楽浄奏の詮索
「最悪だ……デートで寝て……レンさんとの……あんな夢みるなんて……」
「いつももっとすごい夢みてるじゃん」
「なんか、生々しさが違うんですよ……! 現実と夢の境目があやふやで……」
天音響は嘆息した。
「どこからが夢だったんですか?」
「うーん……なでなでぎゅーで寝落ちみたいな?」
「赤ん坊か俺は」
「閉園まで時間あるから、まだ寝てていいよ」
「だ、ダメですよそんなの! せっかくレンさんが連れてきてくれたのに!」
「えー? 天音君の夢もアトラクションみたいなもんだよ。晩御飯晩御飯」
「俺はお弁当か! というか嫌ですよ遊園地で! 変態みたいな!」
「ん? みたくない? ――さっきの夢、やだった?」
「さっきの夢は……まだいいですけど……!」
控えめに言うと、蜜夢レンはにっこりと笑う。
「じゃあ続きも見ちゃおうよ」
「嫌ですよ! 何が悲しくて遊園地のベンチでフィニッシュしなきゃならんのですか!」
「お、TPOに配慮した言い回し」
「……っていうかですね。俺、高校に入ったときから働いてばっかりで、遊び方も忘れてて……遊園地なんて来ても楽しくないと思ってたんです」
「えー? 楽しんじゃったねぇ」
「楽しんで……しまったのです……! 今日の俺は無垢な少年でした……! でももし今眠って、スケルトン観覧車でヤバイ見えちゃうドキドキプレイなんて夢を見てしまった日には、すべてが台無しになる気がするんですよ!」
「天音君にそんな願望が!?」
「願望っていうか〝ありそうなシチュエーションだな〟って思ってしまったが最後、俺の夢は自動的なんです! レンさんがなんのために俺をここに連れてきてくれたかはわかってます。でも夜までは……無垢な少年っぽい顔をしてたいんですよ……!」
「そっかぁ」
蜜夢レンは穏やかに微笑んだ。
もし自分に優しい姉がいたら、こんな風だろうかと天音響は思う。
「疲れるもんね、えっちな夢って。――じゃボクの力で、天音君が夢を見ないですむように守ってあげる」
「えっ!」
「はい、じゃーお休みー」
「ちょ、ちょま……!」
天音響は眠りに落ちた。
蜜夢レンはそんな天音響の唇を――唇にうつった蜜夢レンと同色のピンクのグロスを、濡らしたハンカチでそっと拭う。
そして子守唄を口ずさんだ。
天音響が夢を見ないように。
ほんのひと時のまどろみを、ほかの感情に邪魔されないように。
――夢魔は悪魔だ。
その本質は悪夢を見せる者であり、性夢も悪夢の一種でしかない。
いたずらに人を疲れさせ、精力を枯渇させる悪い夢。
「ごめんね、天音君……君を好きになっちゃってごめんね……」
蜜夢レンは、膝枕で眠る天音響の髪にそっとキスをした。
※閉園時間
↓
※翌朝
天音響は熟睡から目を覚ました。
すっきりとした目覚めだ。
そう――。
天音響は夢を見なかった。
「……え? いや、あれ……?」
天音響は青ざめた。
蜜夢レンと遊園地デートまでしておいて、夢を見なかったなどという食糧的大失態、許されるわけがない。
蜜夢レンは天音響から精力を得られることを大前提に、力を使って人間に扮し、遊園地デートにのぞんだというのに、契約不履行もいいところだ。
「駄目だ、一回寝なお――せない!? なんだこの時間遅刻する!」
熟睡。
尋常ならざる熟睡だ。
今まで目覚ましなどいらないくらい、朝の六時には必ず絶望とともに目を覚ましていたというのに、すでに7時半を過ぎている。
門が閉まる時間は八時半。
学校までは徒歩と電車で三十分。
三十分で支度をしないと間に合わない。
いつもは朝晩シャワーを浴びる天音響だが、この日ばかりは朝のシャワーをすっ飛ばし、大慌てで制服を着こんで部屋を飛び出した。
テーブルに用意されているサンドイッチを五分で平らげ、牛乳で流し込む。
サンドイッチの横には置手紙があった。
――今日から三泊四日、グラビア撮影でホテル生活!
寂しくなったら電話して(^ε^)-☆Chu!!
「え……そうなんだ……」
忙しい人なのだ。仕事の合間を縫って、昨日は一日天音響に時間を割いてくれた。
結局仕事では何一つ役に立てていない。
ならばせめて、夢くらいは見なければならないのに――。
※
マンション
↓
学校
※
「珍しいね、天音君がスライディング登校なんて」
ホームルームを無事に終えて一息つくと、楽浄奏が声をかけてきた。
「そうなんだよ楽浄さん。信じられないくらい熟睡してしまってね」
「この前は不眠で悩んでたのに。――安息香の効果?」
「え……? あぁ、そうかも」
枕元に置いた安息香の香り袋――特に効果はないと思っていたが、遅効性の薬のようにじわじわと安眠を誘ったのかもしれない。
「いやしかし、由々しき事態なんだよ楽浄――はぅあ!」
天音響は思い出した。
ライブの夜、楽浄奏との淫猥な夢を見てしまったという現実を。
「どうしたの急に」
「い、いや……な、なんでもなななな……」
天音響は楽浄奏から目を反らす。
すると楽浄奏はポーカーフェイスを軽く崩して、
「……隠すのが下手」
と頬を染めた。
「か、隠してない! 俺は何も! 断じて……!」
「そ、そういうことにしとくから……態度に出さないで……」
「うん……その……ごめん」
もじもじもじ。
そわそわそわ。
二人のいつもと違うただならぬ態度に、クラスの周囲がざわっとする。グループチャットのログも高速だ。
この土日――二人の間に何か進展でもあったのではないか。
勘ぐる視線に気が付いて、天音響はカっと周囲に睨みを聞かせる。
「それで、天音君。由々しき事態って?」
「あ、それは……」
天音響ははたと黙る。
相談……するのか……?
楽浄奏に?
蜜夢レンとの性夢が見れずに困っていると?
バカな!
できるわけがない!
「いや、個人的な話だよ、楽浄さん! ほら、ホームルームが始まる前に席に戻った方がいい!」
「……そう」
楽浄奏はふいと天音響に背を向ける。
図書館の時と同じだった。
楽浄奏は詮索しない。
ほっとしたような、しかしどこか落ち着かないような――そんな宙ぶらりんな気分のまま、天音響は午前の授業を終えた。
昼休み。
天音響の昼食は八枚切りの食パンが一枚である。
しかし苦学生である天音響の窮状を知る学友たちは、天音響にいつも手を差し伸べてくれる。
「天音君、コロッケあげるよコロッケ。いつもレポート見てくれてありがとう」
「からあげやるから数学教えてくれよ、天音得意だろ数学。赤点取ったら部活禁止になっちまう」
「プチトマト、ママに余計に入れてもらったからおすそわけ。この前先生からかばってくれてありがとう」
「え! 今日の天音弁当もうそんなに集まってんの? ピーマンいる? もういらない? くそ、押し付けるチャンスが……!」
そんな風にして、天音響の食卓は賑やかになる。
「今日も大収穫だね、天音君」
その大収穫のフィナーレを飾るのは自分だとばかりに、楽浄奏は天音響の食卓に厚焼き玉子の色どりを添えてくれた。
天音響は苦笑する。
「最初は、みんなが俺の貧乏飯を面白がってるだけで、すぐに飽きるだろうと思ってたんだけどね」
「高校二年の今まで、毎食天音君は大収穫なんだね」
「ありがたい話だよ。俺の肉体はクラスのみんなのお弁当で作られていると言っても過言ではないね」
「天音君はいつもクラスのために頑張ってるから」
楽浄奏は天音響の机に自分の机をくっつけて、お弁当を食べ始めた。
気が付いたらこれがいつもの形になっていた。最初はクラス委員の仕事について話しながら弁当を食べるため、やむなくという理由だったと思うが、今は特に理由がなくとも、楽浄奏はこうして昼食を食べる。
「さながら『ペイフォワード』と言ったところか」
天音響はいつものように、状況を映画にたとえて言った。
誰かに親切にしてもらったら、複数の誰かに親切を返す――そうして世界は幸せになっていくという映画だ。
厚焼き玉子は最後の楽しみにとっておき、天音響は食パンにコロッケとからあげを挟んでかじりつく。
プチトマトは箸休め。
そしていよいよ厚焼き玉子にとりかかる。
「――みんなから少しずつ栄養をもらうって、ちょっと似てるよね」
「え?」
「あの人に」
蜜夢レンの話だと、天音響は察した。パンがごくりと食道を通過する。
「ねえ、天音君。私たち、結構大きな秘密を共有していると思わない?」
「き……急にどうしたんだよ、楽浄さん」
「相談してほしいって思うことは、傲慢?」
詮索を、してきた。




