第47話「信じる心、外れた関節」
和歌山県新宮市
緑川湊
あれから一ヶ月も経たずに咲は死んだ。
身体を戻され、急激な苦痛は咲をより苦しめたと思う。そう思うとどうにかできなかったのかと考えてしまう。
見舞いにも行ったが、一度きりにした。入れ替わっていた時よりさらに細くなった腕が、青白い肌が痛々しかったのだ。咲が死ぬことは決められていた。そんな弱々しい姿を見られたくないようだった。
それに、家族からみたら俺は名前すら知らない赤の他人だ。よくても同級生の一人くらいだろう。
一時ではあるが、家族をしていた人達に向けられた探るような視線は辛いものだった。
それでも、夢のようなあの出来事をすべて忘れてしまわないようあの日から何度も何度もあの出来事を思い返している。
だが今日ばかりは、そのすべてがどうでもいい。
今日は、咲の葬式だ。
神道式で行われる葬式。不慣れながら玉串を回し、遺影の前へ奉った。神道では、死後、その魂は守護してくれる祖先神となるらしい。
それでも若くしてなくなった少女を想い、多くの参列客が目元を押さえている。言葉すくなに想い出を語る人。黙って立ち尽くす老人。葬式というものが分からず、困惑した様子の子ども。色々な人が集まっていた。
その中に一人、前に掲げられた遺影をまっすぐに見つめ、立ち尽くす同い年くらいの女子を見つけた。初めて見る制服姿だった。
「美波」
「緑川くん、あっち…… 」
声をかけた途端、外へ繋がる扉の方を指さして歩いていった。俺は歩く度に、ひらひらと揺れるプリーツのついた裾が揺れる、その後姿に無言のままついていく。
玄関口から続く石畳を外れ、敷地の端に生える木々の木陰へと入った所でその揺れが止まった。
「緑川くん、咲が死んだのは病気のせい? それとも丹鶴姫のせいなの? 」
「正直、わからない。咲の身体が悪かったのは俺が実際に体験したから分かる。だが、それが丹鶴姫のせいで早まったのかどうかは分からない……」
「そう。あともう一つだけ聞かせて。どうして元の身体に戻ることを選んだの? 」
もう一つとは言うが、こっちが本題だろう。握り締められた手がスカートに新たなシワを作っている。
美波にとって、とても大事な友達だった咲。その生死を共にした俺に対しても、回答次第では怒りや軽蔑があるだろうか。
俺は、率直に怖いと思った。でもだからといって真実をごまかし、美波に接するのは不誠実だ。
「あの苦しみの中で最期まで生きる事になる咲には悪いと思った。それに、俺も心配で仕方なかったよ。でも、もう一度、咲に会いたかったから! 」
さっきまでの感情を抑え込んだ様子と違い、美波は今にも飛びかかってきそうな勢いで言った。
「そ、それならどうして!?」
「こうするのが、一番可能性が高いんだっ! 咲の中が俺だと丹鶴姫に身体を乗っ取られて終わる可能性だってある。後継にすらなれない可能性もあった。でも、咲が咲として丹鶴姫になれば、きっとまた会える」
「な、なにを言ってるの? 」
「神道の葬式は守護神となるだけじゃない。社に祀られるんだ。だからきっとあそこにいる。これから、俺はまたあの神社に行こうと思ってる」
「私も行く!」
咲はきっとあの場所で待っている。
俺が神社に初めて行った時、丹鶴姫が境内に現れた。そのとき、丹鶴姫が言ったんだ。信仰によって力を得たと。
美波は、黙って俺の後ろに付いてきた。その無言がありがたくもあるが、恐怖でもあった。
いつか美波と一緒に昇った拝殿までの道のりは、全く違う場所のようだった。
初めて訪れた時の高揚感は、緊張感に変わり、壁のように立ちはだかった階段は、通学に使う最寄り駅の階段と大差ない。
拝殿まで行くのはそう難しく無い。でも、キミが待っていてくれるか、そう考えると拝殿に向かう脚が重くなる。
最後の鳥居が現れると、思わず目を瞑りその敷居を跨いだ。
社を守るうようなうっそうとした木々が風に吹かれ鳴く。
その音が静まっていく中、ゆっくり目を開けていった。
拝殿へと伸びる参道、その中程にキミは居てくれた。
幾重にも重なった着物を纏ったキミが確かに居た。前の丹鶴姫とは明らかに纏う空気が違う。
その姿を見ればキミだと分かる。
「また会えたね、湊くん」
驚きと喜びで固まっていた俺にその新たな丹鶴姫の言葉で固まっていたことに気付いた。
「ああ、良かった。本当に良かった……」
「さ、咲なの……?」
目の前の光景が信じられない様子で頻りに目を擦っていた。
その様子が面白かったようで咲が笑う。
「ふふっ久々に笑ったよみーちゃん」
「咲だ……!!」
咲の笑顔を見た俺も嬉しくてつられるように笑った。
「あ~あ死ぬ前はもう笑えないかと思っていたけど良かった……」
その言葉で、俺は言わなければならないことを思い出す。
「咲、俺の選択が咲を苦しめることになったと思う。ホントにごめん」
「もう過ぎたことだし、私はこうしてまた皆に会えたよ。それに、そんなこと言い出したら巻き込んだ私の方こそ謝らないとだめだよ。ごめんなさい」
俺の方が言い出したことで、もう何度もこの話になって、その度にこうやってお互い謝ることになる。そして、お互い反省して黙ってしまう。
「はいはい、その話おしまい! その話を何回してももうどうしようもない話なんだし、こうやって咲に会えただけで私はもう何も言うことないよ」
美波のこの明るさに何度も助けられた。先程までの恐怖は、その明るさが消えた影の部分だったのだろうか。
だが、俺には美波の言葉に納得できないのだ。
「俺はまだあきらめていない」
「なに言っているの。咲はもう死んじゃってるんだよ?」
「そうだよ湊くん。何か考えでもあるの?」
「ああ。今までのことを俺は何回も考えていた。丹鶴姫はどうして現れたんだろうって」
俺は繰り返し考えていた疑問を問う。
「それは、丹鶴姫がもう力が無くなってきてて後継者に……ってあれ?」
そう、この疑問は美波みたいに一度、躓くのだ。
力がなくなっていき、世代交代になるのなら黙って咲が死ぬのを待っていればそれで事足りる。でも、丹鶴はそうしなかった。
むしろ、今後のことを考えれば最後の力を咲の余命を短くするのに使うのは不条理だ。咲が早死にすれば次の世代交代が絶望的だ。
「丹鶴姫は、寂しそうだったね。私が思うにだけど丹鶴姫は一人でいることが、この世に留まることが嫌になってしまったのかな」
「俺も咲と似たことを考えた。あいつはこの輪廻を繰り返さないよう俺たちにチャンスをくれたんじゃないかって」
丹鶴姫はきっと自分と同じような苦しみを子孫である咲に、これからの子孫に味わってほしくないのではないかと仮説を立てた。この呪いのような輪廻から咲が救われる手が必ずあるはずだ。
この事態になった原因。それがこの不条理を正す全ての根源だ。それはきっとあのことだ。