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天音響の業務

 コーヒーを飲み切ると、蜜夢レンがおかわりを注いでくれた。

 ブラックコーヒーだ。

 少し味を変えたい気がして、牛乳を注いでカフェオレにしてもらう。

 ほのかな甘みにほっとしたところで、蜜夢レンは再び口をひらいた。


「距離感って難しいよね。ボクもすぐ近づきすぎちゃって、時々嫌がられたりするし」

「ああ……でしょうね」

「だからね、できるだけ最初は、一歩か二歩くらい離れて話すことにしてるんだ。ボディタッチも禁止! 人によってオッケーなラインって全然違うし、おっぱい見られるのが平気な人でも、足は見られたくない人とかいるし」


 蜜夢レンは腿を胸に引き寄せ、きゅっと引き締まったふくらはぎを肩の高さまで上げて見せる。


「やわらかいですね……」

「おっぱいが?」

「体が! ですよ!」

「でしょ~。結構自慢」


 蜜夢レンは、自分の足に頬をすりよせる。


「コンプレックスって人それぞれじゃん? だから仲良くなって、お互いの事をよく知って、何が嫌で何がオッケーかちゃんと分かるまで、人のプライベートな部分に踏み込まないように気を付ける。――天音君のそういう慎重で、繊細で、優しいところ。すっごく美味しそう」

「お、〝美味しい〟って言わない約束は……!」

「えー! 〝美味しそう〟もダメ? ダメなの?」

「ダメです! レンさんの〝美味しそう〟って〝エロい夢見そう〟って意味じゃないですか! 普通にセクハラですよ!」


 そっかぁ、と蜜夢レンは足を下ろして肩を落とす。


「天音君にとっては、美味しそうなのがコンプレックスなんだね」

「コンプレックスと言うか……制御できないのが嫌なんです。時々見るなら、思春期の男子として普通かなって納得できるんですけど、ネットで調べても毎晩見るなんて性欲が強すぎるって感じの扱いだし……」


 こんな話、初めて他人に打ち明けた。

 天音響の家には現在両親がおらず、当然クラスメイトに話せるようなことではない。


「自分じゃどうにもできない事って、嫌だよね。ボクもおんなじ。人のプライベートな部分に踏み込んで、人の大事な秘密を食べなきゃ生きられないのがコンプレックス。すごくすごく嫌で、餓死してもいいやって思ってた。ボクもちょっと思春期でさ」


 ペロリと舌を出して、おそろいだね、と蜜夢レンは笑った。

 おそろいなのだろうか、と天音響は考える。

 性的な夢を見てしまうことにコンプレックスを抱く天音響と、性的な夢を食わなければ生きられないことにコンプレックスを抱く蜜夢レン。

 一見、水と油のように相性が悪い。


「でも、こんなボクを必要としてくれるファンができて、コンプレックスもちょっと軽くなったんだ。誰にも向けられないえっちな気持ちを、ボクに向けて救われるなら、ボクは嬉しいし、自由に息ができると思う」


 天音響ははっとした。

 

「俺も……その……ちょっと救われた感じします。こんな夢……誰にも話せないし、迷惑をかけてるわけじゃないけど、でもなんだか罪悪感があって……俺の夢なんかで誰かの役に立てると思うと、本当に……」


 自由に息ができる。

 蜜夢レンの言葉はしっくりと天音響の心のしみ渡る。

 コーヒーに注いだ牛乳のようだ。強い苦みが、溶けてまざってまろやかになる。


「レンさんは強いんですね……コンプレックスを克服する道を探して、見つけて、進んでる……」

「えー? そんな褒めちゃう? もっと褒めて~! ボク褒められるのちょー好き」

「レンさんはすごい。尊敬します。新時代の牽引者。閉塞した世界の救世主」

「ごめん、褒めすぎは萎えるね」


 すん、と蜜夢レンのテンションが瞬く間に下がる。


「あ、でもやっぱり嫌なことはあるよけっこう! 羽や尻尾を勝手に触るのは本当にやめてほしい! おっぱいじゃなければ触っていいと思ってる人多すぎ!」


 天音響今朝の夢を思い出し、真っ赤になった。


「いや、あの……あの夢は……その……」

「夢はオッケーだよ! っていうか夢なら何してもオッケーだし。でも、初めて会ったときに尻尾をつっつかれたのは、急におちんちんぎゅってされたみたいな気分だった」

「そのせつは本当に、大変失礼なことを……!」


 自分に置き換えて考えて、天音響はキッチンに頭を打ち付けた。

 初対面で急に下半身をぎゅっとされた経験など一度もないが、度が過ぎた無礼であることだけはよくわかる。


「ちょー敏感な感覚器官だから、怪我しちゃうと大変なんだよね。だから布とかで覆っちゃいたいんだけど、そうするとなんかゴソゴソして、上手く歩けなくなっちゃうし! めっちゃ不便!」

「首を固定されたハトみたいですね」

「くるっぽー」


 蜜夢レンは死ぬほど完璧な声帯模写でハトの鳴きまねをして見せた。

 思わず天音響は拍手を贈る。


「ほんとに、人間と違う生き物なんですね……まだちょっと半信半疑ですけど」

「わかる~ボクもちょっとよくわかんないし」

「自分のことなのに!?」

「小さい頃はパパに騙されてるんじゃないかって思うときもあったよ。ママは普通の人間なんだけど、夢魔の子供は必ず夢魔になるんだ。だからボクも完全な夢魔」

「なんか……大変そうってことだけは、ちょっと想像できますね」


 天音響は想像を巡らせる。

 おそらくだが、この世界では普通の人間が圧倒的多数をしめる。

 そんな世の中で、母親は普通の人間で、父は夢魔――自分も完全な夢魔だとして、幼い蜜夢レンの心はどこに帰属意識を持ったのだろう。

 多くの場合、子は生まれる前から共にあった母に対して共感を求める。だが蜜夢レンは、母とまったく異なる種族としてこの世に生を受けたのだ。


「やだったなぁ……ママとボクは違うんだって認めるの。ママと同じもの食べて、お腹は全然いっぱいにならないのに、もう食べられないって言ったりして……」

「――だからレンさんも、人の精気を食べるのを嫌がってたんですか?」

「わかんないけど、ちょっとあるかも。結局さ、パパとママは離婚しちゃったんだ。パパはママの精気を食べるだけじゃ全然足りなくて、ママはそれをすごく気にしてた。結婚した相手の精気だけで生きられる夢魔もいるらしいんだけど、パパって長生きで夢魔としての血が濃いから、すんごい燃費悪くて」

「そんな古のスポーツカーみたいな……」


 天音響は、社長が乗り回しているいかにも燃費の悪そうな車を思い出した。

 あれは同類相哀れむような感じなのかもしれない。


 けれども。


「それって、結婚前からわかってたことじゃないですか。覚悟して結婚したはずなのに、急に耐えられなくなって離婚するなんて……」


 しかも、子供であるレンを捨てて、だ。


「あ、違う違う」


 蜜夢レンは慌てて言った。


「パパが悪いんだ。〝平気だ〟って嘘ついて、ママ以外の夢を食べようとしなかった。本当は全然足りてないのに。パパはどんどん弱っていって……ボクが十歳のとき、ママはパパのために離婚したの。だからボクは時々ママと会ってるよ。パパは全裸ポスター系のモデルとかやってるんだけど、それでファンを増やして食事量が安定したら、またママと結婚する計画みたい。ママは微妙に嫌がってるけどね」


 天音響はきゅっと目頭を押さえた。


「どうしたの?」

「いや、感動して」

「天音君の感動ポイントって変わってるねぇ」

「どう考えてもドチャシコよりはまともだと思いますけど」

「夢魔はみんなあれで泣くのになぁ!」


 蜜夢レンははたと時計を見る。


「あ、そろそろ出かけなきゃ!!」

「へ? でもさっき、打ち合わせから帰ってきたって……」

「そそそ。天音君といちゃつくために中抜けしてきた」

「レンさん!?」

「なにせ明日ライブなもんで」

「何考えてるんですか俺になんかいつだって会えるでしょう!?」


 天音響は自分という存在が蜜夢レンに与えた損失を考えて縮み上がった。

 ――仕事といえば、だ。


「――そういえば」

「うん?」

「契約書に書いてありましたよね。俺はレンさんの業務を手伝うって。具体的には何をすればいいのか……」

「なーんもしなくていいよ」


 蜜夢レンはにっこりと微笑んだ。


「それは〝何もしないをする〟……とかいう、少年漫画的な?」

「ううん。健全な高校生として、ふつーに生活するのがお仕事って感じ。あ、そうだ! それで思い出した!」


 蜜夢レンは立ち上がり、ばたばたと部屋に駆け込んだ。

 戻ってきたその手には、ライブのチケットが握られている。


「これ、明日のボクのライブ! 水道橋でやるから見に来てね! それが仕事ね!」

「それ、じゃただのお客さんじゃないですか!」

「え~? 別にそれでよくない? 契約書なんて形だけだよ。天音君は高校生なんだよ? 平日は授業があるし、土日だって友達と遊んだりしたいでしょ? 受験勉強もあるし」

「いや、しかし五十万もいただくわけですし……」

「いいからいいから。ボクの可愛い姿を見るのも、天音君の大事な仕事なんだから。契約しても、ボクは天音君の枕元には立たないんだから、天音君がボクをいっぱい好きになって、自主的にボクの夢を見てくれないと。ね?」

「ですけど……」

「あ、ボク今夜はホテルに泊まるから、天音君一人でゆっくりしててね! ボクの写真集本棚にたくさんあるから、寂しかったらそれ見てて!」


 直後にかかってきた電話に蜜夢レンは飛び上がり、ハンズフリー通話で「今行くから待ってぇ~」とばたばたマンションを飛び出していく。

 残された天音響はぽつねんと立ち尽くし、


「……ライブってテレビカメラとかくるのかな……」


 と、別世界の出来事のように呟いた。


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