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楽浄奏の不安

「実はその……設営のバイトでたまたまライブを見て、思ってたのと全然違って、キラキラしてたというか……それで、急に楽浄さんに聞かれたことの答えが出たんだ。〝どうして女子の体を見たくないのか〟って」


 天音響は口を開いた。

 嘘はつかない。

 けど、すべては語らない。

 少しずるいような気がしたし、不誠実なようにも感じられたが、すべてを話すことが完全に誠実かというと、そうとも思えない天音響である。

 なにせ天音響には契約がある。

 蜜夢レンの正体を口外するわけにはいかないのだ。


「答えは出たの? 天音君」

「出た……と、思うよ。楽浄さん」

「――罪悪感……とか?」


 天音響は目を見開いた。


「よ、よくわかったね楽浄さん」

「わかるよ。私もそうだし」

「楽浄さんが?」

「レンレンのファンって、半分くらいはそうみたいだよ。レンレンのステージには、罪悪感を吹き飛ばしてくれる力があるって」

「そ……そうなんだよ! なんだか、こう、明らかにエロ推しなんだけどさわやかで、胸がドキドキするけど、ムラムラって感じじゃなくて……謎の爽快感が……!」


 天音響は身を乗り出した。

 思わず早口になる自分にふと気づき、口ごもった天音響の肩を、楽浄奏はポンと叩く。


「私はそれがとてもよくわかります」


 楽浄奏は熟練の職人が作品の良さを語るような顔つきで、重々しく頷いた。


「っていうか、天音君。そのライブってもしかして、この前屋外でやったサマーライブ?」

「あ、そうそう。それ」


 きらりと楽浄奏の目がきらめいた。


「いいなぁ! あのライブ、今日のライブに先駆けて調整をかねたライブで、キャパ超すくなかったの! 天音君、あのイベント見たの? 神ライブだったでしょ!?」

「え、う、うん……!」

「あ……ごめん。興奮しちゃって」


 不思議なものだ。

 蜜夢レンには人を前のめりかつ早口にさせる謎の力でもあるのだろうか。

 つねにクールな楽浄奏その人さえも。


「ううん。本当に好きなんだね」

「うん、好き。フォーチューブで見つけた時から、ずっと好き」


 天音響は、楽浄奏が腕に下げている紙袋に気が付いた。

 中には黒と白のレースが見えている。それは更衣室から出てくる男女が身に着けている下着と同じ色だ。


「……楽浄さん、それ」

「あ、これは……」


 今更のように、楽浄奏は紙袋を背後に隠した。

 しかしすでに天音響が中身に感づいていることを察して、気まずそうに笑う。


「うん、着ようかなって思ったんだけど……」


 楽浄奏はうつむいた。

 そして――。


「……やめとこうかな」


 と、蚊の鳴くような声で言う。

 天音響はふと、図書館でのやり取りを思い出した。

 下着屋に行くと言っていた楽浄奏は、これを買いに行っていたのではないか。


「下着屋って……もしかして、それ?」

「ん……うん、まあ」

「じゃ、じゃあ着なきゃだめだよ楽浄さん! わざわざ買いに行くほど楽しみにしてたのに!」

「でも……やっぱりちょっと恥ずかしいし……」


 それは、クラスメイトの前だから――ということだろうか。

 ならば、天音響がとる行動は一つだ。


「お……俺、急に用事を思い出したよ楽浄さん! というわけで、俺、もう帰るから!」

「嘘が下手すぎるよ天音君」


 秒で見抜かれて、逆に気まずい天音響である。


「お……俺はいいんだ、楽浄さん! ライブはまたあるし、いつでも来られるし、昔からのファンの楽浄さんがにわかの俺に遠慮する必要なんて、全然……!」


 言いながら、天音響は走り出すような勢いで楽浄奏の横をすり抜けた。

 だがそのズボンをがっちりと掴んで引き留められ、天音響は足を止め、自分の肩越しに楽浄奏の様子をうかがう。


「ら、楽浄さん?」

「ファンに、古参もにわかもないよ、天音君。ごめん、気をつかせちゃって。天音君は関係ないの。ただ、私にちょっと勇気がなくて……」


 私ね、と楽浄奏は続けた。


「私、半そでの服を一着ももっていないの。スカートも制服だけ」

「え、そうなの?」

「家がちょっと厳しくて……女子がみだりに肌を見せるのは……ダメだって」


 天音響は眉尻を下げた。


「それはちょっと……いくらなんでも、過干渉なんじゃ……」


 楽浄奏はあいまいに微笑んだ。


「天音家の不干渉にくらべたら、そうかも。でも、私はまだ、親に服を買ってもらう高校生だから……」


 自分の着る服を、自由には選べない。

 程度の差はあれど、どこの家庭もそんなものだ。

 けれど少しだけ、高校生にも大人に抵抗できるすべがある。


「バイトは?」


 天音響の問いに、楽浄奏は微笑んだ。

 しぃ、と唇に指を充てる。

 天音響は、それで少しだけほっとした。


「私はズボンも嫌いじゃないし、それで家族が安心なら、ありかなって思ってる。バイト代があっても、スカートやキャミソールを買って着ようとは今まで一度も思わなかった」

「楽浄さん……」

「でも……だから……今日は試しにって……思ったけど、やっぱり少し怖くて。天音君に会ってほっとした。下着姿にならない言い訳ができるって。――でも、天音君は……私がこれを着ても」


 楽浄奏は震えていた。


「クラスで言いふらしたり、いやらしい目で見たり……しないよね」


 そう問う声は、消え入りそうなほど弱々しい。

 天音響は知っている。

 学校で「いやらしいやつ」という烙印を押される恐ろしさを。


「い、言いふらしたりしないよ! それは絶対だ! ――でも……!」


 天音響はうつむいた。


「ごめん、たぶん……見たらいやらしい気持ちには……なると思う……」


 背後で、天音響のズボンを掴む楽浄奏の手に力がこもる。


「正直だね、天音君」

「ご、ごめん楽浄さん……! あの……だからその……も、もう行くね! 今日の事は忘れるから! 記憶から消すから! 知り合いにそういうの得意な人がいるから!」

「天音君」


 楽浄奏は天音響の腕をつかんだ。


「私、こう思うの。それをやたらと表に出しさえしなければ、いやらしい気持ちになるのは自由だって。むっつりスケベって、悪口みたいに言われるけど、とっても誠実なことだと思う」

「えっ……!?」

「だからもし……天音君が嫌じゃなくて……私の体を見て、バカにしたり、胸のサイズがどうとか、ホクロがなんだとか、傷がどうとか言わないなら……条件ばっかり付けて傲慢だって思わないなら……」


 天音響はおそるおそる、からだごと楽浄奏に振り向いた。

 こんなに小さな女の子だったのだなと、ふと気づく。

 いつも自信に満ち溢れた楽浄奏らしからぬ、未知の恐怖に震えるようなその表情に、天音響は落ち着かない気持ちになった。

 安心させてあげたいのに、どんな態度でいるのが正解なのか分からない。

 けれども、せめて。


「着替えてくるから……待っててくれる?」

「も、もちろんだよ楽浄さん! 何があっても俺はここから離れない!」


 一切の躊躇なく、ほとんど楽浄奏の問いにかぶせるようにして答えた。

 正解は分からないけれど、誠実に対応することだけは得意な天音響である。

 ありがとう、と楽浄奏は呟き、ばたばたと更衣室に駆け込んでいく。


 天音響はふと、視線を感じて周囲を見回した。

 天音響と楽浄奏に注目して固まっていた人々が、さっと視線をそらして何事もなかったかのように歩き去っていく。


 ――いや、お前らは俺に注目するのかよ!


 内心突っ込みたかったが、セキュリティにつまみ出されるのはごめんである。

 そのとき、ばちっとセキュリティと目があった。

 ぐっと親指を立てられる。


「がんばれ彼氏」


 唇がそう動いた。

 違う、誤解だ、楽浄さんと俺とは断じてそんな関係じゃない! 楽浄さんに失礼だ! あとレンさんにも失礼な気がする!

 そう叫びたかったが、叫ばないだけの自制心はある天音響である。


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