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天音響の窮地

 目が覚めると、体育倉庫の中だった。

 天音響は混乱した。

 確か昨晩、自分のボロアパートで寝たはずだ。登校した記憶もないのに、なぜ自分は今、ジャージ姿で体育倉庫にいるのか。

「――閉じ込められちゃったね」

 声をかけられて、天音響は振り向いた。

 運動マットの上に、同じくジャージ姿の女子が座り込んでいる。

 見知らぬ女子だ。

 小学生にしか見えないが、同じジャージを着ているということは、同じ高校生なのだろう。

「ええと……君は?」

「名前なんてどうだっていいでしょ」

「はぁ……確かに。っていうか、閉じ込められたって?」

「見ての通りだよ。散々叫んだけど、誰にも気づいてもらえなかった。明日の朝の授業まで、二人っきりでここにいるしかない」

「はぁ……そうなんだ……」

 じわり。

 急に暑さが気になった。

 考えてみれば今は夏だ。締め切られた体育倉庫が、暑くないはずがない。

「放課後になったら、バスケ部とかが気づいてくれるのでは?」

「ばか! もう夜だよ!」

「え?」

 天音響は、天井の際にある、格子のはまった小さな窓を見上げた。

 確かに暗い。――だが、夜にしてはこの体育倉庫、明るすぎるのではないか。

「暑い……」

 ため息を吐いて、少女はジャージを脱いだ。

 天音響はぎょっとする。

「な……なんで下着なんだよ!?」

「だって、ジャージ脱ぐつもりなかったんだもん! こっち見ないでよ、えっち!」

 そんなことを言われても、と天音響は壁を睨む。

 その時。

 ガタガタガタ。

 どこかから音がした。

 誰かが気づいてくれたのだろか。喜んで声を上げようとした天音響の背中に、少女が飛びついてくる。

「やだ! なになに、おばけ!?」

「高校生にもなって、まっさきにその発想するやつがいるとは……宿直の見回りとかだよきっと。おーい!」

 天音響は声を上げた。

 けれど反応はない。

「ほら! やっぱりおばけじゃん!」

 ぎゅー。少女はさらに天音響を抱きしめる。

 あ、と天音響は声を上げた。

「――これ夢だ」

「え?」

「暗闇なのにお互いの姿も見えてるし、周囲の状況も分かってる。ここに至るまでの記憶がない。夢だ」

「夢なわけないでしょ! 寝ぼけてないで、男なら何とかしてよ!」

「でも俺の夢ならこんな性格悪い子出てこないよな……じゃあ現実?」

「ひどくない!?」

「いや、だって普通に考えたらありえなくないか? 急に閉じ込められて、どっちが悪いわけでもないのに、男だからって理由で相手になんとかさせようとするの」

「こんなかわいい子に頼られて、嬉しくないわけ?」

「別に嬉しくは……」

「だ、だ、だ、だったらほら、お仕置きしてやろうとか……!」

「いやちょっと……価値観が違いすぎて会話にならない。俺の夢なら消えてほしい」

 嫌悪感もあらわに天音響が突っぱねると、突然体育倉庫のドアが開き、世界がホワイトアウトした。

 天音響は飛び起きる。

「あぁ……やっぱり夢……ん?」

 保健室だ。

 天音響は首をかしげる。

 また学校か。

「――起きたのか、天音」

 保健室のベッドを仕切るカーテンが開き、天音響は慄然とした。

 保健医として――。

否、まっとうな社会人としてあるまじき装いの女が、心配そうに天音響をのぞき込んでいる。

 前かがみになると、豊かな乳房がベッドに触れそうな重量感だ。

 レースの下着は黒色で、ずり上がったタイトスカートの裾からガーターベルトが見えている。明らかにスーツのサイズが合っていない。

「公共良俗に反しているのでは!?」

 天音響は叫んだ。 

「何が?」

「装いが! TPOが! ここは高校の保健室でしょう!? なんで白衣の下にそんなはじけ飛びそうなタイトスーツなんて着てるんですか! 下着見えてますし! だらしないですよ先生! っていうかうちの保健医は御年六十のおばあちゃんだ! なんだこの精度の低い夢は! 大事なのはシチュエーションのリアリティなんですよ! こんなんじゃ微塵も反応しない!」

 天音響が叫ぶと、周囲の景色にひびが走って、バラバラと崩れていく。

 暗闇。

 瞬間、天音響は両手を何かに拘束され、暗闇のなか天井から吊るされた。

 つま先はぎりぎり床に揺れている。

 スポットライトが天音響を照らした。

「は? なに? なんだこの夢、どうなってるんだ!?」

「――じゃあさ。思いっきりファンタジーにふるのはどう?」

 女の腕が、天音響の腰に絡みついた。

 体育館の女だ。だが、今は角と羽と尻尾がある。

「強気に迫られるのがいいんだろう? 童貞オークションなんてシチュエーションはぐっとこないか? どうだ?」

 もう一人、保健室の痴女が天音響の首筋を甘噛みする。

 こちらも角と羽と尻尾つきだ。

「さ、サキュバス……!? なんで……! なんでなんでなんで! なんでサキュバスの夢を見るんだったらレンさんじゃないんだよ!」

 天音響は鎖を揺らして叫んだ。

 二人のサキュバスは顔を見合わせ、

「だってお前、蜜夢レンとの契約を解除したんだろう?」

「テリトリーから出たってことは、もうウチらが手を出していいってことだよね?」

 天音響は思い出した。

 この二人――このロリと熟女。

「レンさんの関係者!?」

 野外ライブで見た二人だ。

 そして、その帰りに天音響を待ち伏せていた二人だ。

「関係者っていうかライバル社?」

 熟女が答えた。

「ら、ライバル……!」

「先駆者だからってデモーガンが幅きかせてるのムカつくわよねぇ」

 ロリが補足する。

「ムカつく……!?」

 天音響はおののいた。

「お、俺をどうするつもりですか……! 二人への当てつけに、俺を殺すつもりですか!?」

「えー? それもいいかも?」

「へぇ……心拍数が上がってきたな。体温も。二人の女に縛られて、いいようにされて、命を脅かされて興奮してるのか? とんだ変態だな」

「えー? マゾなの? どのくらい?」

「夢の中ならどんなハードなプレイも合法だ。手足を引きちぎっても大丈夫だし、なんど死んでも生き返れる」

「嫌だぁああそんなハードコアなの求めてない! 覚めろ覚めろ覚めろ早く目を覚ませ!」

 高笑いが耳元で上がった。

「無理無理。夢魔が枕元に立ってたら、絶対に自力じゃ起きられないよ」

「夢の中で十年たっても二十年たっても、目が覚めたらたったの一晩だ。とっても素敵な世界だろう? なんだって思いのままだ」

 一人が軽く指を鳴らした。

 暗闇が一転し、薄汚れた拷問部屋に塗り替わる。

 サビの臭いが天音響の鼻を刺激した。隣の部屋からすすり泣きが聞こえる。

「ゾクゾクする世界だろう?」

 もう一人が手を叩くと突然足元の床が抜け、鎖が緩んで広大なベッドの上に落される。

 慌てて起き上がると、二人に押し倒すようにのしかかられた。

「私とこの子が交互におまえの枕元にはべっていれば、おまえは一生夢の中だ」

「大丈夫。現実のあんたが死なないように、ちゃんと面倒見てあげるから。素敵な夢が見られるなら、現実なんていらないでしょう?」

 天音響は唐突に理解した。

 穏健派の夢魔ばかりではない、というデモーガン社長の言葉の意味を。

 そして自分が今、完全に詰みの状態にあることを。

 楽浄奏は、夢魔は人を殺すと言った。

 けれど殺さなくても十分に恐ろしい。

 非現実なことがいかようにも起こりうる、夢の中で生きるということ。

 その夢を、他人に掌握されるということ。

「……あ」

 ようやく、状況に恐怖が追いついた。

天音響の体を二人の女の指が、舌が這いまわる。

夢には疲れがない。

目が覚めない限り終わりはない。

 玩具にされるしかないのだ、永遠に。

「や、やめろ……やめろやめろやめろ……! 俺はレンさん以外の夢はみない! 見たくない!」

 天音響は鎖を引っ張り、ベッドから降りようと体を起こした。すると逆に鎖を引っ張られ、ベッドのパイプにがっちりと固定されてしまう。

「ふぅーん? 蜜夢レンの姿になってほしいのか?」

「いいよぉ、レンレンとのゲロアマハーレム生活みたいな夢見せてあげる。絶対に違いなんて見破れないよ。だってあんたの理想の蜜夢レンを見せてあげられるんだから」

 天音響はもがいた。

 これは自分の夢だ。ならば自分の思い通りにならないはずがない。

 天音響は両腕に力を込めた。

 鎖を引きちぎる自分の姿は、どうしてもリアルにイメージできない。

――けれど。

「あ、ぁ……あぁああ……!」

 天音響は渾身の力を込めた。皮膚も、肉も、失ってしまえば拘束からは抜けられる。これは夢だ。夢なら怪我も恐ろしくない。

 骨がきしんで、ぽたぽたと血が滴る。

 二人の夢魔は顔を見合わせ、くすくすと笑った。

「やっぱりマゾなんだなぁ、おまえ」

「そんなことしたって無駄なのに。あはは、がんばれがんばれ!」

「うるさい! そんなのわからないだろ……これが夢で、現実じゃないんなら、俺はずっと抵抗し続けるからな! お前らが望む夢なんか、死んだって見てやるものか!」

「――その通りだよ、天音君!」

 突然、部屋の照明がすべて落ちた。

「なに!?」

 天音響にのしかかっていた二人の夢魔が体を起こし、ベッドを残して闇に包まれた周囲を伺う。

 闇の中に、カラフルな照明が躍った。

 ファンファーレが鳴り響くと照明は一つに集約し、光の中でパステルカラーのショートヘアがふわりと踊る。

「蜜夢レン!?」

「ちょっと! なんでこいつが出てくるわけ!?」

 夢の中で夢を見る、などということは、起こりえるのだろうか。

 これは天音響の夢なのだから、願望が具現化されるのはまったく不思議なことではない。

 しかしただの夢ならば、この二人の夢魔の動揺は何ゆえか。

「――レンさん!」

「大丈夫だよ、天音君。ここは君の夢の中だもん。君が一番強いに決まってる」

 蜜夢レンが指を鳴らすと、天音響を拘束していた鎖が砕けた。ベッドは滑り台となって天音響を床へと押し出し、二人の夢魔は上空から降ってきた鳥かごに閉じ込められる。

「な……出来損ないの分際で、夢で我々を拘束するだと!?」

「ちょっとぉ! なんであの子が主導権握れちゃうわけ……!?」

「それはね。天音君がリアルのボクを好きになってくれたからだよ」

 アイドルらしいキメキメのウィンクで二人の夢魔を黙らせて、蜜夢レンは床に座り込んだまま立ち上がれずにいる天音響に手を差し伸べる。

「こんな、屋上のヒーローショーみたいな展開……!」

 天音響は引きつった笑顔で言った。

 強がろうにも、まだ上手く笑えない。

「いいでしょ、わかりやすくって。ボクは好きだよ、ヒーローショー」

 蜜夢レンが天音響の手を取った瞬間、ステージを覆っていたすべての闇が蝙蝠となって飛び去り、かわりに眩しい日差しと音楽があふれる遊園地の風景が広がった。

 骨がきしみ、血を流していた天音響の手は、瞬く間に無傷に戻る。

「ほら、ヒーローショーにピッタリの舞台になった」

 天音響は、蜜夢レンの手を借りて立ち上がる。

 そこのはあの日、蜜夢レンの膝で眠ったベンチがあった。

「天音君。電話聞いたよ」

「あ……あの、そうなんです。俺……」

「忘れちゃったの? この日、ボクがベンチで言ったこと」

 蜜夢レンは指を鳴らす。

 するとベンチに、あの日の二人を再現するような蜜夢レンと天音響の幻影が現れた。蜜夢レンの膝に頭を預ける天音響は、夢を見たくないと泣きごとを言っている。

 そして蜜夢レンは言ったのだ。


「――じゃボクの力で、天音君が夢を見ないで済むように守ってあげる」


 ジェットコースターが、悲鳴の長い尾を引いて二人の背景を通り過ぎていく。

 幻影の蜜夢レンと天音響は、蝋人形のようにぴたりと動きを止めている。

「……じゃあ、レンさんが?」

「そうだよ! 天音君が夢を見ないで済むように、マンションの部屋におまじないをかけておいたんだよ! なのにアパートに戻っちゃうなんて!」

「だって、俺は夢を見るために雇われてるのに――!」

「契約書よく読んで! 契約条件に〝毎晩蜜夢レンの夢を見ること〟なんて一言も書いてない!」

 天音響ははっとした。

「そういえば書いてなかったような……?」

「そうだよ! 天音君はあそこにいてくれればいいんだよ! そしたらボクは、どうしてもお腹がすいたときだけ、天音君にお願いしてお腹いっぱい食べられるでしょ? でも契約解除しちゃったら、ああいうのに狙われるんだから!」

 蜜夢レンは、遊園地の風景に溶け込むように、不満顔でアトラクションスタッフと化している二人の夢魔を指さした。

「契約を解除するときは、パパが責任もって根回しするし、警察にもパトロールしてもらうことになってるの! 天音君がどーーーしても契約を解除したい。ボクが嫌いでしょうがないっていうならしょうがないけど……!」

「そ、そんなわけないじゃないですか!」

「じゃあ、逃げないでよ天音君! ボクの事が好きなんだったら、もっとボクと一緒にいてよ!」

 遊園地に、場違いな鐘の音が響いた。

 チャペルだ。

 天音響の衣装は白の燕尾服に変わり、遊園地が砂のように崩れて、石造りの教会と観衆が姿を現す。

 ステンドグラスから差し込む光が蜜夢レンを照らしていた。

 蜜夢レンがまとうウェディングドレスはレースのホルターネックで、黒と深紅の薔薇が純白の生地にまぶしく映える。

 パステルカラーの髪から除く角は宝石で飾られ、ティアラからなびくヴェールの向こうで、蜜夢レンは耳まで赤くなって俯いた。

「天音君……こ……これはちょっと……早すぎると思う……よ?」

「……へ?」

「これ、ボクがやったんじゃない……天音君が作ったイメージ……」

「わ――うわぁああぁあ!」


 ※

 夢

 ↓

現実

 ※


 天音響は真っ赤になって飛び起きた。

「違うんですレンさん! 一緒にいてって言葉からつい結婚を連想してしまっただけで、俺にはちゃんと自分はただの食糧っていう自覚が――!」

 ボロアパートの薄汚れた壁が、天音響の目覚めを迎えた。

 ジワリと嫌な予感がする。

 夢。

 ただの夢?

 いや、まさか。

けれど、だとしたら――。

「天音君、ボクこっち」

「はぅあ!?」

 肩をつつかれて、天音響は飛び上がるほど驚いた。

 天音響のボロアパートに、蜜夢レンがちょこんと正座している。

 どっと安堵で力が抜けた。

「あ……あの二人は? あの人たちも、この部屋にいたんですよね?」

「うん。でも天音君に夢から追い出されて、怒りながら帰ってった」

「俺が追い出したわけでは……」

「ううん。天音君が追い出したんだよ。天音君がボクを選んだの」

 蜜夢レンは天音響ににじりよる。

「レ、レンさん……!?」

「天音君はただの食糧じゃないよ。ボク、ファンのみんなをただの食糧だと思った事も一度もない」

「そ、そうなんですか……」

「天音君は?」

「へ?」

「ボクのこと、ただの雇い主って、思う? 衣食住とお金を用意するだけの、どうでもいい女だって……思う?」

「お、も……思うわけないじゃないですか! 絶対! そんなこと!」

 天音響は勢い込んで前のめりになる。

 蜜夢レンと香りがぐっと近づいた。

 天音響はごくりと息をのむ。

 気配があった。

 なにか、ただならぬイベントの気配が。

 卒業――してしまうかもしれない。今夜。何かを。

 そんな予感が天音響の脳内を駆け回り、さながらチャペルの鐘のように心臓をガンガンと打ち鳴らしていた。

 しかし、記念すべき卒業の日が、こんなボロアパートでよいのか。

 こんな勢い任せで、なんの用意もないというのに。

天音響は後悔した。

しまった、イベントで配られたサキュバス☆コンドームを受け取っておくべきだった。

 このままでは受け入れられない。蜜夢レンの思いを。

「天音君……」

「ま、まってくださいレンさん! 俺、まだ心の準備が……!」

「そこにある〝蜜夢レンのフルコース設計図〟って……なに?」

 蜜夢レンは、床に放り出してある鞄から滑りでた、ノートの表題を読み上げた。

 天音響は驚愕のあまり軽く飛び上がり、鞄に飛びついてノートを通学鞄に押し込む。

 わかる。

 蜜夢レンにとってこのノートの中身が「誕生日のごちそうリスト」並みに興味をそそるものであることは、天音響にも理解ができる。

 けれどこんな高濃度の妄想を、妄想の対象の本人に見られることだけは絶対に耐えられない。

「え? なになに? なんで隠すの? ボクの名前が書いてあるんだから、ボクが読んでもよくない? ねぇ天音君! ねぇねぇねぇ!」

「だめです! だめだめだめだめ! これだけは絶対にダメ!」

 天音響は絶叫した。

「これは――これだけは! ぜっっっタイに秘密です!!」

アパート

夜道


 夜道をトボトボと歩く敗残者の姿があった。

 蜜夢レンとの天音響争奪戦に負けた、大小二人のサキュバスである。

 その二人の前に、男が一人歩み出る。こちらも夢魔――インキュバスだ。

「デモーガン……! やはり貴様の差し金か!」

 サキュバス二人は翼を広げ、いつでも飛び立てるように身構えた。

 対するデモーガンはゆるりと両手腕を開き、戦う気はないとでも言うようだ。

「差し金? 心外だなぁ、私は娘にねだられて車を貸しただけさ。――おかげでここまでタクシーで来る羽目になった」

「え、お金引くほどかかりそう」

「娘を助手席に乗せてくればよかっただろうに……」

 サキュバス二人に突っ込まれても、デモーガンは揺るがない。

「私は私でいろいろ手配することがあったのでね。協定違反のサキュバス二人を放っておいては、穏健派筆頭の名が廃る」

「協定違反がなんだ! あれほどの獲物を、できそこないの娘に独占させようとしておいて! 協定違反はそちらの方だ!」

「言いがかりはやめてもらおう。天音君とはきちんとした同意のもとに契約関係を結んである。親御さんにも連絡済みだ。それに比べて、お前たちはなんだ? 交渉もせずにいきなり夢を支配するなど、エレガントとは言えないな」

「エレガント? 笑わせる! 人間に尻尾をふる犬が!」

「どうとでも言いたまえ。我々にとって人間社会は不可欠なものだ。彼らに我々を受け入れてもらうため、我が娘は命をかけている。夢魔は危険な存在ではなく、共存が可能であると証明しようとしている。それを、貴様らのような旧態依然の化石どもに蹂躙されて、夢魔はすべて危険だと一緒くたにくくられたら、はっきり言って迷惑なのだよ」

「だったらどうする? 戦争でも始めるつもりか? お前のやり口に反発しているのは、何も夢魔に限った話じゃないんだぞ!」

「戦争? 冗談じゃない。私は争いが大嫌いなんだ。――だが、人間はそうでもないぞ」

 デモーガンが牙を見せて笑った瞬間、頭上から二発、吐息のようにささやかな銃声が空気を震わせた。

 それは二人の夢魔の肉を貫き骨を砕き、全身に毒を巡らせ即座にその場に昏倒させる。

 民家の屋根に潜んでいた人影がむくりと立ちあがり、屋根からブロック塀へ、ブロック塀から地面へと軽やかに飛び降りた。

 目深にかぶっていたフードを脱ぐと、高校生の少女のあどけない顔が闇夜に浮かぶ。

 楽浄奏――環境省・自然環境局・野生生物課・特殊対策室所属。

 日本において、猟師が人狼を射殺したことに端に発足した組織であり、人狼・夢魔・吸血鬼などのいわゆる〝魔物〟に関する一切の事件を取り扱っている秘密組織の一員だ。

「ターゲット沈黙しました。回収をお願いします――協力に感謝します、デモーガン卿」

「なに、協力してもらったのはこちらの方だよ、楽浄女史。穏健派筆頭として、同族を手にかけるわけにはいかないからね」

 もちつもたれつ。

 デモーガンは人間社会との融和を目指しているが、それを快く思わない夢魔も当然存在する。そして中には、穏健派を装って裏で人間を狩るような、悪辣な輩も存在するのだ。

 デモーガンにとって、楽浄奏をはじめとする特殊対策室の存在は、自浄対策にもってこいだ。ゆえに、怪しいと思われる存在に対する情報提供は惜しまない。

 裏切り者と、デモーガンが罵られるゆえんである。

「今回の協力で、天音響の拉致まがい行為については多めに見てあげますが――もしまた似たようなことをしたら、二度と穏健派筆頭を名乗れなくなりますよ」

「しませんとも。ええ、神に誓って」

 楽浄奏は嘆息した。

「どの神に?」

「キリスト教じゃなきゃなんでもいい」

 デモーガンは楽しげに笑った。

「そう怖い顔しないで。ほら、娘のライブの関係者席チケットあげるから」

「……は? え? なに、なんですか急に……」

「いや、レンと衣装合わせて最前列でペンライト振っておいて、私にばれてないと思ってるのだとしたらちょっと問題があると思うよ私は。そもそも私は、君がどんな夢を見てるか自動的に分かってしまう」

 楽浄奏は悲鳴を上げた。

 耳まで真っ赤になってデモーガンの額に照準を合わせるが、すんでのところで抑えて銃をしまい、チケットを乱暴に奪い取る。

 ちらとチケットをみて、楽浄奏は「はわわ」と声を上げた。

「よ、予約開始三十秒で売り切れた……! 定められし神ライブ……! こ、これは職権乱用……? わいろ……!? 受け取ってはいけないのでは……!」

「必要な調査だよ楽浄女史。隣は天音響君の席にしておくが――娘から彼を取らないでくれたまえよ」

「取りませんよ!」

 楽浄奏はきっぱり言ってから、ふと取り澄ました表情に戻って言った。

「――そもそも、人の心に対して取る取らないなどと表現するのは、あまりにも時代錯誤です。私は普段通りに天音君に接し、危険と思えば今回のようにレンレ……蜜夢レンから天音響を引き離します」

「そしたらまた夢魔に襲われるかもなぁ」

「今度はちゃんと保護もします! そもそもあれは、あなたが天音君をおとりにしようと画策したのが原因で――くそ、もういない!」

 楽浄奏は、教室では決して見せぬ口調で軽くデモーガンを罵る。

 手元に残ったチケットをそそくさと懐にしまい込み、

「任務完了、帰還します」

 とインカムに告げて闇に姿を消した。


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