。
私は引き金を引き、反動を上に流した。
弾がフレームに上手く当たって、オオクマの手からベレッタが宙に飛んだ。
空中でベレッタにもう一発当てて、部屋の隅に飛ばした。
「上手いでしょ、射撃得意なんだー」
「わ、私をつかまえるのですか……」
「は? 私、公安だから関係ないよ。刑事事件を告発しても点数にならないしさあ」
「じゃ、じゃあ、何を?」
「ちゃんとロシア鍋しようよ。わたしは、もう二回やってるから、オオクマさんも二回やってね」
ひゅっとオオクマが息を呑んだ。
「パイソンと実包を頂戴」
オオクマは震える手でパイソンと実包をこちらに出した。
私は実包を確認して、シリンダーを回した。
「わたし、ラッチ音で弾丸の場所わかるから、自分でストップって言ってね」
「それで、平然とっ!」
「失敬ね、自分の時はやってないわよ。不公平でしょ!」
「き、君は気が狂ってる」
「えー、なんでそんな酷いこというのー。ねえねえ早く止めてよ」
「ス、ストップ」
私はシリンダーを止めた。そしてオオクマに渡した。
オオクマは震える手でコルトをつかんだ。
「どぞどそ、引き金を引いて。ほらー、あれでしょ、生きる為に引き金を引くんだとか。そんな感じでさ」
オオクマは泣きそうな顔をしていた。ブルブル全身が震えていた。
「なによ、始めてなの? やだなあ」
「い、一回目は、ちゃんと、やりました」
「二回目からなんだ」
オオクマは頷いた。
しかめっ面で目を閉じ、オオクマは引き金を絞った。
腕がぶるぶる震えていた。
がちりっ。
ぶはーとバスが止まるときの排気音みたいな音を立ててオオクマはしぼんだ。
「ささ、鍋を食べる。本当に美味しいよ」
オオクマはのろのろと鍋から、タラ、白菜、ネギを取った。
はふはふと食べていた。
「……う、旨い……」
オオクマは涙を流していた。
「旨い……」
「でしょでしょ」
オオクマは夢中になって鍋を食べていた。
うー、私もたべたいなあ。三周目は先にやらせてもらうかな。
「じゃあ、二周目」
私はシリンダーを回して、オオクマにコルトパイソンを渡した。
「お、お願いです、ゆ、許してください。お金なら銀行に五千万ありますから。これで……」
「あのさー。私怒っちゃうよ。それを言っちゃうと、オオクマさんは性癖を満足させるのと、金銭的欲望を満足させるために、ロシア鍋をおこなったって事になっちゃうよね。自殺癖がある人たちなら行方不明になっても平気だし、口座からお金抜いたりもできるよね。他に住人も居ない、こんな僻地にあるアパートでやってるのも、計画的な犯罪だからって事になっちゃうよね」
オオクマは紙のような顔色でこくこくと頷いた。
「オオクマさんがそんな糞野郎だと思いたく無いんだなあ。やまっちとかナミミンとかに良いこと言ってたじゃん。ロシア鍋を最後まで完遂すれば、あれは本当にオオクマさんが思っていた事で、心を鬼にして本当に試練を与えてたって事になるじゃん。私そっちの方が良いよ」
「も、もう駄目なのです、ゆるし……」
「じゃあ死ねっ!」
私は引き金に力を入れた。
「た、助けてくださいっ!!」
オオクマは泣き出した。
「引き金を引いて、自分の言葉が嘘じゃないって証明しろっ! ふざけんなてめえっ! うんこみたいな犯罪者に殺されたって事になったら、やまっちも、ナミミンも、シン君も、ウンゾーちゃんも、ダタイチも浮かばれないだろうがっ!!」
「わかった、わかったから、怒らないでください……」
オオクマは顔を覆って泣き出した。
のろのろとコルトパイソンを持って、こめかみに銃口を当てた。
なかなか引き金を引かなかった。
顔をクシャクシャにして泣いていた。
がちんっ!
撃鉄が降りた。
オオクマはズボンの股間を濡らした。
放心していた。
「鍋を食べなさい」
「うん……」
オオクマは海老、ホタテ、卵、しらたきを取った。
ホタテと海老二個目なんだけど……。まあ、良いか。死んだ人は食べないしねえ。
やまっちの死体を見た。やまっちは、美味しい鍋たべられなかったんだよなあ。可哀想だ。
オオクマは夢中になって食べていた。
「じゃあ、三周目、ねえ、私から先にやって良い?」
オオクマは信じられない物を見たような顔で、私を見た。
「ど、どうしてですか?」
「私も鍋食べたいよ」
オオクマの全身がぶるぶると震えた。
「君は、君は、本当にゲームをしているのですかっ!」
「え? そう言ってるでしょ」
何言ってるんだこいつは。
「わ、私を嬲っていたのでは無いのですか!」
「そ、そんな事しないって、私は変な趣味無いよう」
オオクマじゃあるまいし。
「ゲ、ゲームが終わったら。ど、どうするつもりなんです?」
「帰るけど?」
「つ、通報は?」
「しないよ、めんどくさい。刑事科と公安は仲悪いし、だいたいさー、手柄にもならないのにすんごい量の調書書かないといけないんだよ、しかも手書き。二十一世紀にもなるのに手書きだよ。めんどっちいったらありゃしない」
オオクマは歓喜の笑顔を向けた。
「あなたはゲームをちゃんとやりたいだけなのですか」
「そうそう。ちゃんとやらないと駄目なの」
「私は絶望の中から立ち上がった一羽の不死鳥となりました。あと一周すれば、私は解放されるのですね」
「うん、約束するよん」
「け、掲示板でまた同じ事をしていても……。非難はしないのですか」
「ちゃんとゲームしなさいよね、素人にズルするのは良くないよ」
「わかりました、私が間違っていました。次の会からちゃんとゲームをします」
本当かね。ま、私の知ったことでは無いけどね。
「じゃ、シリンダー回して」
私はオオクマにコルトパイソンを渡した。
オオクマは勢いよくシリンダーを回した。
「あなたは本当の勇気がある」
「ないよ、別に、想像力が無いだけだよ」
私はパイソンを受けとった。
ずっしりと重い。
銃口をこめかみに当てた。
固い鉄の感触にぞくぞくした。
引き金を引いた。
がちんっ。
ふうーーーー。
私は片手でS/W66をオオクマに突きつけながら、片手で鍋から、ホタテ、海老、はんぺん、白菜、ネギ、豆腐を取った。
はむはむ。
「おいしー。このお豆腐なに?」
「嵯峨野の森嘉の豆腐です。川端康成も絶賛の店ですよ」
うまうま。あー、ビールもおいしー。
私はパイソンのシリンダーを適当に回し、オオクマに渡した。
「あなたは不思議な人だ……」
「そう?」
「本当は私は……」
「いいよ、本当の事なんかどうでも。行動が全てだと思うよ。だったらオオクマさんは色んな人を救ってるんだよ」
「でも、その後、私は殺して」
「いいじゃんよ、死ぬ前まで平穏な気持ちでいられたんだから。だから良いんだと思うよ」
オオクマは肩を落とした。
「自己紹介の時に言った言葉は本当なんです。本当に私は誰かを支えたくて……」
「うん、だったら、引き金を引いて本当の事にしなよ。それがいい」
「……そうですね」
オオクマはこめかみにパイソンを当てた。
「弾が出るような気がします」
「私もそんな気がする」
「それでも私は引き金を引くことをためらいはしない」
「うん」
「なぜなら、なぜなら、人生は残酷な物なのだから。われわれは見えない拳銃を突きつけられていて、いつそれが発射されるか解らないんだ。だからこそ、人生には生きていく価値があるんだ。悲しい奴、苦しい奴、悪い奴。そいつらにも生きていく価値があり、前を向いて引き金をあえて引くべきなんだ。誰かに殺される人生よりも、自分で困難に立ち向かい、そして破れ、沈んでいく人生の方が良い」
「うんうん」
早くしろよ。
「ありがとう、緑川さん。ちなみに、君は掲示板で空気読めて無くて、めちゃくちゃ浮いていましたよ」
「ええーっ!?」
轟音と共にオオクマの頭が砕け散り吹き飛んだ。
(了)