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天音響の秘密2

 学校帰りに工場で四時間ほどバイトをこなし、頼まれた追加作業をさらに一時間こなしてから、天音響は帰路についた。


 天音響は現在、とある事情でルームシェア生活を強いられている。

 4LDKのマンションで、学校から電車で30分。駅からは徒歩十分。オートロックの玄関と警備員によるセキュリティを備えた、地上十五階の1フロア。


 いわゆるペントハウスである。

 家賃にして三十万はくだらないだろう。


 なぜ苦学生の自分がこんなマンションに住むことになったのか、思い出すだけで天音響は少し憂鬱な気分になる。

 部屋には誰もいなかった。

 天音響以外の住人は、基本的に留守がちなのだ。

 わけもなくガラス張りの浴室で緊張しながら風呂に入り、家事代行業者が作っていった少々豪華すぎる食事を取る。

 安息香を枕元に置いて、天音響はふかふかのベッドに滑り込んだ。


 そして、夢を見る。

 人には決して言えない夢を。


「ふぅーん? ボク以外の女の子の臭いがするね」

 耳元でささやかれ、天音響は“夢の中で目を覚ました”。


 明晰夢

めいせきむ


 夢が夢であると自覚している状態のことだ。

 であるにも関わらず、まるで現実のように五感はやけに生々しい。


「どんな女の子かなぁ? 甘い香りが似合うかわいい子? 手を握っただけで赤くなっちゃう、ピュアで清楚な女の子? 天音君は、平気で天音君におっぱいさわらせちゃう、ボクみたいな女は嫌い?」


 背後から絡みつく女の気配があった。

 背中に押し当てられる、やわらかいのに弾力のある感触が、なんであるかを天音響は必死に考えないようにする。

 甘い香りがする。

 これは――楽浄奏にもらった安息香の香りだろうか。


「ち、違います! この香りは、とっと、とも友達が、がが……!」

「しらばっくれるの? 悪い子だなぁ……天音君みたいな嘘つきの悪い子には、素直になっちゃうお仕置きしちゃおうかなぁ」


 夢の中で、天音響は瞬く間に四肢

しし

を縛られ、身動きが取れなくなった。

 そんな天音響の目の前に、一人の少女が現れる。


 ふわふわと甘そうな、パステルカラーのショートヘア。

 白くてむにむにとした、マシュマロのような体。

 であるにもかかわらず、きゅっとくびれた腰と少し腹筋の浮いた腹部。

下腹部のタトゥーが見えるくらい、ぎりぎりローライズのショートパンツは、目のやり場に困ってしまう。

 胸は身じろぎするたびにたわわに揺れて、映倫が裸足で逃げ出す布面積のシャツが、かろうじて見えてはいけない部分を隠している。


 異様なのは、その頭部には羊のようにねじくれた角が生え、腰からはコウモリのような羽が左右に大きく開いていることだ。

 尾てい骨からはすらりとした無毛の尻尾が伸び、その先端がからかうように天音響の首筋をくすぐる。


「レ、レンさん……!? やめてください! ほ、ほどいて……!」

「本当の事が言いたくなるまで、天音君の体ぜんぶ、キャンディーみたいに隅々までぺろぺろしてあげる。ふふ……かわいいね、震えてるの? ボクが怖い? かわいそうな天音君……まずどこからなめてほしい?」


 少女のふくよかな胸が、天音響の胸板に押し当てられた。気が付けば天音響も服を着ていない。少女のぷっくりとした唇が天音響の首筋をくすぐり、耳たぶをぺろりと舐める。


 天音響は夢の中でもがいた。


 少女の唇は首筋から鎖骨へと下り、天音響の胸に吸い付く。

 夢だと分かっているのに、脳に突き抜けるような強い快楽が天音響を揺さぶった。

 食いしばった歯の隙間から、うめき声が漏れる。


「ここ、気持ちいいんだ。素直になってきたね、天音君。もっと気持ちいいところ、舐めてほしい? それともっとじらしてほしい? それとも――」


 正座の状態で拘束された天音響の下半身に、ずっしりとした重さを感じた。

 少女が天音響の膝の上に、顔を見合わせる形で座ったのだ。

 熱く、やわらかく、湿った感触が天音響を包み込む。


「ひ、ぐ……レンさん、なにを……!」

「舌よりこっちでいじめてほしい? いじめられてるのに、こんなに興奮しちゃってるなんて、天音君はいやらしいね。真面目ぶってるのにえっちだね」

「あ、あ……あぁ……」

「もっとえっちになっていいんだよ。ボク、えっちな男の子って大好きだから。どうしてほしい? どうしたい?」


 こんな夢を見るべきではない。早く目を覚まさなければ。


「お――女の子が……そんなふしだらな事しちゃいけませぇえぇえん!」


 悲鳴と共に、天音響は飛び起きる。

 同時に、目覚ましのベルがなった。――ほんの五分の出来事に感じたのに、もう朝とは。

 天音響の全身は汗に濡れ、げっそりと憔悴しきっている。

 心は自己嫌悪に軋んでいる。


「うぅ……こんな……俺ってやつは……!」


 天音響はベッドの中で頭を抱えた。

 いつもこうだ。

 毎晩毎晩、天音響は真面目なクラス委員にあるまじき夢を見る。

 仕方がないんだ、自分のせいじゃないんだと言い聞かせても、罪悪感はぬぐえない。

 天音響はベッドを抜け出し、ごそごそと着替え始めた。

 次の瞬間だ。


「天音君!」


 半裸の天音響響になどお構いなしで、部屋に飛び込んでくる者があった。

 パステルカラーのショートヘア。

 悩ましい体つきに、目のやり場に困る服。ねじくれた角に、コウモリの羽と、すらりとした尻尾。


「レンさん!? ちょ、俺まだ着替えて……!」

「すごいよ! 今夜の君最高だった!」


 夢にも登場したその少女は、現実世界でも変わらず天音響の体を抱きしめ、豊満な乳房でもって天音響の呼吸を奪った。


「おかげでちょーーお腹いっぱい! すっごく美味しかった! 天音君! 天音君天音君! もう、もう、ぎゅーってして潰しちゃいたいくらい!」

「むぐ……! むぐぐが……!」

「あ、ごめん!」


 少女ははっとして、天音響を乳房窒息刑から解放する。

 天音響はわたわたとサイドテーブルの眼鏡を見つけて装着し、ベッドサイドでふらふらと尻尾を揺らしている悪魔のごときコスプレ少女を睨め付けた。


「レンさん! 勝手に部屋に入ってこないでください! プライバシーの侵害ですよ!」

「えっ! 嫌だった!? ごめん~……! ボクってば興奮しちゃって。でも今日の天音君の夢、とってもピュアで甘くてちょっとスパイスもきいててサイコーにボク好みだったんだもん。ぜひシェフにお礼が言いたくて!」

「誰がシェフですか! エロい夢見て褒められても一個も嬉しくないわ!」


 天音響は思わず叫んだ。

 まだぐずぐずと天音響の夢について語ろうとする少女をぐいぐいと部屋から追い出し、中途半端だった通学の身支度を整える。

 有無を言わさずマンションを飛び出し、電車に飛び乗って天音響はようやく安堵した。


 電車の中吊り広告を見ると、でかでかと躍る「蜜夢

みつめ

レン愛用、サキュバスの誘惑リップ」の文字。

 右を見れば「蜜夢レンの監修! 男に夢を見させる下着」の広告で、席を見れば居並ぶ男子高校生が蜜夢レン表紙の雑誌を読みふけり、女子高生は蜜夢レンのエロカワ着回しコーデの特集雑誌を読んでいる。


 蜜夢レン――すなわち天音響のルームメイトはアイドルである。

 そしてこれは周知の事実であり、同時に秘密でもあるのだが――。


 蜜夢レンはサキュバスであり、天音響の見る夢を、食欲的な意味でいたく気に入っているのであった。


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