蜜夢レンの生態
「いいですからそういうの! 言及しなくていいですから!」
「ボクね、食事には感謝の気持ちを示さなきゃって思ってて」
「大変立派な心掛けですけど俺には示さなくていい!」
天音響が声を荒げると、蜜夢レンは楽しげに笑って「天音君が怒った~」とクラスメイトのようなことを言う。
「でもよかったぁ。天音君の夢に出てくるボクが、その本みたいにモンスターっぽくなってなくて」
「だから言ったじゃないですか……」
「でも、夢って無意識がすごく影響するものだからさ。天音君があの本を読んだ直後でも、ちゃんとボクの夢を見てくれたの、すごい嬉しい」
にへら、と笑う蜜夢レンの笑顔には、ある種の暴力的な破壊力がある。
レンさんはレンさんですから、と天音響はもごもご答えることしかできなかった。
それにしても、あの夢の内容は――というか、ここ数日見る夢の内容すべてに共通する話だが。
「あの……レンさん。俺の夢、なんか変じゃないですか?」
「え、うん」
「やっぱり!」
「度を越して美味しい。さいこう。もうどうにでもして」
「レンさん俺ちょっと真面目に相談してます」
蜜夢レンはきょとんとして、天音響を見返した。
「何か悩んでるの?」
「だから……その……夢の内容が……マゾっぽいというか……」
あぁ、と蜜夢レンは明るく笑った。
「もー、天音君てば可愛いなぁ。経験がないからリードしてほしいって思うのは普通の事だよ!」
「でも、俺は男なのに……あんな……」
「男も女も関係ないない。経験がないうちは、誰だって優しくエスコートしてもらって、安心して気持ちよくなりたいものだよ。天音君がボクにムチでビシバシされてる夢見たら、さすがにマゾだと思うけど。あ、コーヒー飲む?」
「いただきます……」
「ミルク? 砂糖?」
「ブラックで」
「え~おっとな~!」
自分より明らかに大人な相手に言われると、やや馬鹿にされた気分になるセリフ筆頭である。
「……というか、夢魔も普通に飲んだり食べたりするんですね」
「ん。栄養にはならないけどね」
蜜夢レンはそう言って、ドリップしたばかりのコーヒーに、同量の温めたミルクをとくとく注ぐ。
蜜夢レンは天音響用のカップをアイランドキッチン併設のカウンターテーブルに置いて、自分はキッチンの椅子に腰を下ろした。
キッチンを挟んで、天音響と蜜夢レンは向かい合う。
「夢魔のこと、ボクに直接聞く気になった?」
「まあ、その……あの本はちょっと、違うかなって……」
「でしょー!? だってさぁ、枕もとに牛乳置いとくと、サキュバスが精液と間違えて持っていくとか書いてあるんだよ、あの本! 間違えてるわけじゃなくて、牛乳が好きなだけだからね!?」
「あ、牛乳は好きなんですね」
「牛にかぎらず、おっぱいは基本的にみんなすきだよ。ヤギの乳でも人間のでも」
「想像したくなかったそんなマニアックなプレイしてる社長を……!」
「なんでパパで想像しちゃったの天音君」
蜜夢レンは爆笑し、天音響は嘆いた。
母乳プレイに興じる異次元級美形の存在は、想像だけで精神崩壊を引き起こしうる。
「ちょっと精力摂取できるんだよね」
「へぇー……だから牛乳がおいてあると、人間の方は見逃してあげてたんですか?」
「昔はそうだったってパパが言ってた。ほら、昔は牛乳ってそこそこ高級品だったから。冷蔵庫ないから日持ちはしないし、今みたいに安定供給されてたわけでもないし」
「あぁ、そうか……時代背景」
「ね、でしょ? 定期的に牛乳くれるなら、まあ精力搾り取って殺して次の獲物探さなきゃいけないより、ある意味お得かなって判断する夢魔もわりと居たみたい」
「ああ、なるほど……」
ふむ、と天音響は頷く。
「やっぱり、夢魔のことは夢魔本人に聞くのがいい気がしてきました」
「でしょー!? ね! だよねー? じゃあ今日はたくさんおしゃべりしようね、天音君」
そう言って蜜夢レンは、コーヒーカップを傾ける天音響をニコニコと眺めた。
「なんですか……?」
「おいしいかなーって」
「お、おいしいですけど……」
「ふふふ。でも残念でした~! 天音君の方がずっとずーっと美味しいでーす!」
「ぶふっげほ……ッ! ちょ、やめ……セクハラですよ!」
天音響は口をつけかけたコーヒーを噴き出した。
すると蜜夢レンが体を乗り出し、さっとハンカチで天音響の口元をぬぐってくれる。
「天音君は、美味しいって言われるの嫌?」
「嫌と言うか普通に嫌です」
「そっかぁ。日本人ってエッチなの嫌がる人多いもんね。天音君が嫌なら、もう言わない」
蜜夢レンはふへへと笑う。
意外に思って、天音響はぽつりと言った。
「……押し付けないんですね」
「押し付ける? このくらい我慢しなきゃ、社会じゃやっていけないぞーって?」
「そんな感じで」
「言わないよぉ」
蜜夢レンは仰け反るようにして言った。
「そもそもこの状況だって、ボクがほとんど無理やり押し付けちゃってるわけだし。世界はめちゃめちゃに広いんだから、どんな感じでも生きていける社会はあるもん。ほら、ボクがその生き証人!」
「あぁ……でしたね」
蜜夢レンは湯気を上げるカフェオレをぺろりと舐める。
「ボクね、最初は動画サイトでやってたの」
「え! フォーチューバー?」
「うん。このままじゃ死ぬぞってパパに言われて、でもどうしても契約者を決められなくて……その時、動画サイトで歌って踊ってるエロカワ系地下アイドルに、コメントがついてるのを見たんだ。そのコメントがボクの始まり」
「へぇ……どんなコメントですか?」
「どちゃしこ抜いた」
「最低だよ台無しだよ! ちょっといい話っぽい空気出てたの返してくれよ!」
「なんでよぉ! いい話じゃん! がんばってシコリティ高い衣装とダンスで魅せてる地下アイドルだよ!? 努力が報われた瞬間じゃん!」
「なんだよシコリティって! 本気で感動させるつもりで話したんですか!? ミリも涙腺に響きませんでしたよ夢魔業界はそれで感動できるの!?」
「夢魔は映画のえっちなシーンではお腹が鳴る生き物なの!」
「グルメシーン扱い!?」
「レンタルショップの十八禁エリアなんて、大人にのみ閲覧を許された特選グルメセレクションだよ!」
「えっ……レ、レンさん見るんですか……!? 十八禁……!」
「そりゃあ見るよ。十八歳だし。人間の女の子だってパンケーキの写真見るでしょ?」
「パンケーキの写真とAVのパッケージ写真を一緒にしたら、インスタ女子が怒り狂いますよ……!」
「天音君、まだ十六歳なのにどんなパッケージか想像つくんだ」
天音響は気難しげに眼鏡をぐいと押し上げた。
「ゾーニングなんて幻です。ありとあらゆる方法で目に飛び込んでくるんですよ」
ネットで気になるニュースの記事を渡り歩いていたら、偶然目に飛び込んでくることもあれば、バイトの事務所に無造作に放置されていることもある。
同級生がそっとよってきて「天音君、こういう清純ビッチ系のどう?」囁くこともある。
苦々しい思い出が次々に去来し、天音響は乱暴に息を吐いた。
「まあ、つまりレンさんから見たら、俺はいけすの魚と同じ扱いってことですよね……」
「って思うじゃん? それがさ~、微妙にそうでもないんだよね。だって夢魔は人間と子供作るんだし」
「あ、そうか……! で、ですよね。父親がいるってことは、夢魔も結婚するんですもんね……!」
ということは、夢魔も人間と恋をするのか。
食欲の対象である人間と。
なんだか妙な気分である。
「そうそう。だから〝食べちゃいたいくらい好き〟って言葉、夢魔由来だと思うな~」
「食欲と性欲がないまぜになっている……じゃあ、知らない人に勝手に体をさわられたりするのって、やっぱり嫌なんですね。人間の女の人と同じで」
「うーん、そこはわりとそうでもないんだよね。だってボクの体に触った人は、その日すごーく高い確率でボクの夢見てくれるし。罠にかかった獲物って感じ」
捕食者の目である。
「それに、ボクがその気になったら、ボクに無理矢理ひどいことしようとする人なんて、あっという間に夢の中だもん」
「あぁ、強制的に寝かせるとかできるんですね」
「そ! だから昔は、自分が寝てるってことにも気づかないまま、夢の中で死んでく人もいたんだって――怖い?」
「ちびりそうです」
「え、ごめん! ガチで怖がらせるつもりじゃなかったんだけど……!」
天音響が素直に答えると、蜜夢レンは慌てたようにキッチンに身を乗り出した。
すると豊満な乳房が、キッチンと体の間で押しつぶされて、むにむにと新世界の生物のように形を変える。
――あんなに柔らかいのか。
思わずそこに目が行った。
そして、蜜夢レンはそれを目ざとく観察している。
「天音君、おっぱい好きだよね」
「わぁあああ! すみませんすみません見るつもりでは!」
「いいよぉ、見ても。ボクのハンティングツールみたいなものなんだし。ほーらおっぱいだよ~やわらかいよ~」
蜜夢レンは自分の乳房を左右から寄せ上げて、ただでさえ豊満な乳房の間に殺人的な谷間を作ってみせる。
「だ、だめです! やめてください! 俺はそんなの見たくない……!」
「人の体を〝そんなの〟ってひどくない!?」
蜜夢レンは唇をとがらせ、胸を寄せていた手をぱっと放す。
すると重力に引っ張られた乳房は目をそらしがたい大胆さで揺れ、その奔放さたるや蜜夢レンの心根を表しているようだ。
「……天音君?」
「見てない! 見てないです! 全然見てない!」
再度凝視してしまった天音響は、今度こそ蜜夢レンに完全に背を向けて叫んだ。
蜜夢レンの楽しげな笑い声がキッチンに響く。
両目を抉り出してしまいたい。
あまりに逆らえぬ乳房の魔力。
これは夢魔の特殊な能力ではないのか。あるいは母性への執着か。
「天音君は優しいんだね。見られたくないって女の子の気持ち、よく考えてるんだ」
哲学の迷路に入り込みそうになった天音響を、蜜夢レンの声が引き戻した。
見たいという欲求に負けてしまった自分に向けられる言葉としては度が過ぎる。
天音響は完全に下を向いたまま、
「そ、そんなに深く考えてるわけじゃないですけど……」
と答えることが精いっぱいだった。




