第45話「暖かい笑み、冷たい笑み」
和歌山県新宮市
咲と湊
風が肌をなでた。
目を開けば、視界すべてが空に埋め尽くされていた。それによって現実世界に戻った事がわかった。
上体を起こすのにもやはり、咲の身体では大変だ。
見渡して見れば、元に居た咲のおじいちゃんがやっている神社だった。
朝がまだ早いのだろう、人気がないただの普段通りの神社だった。
あのとき、ここで倒れた時からは、時が流れているようだ。朝早くから、外出することがほとんどなかったからなんだか新鮮だ。
あの暗い空間に幽閉されていたのだから、久々の外だ。それは新鮮なはずだ。
思わず、両手を大きく挙げて伸びまでしてしまう。
なぜだろうか、今までの身体の苦しみを感じない。
その時、下から誰かが登ってくる音がした。リズミカルに着実に近づく足音から、子どもや老人ではないだろう。
見慣れた顔が上がってきた。
○
一人旅というのは、どうしても現実的なものではありませんでした。それは私が、一人で外出することすら滅多にないという事もありますが、それ以上に、私は新宮の地を出たことがなかったからです。
(そんな私が、新宮に帰りたいと思っているだなんて)
三人掛けの座席で一人笑ってしまいます。バスの中ですが、その姿を人に見られることはありません。
座席の周りにカーテンがついていて、半個室空間のようになっているからです。
もう陽は昇っているようで、車内は降りるお客さんで少し騒がしくなってきました。
それによって、目的地が近いことが分かります。
ここ、数ヶ月の事を私は、一生忘れることはないでしょう。しかし、その出来事ももうすぐ終わります。
そしたら私は、湊くんと友達、いえそれ以上の関係になることができるでしょうか?
元に戻れるのか、という不安よりもそうした期待の方が大きく感じます。
バスが大きく、傾きます。大きなカーブを曲がっているようです。プスッとマイクの電源が入る音がすると、アナウンスが入ります。
『大変、長時間のご乗車お疲れ様でした。まもなく終点、新宮に到着いたします。お忘れ物なきようお気をつけください』
身一つとでバスに乗り込んだので、特に慌てることなく降ります。
夜遅くでも騒然としていた新宿を発って、一夜バスに揺られ着いた新宮の地は、とても静かで、落ち着いた所です。
いつもの、そして待ち望んだ故郷です。
ここから私の家まで行こうと思うと、タクシーで行くのが一番楽なのですが、あいにく駅前にタクシーがいません。
それならばと、駅から歩いていけるおじいちゃんの神社へと向かって見ることにします。
まだこの時間なら誰もいないはずなので、本当にただの参拝です。それに、おじいちゃんと会ってしまっても何を話せば良いのか、どういう顔をしていたらいいのか分かりません。
本来ならば、すぐにでも家に帰るのが正しいのでしょうが、なぜだか神社へ行きたいのです。
神社までは徒歩で10分程です。そこから拝殿のある丘の頂上まで5分くらいで登れます。
道も単純で、駅前の一番太い県道を突き当たりまでまっすぐ行けば丘が見えてきます。
私が最後に見た時と違い、桜の木は遠に新緑というには遅い様相へとなっていました。
緑生い茂る丘を目一杯焼き付けると、丘の上へと続く階段へと脚を踏み出します。
あのとき苦しかった胸の痛みもなく、普段より多い筋肉を使い、楽々階段を上がれます。
階段の途中、踊り場から見える海を見ます。
新宮に帰って来て、初めて見る故郷の海です。
「ただいま……」
思わず声がこぼれます。そうです、東京のように観光地が至る所にある訳でも、コンビニが近くにある訳でもない、ここが私の故郷です。その情景を久々に見れば、どれもが懐かしく、そして、想い出深いものです。
懐かしい景色に目を向けながら一歩、一歩脚を進めます。
拝殿前、最後の階段まで来ると傾斜がきつくなり、さすがの湊君の身体でも息も絶え絶えです。そのとき、爽やかな風が吹き抜けます。それが、暖まった身体を少しだけ冷ましてくれます。
拝殿はすぐそこ、あと少しで目的地へと着きます。
参道の最後にある鳥居を目の前にすれば、誰かが先にいらっしゃいました。
初春に良く着る見慣れたワンピース。
そして、知っている顔。
「み、湊くん……??」
○
「咲!?」
お互いに、本来の顔を前に相手の名前を呼び合うのは傍から見たら可笑しい状況だろう。
でも、俺らには関係無い。
ここまで階段を昇ってきて疲れただろうに咲は笑顔だった。多分、俺も笑顔だったと思う。
でも、風に吹かれて気付いた。
「あれ、なんでだろう涙が止まらない……」
拭っても拭っても止めどなく水が溢れてきた。それを見ながら咲は、笑いながら泣いていた。
初めて、俺は、俺の泣き顔を見た気がする。
涙を拭う俺の両手を咲が握ってくれた。それが、咲がここに、現実に目の前にいる事を実感させてくれる。
「咲、ここまで来るの大変だっただろ?」
「大変じゃないって言えば嘘になるけど、この事態の中なら全然」
「東京の生活は寂しくなかったか?」
「あんなに大勢の人を見たのは初めて!」
話したいことは山ほどある。でも、言っておかないといけないこともある。
咲の心臓のことだ。
「咲、実はな――――」
決心して口を開いた時だった。後方の、拝殿の方から突風が吹いてきた。
つむじ風のように渦を巻く風の中に人らしき物が見えた。
「ついに、二人がここにたどり着いたか……お前達が並んで立っている所を見ると昔の事を思い出して腹が立つな」
そういうと丹鶴は手に持っている扇を天高くに掲げると俺たちに向かって振り下ろした。
突然と風が俺と咲を引き離した。
「それでは、これから最後の審判といこうか」
丹鶴の笑みは俺たちの笑顔と違い、冷たい笑みだった。
一先ず今年は最後になると思います。
お正月に書ければまた更新したいです。
それでは良いお年を!!
明年も宜しくお願いします。(あと少しで終わるはず!)




