第8話「誰かの携帯、未知との遭遇」
3月26日(日曜日)
東京都渋谷区
外見:緑川 湊
中身:紫苑寺 咲
遠くに行っていたような、なんだか気持ちの良い懐かしさを感じました。
(夢に出ていたあの女の子は誰だったんだろう?)
見ていた夢を思い出していました。同時に、いつもより居心地が悪いベッドに入院していたことを思い出します。
しかし、眼を開くと見覚えのない真っ白い天井が広がっています。見覚えがないとはいえ、それは病院の天井とも違いました。全く知らない場所です。
上体を起こすと身体に違和感があります。いつもは身体を動かすのでさえ、とても労力を使うのですが、とても身体が軽いのです。こんなに身体が軽く感じたのはとても小さい頃以来ではないでしょうか?
それに、呼吸がするたびに肺の大きさに驚きます。一日入院しただけでこんなにも身体が変わる物なのでしょうか。
枕元に、スマートフォンが置いてありました。私は、機械に疎いのでこういった最新機器はあまり分からないのですが、みーちゃんが持っている携帯と同じ機種だったので少し安心します。
前にみーちゃんに貸してもらったことがあったので動かし方を少しですが、知っていました。
AM9:49とデジタルで時刻が表示された画面をすらいどさせます。しかし、携帯が暗証番号を要求してきます。もちろん私は、この携帯に見覚えがないのでこの携帯の暗証番号はわかりません。ですが、みーちゃんにもうひとつロックの解除方法を教えてもらっていました。その方法を試すことにします。
親指を画面の下にある丸いボタンに触れると解除されました。それが、この携帯が私の為に用意された、私のものだと確信させました。
解除された画面にはいろんな色をした小さな正方形が規則正しく並んでいます。私が小さい頃、みーちゃん家で食べたミックス餅という駄菓子に似ていました。私が始めて食べた駄菓子で思い出の味です。
青い背景に手紙のマーク
青いアイコンに白い鳥のマーク
緑に白の字の書かれたアイコン
動画を視聴するための赤い再生ボタン
よく見れば、みーちゃんに教えてもらった知っているアプリがいくつか入っていました。この青いアイコンに白い鳥の描かれたアプリは、確かついっちーというものだった気がします。
開けばいくつかのアイコンによって様々な『ついーと』をしていました。それらのアイコンはこの世界の誰かが操作しているらしいのですが、表示されている中に私の知っている方はいらっしゃいません。
しかし、どの方も春休みの話をしていて、私と同い年くらいの様です。
ここにきて私はこの携帯が自分の為に用意されたものではなく、もともと誰かの持ち物なのではないかと疑いました。
案の定、ホームには知らない方の名前でアカウントがありました。『緑川湊』さんという名前でした。 この名前の下に@で始まる羅列にはローマ字でMinatoGRと読める部分があります。湊をミナトと読むことがわかりました。緑川の読み方はミドリカワでたぶん合っていると思います。
(GR……ミドリカワ。あ、英語の頭文字かな?)
アカウントのプロフィールに高1と書いてあるので、この方も私と同じ代だとわかりました。ですが、私は普段、女子高に通っているので同級生の男の子と接点がないので男子高校生とは未知との遭遇です。
画面を眺めていると、なにやら前髪がやけに目にかかるのでカメラアプリを起動して髪を整えようと考えました。部屋を見回しても鏡が見当たらないので仕方ありません。
私は、自撮りとかしないタイプなので少し気恥ずかしい思いで、カメラのアイコンをタッチします。スマートフォンはアプリがアイコンで直感的に分かるのが救いです。機械に疎い私でも起動させて眺めることくらいは出来ます。
しかし、内向きのカメラにした画面に映るそこには見知らぬ顔がこちらを見つめていました。その方と目が合います。少し眠そうな目をぼさぼさしたくせっ毛のある黒い髪が覆いかくそうとしています。一瞬、その人に挨拶しようかと考えましたが、その人は私が瞬きをすれば、瞬きを返してきます。口を動かせば同じように動かします。
私は、この画面に映る顔が、先程の緑川さんのついーとの写真に写る人物と同一人物であることを認めるのに15分もの時間を要しました。
「えぇぇーーなんで!!」
自分でもびっくりするほどの声を出してしまいました。そして、その声はとても低音で私の喉が震えているのが不思議でした。
急に叫んでしまったので誰か来たらどうしようと思い、口に手を当てました。どんなに耳を澄ましても誰か来る気配は感じませんでした。
なぜか急に頭が鮮明になり、この非現実的な事象に焦点が合いつつあります。他に人がいなかったようなので、冷静に考えられて良かった面、この事態に取り組むのは私、一人だけであることを突きつけられたようで落ち着かない気分になりました。この状況で落ちついていられる人間の方が稀でしょうが。
(しかし、どうしようかな・・・・・・)
とりあえず、携帯電話を手に持っていたので自分の携帯に電話してみることにしてみました。自分の電話番号くらいは覚えています。
スマートフォンの使い方はよく分かりませんが、多分この受話器のマークで電話が出来るであろうことは予想できました。
開かれた画面に出てきた、見慣れないキーパッドで電話番号を打ち込みます。
ツーツー
いくら待っても電話がつながることはありませんでした。
しかし、繰り返される冷え切ったアナウンスの声と反比例するかのように高揚感がありました。
考えてみたら私の身体は今、どうなっているのでしょうか?
意識だけがこの身体に飛んでいるのでしょうか?
それとも脳だけが入れ替わってしまったのでしょうか?
様々な考えが頭の中を行ったり来たりしているようでした。
第9話「初めての長所、初めての都会」へ続く