需要と供給
近所に美容院と整体がドッキングした店がオープンした。
本当に需要あるのか?
『付加価値』とか『独自性』は大事だと思う。
でも『誰もやってない事』というのは『誰もが思い付いて実行しなかった事』であっては意味がない。
動画サイト黎明期だった頃、UstreamとかジャスティンTVとかニコニコ動画が主流だった時代がある。
「その頃は良かった」と言う人は多い。
確かに自由だった。
「その頃に自由気ままにしたアウトローな行為が今の不自由さを形成した」という側面もあるのではないか、と私は思っている。
「楽しければ良い」
私はそうは思わないが、そう思う人がいるのは確かだ。
だから必要最低条件は「楽しい事」だと思う。
そこに倫理性やコンプライアンスなどが私は足されるべきだと思う。
もっとも許せないのは「つまらなくてアウトローな物」だ。
今でもいるんだろうか?
下半身を出して「伝説を作った」とか言ってるアホが。
江頭2:50を真似してたんだろうか?
江頭との違いで決定的な物は「全然面白くない」という事だ。
「面白ければ何をしても良い」とは思わない。
でも「面白くもないのにアウトローな事をする意味がわからない」とは思う。
「それを見て誰も楽しんでないよ」「それは需要はないよ」それを言われるのは小説を書いていて一番辛い事だ。
「面白いと思った」それならわからなくもない。
コンビニのアイスボックスの中に入るアホも「きっと面白いと思ったんだよね」と理解出来ない事もない。
それと同じように「これ面白いと思って書いてるんだよね?」と私の小説を読んだ人が言っていると思うと胸が痛い。
私は「よくある話」を笑える人の境地に達していない。
模倣から入るのは当たり前だ、と思っている。
プロならばそれではいけないかも知れないが、絵画でも俳句でも川柳でも・・・小説の内容まで一緒なのはダメだとは思うが、設定を他所から借りてくるのはアリだと思う。
それで金儲けしたらさすがにダメだとは思うが。
独自性を出すのはある程度色々出来上がってからだと思う。
『独自性』という物を勘違いしている人が多いように思う。
整体院が町中華とドッキングした。
「じゃあ俺は骨盤矯正とチャーハンね」
「俺はリンパマッサージとラーメン」
「俺は足ツボと餃子、あと半ライスで」
そういう事なのか?
追記
実験作品
~そういうのは独自性とは言わないだろう~
という作品を書いてみる。