第40話「思い出の地、忘れていた事②」
和歌山県新宮市
外見:紫苑寺 咲
中身:緑川 湊
「俺は、ここを知っている……!!」
「そうだろうとも」
俺と、いや咲と同じ声。しかし、それよりも憂いを帯びた落ちついた声。
そして、回りの音が消えている。さっきまで風に揺らされていた木々たちが止まっているのだ。
なにより、さっきまで目の前にいたはずの美波の姿が見えない。だが、その場所を奪うかのように別の誰かがそこに立っていた。
「た、丹鶴姫……」
拝殿の前に十二単を纏った咲と見た目は同じ少女が一人で立っていた。いや、よく見ればその脇に小さな黒い兎が鎮座していた。
その少女は、咲と瓜二つの容姿なはずなのに受ける印象が全く違う。相手を萎縮させ、畏怖させる。
でも、ここで尻込みしてはいけない、そう理解した。俺は勢いを付けるように咲の小さな拳を振り下ろしながら言葉を押し出した。
「そうだろうってどういう事だ!?」
「最近の若い者は質問ばかりだ。少し考えてみれば分かるものだろう? それにわらわは礼儀を知らぬ者は嫌いだ」
そう言って険しい顔を着物の袖で口元を隠すと姫は、くすくすと笑い出した。
先程とは違い、時が止まった神社の周りを見回す。俺はここに既に来た事がある。それは確固たる想いが胸にある。しかし、それが何故だか分からない。
丹鶴姫は来た事があることがさも当然かのような様子だった。
咲と入れ替わって知った事、疑問になった事を思い出していく。
抜け落ちた幼少期の記憶
家に張られた護符
勘違いしていた図書館の利用者カード
そして、来た覚えもないのに見覚えのある景色
「お、おれはここに来た事がある。いや……それどころか住んでいた?」
口元を隠していた丹鶴姫はその口元に持って行っていた手を下ろした。その顔から既に笑みは消え失せ、ほんのばかりの怒りが見えた。
「やっと辻褄があったか。ここに来るまで長かったな。しかし、やっと土俵に立ったと言える」
「住んでいた? でも、俺にはそんな記憶がない。どうして……いや、だからこそ俺が選ばれた?」
「やっと理解し始めたか。でも、たったそれだけでお前をこの事態に巻き込みはしなかったろう。すこしばかりわらわの昔話に付き合って貰うとしようか」
瞬きをしたその一瞬で丹鶴姫のいたその場所に、椅子と侍女らしい女が現れた。侍女は丹鶴姫に茶飲みを渡すと瞬く間に消え去った。
「はあ、実に素晴らしい。ここならばいくらでも話が出来る」
そんな前置きをして丹鶴姫は茶で口を湿らし、黒ウサギの頭をなでる。そして、ゆっくりと落ち着いた口調で昔話とやらを話し出した。
「お主も知っているかも知れないが、私の先祖は丹鶴と呼ばれる尼坊主だ。彼女は人の様々な悩みを解決していた。
でも、その中には当然危ない橋を渡る物もあった。そうやって危ない橋を渡っていればやはり、危険がつきまとうものだ」
そう言った丹鶴姫の顔はおぞましい物でも見るかのような顔だった。
「呪いと言う物は簡単に消える物ではない。それは縁も同じだ。切れたと思っていても中々消えてくれないものだ。その呪いも同じく丹鶴の家系に深く結び着くことになった」
「それが、丹鶴姫と呼ばれるあなたにも続いていると?」
「当たり前だろう? だが、まだ考えが浅はかだ。それは同じ家系に今でも脈々と続いている」
今までよりも鋭い目をした丹鶴姫は、この続きはお前が言えと圧をかけているようだ。
「丹鶴姫の家系だと言われる咲にも?」
「正解だ」
咲が丹鶴姫の家系だと確定した。でも、それはすでに咲のおじいちゃんの話からそうだとは聞いていた。だからこそ、姫の見た目がこんなに似る訳がない。
だが、残る問題は何故俺が巻き込まれたか、だ。
「お主が巻き込まれた理由? それは、実に簡単な問題だ。お主の家系は元々この地に住む武士の家系だ。そして、わらわ丹鶴の側仕えをしていた。お主の先祖がした契りをわらわはまだ覚えているぞ。実にいい男だった……」
今までと違い、今時の女子と変わらない柔らかな表情を一瞬だけ見せた。しかし、すぐにまた厳しい顔へと戻った。
「そんな先祖などの契りにお前を巻き込んだのは悪いとは少しも、わらわは思っていない。お主が抱いたほんの一瞬の邪な考えと咲の身体を鑑みてわらわは適切に動いたと自負している」
話過ぎたのかまた侍女が用意したお茶に口を付けると話を続けた。
「お主の記憶が曖昧なのは、この地を離れた時にその記憶がここに結びついて抜け落ちたのだろう。この地から離れたい想いがそれを可能にした。だが、運命というやつは酷なものだ。またお主はこの地に舞い戻ってしまったのだから」
「それは、あなたが望んだからこのような事態になってしまったんでしょう!?」
俺が大声を出したせいか、考え事をしているせいか、丹鶴姫は口を一度閉めてしまった。しかし、それは一瞬の事ですぐにまた元の調子に戻る。
「それは一理ある。わらわは遠の昔に忘れ去られた身、そなたが可哀想な気もしてきた。よし、一つお主に選択肢を与えてやろう」
笑みを浮かべるその顔も咲の顔だ。どうにも落ち着かない。
「選択肢は二つだ。一つは、主君のために主君として死ぬか。二つ目は、今度こそ主君に違えても生きるか」
答えられる訳がない。どうして俺に選択を迫るのか。しかも、それが俺の生死だけでなく咲の生死にまで関わってくる。
そして、もう一つ聞いておかなければならない事がある。
「今度こそ?」
「ああ、お主の先祖の話だ。お前も実に似た顔をしている、懐かしいものだ。あやつはわらわが迫害される時も仕えていた……」
「姫だったのに迫害を?」
「また質問ばかりだ。でも今日は気分が良い」
芯の通ったまっすぐな瞳と目があった。だが何かに怯えているようにも感じられた。その色はたぶん恐怖だ。
「民というものはどんな些細な疑心でも、一度生れてしまえばそれは大きく膨らみ、上へと不満を募らせていくものだ。そして、隠し事があれば大きく裏切られた気持ちになる。本当に馬鹿なことをした。わらわの切実な願いからくる舞は受け入れられるものではなかったようだ」
今、丹鶴姫は大昔にこの地で起きた事に想いを馳せているのだろう。
「受け入れられるものではなかった理由が? 」
「そんなものはなかった。あの時までは。だが、信仰とはすごいものだ。民の思い込みによってわらわは力を得た。そして、こうしてまたこの地に想いを馳せることが叶っている。それを魔法と言うか呪いと言うかは些細な違いだ」
話は終いだと、ばかりに丹鶴姫が手を大きく広げると先程、唐突に現れた茶飲みと椅子が消えた。
「お主と話す事が出来てよかった。お前に選択は託された。運命に抗ってみよ。期間はそう長くないが、十分に考える場所は与えよう。また、お主の選択を聞くときにここへ来るのだ。迎えくらいは用意してやる。ではな」
黒兎を抱きかかえた丹鶴姫の姿が霧のように辺りに解けていった。でも、俺は一つ聞き忘れていたことを後から思い出す。
どうして咲を連れて行く必要があるのか……?