八
次の日曜日は、隣町チームとの練習試合だった。
陽光はいつにも増して厳しかった。
俊哉はマウンドに立つと、帽子のツバを少し持ち上げ、チームの仲間たちを見回した。抑えのピッチャーである霧島翔は、ファーストを守っている。あの事件以来、霧島はすっかり大人しくなってしまい、子分たちとの権力関係は解消された。グラウンドで言葉を交わすことはなかったが、軟球を介して二人は何がしかの想いを共有するようになっていた。
虐められていた水口幹夫は、相変わらず何かに怯えるような目をしていたが、実際に誰かから危害を加えられることはなくなっていた。昨日は土曜日だったので、学校が終わった午後、俊哉は水口の家を訪ねた。水口の母親が、どうしても俊哉に直接お礼をしたいと言って聞かなかったのだ。気は重かったが、仕方なしに行くことにした。
そこはプレハブのようなトタン屋根の粗末な家で、人が住まう場所というよりは資材置き場のような印象を与えた。母子家庭の二人が、ちょうど横になれるくらいの畳数しかなかった。2DKの俊哉の社宅も狭かったが、それ以上だった。
小さな卓袱台を挟み対面すると、水口の母は満面の笑みで俊哉を迎えた。
その隣で、幹夫は恥ずかしそうにモジモジしている。痩せて、大きな目が飛び出すような二人の姿は瓜二つで、真夏の芝の上でジッと動かずにいる蟷螂に似ていた。
「俊哉くん。この子のこと助けてくれて、本当にありがとう」
そう言って、卓袱台の上の苺ショートケーキを食べるよう促した。
「助けるだなんて、そんな……」
霧島への憎しみが、自分を衝き動かしたのだ。そう、本当のことを告白おうかと思ったが、混乱させてはいけない、と思い留まった。
油蝉が一斉に鳴き始める。
南北に流れる荒川の東岸から、国鉄総武本線に沿って、北東方向に広大な工場跡地が展がっていた。その一部が野球場として造成され、周囲は雑草と灌木に囲まれている。ピッチャーマウンドに立つと、右耳から鉄橋を渡る列車の音が聞こえてくる。
黄色い列車が千葉方面へ流れ去っていくのを確認してから、主審が高らかに宣言した。
「プレイボール!」
相棒の基樹が、真剣な表情で構えている。
俊哉は大きく伸びをするように振りかぶり、渾身の力を込めて白球を投げた。
頰を伝う汗が飛び、球がキャッチャーミットに届くまでの刹那、この数日に流れた濃厚な出来事がいくつも甦った。霧島や水口や家族とのこと、それから自身の心と体の急激な変化のこと。それらが一つに収斂されるようにして、白球は大きな破裂音とともに、ミットの中央におさまっていた。【了】