第25話「私が出来る事、新たな決意」
東京都渋谷区
外見:緑川 湊
中身:紫苑寺 咲
電話番号と通話時間が映し出された携帯電話の電源ボタンを押して、湊さんの机の上に戻します。
初めて湊さんと話ましたが、声が自分の声のせいか元々、優しい人のように思えました。別に自分の声が優しく聞こえるという意味ではなく、いつも聞いている声のせいで親しみやすい、というぐらいの意味です。
しかし、普段は男子と話す機会がないので、同い年の男子はあのくらい砕けたしゃべり方なのか判別がつきません。私自身、話し方が堅いとは自覚していますが、昔からこうなので仕方ありません。なぜか、よく知らない方や年上の方には萎縮してしまい敬語で話してしまいます。治そうとは思うのですが、行儀良く思われるので少し得をしている気もします。
普段、接しない男子であるだけでなく、どうしてか湊さんと話すと上がってしまい落ち着いて話せません。
(もう少し色々、話したいと思っていたのにな……)
いつの間にか男子との接し方を忘れてしまったのかもしれません。
そして、久々にみーちゃんと話せました。一週間と離れていないのにみーちゃんとは話しが尽きませんでした。まだまだ話したいことはいっぱいあったのですが、湊さんがいる手前、そこまで話し込む訳には行きません。元の身体に戻ったら前みたいに何処かでゆっくり話したいです。
今、私の周りには誰もいません。誰とも話す機会が無かった中でこうしてまた電話越しではありますが、話せたことはこちらでの原動力になった気がします。自由に出かけられて、色んな物が好きなときに、好きなだけ食べられ、時間を考えずに本を読む。そんな生活をこの身体になってからは出来るようになりました。独りでこんなに色々したことが無かったので知らないうちに寂しかったのかもしれません。誰かと何かをすることがこんなにも活力になるとは思いませんでした。
(それにしても図書館で生物学のことを調べようとしていたのは的外れだったなぁ)
ふとそんな事を考えられずにはいられませんでした。私がおじいいちゃんから聞いたはずの丹鶴姫の伝説を忘れていたのがいけないのは重々承知してはいるのですが、さすがに生物学について調べようとしていたのが馬鹿みたいです。イマイチ生物学も理解していませんが。
湊さんの部屋にある蔵書が如何に、良い本ばかりでもこのまま蔵書を読み続けては居られません。今から図書館で私もできる限りですが、調べて観ることにしました。こちらの図書館に片田舎で語られているそこまで有名でもない伝説が載った本があるとも思えませんが、事は重大です。情報は少しでも多い方が良いでしょう。
(しかし、最悪は私も新宮の方に帰った方が良いかもしれない。丹鶴姫もあのとき、会いたいと言っていたから)
たぶんですが、丹鶴姫と会うために私も向こうへ行く事になるかもしれません。あの場所から丹鶴姫は動けないのだと思います。夢の中くらいには現れることは出来るのかもしれませんが、私が観た時も湊さんが観た時も丹鶴姫が一方的に語るだけでこちらから話すことが出来ませんでした。だから、姫は私と湊さん両方と逢って、話し合いたいと思っているのかもしれません。
そう考えるとこちらで出来る事はあまりにも少ないような気がします。向こうに行くにはお金が必要になりそうですが、湊さんのお金を勝手に使うには気が引けます。アルバイトをすることになるかもしれません。心構えだけでもしておくことにします。
○
思った通り、渋谷の図書館には丹鶴姫の伝説について語られている本はありませんでした。それどころか熊野古道に関する本すら観光ガイドのバックナンバーくらいでしかありません。想像より収穫が少なく、しょぼくれながら帰途につきます。
(もう私がこっちで出来る事が何も無い……)
今日まで丹鶴姫のことを忘れていた私にさらに思い出せることももうそこまで多くはないでしょう。
私は、もう新宮に帰ることを考え出していました。もう他に手はありません。問題は資金です。一昨日、湊さんのお父さんと遭遇した時、リビングに置かれていた封筒に入れられたお金を思い出しました。あれは湊さんと妹の結衣さんの生活資金用にくれたお父さんのお金です。それを使う訳にはいきません。
やはりアルバイトをすることになりそうです。図書館に行く前から考えていたので心の準備は十分です。
(私の身体、体調悪かったのも一ヶ月もしたら治っているんじゃないかな?)
ここは初めてのアルバイト、社会経験が出来ると逆に喜ぶことにします。こちらに来ていろいろな初めてが体験でき、毎日ベッドに就くとすぐに眠れるほど疲れているようです。身体が入れ替わる前は、眠ると目が覚めなかったらどうしようと不安になってしまって眠ることに恐怖心を持ってしまい、中々寝付けない日が多かったので気を紛らわせることが出来て良いのかもしれません。
明日は結衣さんが合宿から帰って来ます。結衣さんとは幾度もLINKで話しています。また、図書館に行ってからメールで湊さんに癖や口癖と言ったことまで色々と聞いておいたので不安は無いと言えば嘘になりますが、そこまで心配していません。
それに今日は、良いこともあったので良く眠れるような気がします。
(私は昔から丹鶴姫の神社に通っていたから入れ替わり現象に巻き込まれたのも分らないでもないですが、湊さんも何か関係があったのでしょうか?)
そんな事を考えているうちに私はまた夢を見ていました。それはシルクのような柔らかな布に肌が包み込まれるに、記憶が身体を纏い、引き込まれます。