第2話「明日への不安、姫の伝説」
3月24日(金曜日)
和歌山県新宮市
紫苑寺 咲
わたしは新宮というこの地で育ちました。
それはとても平穏な日々で退屈だと思われるかもしれません。でもこの街から出たことがない私にはここがすべてでした。だから大学くらいはどこか別の地に行こうと思っています。
それが私の夢です。皆々様の前で声を高らかに話すような高尚な夢で無いですが、それを目標に日々頑張って生きています。
明日から春休みが始まります。
新学期にむけて、怠けていた者は気を引き締め、1年生で成績が良かった者は維持、上昇するために踏ん張りどころとなるでしょう。私には踏ん張り所になるようです。
全校集会が終わり、少し騒がしい廊下から、誰か数人で笑い声を上げながら話しているのが聞こえます。
しかし、私はそういうグループに混ざることはありませんでした。その人達を見下したり、嫌ったりしている訳ではありません。ただ、私が少人数でおとなしくしているのが性に合っている、というだけで、むしろそういう人達に尊敬すら覚えることもあります。
でも、今日はそんな性とは関係なく、なんだか胸騒ぎがしているようで全然動いていないのに倦怠感がずっとあります。そのせいか、クラスの自席でいつのまにか暗い顔をしていたようです。それは私に声をかけてくれた子のおかげで気付きました。
「咲、元気ないね、どないしたん?」
いつの間にか、席に座ってうつむいていた私の顔を覗き込むようにして女の子が目の前に立っていました。
わたしの事を心配してくれたこの優しい女の子は私の親友である田崎美波ちゃんでした。
「みーちゃん、ありがとう。ちょっと調子がわるくて」
「そうなん? きついなら一緒に早退せーへん?」
イントネーションが関東方言と少し違う若干のなまりと元気づけてくれる明るい声や彼女の楽天的な考え、ショートボブにした容姿の可愛らしさ、それらすべてをわたしは愛おしいと思っています。
しかし、否定はしましたがみーちゃんの言う通り、やはり何か身体の調子が悪いのは感じたままでした。
(明日は、病院に行った方が良いかな?)
私は不安なことがあるとすぐに神社に行ってお参りをします。家柄そうなるのは必然でしょう。
放課後、学校の帰りにすぐ裏手にあるおじいちゃんのいる神社にお参りに来ました。この神社に祀られているのは昔の御姫様で、今の私と同い年くらいの歳で早くに亡くなった神様だと聞いた事があります。それがお参りをするきっかけになったような気がします。
いつもは昨日のように、丘の上にある拝殿まで大きく回るように設置された階段を上ります。海側の景色がよく見えて好きなルートなのですが、昨日のこともあり、上るのが比較的楽な駐車場側にあるスロープから上ることにしました。
いつもと違うルートを通ると、目に入る物すべてが新鮮に映ります。スロープはアスファルトですが、所々ひび割れて、その隙間から太陽めがけ伸びる名も知らない草。参道脇では咲き乱れ、もう満開も近い桜並木。その根元に咲く綺麗な黄色を大きく開かせたタンポポ。
もうすぐ、拝殿のある台地だというところでスロープは石の階段になります。その変わり目には、石で出来た少し古い鳥居があります。そこの周りだけ木がなく、シロツメクサが密生した芝生が参道の両脇を埋めます。
階段を上る前に一息つこうと立ち止まりました。風が吹き、桜の花びらが空高く舞います。その花びらを一枚、目で追いかけると、参道の脇に石碑が建てられているのに気付きました。
(こんなところに石碑なんて建てられていたんだ……)
普段、通らない道で新しい発見をして少し高揚した気分で石碑に近づきます。その石碑には『丹鶴姫の碑』と書かれていました。その横には、この神社にまつわる伝説が書かかれた説明板のようなものが設置されていました。
『丹鶴姫伝説』
「平安時代から鎌倉時代にかけ、この地には寺があり、ここの尼坊主は丹鶴と呼ばれていた。しかし、源氏の衰退とともに寺はいつしか廃れた。その後、この地には江戸時代頃に城が築かれた。この城は丹鶴城と呼ばれていた。この城に住まう姫君もまた丹鶴姫と呼ばれ、一人を嫌い、悪戯好きな姫だったそうだ。 死後、黒い兎をつれてこの地におり、悪さをしないよう神と崇め、戦で亡くなった兵と共に祀る為、この神社が建てられたという。」
これはいつもおじいちゃんが話してくれた話とよく似通っています。たぶんおじいちゃんはこの話を分かりやすくして教えてくれていたのでしょう。
確か、この方が私と同い年くらいで亡くなり霊になってしまった為にこの神社が建てられることになった御姫様です。けれど、何か他にも話してくれていたような気がするのですが、思い出せず心が晴れません。何かを忘れるのは落とし物をしてしまったような罪悪感があります。
必然的にいつもより拝殿で合わせる手に力が入るのは致し方ないことでした。今まで祀られている神様のこともよく知らずに参拝していたのですから。
手を合わせながらその御姫様のことを考えてしまいます。
(どうしてこの歳で亡くなってしまったのでしょう? 私と同じ歳くらいに亡くなった御姫様は最期、何を考えていたのでしょう?)
明日が来ることが当たり前では無かった時代に生きた少女のことに思いを馳せ、今日も一日平穏に終わることに感謝と、妙な寂しさを感じました。