蜜夢レンの誘惑
スイートルームに一歩足を踏み入れると、壁にそってソファが並んでおり、どこか病院の待合室のような印象があった。
ガラスで仕切られたその奥に数席の座席が並んでいる、ラグジュアリーな空間だ。
楽浄奏の着替えを待ったり、エスコートしたりの時間があったが、開演四十分前には無事に座席にたどりつけたことになる。
「……俺が一番のりか」
「ってゆか、天音君の貸し切りだよ」
「へあ!? レンさん!?」
扉のかげから蜜夢レンが現れた。
ぎょっとしてのけぞった天音響に、蜜夢レンは下着姿で勢いよく両手を広げる。
「ばばーん! さぷらーいず!」
「いやダメでしょ普通に考えて! ライブ始まっちゃいますよ!?」
「その対応は予想外! 喜んでくれると思ったのに!」
驚愕した天音響に、蜜夢レンの驚愕が重なる。
「すみません……でも俺、待ち合わせには三十分前についちゃう系の性格なもんで、喜びよりも焦りが……」
「まだ四十分もあるよ天音君。控室にいても暇だし、関係者席に挨拶に来るのは普通に普通だよ!」
「ふ、普通に普通なのか……」
「それに、ボクのライブは同じ夢魔も結構見に来るからね。天音君がちゃんとここに到着できるか、こうして張り込んでたってわけ」
「子豚をライオンの群れに招くようなことを! ってかセキュリティは!?」
「ちゃんと雇ってるよ! 人狼系の強いとこ!」
「聞いたことないですよ人狼なんてセキュリティ会社」
「そうじゃなくて、狼に変身する人たちって意味」
「実在するんですか!?」
「そこ驚くところかなぁ?」
ここで驚かずにどこで驚けばいいのか疑問の天音響である。
夢魔がいて吸血鬼もいるのなら、人狼がいても不思議ではないのは確かだが……。
「とにかくちゃんと来られましたから、もうステージに戻ってください。ここガラス張りなんですから、観客席から見えたらやばい」
「あ、そうだね。じゃあこうしよっか」
そう言って、蜜夢レンは壁に並んだソファにぺたりと横たわった。
するとずっしりと重量感のある乳房が重力にしたがって歪み、ただでさえきわどい布面積の下着から中身があふれそうになる。
だというのに。
「ほら、これで見えない」
蜜夢レンは満足げである。
「いや、見え……! 下着、隙間、できて、うわぁあぁ……!」
「あ、ほんとだ。横になるとおっぱいこぼれちゃうね……」
蜜夢レンは横たわったまま、下着の中にぎゅうぎゅうと胸を押し込んだ。
その姿を思わず凝視していると、視線に気づいた蜜夢レンがいたずらっぽく笑う。
「見たい?」
蜜夢レンは、腰のあたりを隠しているスリップの薄布を、指先で軽く持ち上げた。
するとむっちりとした太ももと、下腹部のタトゥーがあらわになる。
蜜夢レンの今日の衣装は、普段の衣装からすると逆に露出度が低い方なのだが、あまりにも普通に――それこそ楽浄奏が着ていたのと同じ「下着」なので「これは衣装なんだ」という意識が働かず、視線の置き所が定まらない。
「み……見たくないです……別に……!」
「えー!? 見たがってよぉ! ね、この衣装ね、ボクに合わせた特注なんだよ。羽が出るように腰も開いてるし、尻尾が出る穴もある。でも、普通の人が着ても違和感がないデザインになってるの。ほら見て、腰のところ。編み上げリボンになってるの」
蜜夢レンはソファにうつ伏せに寝転がる。
確かに、編み上げリボンの隙間から、コウモリの羽が出せる構造になっていた。長く垂れたリボンの紐が、蜜夢レンの豊かな尻の双丘に挟まっている。
「ね……リボン、ほどいてみたい? 天音君」
「れ、レンさん! 今は現実ですよね!? ゆ、夢じゃないですよね!?」
「そう。――でも、ほかの誰にも見えてないって意味では、夢と変わらないかもね」
そう言って、蜜夢レンはそっとリボンをほどいた。
「結んで、天音君」
「ひぐ……!」
「ここ、ほどけちゃったら自分じゃ結べないんだ。ほどけたままじゃ出られない。――でも、羽に触っちゃダメだよ?」
天音響は、緊張と興奮で口にあふれた唾液を飲み込んだ。
じわりとにじむ手汗をズボンで拭って、蜜夢レンの横にひざまずく。
細い、繊細なリボンを手に取ると、すべすべとしたサテンの手触りがした。
「ん……ふふ……くすぐったいよ、天音君」
「へ!? どこが!?」
「リボンのさきっぽで、ボクの尻尾、くすぐらないで」
「うわ、ほんとだすみません……!」
「あ、だめ……リボンが絡まって、引っ張っちゃ――ひぅう……!」
天音響は、慌ててリボンを引っ張った。
長いリボンは蜜夢レンの尻尾に巻き付くように絡まっており、引っ張るとリボンの表面が蜜夢レンの尻尾を勢いよくこすり上げる。
蜜夢レンはびくりと肩を跳ねさせ、ソファにくたりと横たわって天音響を見た。
「ダメだよ天音くん……そんなに激しくされたら傷ついちゃう……」
「す……す、すみませ……! あの、むむすび……結びました、リボン……! 今!」
天音響は手早くリボンを結び終えると、距離を取るべく慌てて立ち上がった。
しかし不自然な格好でしゃがんでいたせいで、立ち上がると同時にバランスを崩してしまう。
体は蜜夢レンの方に倒れ――ればよかったのだが、体は大きく後ろにかしいだ。
「あ、天音君!」
すがるものを求めて伸ばした手が、反射的に蜜夢レンの尻尾をつかむ。
あ、と声を上げて、蜜夢レンも天音響に引っ張られる形で倒れこんだ。
「っ~~……! す、すみませんレンさん……! 大丈夫ですか!」
「だ、大丈夫……でも、ぁ……ふ、天音くん……尻尾……ダメ、はなして……」
天音響は戦慄した。
蜜夢レンは少しの刺激も耐えられぬというように、全身を震わせながら天音響の肩に取りすがっている。
耳にかかる息は夢と同じく熱く濡れ、その尻尾は天音響に握られたまま、苦しげにびくびくと跳ねている。
天音響は声にならない悲鳴とともに、蜜夢レンの尻尾を放した。
蜜夢レンはほっと体の力を抜き、倒れこんでいる天音響に体重を預けてしばし休む。
「レ、レンさん……? い、痛かったんですか? 尻尾……大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫。天音君は優しいね」
ゆるゆると体を起こして、蜜夢レンはへらりと笑った。
天音響のずれた眼鏡をなおし、その頭をよしよしと撫でて立ち上がる。
「この続きは夢でね、天音君」
ウィンクを残して、蜜夢レンはスイートルームを去っていった。