第35話「新たな日常、新たな手がかり①」
東京都渋谷区
外見:緑川 湊
中身:紫苑寺 咲
気付けば4月になっていました。
銀王神社のあたり一面は桜の木で、ピンク色が風に揺られ、波のように広がっています。
満開を迎え、これから徐々に散って行ってしまう、その姿を目に焼き付けようと多くの人がベンチに座って空と桜に見惚れています。
私も空いているベンチに腰掛け、その中に混ざります。
神社に行けばいつかもう一度、丹鶴姫と話をすることが出来るような気がして時間があれば参拝するのが習慣になっていました。
初めて神社を訪れた時は、周りを取り囲む高層ビル群や、やたらめったらある色々な飲食店の匂いが物珍しくて目移りしていましたが、今ではもう見慣れた景色になりつつありました。
慣れが出始めるくらいに都会での生活が長くなるとは思っていなかったのでなんだか不思議な気分になります。いつまでこの生活が続くのかもう皆目見当がつきません。
私が住んでいた新宮では湊くんがこうして街を見て回れているのか気になります。最近は連絡が毎日ではなくなってしまいました。そのせいであまり重要ではないことをやりとりすることが減ってしまいました。
(今、熊野の桜はどうなっているのでしょう?)
湊君からのメールも前より減ったせいで、体調が悪いのか、調査の進捗が芳しくないのかも分かりません。
しかし、どちらにせよ私がそれに直接、関わる事が出来ないのが歯がゆい。私自身の身体の問題なのにです。
ですが、それも昨日までのお話です。
昨日、湊くんからメールが来たのです。
『夕飯時で忙しい時間に申し訳ない。突然だが、前に丹鶴姫の声を聞いたと言っていた神社にまつわる伝説があったことを思い出したんだ。何か関係あるんじゃないかと思って少し調べてみてくれないか? それなら近くの区立図書館にも資料があると思う。』
このメールのおかげで私は久々に明確な使命を持つことが出来た気がします。
ちょうど今日はアルバイトがあったおかげで結衣さんに疑われることなく一人家を出て、調べることが出来ます。
アルバイトの終わる時間が図書館の閉館時間より早いことは前提条件です。メールで教えて貰った資料を見つけ出さなければなりません。だから時間が必要なのは明白です。
ですが、きっと図書館の閉館時間の方が早いでしょう。それならアルバイトが始まる前に図書館に行けば良いのです。
そして今、ベンチから腰を上げ、私は図書館へと続く路地へと再び脚を運びました。前は運が悪い事に休館日でしたが今日こそは、と意気込みます。
こんなにも意気込んで図書館へ行く人も珍しいでしょう。カフェ「みらんだ」のアルバイトまで1時間ほど余裕を持って家を出ました。
図書館の前にやってくると休館日だった時とは違い、門が開けられ、赤レンガ造りの建物内は明るく、その前には数多くの自転車が駐められています。
掲示板を見てみると実に様々なポスターが張られています。その中にひときわ目を引くポスターがありました。
水色の背景に白地で『渋谷銀王丸伝説』と書かれ、武士のような男性が「見得」をきった姿が役者絵のようなタッチで描かれたポスターです。
端っこの方に「渋谷のヒーロー」と書かれています。きっと湊くんが言っていた方はこの人物だと思います。
きっと街の色んな場所に貼られていただろうに、こうして興味を持つまで気付かないものです。
いままでに見落としてきた物が何か、誰かにとって何か意味を持つことがあるのかも知れません。例えばこの図書館でも、誰かにとっては思い出の地であり、行きたかった場所かも知れません。
そういえば、湊くんは家の本棚を見ればすぐに読書家だと分かる程の蔵書があるのに、どうしてかこの図書館の貸出カードが見当たりませんでした。
前に近いから借りる必要すらないのかと思いましたが、普通近いなら頻繁に利用します。
私の住んでいた街では一度、山を下りて駅まで出ないと図書館を利用出来ないので利用頻度はとても少ないですが、図書館のカードは持っています。
それが、湊くんの家から駅までの通り道に図書館があり、読書家となれば利用しない理由が見つかりません。
これは何か、日常の謎みたいな謎で面白さがあります。いつか湊くんと話したいです。
私の少しの好奇心に火がつき、図書館の扉を開ける。好きな本がたくさん並ぶ場所に脚を踏み入れる高揚感と好奇心からくる興奮に身を任せ、とても軽い一歩を踏み出しました。




