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蜜夢レンの誤算

 一人残された天音響は、ぶつけた腰がずきずきと痛い。

 手に残った蜜夢レンの尻尾の感触は、サテンの生地よりさらさらで――。


「ゆ、夢に見そうだ……」


 天音響はそっと手のひらを握ってみる。

 その、背後に。


「――わりと仲良くやっているようじゃないかね」


 社長の気配が張り付いた。

 天音響は絶叫する。


「社長!? いつからそこに!?」

「いや、私は最初から表の関係者席に座っていたのだがね」


 君たちが自分の世界に入っていて気付かなかったのだよと言われ、天音響は爆散したいような気分になる。


「いやはや――レンも随分君に入れ込んだものだな」

「はい?」

「まあ、わからないではない。我々夢魔は昔から、尼僧だとか神父だとか、どうにもならないような相手とばかり恋に落ちる。――挙句に、その恋心を利用して討伐されたりな」

「急に出てきて語られましても」


 天音響が引き気味に言うと、社長は「ぶれないな君は」と苦笑する。


「っていうか俺は尼僧でも神父でもないですし」

「似たようなものだよ。性に対して潔癖で、“ふしだらさ”を憎んでいる」

「に……憎んでるというわけでは……」

「あぁ――そうだな。うん、それだろう。きっとレンはそこがいいのだ」

「はぁ?」

「君は潔癖でありながら、我々夢魔を否定しない。受け入れ、理解する努力をする」

「そりゃしますよ。あたりまえじゃないですか」


 同じ人間なのだから、と言いかけて、同じ人間ではないな、と思い直す。

 しかし意思の疎通ができる同士だ。

 蜜夢レンは天音響を搾取しない。

 押しつけがましくなく、大好物を前にして「本当に食べていい?」と再三に渡って確認するような存在を、どうして糾弾できるだろう。


「――あたりまえではないよ、天音君」


 社長はふと何かを思い出すような顔をして、低く言った。

 そしてスイートルームの出口へと歩き出す。


「あれ? あの、ライブ見ていかないんですか?」

「私は君を待っていたのだよ」

「え、何の用で?」

「その用もなくなった。ライブを楽しんでくれたまえ」


 歩き去る社長の完璧にキマりきってて逆に滑稽ですらある後姿を見送って、天音響は首をかしげる。

 けれど間もなく開演のアナウンスが流れて、天音響は慌てて着席した。


 ※

天音響

 ↓

蜜夢レン

 ※


 蜜夢レンはドキドキしていた。


 あんなふうに大胆に尻尾を触らせたことなんて、この十八年間で一度もない。

 夢の中でならまだしも、現実にあんなふうに握られてしまうなんて……!

 夢魔が尻尾や羽を隠すのは、こういう理由もあるのだなと心と体に刻みながら、蜜夢レンはきゅんきゅんとうずく体をステージ袖で抱きしめた。


 きっと、ほかの男に触れられたのなら、嫌で仕方がなかったに違いない。天音響にリボンを結ぶようにと言った時、きっと蜜夢レンは期待していたのだ。

 あの臆病で、優しくて、繊細な指に触れられる瞬間を。


 もうすぐ曲が流れる。

 そうしたらライブが始まる。

 天音響は、ちゃんと見ていてくれるだろうか。


「天音君……天音君、天音君」


 天音響は知らない。

 夢魔にとって「美味そう」という感情は、人間で言う「愛」に近い、抗いがたく生物的な欲求であることを。

 夢で体を重ねるうちに、夢魔は現実でも人間を求めるようになることを。

 夢魔は常に抱えているのだ。

 餌である人間の精力を吸いつくし、殺してしまいたい欲求と。

 愛する人を傷つけず、そばにとどめておきたい欲求を。


「食べちゃいたいくらい可愛いな……」


 蜜夢レンはペロリと唇を舐めた。

 流れ出した音楽が、蜜夢レンをステージに迎え入れる。

 駆け込んだステージは色と照明に溢れている。

 歌いだしが近づく。


♪――Ah――脱がさないでよそんなラフな手つきで

   ショーケースに並んだオモチャのラッピングみたいに

   ちぎり取ってむしり取って せっかく飾り立てたのに

   ねぇ――勘違いしないでよ キミのためじゃないから

   ボクが好きなボクの服に君がただ堕ちただけ

   焦らなくても教えてあげる ちゃんと手順があるんだからさ

   リボン解いてホック外して素肌滑らせて

   ほらキレイに脱げたでしょ?

 

 ウィンク一つ、蜜夢レンは衣装を一枚脱ぎ捨てる。

 それに合わせて、観客席からも脱ぎ捨てた衣装がステージに投げ込まれ、天女の羽衣のようにひらひらと舞い落ちる薄絹の雨の中で、蜜夢レンは歌い続けた。


蜜夢レン

天音響


「凄いなぁ、レンさん……『バーレスク』みたいだ」


 音響の効果もあって、野外ライブの時よりも歌声がダイレクトに届いてくる。

 蜜夢レンがスイートルームに向かって手を振ったような気がしたが、きっとただのファンサービスが自分を通りすぎていっただけだと、天音響は深呼吸した。


「――あ、楽浄さん」


 スタンディング最前列――スイートルームからでも簡単にその姿が確認できた。

 もう自分が下着姿であることなどすっかり忘れて、ペンライトを振りながら蜜夢レンと一緒になって歌っている。

 教室では決して見られない楽浄奏の姿に、天音響は微笑んだ。


 蜜夢レンは十曲歌って間にトークを挟み、さらに十曲とアンコールを一曲歌って、その日のライブは終わりを迎えた。

 その後楽浄奏と連絡を取り合い、混雑を避けて一駅ほど歩いてから、適当なファミレスで落ち合った。

 天音響はその日、楽浄奏とライブの素晴らしさについて終電近くまで話し込んだ。

 その合間にぽつぽつと、お互いの身の上話のようなものが混ざる。

 そして別れ際、楽浄奏は唇に指をあてて、言った。


「秘密にしてね、天音君」


 応じて、天音響も唇に指をあてる。


「お互いにね、楽浄さん」


 ※

天音響

 ↓

蜜夢レン

 ※


「パパー! 天音君打ち上げ来ないって!」


 スマホに断りのメッセージが届いて、蜜夢レンは唇を尖らせた。

 社長は思い切り顔を顰めて、


「来ても困るだろう。夢魔ばかりだぞ」


 と言う。


「えー……まいっか。夢で会えるしね」


 蜜夢レンは衣装を脱ぎ捨て、打ち上げ会場に向かう車に乗り込む。




 ――けれどその夜、天音響は蜜夢レンの夢を見なかった。

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