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天音響の待遇

「――つまり、こういうことですか? あなたがたは夢魔という種族であって、人間じゃない。異性のいやらしい夢を食べて生きているので、俺の夢を食べたいと」


 おもてなしの紅茶とクッキーによって、辛うじてクラス委員としての威厳を取り戻した天音響である。


 常識的に考えて、人肉食目的での事件なら、あの拉致方法はあまりに人目につきすぎている。

 立場と名をさらした人物が、公衆の面前で天音響を連れ去った以上、命に係わる危害を加えられる可能性はないはずだ。

 詐欺ならば、疑ってかかれば引っかかるまい。

 高校生と言えど、天音響は思慮深い性分だ。

 そう判断して、その場にとどまった天音響だったが――。


「専門医の助けが必要なのでは?」


 天音響は慎重に言葉を選んだ。

 しかし社長は天音響の申し出を一笑に付す。


「突拍子もない話で驚く気持ちは理解できるが、率直に伝えるとそうなる。女夢魔がサキュバスと呼ばれ、男夢魔がインキュバスと呼ばれていることは、説明するまでもなく知っているだろうが――」

「いや知りませんけど」

「知っていてくれたまえよ! アニメやゲームをたしなまない若者か!?」

「吸血鬼くらいなら知ってますが……」

「あー……まあ、似たようなものだが」


 吸血鬼という言葉を聞いて、社長は少しだけ嫌そうな顔をする。

 知名度で負けたことが悔しいとでも言いたげだ。


「連中が人の血を媒介にして精力を食うように、我々は人の性夢を媒介にし、精力を食っている」

「いや、吸血鬼も存在するみたいな語り口で説明されましても」

「事実、あれも当たり前のように存在している。主に、保存期間を過ぎた廃棄分(はいきぶん)の献血パックを食糧としているので、人類に害を与える連中は一部の犯罪者だけだがね」

「そんなコンビニの廃棄弁当みたいな……」

「仕方がないだろう。新鮮な生き血を求めたら吸血殺人だ。人間を食糧にする生物は、人間と敵対するか、共生するかの二択しかない」

「なるほど。大変ですね。じゃあ話も聞いたので帰っていいですか?」


 天音響は鞄に手を伸ばす。


「信じてないだろう、君! 新興宗教の勧誘か何かだと思ってるだろう!」

「だってどう考えてもそうじゃないですか! こちとらいつ魔除けのお守り販売タイムが始まるか、気が気じゃないんですよ!」

「わかった。気は進まないが証拠を見せよう。――レン。言ってやりなさい」


 天音響の隣には、蜜夢レンがきっちりと一人分の距離をあけて腰を下ろしている。

 夢魔と言うなら、ここは無理にでも引っ付いてきそうなものだが、礼儀正しく常識的な居住まいだ。

 ――水着から着替えても、過剰すぎる露出があるという面を除けばだが。


 なぜTシャツをわざわざ胸の下で縛って腹を見せつける必要があるのだろうか。

 立って歩けば尻が見えるのではないかというほど短いズボンの存在意義とは?

 蜜夢レンは社長から促され、天音響の方にちょっと身を乗り出した。

 耳に唇をくっつけるようにして、


「ちょっと無理矢理女の子に迫られるの……好きなの?」


 と、囁く。

 天音響は狼狽(ろうばい)した。


「な……何を言い出すんですかあなたは!?」

 

 薄着の女性から至近距離で耳打ちされる言葉にしては、精神的威力が高すぎる。

 すでにライフを大幅に削られた天音響に、蜜夢レンはさらに追い打ちをかける。


「最初は女の子に迫られるけど、後半は形勢逆転して、女の子にお仕置きしちゃうシチュエーションに……興奮しちゃうんだね?」

「ち、ちが……! しな…! …何を根拠にそんな……!!」


 天音響は蜜夢レンから距離を取った。

 先刻社長と相対したときと同様の恐怖心が芽生え、天音響の脳内で警鐘(けいしょう)が鳴り響く。

 今にもソファから転げ落ちそうな天音響に、蜜夢レンは半ばのしかかるようにして囁いた。


 天音響が昨晩見た夢の内容を。


 誰にも話したことのない、天音響しが知りえないはずの、むしろ天音響本人すら詳細には記憶していなかった夢のディテールを。


 天音響はもはや口がきけなかった。

 この二人が本当に、夢魔かどうかは分からない。だが何らかの方法によって、天音響の夢を――頭の中をのぞく方法を持っている。


 蜜夢レンは今や、至近距離で天音響の瞳を覗き込んでいる。

 不思議な輝きのある瞳だった。


 蜜夢レンのうるんだ瞳にうつった天音響の姿は、猛獣の牙にかかった羊のようだ。

 蜜夢レンが赤い唇をちらりと出して、グロスで濡れた唇を舐めた。


「恥ずかしがらなくてもいいんだよ。ボクもそういうシチュエーション大好きだから。でも、知られたくなかったよね。ごめんね? これが夢魔の能力で……相手がどんなえっちな欲望持ってるのか、わかっちゃうんだ。だから今、天音君がボクにどうしてほしいのかも、ちゃんとわかってるよ」


 蜜夢レンの吐息が、天音響の耳朶(じだ)を舐めた。

 舌の先で鼓膜(こまく)をくすぐられているように、全身がざわざわとする。


「わ、分かってるならはなれ……離れてください……!」

「それは嘘だよ。天音君」


 蜜夢レンは、さらに天音響に体を寄せた。すると弾力のある乳房が天音響の胸板に押し付けられ、決して女体に触れるまいとした両手が弱々しく宙をかく。


「もっとぎゅーって、苦しいくらいにしてほしいでしょ? やめてって言っても、やめてほしくないんでしょ? いいんだよ、天音君。ぜんぶボクのせいにして、気持ちよくなっても」

「い……いやだぁああ! 俺はそんな卑劣(ひれつ)な男になりたいわけじゃない!」


 手も足も出せないまま、天音響はもがいた。


「で……デモーガン社長! あなたの娘さんででしょ!? いいんですかこんなことさせて! 心配じゃないんですか!?」

「私から見れば、娘がケーキにがっついてる姿を見てるようなものだからなぁ。どうだね。信じる気になったかね? まだ足りないなら、夢魔の欲望フルコースをお見せしてもいいんだが――現実に戻ってこれなくなるかもなぁ」


 社長はにっこりと微笑んだ。

 天音響は戦慄(せんりつ)する。

 戻ってこられなくなる。確実に。

 そういう確信があった。これはもはや、理性を超越した根源的な恐怖だ。


「し――信じる! 信じます! 信じますから……ッ!」


 天音響は意を決し、蜜夢レンの肩を掴んだ。

 ぐいと押し戻すと、その体はあっけなく離れる。

 天音響は乱れた呼吸を整えつつ、いつの間にかいくつか外されていたボタンを留めなおした。


「ごめんね、天音君。興奮してちょっとやりすぎちゃった」

「ちょっとどころじゃありませんよこれは……! ひどい種族だ……あんまりだ……!」


 天音響は嘆いた。

 しかし天音響の嘆きとは関係なく状況は進んでいく。

 社長は身を乗り出した。


「さて、我々が夢魔だと信じてもらえたところで、率直に言おう。君には娘と契約をしてもらいたい」


 突然の。

 予想もしていなかった申し出に、天音響はきょとんとした。


「け……契約って……まさか願いを叶える代わりに、魂をっていう……?」

「いや、契約書に名前を書いて拇印をもらえれば」

「人間的かよ」

「月収五十万。住居提供三食まかないつき」

「喜んで契約いたします」

「案外俗っぽいところがあるな君は」


 再三にわたる説明になるが、天音響は苦学生である。

 金と時間に困っている。現在住んでいるのはシャワーあり湯舟無しガスコンロ無しのトイレ共同四畳半と畳の下にお札ありという、地獄のような物件だ。

 これほどの好条件を、逃す手があるだろうか?

 天音響が署名欄に名前を書こうとすると、さっと横から蜜夢レンの手が伸びてきた。


「駄目だよ天音君! 名前を書くのは、ちゃんと契約書読んでから!」

「はっ……! そ、そうですね! 俺としたことがつい金に目がくらんで……!」

「字がいっぱいで難しいもんね。わからないところがあったら何でも聞いていいからね? パパは嘘つくから聞いちゃだめだよ」

「大人は嘘をつくものなんだよ、レン」

「ボクはそんな大人になりません! 天音君。契約書の読み方分かる? これはボクと君の契約だから、この甲っていうのがボクで、乙って言うのが天音君ね」


 蜜夢レンに促され、天音響は改めて契約書を読む。


・契約期間中、甲は乙に報酬として、毎月末に五十万を支払う。

・契約期間中、甲は乙と同一の住居によって生活する。

・乙は甲の業務を補佐し、可能な限り行動を共にする。

・契約期間の終了は、甲乙のどちらか一方の申し出によって決定する。

・契約期間終了後、乙は記憶を消去されるものとする。


「――この最後の項目、何ですか? 『ペイチェック』みたいなこと書いてありますけど」

「古い映画を知ってるな君は」

「ええまあ、好きなので」


 天音響にとって、映画は人生のバイブルだ。

 映画は天音響に教訓を与えてくれる。古い映画では当たり前のように使われていた差別的表現が、最新の映画ではすっかり鳴りを潜めているのも面白い。

 グローバルスタンダード。

 映画を通して知るそれが、天音響を安心させる。

『デッドプール』で「女を殴ると差別表現か? それとも女だけ殴らない方が差別表現か?」と悩むシーンを見たときなどは目からうろこが落ちた。


「レンや私が本物の夢魔だと口外されたら面倒なことになるので、催眠術で記憶を封じさせてもらうのだよ。そうでなくとも、アイドルであるレンと一緒に生活させるんだ。昨今の炎上地獄を鑑みれば、記憶を残して放逐するわけがないだろう」

「すでにこの状況が炎上どころか警察案件だって自覚あります?」

「警察はやめてくれ! 目をつけられてるんだからすでに!」

「でしょうね」


 チクリと刺して、天音響は蜜夢レンに改めて問う。


「以前にも、こういう契約をした人って……?」

「い、いないよ! そもそもボクはこういうのは反対なんだから!」


 蜜夢レンは主張する。


「反対なんですか?」

「だって、お金を払うからボクのご飯になってくださいって、ちょっと変じゃない? 人を家畜扱いしてるみたいでさ」

「あー……確かに……卵用の鶏契約って感じしますね……」

「ね? でしょ?」


 社長はそんな蜜夢レンをちらと見てから、再度天音響を見た。


「――こういうのは、契約をしてから話そうかと思っていたのだけどね。君はすでに我々が夢魔であると知ってしまっているし、多少前後するが、まあいいだろう」

「え? 急に語りモードに入らないでもらえます?」

「話の腰を折るな現代の若者め!」

「すみません……」


 天音響は素直に謝罪する。


「夢魔についての話だ」


 社長は話し始めた。

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