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拝啓、狂人だった僕へ  作者: 雑魚 六二
10/11

No.10 聖人か愚民か

どっちだろ

僕は一心不乱に数字やら記号やらを厚さの薄いノートに書き続けた。煤で汚れたように黒ずんでいるそのノートのページは角が折れていたり破れていたりしたが、僕は気にも止めなかった。やがてシャーペンの芯が無くなり、振っても音がしなくなった。これまでかと思った。もう終わりにしよう。


手持ち無沙汰になったのでスマホをいじりだしたのは、既に11:30を回った頃だった。随分と時が経つのは早いもので、一瞬で1日が終わってしまうのだと切なくなる。


「今日は学校休んだりん!明日からつらたんだりん〜!!」


「どんまいだりん!きっと明日もいい日になるりん!」


「ありがとうだりん〜!」


いつもの、普段通りの、借金トさんとの短い会話を済ませる。


「ちょっとDMいいですか?りん」


借金トさんから思わぬ返信が来た。DMって、そこまで立ち入った話があるわけでもないだろうに。5分ほど考えた末、僕はYESかNOかの決断を下した。


「いいよーだりん!」


「急にすみません、ちょっとミコトさんの鱗剥がしますね」


鱗を剥がすとは、このミコトさん界隈で「〜りん」の口調を一旦やめるという意味合いを持っている。


「了解です!こっちも剥がしますね」


「あの、今まで仲良くしてくれてありがとうございました」


「いえいえ!こちらこそいつもありがとうございます〜!」


「とっても楽しかったです」


「はい!こっちもです!」


「あの、唐突に申し訳ないんですが、今月いっぱいで自殺しようと思ってるんです」


はい?自殺?


「ど、どうしたんですか?やめてください!寂しいです!」


所詮ネットに浸ったメンヘラの言葉、かまちょキメたいだけだろう。死ぬ死ぬ詐欺、頭のおかしい女が脳内物質ぶっ放して発狂しているだけ。どこまで馬鹿馬鹿しい人間なのだろうこいつは。僕は滑稽で笑い出しそうだった。


「本当にありがとうございました。心の支えになりました。」


「何でそんなこと言うんですか!本当に死ぬつもりなんですか…?涙」


「はい……」


お前のその醜い自己顕示欲を粉々に砕いてやろう。お前の本性を暴いてやろう。爛々とした目で光る画面のキーボードを打った。


「借金トさん、確か東京住みでしたよね?」


「はい……」


「私会いに行きますよ、行けそうな駅教えてください」


「え……いえ結構です、ありがとうございます、話を聞いてくれただけで嬉しいので…」


「本当ですか、私心配なんです!!!会ってお話とかしたら楽になるかなーと思って汗」


「いえ、本当に結構です…」


「迷惑ですか涙」


「迷惑ではないです!お気持ちだけ受け取っておきますね…」


「死なないでいてくれますか?汗」


「…」


「お願いです〜涙」


「そんなに言ってくださるなら…」


「ほんとですか!!いつでも相談乗りますよ!」


ふとタイピングする指を硬直させ、その小さい長方形から発せられる、瞳孔を指す光を受け入れる。メンヘラかまちょインキャクソ女……ちょっとこっちが多く文字を打てば死ぬのをやめる幸せな脳みそをお持ちの人間だ。ネットに蠢く人間の書く文字が、どうして死を妨げるほど価値のあるものになりうるのだろう。どうしてそれだけで死ぬのを諦められるのか?分からない。電子の少しの振動により届けられた、たった五十音の響きを間接的に伝えることが、死と釣り合う、又は死よりも重みを持つほどに何故なるのか。その奇怪な思考回路の人間の打つ文字をまじまじと見て、画面越しに彼女を嘲笑した。


次の日、僕はまるで何事もなかったかの様な顔をして、金子の隣の席に腰を下ろした。心の中ではずっと呪詛を唱えた。そして僕自身を酷く呪う過去の出来事に目を背け、憎しみをその出来事ではなく彼自身に見出そうとした。その作業は僕にとって極めて簡単だった。元々持ち合わせていた彼に対しての嫉妬と呼ぶべき憂鬱感は、僕の脳みその中に深々と刻まれていた。一方で、僕の表象を形成する皮膚細胞は極めて穏やかだった。なんともない顔で、清々しく彼に挨拶した。僕の喉奥から、僕の胸肉を食い尽くして新たな人肉を求める真っ白く純粋なウジ虫達が床にボトボトと落ちた。僕はその一匹一匹を丁寧に潰し、白いゼリー状の水たまりを僕の机の半径1メートルに作り出すと、僕は本当の意味で安堵した。その安堵の聖域は、狡猾な悪魔である金子君には見えないようだった。見えないのは当然である。僕は自分の頭の先っぽで、僕自身を客観視する僕に気づきつつあった。それは幻想だと教えてくれたのもそいつだった。


「えーみなさんに、今日お知らせしなければいけないことがあります」


いつのまに教卓に着いたのだろうか。ホームルーム担当の名前は忘れたがやけにジジくさい教師は、無感情に集団へ呼びかける。


「えー、転校生がこのクラスに編入することになりまして、えー、じゃあ、いいよ入って」


プラスチックの玉がガラガラと鳴り、滑らかにスライド扉が開けられると、スタスタと青年が入ってきた。やけに寝癖のついた頭である。


「じゃあ、自己紹介して。」


「はい。茨城県から来ました、渡辺龍二と言います。よろしくお願いします」


「えーじゃあ後ろに席一個置いといたから。そこ座って」


「はい」


その骨と皮だけのような体で風を切り、僕の机を横切って席に着いた。ギラギラとした目玉はどこを見ているでもなく、まっすぐ前を見ていた。少し目にかかりそうに長く伸びて、うねる黒髪はまるで自分の居場所を知っているかのようにピタリと止まっている。ホームルームが終わると、彼の席の周りに数人が近づいた。僕は耳を澄ましてその会話を聞いていた。だが、その興味が周囲にバレないよう僕はひたすらノートに目を落とした。


「なあ、どっからきたん?転校生なんて珍しいじゃん」


「茨城から」


「やっぱ編入テストみたいなやつ受けた?」


「もちろん」


「難しかった?」


「難しかったよ」


「でも入れたってことは9割取れたってことでしょ?」


「まあ…」


「すごー!!!」


渡辺という男は、そのどぎつい歓声の真ん中で微笑を浮かべた後、キュッと口を結んだ。その刹那に見えた白い犬歯は酸で溶けかかっているようで、先がギザギザしていた。目を細めて笑う振りをして、わざとらしく目元にシワが寄る。僕は彼の顔をいつのまにか見つめていた。僕は自分の“不自然”な行為に気づき、すぐに正面を向く。


「おい琴野、新入りだってよ」


金子は声を抑えて僕に報告してくる。


「お前はあいつ、どう思う。話してみたいか」


「え、ああうん、まぁ…」


渡辺君は今だに男衆に囲われていて、時々聞こえる控えめな声は小鳥のさえずりのようだった。やけに細いのはどうしてだろう。9割って本当だろうか。家はどこなんだろう。シャーペンは何を使っているんだろう。どういう勉強をしてるんだろう。使っている問題集は?中学の時の部活は?今の政権について何か意見はあるだろうか


「おい、お前今日ツレないな、どうした

全然笑わないじゃん今日」


「ごめん…」


僕はふわふわした意識の中、無意味な文字の羅列を読み解こうとした。案の定何が書いてあるのかを理解できるはずはなかったが、僕は体裁を保つために机に向かう姿勢を保った。僕の背骨の周囲の筋肉が小刻みに震えて、悪寒のように思えた。腸がぐるぐると音を立て始めた。

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