楽浄奏の真実
「――書けた」
マンションの自室で一人黙々と机に向かっていた天音響は、深い感慨をもって呟いた。
つたないながらも、渾身のワンシーンが書きあがった。
ライトノベルを参考に、今まで蓄積した夢も交えつつ、蜜夢レンが喜んでくれそうな要素を付加した夢の設計図が。
時刻は十時を過ぎている。
天音響は入浴によって身を清め、冷蔵庫にやたらと入っていたサキュバスミルクを一気にあおった。
蜜夢家の書棚に大量に並んでいる蜜夢レンのグラビア写真集のうち、一番威力が高そうな『みつめて♡』をそっと枕の下に安置する。
そしてとどめとばかりに、夢ノートを抱えてベッドに滑り込んだ。
入眠までおよそ三十秒。
――目を開けると朝だった。
「……え? 夢は?」
見なかった。
「嘘だろ! なんで! 今まで毎日あんなに俺を苦しめてたじゃないか! なんで急に見なくなるんだよ! 俺の煩悩はどこに消えたんだよ!?」
枯れ果ててしまったというのか。
あれほど天音響を悩ませた邪な夢が、今こそ人の役に立つというのに。
天音響は努力した。
バイトもすべて休ませてもらい、夢の設計図を詳細に練り上げた。蜜夢レンの柔らかさやにおいまでも書き込んだ。
だがそれから三日、天音響は一度も夢を見なかった。
※
3日目
↓
4日目
※
「――ダメだったんだね、天音君」
「……うん」
顔を見ればわかるとばかりに、朝、楽浄奏は天音響に声をかけてきた。
しかし天音響はあまり会話をする気にならず、ちらとだけ楽浄奏を見て俯いてしまう。
「天音君」
「うん」
「今日バイト?」
「ううん」
「そう――カラオケ行かない?」
「うん。――うん!?」
「私がおごるから。お願い」
教室が不意にざわついた。
天音響ははっとして周囲を見る。
みな聞き耳を立てている。あの楽浄奏が、教室でおおやけに、天音響を放課後デートに誘っている。
図書館ならばまだ「勉強か?」と思うこともできようが、カラオケとなると話が違う。
「ら、楽浄奏さん! よければ僕らも一緒に……!」
楽浄奏は、名乗りを上げるほかの生徒に向かって毅然と指を振り上げた。
「いいえ。天音君と二人きりで」
「やっぱり……二人は付き合って……!?」
「ち、違うよ! 付き合ってない! ねぇ、楽浄さん!?」
「私はどちらでもいいけれど」
「楽浄さん!?」
「私と天音君の関係に、他人がどう名前を付けても、私にとってはどうでもいいの。――でも、天音君が気にするのなら、やめておこうか」
「お……俺は……!」
天音響は教室を見回した。
「俺は楽浄さんと付き合ってはいない……が……! いやだからこそ、放課後に二人きりでカラオケに行くことに、なんらやましいことはない! 行こう楽浄さん! 俺は何も歌えないけれど!」
ざわめきに包まれる教室の中、楽浄奏は微笑んだ。
「心配しないで。その分私が歌うから」
※
学校
↓
カラオケ
※
天音響は純朴であるが馬鹿ではない。
楽浄奏が天音響をカラオケに誘った理由――それは学生の身分で堂々と二人きりで入れる気軽な防音の密室が、ここ以外に存在しないからだ。
楽浄奏は秘密を守る。
二人が共有している秘密の前には、「楽浄と天音が付き合っている疑惑」の拡散などおそるるに足りぬ。
「――それで、楽浄さん。今日な一体なんの話を」
「あ、ごめん。まずレンレンの曲入れてからでいい?」
「本気でカラオケに来たかっただけなの!?」
「曲を入れるとレンレンにお金が入る仕組みなんだよ、カラオケって。だからBGM代わりに十曲くらい選んで流しておこうと思って」
「賢い、そして効率的だ……さすが楽浄さん」
楽浄奏は宣言通り、蜜夢レンの曲を上から順に入れていった。
そして話を切り出す。
「――あのね、天音君。うちはお母さんが警察なの」
「それは前に聞いたけど」
「そしてこれが私の警察バッジ」
「話が見えないよ楽浄さん! えっ、それ本物!?」
「『スケバン刑事』みたいでしょ」
「ごめん、俺、漫画原作の映画は見ないんだ……」
「なんの因果かマッポの手先」
「因果すぎるよ楽浄さん。高校生探偵くらい非現実的だし、そもそも日本では警察バッジじゃなくて警察手帳だ! さすがに俺でも騙されないよ!」
「夢魔の存在は信じるのに?」
楽浄奏は首を傾げた。
天音響は素で対応しようとして、慌てて踏みとどまった。
夢魔の存在は信じるのに?
まるで楽浄奏も、蜜夢レンが本当に夢魔だと知っているように聞こえる。
「……いや、だってそれは……設定で……」
「設定だけのために、あんなに必死にレンレンの夢を見ようとはしないでしょ。天音君に限って。――急に変だと思ったから、ちょっと調べた」
「調べた!?」
「イベント設営のバイト中、あなたは蜜夢デモーガンに連れ去られた。それ以降、あなたは一度も自宅に戻っていない。そしてイベントでは関係者席に通されていた。――軟禁状態にあるのでは?」
「そ……それは違うよ楽浄さん! 俺は自分の……意思で……」
天音響は、一度契約を断ったのに、保身のために契約を交わしたことを思い出す。
実質選択肢はなかったな。
いや今はそんなことはどうでもいい。
「じ、自分の意思で契約したんだ!」
「語るに落ちたよ、天音君。レンレンが本物の夢魔だって知ってるんだね?」
「誘導尋問だよ楽浄さん!」
「うちはお母さんが警察なの」
「え、そうなんだ。イメージ通り」
「で、お母さんは夢魔に殺されたの」




