第6話「初めての病院、初めての少女」
3月26日(日曜日)
和歌山県新宮市
外見:紫苑寺 咲
中身:緑川 湊
――――急激に、現実世界に引き戻される感覚。化けの皮をはがされたような精神的な感覚だった。
誰かが俺のことを呼んでいるようだ。
「咲さん、おはようございます。検温するから上体を起こして下さ~い」
なんだ?妙に真っ白い部屋に知らない女がいる。よく見れば女はナース服を着ている。
徐々に頭の中が鮮明になっていく。何か変な夢を見ていた事だけが頭に残っていた。見渡す限りの白い部屋とナース服の女がいた。
(ここはどこかの病院の病室ではないか?)
「あれ、いつのまに入院したんだ?」
驚きのあまり声が出てしまった。しかし、喉がおかしいのか、耳がおかしいのか、声が違う。そして......。
「サキさん?」
ナース服を着ている女が優しく笑う。
「ふふ、昨日から検査入院しているんじゃありませんか、シオンジ サキさん。」
昨日は、買い物に出かけて、そのままの格好でベッドに倒れた所までの記憶はあるが、今はなぜかピンクのレースがついたパジャマになっている。そして、何か身体にも違和感があった。
普段より力が入らない。というより筋肉が普段に比べてなくなっている。看護師さんと思われる女性と会話する余裕がなかった。
端的に焦っているのだ。
「すいません、少しトイレに行かせて下さい」
渡されていた体温計をベッドの横にあったサイドテーブルに置いた。しかし、その手は細くて白い見覚えのない手だった。
病室はすべて揃った個室で、トイレも部屋の中にあった。入院したことがないから、病院の値段について全く知識のない素人目にも相当、高い個室に見える。
(うん、そんなことより......俺、女になってる!?)
トイレの中にあった備え付けの鏡に映し出されたのは、太陽の光さえも反射せんとするほど白い肌。お人形のように整った目鼻立ち。簡単に折れてしまいそうな程、細い手足。そして腰まである麗しい黒髪。そして、視線を落とせば胸には、胸筋ではない柔らかな肉の塊があった。
全くもって状況が飲み込めないが、どうにかこの状況を乗り切らねばならない。とりあえず、この状況を理解しなければならないだろう。しかし、現実か夢か未だに判断つかない。
(この顔、どこかで見たことあるな・・・)
頑張って思い出そうとするが中々、記憶と今、鏡に映し出された顔とが結びつかなかった。
トイレから平静を保ったかのような顔でベッドに戻る。
「この病院って名前なんでしたっけ?」
「あら昨日よりだいぶ砕けた話し方になってくれたわね」
(この身体の持ち主はどんだけ堅い話し方する女なんだよ……)
「ここは、熊野総合病院よ。慌ててきたから忘れちゃった?」
見た目は20代後半くらいに見えるが、話し方がベテランのように落ち着いた話し方の看護師さんだった。
「まだ寝起きで頭がうまく働いていないみたいです」
それらしいことを言って場を取り繕ったが、どうやら何も思われなかったようだ。看護師さんは朝食を置いて出て行ってしまった。今日は検査とかあるようだが、結構ルーズなスケジュールで安心した。立て続けに分からないことが連続したらさすがに保たない。
熊野総合病院という名前と病室から見える外の様子をみるに明らかに東京の景色ではなかった。熊野という地名で思い当たるのは熊野古道とかがある紀伊半島のあたりだろうか。詳しい県はどこか分からないが、その辺りだと考えると一晩で何百キロという距離を越えてこの女子になっていたということか。
そして、この女子が病院に入院しているということはきっと、どこか身体のどこかが悪いのだろう。見た目には分からない。
ただ、そんな身体であまり動き回るのもどうかと思う。それに、見た目が女子だとしても、この格好で動き回るのは恥ずかしかった。女子の年齢は分かりづらいが中学生とか高校生くらいだろう。あまり俺と変わらない年齢のようだと思う。
ふとベッドの脇を見ると名札が付いているではないか。ご丁寧にふりがな付きだった。
(紫苑寺咲か。金持ちっぽい名字だな)
なぜか昔から三文字姓にあこがれがある。何かとかっこいい名字が多いからだろうと勝手に思っているのが原因だ。
さっき程、体温計を置いたサイドテーブルには今時珍しい二つ折り携帯と小さな鞄が置いてあった。
携帯を手に取ってみた。何か手がかりがあるかもしれないという好奇心が、他人の携帯を見てはいけないという罪悪感を打ち消してくれた。今となってはこの携帯は自分の物なのだから別に感じなくても良い罪悪感だ。ならば、少しぐらい身体のあちこちを触っても許されるだろう。自分なのだから。
(ふー)
写真は、同級生と出かけた際に撮ったであろう写真が多かった。校内を写した写真をどれだけみても男が写っていないのを考えるとここらにある女子校に通っているらしかった。
誕生日にホールケーキを持っている写真があった。そのケーキに刺されたロウソクと乗っているチョコのプレートから分かったが、この咲という女は俺と同じ16歳らしい。しかも、誕生日まで同じだった。こんな偶然もあるんだな。
今となっては自分の携帯なのだから見ても許されるだろうと合理化したが、もう一つ重大な問題を思い出した。
病院の中であまり携帯をいじってはいけない。携帯電話の電源を切りながら少し邪な考えをしそうになった。
これはつまり、俺は女性の中、いや人間の人生で最も華のある女子高生になってしまったということか。とても興奮する事態ではある……が、現実離れしすぎていて頭の回転が追いつかない。
リアル女子高生のプリクラ画像も入っていた。カラフルな文字でデコレーションされた画像には咲ともう一人、女子が写っていた。青い字でみーちゃんと書いてあった。しかし、その女子以外と撮ったプリクラ画像はなかった。
最近の女子高生はもっとプリクラとか自撮りとかいっぱいしているのだと勝手に思っていたが、そうでもないのだろうか。それともこの咲という女子が少し世間離れした育ちなのか、判断が付かなかった。
それだけで推し量ろうとするのはあまりにも軽率だろうか?
あまりにも理解出来ない状況に、一般的な基準を持ち出して当てはめて考えてみようとしても一向に答えのでない状況である。
嘘くさい程に白いベッドの上でピンクのパジャマであぐらを掻いた脚に頬杖をついた。これがいつまで続くのか分からない恐怖を追い払おうと頭を振るうといつもはない長い黒髪が頬を叩く。その痛さに驚くとともに薄らと漂うシャンプーの優しい匂いがした。
第7話「知らない家族、知らない友達」へ続く