三
精神に変調を来したのは、何か大きな出来事があったわけではないので、理由は未だによく分かっていない。
そもそも、病気だったのかどうか不確かで、ただ何となくそんな気がしたのだ。例えば、朝方早く目が醒めると、幽体離脱のような感覚を何度か味わった。その日の朝も、目覚めると霧島たちのことを思い出して苛立ったが、無理に目を閉じて忘れようと思った。しかし、もう一度眠りに就こうとすればするほど精神が身体から離れていくような気がした。いや、気がしたのではなく、実際、意識が浮遊し白い天井まで登っていくのがよく分かった。天井に背中を付けた俊哉は、自分の寝姿を見下ろしている。
「お前は、誰だ?」
そう、自問するうちにふと元に戻っていた。
隣の部屋では、父親の滋弥がまだ布団を深くかぶって寝ていた。
父を起こさないように、そっとキッチンの小さなテーブルに腰掛ける。どこか怠い。母は俊哉の気配に気づき、背を向けたまま「おはよう」と言って、料理の手を止めなかった。社宅のダイニングキッチンは狭い。小さなテーブルは半分物置になっていて、二人座るのがやっとのスペースしかない。朝ご飯を四人で食べることは稀なので、後から起きてきた弟の哲太と二人、出された茶碗の白米とジャガイモと玉葱の入った味噌汁を食べる。おかずは大抵、ソーセージや卵焼き、それから野沢菜のような漬物がついた。父の滋弥が長野県出身で、帰省するといつも野沢菜を買ってきたのだ。それから、わさび漬けも食卓に並ぶことがあるが、これは小学生には全く受け付けられないものだった。
幽体離脱の理由は分からないが、誰にも言わず黙っていた。黙っていた。それは俊哉にとって当たり前の作法だった。余計なことは喋らない。それどころか、俊哉は幼い頃から極端に口数が少なかった。よく中耳炎になることがあったので聞こえないのではないかと母は心配して、耳鼻科に通わせたり、教師に相談したりしていた。しかし、聴力検査でも特に異常はなく、聞こえてはいるが周囲の子どもたちに混じって会話を楽しむ、という光景を見ることはなかった。家の中では、時々お喋りになったので、おそらく選択緘黙の症状がずっと続いていたのだろう、と教師になった今では客観的に分析できる。
俊哉は無意識に楽しいことも嫌なことも全て心の中に溜め込んでいった。本当は、表現したいことは山ほどあるのに。抑えられない無意識の蓋が開き、奥底に眠る言葉たちの代わりに精神そのものが肉体から吐き出されたのだろう。
「俊ちゃん、昨日の傷は、どう」
玄関で、母の美榮子が心配して覗き込む。
その時ふと、今まで当たり前だった、「ちゃん」付けの呼び方に嫌悪感を抱いた。子ども扱いして!
「大丈夫だよ。大したことないって言ったろ」
苛々したままランドセルを背負い、弟の準備を待たずにドアノブを握る。
何故か、布団をかぶったままの父の姿を思い浮かべていた。滋弥は昨日も、組合の会議の後、深夜まで飲んでいたらしい。最近、家にいることが多くなったので、父の変化には気づいていたが、何がどうなっているのか、子どもたちには知る由もなかった。ただ、以前の父とは違う感じがした。子どもたちの声にもやけに敏感になって、イライラしているようだった。
「行ってきます」
部屋は一階だが、建物は中階段を数段降りる構造になっていて、下を見下ろす。
朝の強い陽光に照らされた小石たちが、一粒一粒熱を孕んでいるように感じた。梅雨明けからほどんど雨が降っていなかったような気がする。いや、少しは降ったかもしれない。一九八一年の新聞を探せばすぐに分かるのだろうが、そうする理由もないし、天気が分かったところで意味などなかった。
記憶に蘇る風景が大切だった。そう、あの時、確かに熱風のような空気の塊が、焼けた小石たちの方から吹き上がってきたのだ。熱い。この暑さの中で、一学期最後の水泳の授業を受け、終わった後の死にたくなるような気分を、また味わうのか。俊哉はプールバッグの紐を握る手の力を緩めた。




