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楽浄奏の開示

 翌朝。

 日曜日であるが、当然天音響にはバイトがある。

 大口の仕事を得たからといって、突然今までのバイトをすべてやめるというわけには、さすがにいかない天音響である。


 幸いにもバイトは午後の早くに終わったので、その足で水道橋を目指した。

 午後六時開演で、開場はその一時間半前。グッズ販売はさらにその一時間前からだと、チケットの裏に書いてある。


 グッズはペンライトやうちわやブロマイドが一般的だ。天音響はイベント設営や販売スタッフのバイトの常連である。

 アイドルにさほど興味がない天音響だが、内情は何となくわかっているつもりだ。


 珍妙なグッズ販売もまま存在し、天音響が一番「やべぇな」と思ったのは「アイドルの衣装と同じ素材」という触れ込みで、カットされたカラーセロファンが千五百円で売られていた時だ。

 ちなみに五人組のユニットだったので五色用意されており、ファンはそれぞれの推しカラーのセロファンを買っていた。しかも炎天下のなか三時間超えの待機列に並んでだ。

 そのグッズは完売し、のちにSNSで炎上していた。

 いらないけれども、推しのためには購入したいというファン心理というやつだろう。


「あ、水買っておこ――ん?」


 自販機を探してぐるりと見渡すと、一台のみやけにビビッドなカラーの販売機があり、それに長蛇の列ができている。

 イベント限定のドリンクを販売しているらしい。


「蜜夢レン直搾りサキュバスミルク……?」


 天音響は困惑した。

 どういう意味だ? 蜜夢レンが牧場で絞ってきたミルクという設定か?

 蜜夢レンのお墨付き的な商品名か?

 夢魔は牛乳好きだと、確かに機能蜜夢も言っていた。


「レンレンのミルク……優しい味がする……」


 買った瓶入り牛乳をさっそく飲み干し、しみじみと呟く限界蜜夢レンオタクのような男の姿に、天音響は戦慄した。


 よもや。

 蜜夢レンは。

 母乳が出る設定……なのか……!?


「やばい……! 夢に見そう……!」


 天音響は青ざめ、慌ててその場を離脱した。

 これだけは絶対に夢に見るわけにはいかない。

 翌朝蜜夢レンにホットミルクなんて出されて「ボクのミルク美味しい?」などと聞かれたら、天音響の命はそこで終わりを迎えるだろう。


 毎夜蜜夢レンに夢で搾り取られる状況にあっても、自分が真面目一徹の清廉潔白な青少年である自負は捨てていない天音響である。

 時間に正確な天音響は待機列に並び、開場と同時に無事入場を果たした。


「イベント内での撮影は一切禁止でーす! 蜜夢レンと衣装を合わせるお客様は、会場内更衣室を利用するか、入場後まで上着等のご着用をお願いいたしまーす!」


 スタッフが叫んでいる。

 イベントにはアイドルと同じ衣装を着てくる女性客は少なくない。

 蜜夢レンのイベントにおいて、どうやらそれは推奨され、更衣室まで用意されているようだった。

 女子更衣室の周囲では、すでに下着姿のファンがひしめいている。

 ちゃんと着替えてから出てきたまえと叫びたいところだが、今日の蜜夢レンの衣装が下着以外の何物でもないので「合わせ」をしてきている彼女たちに文句も言えない。


 驚くべきは男子更衣室だ。

 女性客と同じく、蜜夢レンと衣装を合わせている者が少なくない。

 ムダ毛の処理も完璧だ。


「『リリーのすべて』みたいだな……」


 思わずしげしげと眺めてしまう。

 女子の方は見られないが、男の方ならば見ても問題ないだろう。おい嘘だろあの大男、この前のアメフト命じゃねーかよくその下着のサイズ存在したな。

 そんな天音響の両眼を、背後からばっと覆う者がある。


「へ!? なに!? なんだ!?」

「動くな。両手を頭の後ろに組んで、ゆっくりとこちらを向け」

「――楽浄さん!?」


 天音響は吃愕した。


「図書館ぶりだね、天音君」

「え、あ……でも……なんでここに」

「ファンだから」

「レンさんの!?」

「レンレンをレンさんって呼ぶファンは初めて見たよ、天音君」

「あ、決まった愛称とかあるんだ……」

「まだバンカー1年目って感じ?」

「バンカー?」

「レンレンのファンのこと」

「由来は」

「精子バンク」

「くそ……! 聞かなきゃよかった……!」


 わからない世界だ。

 天音響は露骨な表現にめまいを覚える。


「まあ、一年目どころか、まだライブは二回目なんだ」


 あぁ、と楽浄奏はうなづいた。


「だから魔界の禁忌にふれちゃったんだね」

「魔界の禁忌?」

「他のファンをじろじろ見る事」


 天音響ははっとした。


「あ……あれって見ちゃダメだったのか……」

「天音君が下着姿になったとしても、じろじろ見られたくはないでしょ?」

「……確かに」

「普通の服を着てる男子に、下着姿の自分が内心笑われてるかもって思ったら、安心して自分を解き放てない。だから着替える気配のない人が更衣室の近くに突っ立ってると、セキュリティに声をかけられて、誰とも待ち合わせしてるわけじゃないと分かると追い出されるの」

「え、厳しいね……」


 天音響は目を丸くした。

 しかし確かに、誰と待ち合わせしているわけでもない客が更衣室を観察していたら、普通に考えて不審者であるし、自分が逆の立場だったら落ち着かない。


「レンレン以外の露出が見たいなら、ここ以外のどこかに行くべきっていうのが公式の見解。サキュバスなんてコンセプトでアイドルやってたら、絶対に悪戯やいやがらせ目的の客もやってくる。運営は私たちのために、とてもとても気を使ってくれてるの。私たちがちゃんとこの世界で夢を見られるように」


 なるほどなぁ、と天音響は感心する。

 超小型カメラなどで撮影されたらおしまいのような気もするが、そこは夢魔が運営しているイベントである。何か超自然的なパワーが働いて電子機器は破壊される仕掛けなどがあるかもしれない。

 はたと、天音響は顔を上げる。


「――あ! だから楽浄さんは夢魔に詳しかったのか!」

「……そう。天音君が夢魔を調べてたのと同じ理由」


 今まで凛として蜜夢レンについて語っていた楽浄奏は、少しはにかんだように笑った。


「……あれ? でも、楽浄さん。レンさんのファンってこと、秘密にしてたんじゃ……」


 どんなアイドルのファンなのかと聞いたとき、楽浄奏はたしかに「秘密」と言っていた。

 では、自分から天音響に声をかけたのは完全に悪手ではないのか。

 不安に思って問うと、楽浄奏はさらりと言った。


「そうだね。でも、セキュリティが天音君に声をかけそうだったから」

「じゃあ、助けてくれたってこと!?」

「まあ、そう」

「ありがとう、楽浄さん。追い出されなくて助かったよ」


 蜜夢レンにライブの感想を聞かれたとき、不審者扱いで追い出されましたなどと答える未来を回避できたことに、天音響は心から感謝した。

 ふと、楽浄奏の表情が和らぐ。


「――よかった。天音君、学校ではレンレンに批判的だったから、あら探しのために来てるんだったらどうしようって思ってた」

「そ、そんな卑劣な事はしないよ! 確かに、批判はしてたけど……」

「うん。天音君はそんなことしないよね。だから助けたの。でも、どうして急に?」

「うぐ……!」


 助けてもらった手前、「秘密」の一言でかわすのも不誠実なように感じる。

 けれどもまさか、蜜夢レンと契約してルームシェア生活を始めたなどと答えられるはずもない。その理由が「常識外れにエロい夢を見るから」などと知れたら、楽浄奏は二度と天音響を助けようなどとは思うまい。

 だからといって、嘘をつくのは――。


 沈黙。

 長い沈黙。


 天音響は意を決した。


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