第29話「間口の狭い店、変わった店長」
東京都渋谷区
外見:緑川 湊
中身:紫苑寺 咲
結衣さんと肩を並べて、結衣さんオススメのお店へと意気揚々と家を出ました。
意気込んで出た私はてっきり駅の方へ向かうと思い込んでいたので駅とは反対方向へ進み出した時は驚きました。しかも結衣さんが紹介してくれたお店は家から徒歩5分もしないほどの近さで、さらに驚くことになりました。
広尾三丁目という、片側二車線の幹線道路に面した交差点に、そのお店の入り口はありました。雑居ビルと呼ばれるような古めかしいビルの、しかも地下に入り口があるようです。その入り口部分だけは上の雑居ビルとは似つかわしくない木目を活かしたおしゃれな外装なので、ここだけリフォームしたばかりのようです。階段は少し下がったところで、曲がっているので歩道からは入り口部分と店内を伺うことはできません。
私が、降りる素振りを見せずに様子を伺っていると、結衣さんが横をグングンと先に進みます。私もそれに続いて、階段を降りることにしました。曲がった階段の先には木材を豊富に使った外装で、そこによく目立つ横長の青銅プレートの看板が付いています。店名は『みらんだ』というそうです。
そしてその店名の下にはなにやら一文書かれています。
「魔法にかけられたようなひとときを――――」
ドアに付いた鈴がカランコロンと店内に鳴り響きます。店内は昼光色の優しいピンライトが幾つもぶら下がった木目調の少し暗めの店内です。入り口から店内を見渡せますが、お客さんはおろか店員さんの姿も見えません。結衣さんが奥の控え室に居るであろう店員さんに声をかけます。
「すいませーん!」
先程の鈴の音では気付かなかった店員さんでも運動部で鍛え抜かれた結衣さんの声には瞬時に飛び出してきました。
その女性は結衣さんと同じくらい小柄の上にやせ気味でずっと地下にいるせいか色白く、体調が心配になってしまいます。
「いらっしゃい。結衣さんご無沙汰ですね」
「合宿行ってたからね。店長はちゃんと働いてた?」
どうやらこの女性がこのお店の店長さんらしいです。しかも結衣さんは顔を覚えられるほどこのお店に通っていたのに驚きます。
(私なら外から何も見えないお店に入れないなぁ……)
「お客さんが来たら働いてはいるけど、あまり忙しいと私、一人だけでは手一杯になっちゃうからね」
その言葉を待っていたのかのように結衣さんの口角が持ち上がり、腰に手を当て、疲れ切った店長さんに詰め寄ります。
「ねね、それなら店長さん。アルバイト雇ってみない?」
「え、結衣さんが働くんですか!? 部活もあって大変でしょう?」
店長さんの驚きは相当なものだったようで、声が裏返って猫背は反り返りました。身体全体で驚きを表現しているのが妙に可愛らしい店長さんです。
「私じゃなくて、お兄ちゃんが働きたいらしくって。それに私、中学生だし」
そこまで言われて結衣さんの背中に隠れているだけには行きません。私も前に出ることにしました。
「初めまして、妹がいつもお世話になっているようで。結衣の兄の緑川湊と申します。アルバイトを探していたところ結衣がこちらのお店を紹介してくれたんです」
「ああそうなんですか。構いませんが忙しいお店でもないのであまりお金の方は出せませんが宜しいですか?」
そういってレジに置いていた電卓で提示してくれた金額はこちらでは最低時給でしたが、私の地元に比べれば高く、お金が必要な私には断る理由はありませんでした。
「はい、宜しくお願いします。今日からでも構いません」
「そう、じゃ今日は接客の練習でも簡単に練習してみようかしら? あ、そもそもご飯食べに来たのかな?」
止めどなく色々話し出す店長さんは嬉しそうに自分の手と手を自分の身体の前で握り締めています。
「そうだったご飯食べに来たんだった。店長さん、お兄ちゃんに教えながらご飯用意してよー」
本当にお腹を空かして来ていたはずの、私たち二人は思い出したかのようにお腹をさすりました。
「それではこちらの席へどうぞ~」
テーブル席とカウンター席があり、どの席も空いていますが店長さんの姿が見えるカウンター席へ通されました。人生で初めてカウンター席に座りました。椅子が少し高く、湊くんの長い脚でなかったら地面に脚が着かなかったことでしょう。結衣さんは届かないので脚をぶらぶらさせていて可愛らしいです。
席においてあったメニューを開くとコーヒーが豆によって数種類、淹れ方で数種類あり、ドリンクメニューは豊富でした。しかし、その分、食べ物は軽食のみで選択肢は多くはありませんでした。
私はローストビーフとレタスのサンドウィッチとアメリカンコーヒー、結衣さんはチーズがトッピングされたホットドッグとウインナーコーヒーを注文しました。
店長さんはカウンターの内側でせわしなく動き回り出しました。せっかちなのか、おっちょこちょいなのか無駄な動きが多く、そのせいで厨房がどんどん荒れていきます。料理ではなく工作でもやっているように見えるほど酷い有様です。
「お兄ちゃんここで働けそう?」
店長さんが厨房を動き回る姿を目だけで追うように見ていた結衣さんが隣に座っている私に尋ねました。
「うん、そんなに忙しいようでもないしお金もちゃんと貰えるようだし頑張ってみる!」
私がやる仕事って多分、店長さんの尻拭いな気がするのは致し方ないでしょう。
(湊くんにアルバイト始めたって連絡しなきゃ)
今回は昼食を食べさせて頂いて帰ることにしました。頂いたサンドウィッチ、コーヒーどちらも、とてもおいしかったです。サンドウィッチのおいしさはパンのおいしさがこんなに決めてだと思いませんでした。それにコーヒーは普段飲みませんが、初めて苦みがおいしさを引き立ててることに気付きました。
挨拶もほどほどに家に帰った途端、結衣さんはやはり疲れが溜まっていたようですぐに部屋に戻って眠ってしまいました。
私は、携帯電話を手に取り、またメールを書き始めます。