第17話「灯台もと暗し、過去のおもいで②」
前話続き
3月28日(火曜日)
和歌山県新宮市
外見:紫苑寺 咲
中身:緑川 湊
屋上まで二人でそろって歩いていたが、美波は一向に口を開こうとしなかった。
原因はやはりさっきの意味が分からないメールだとなぜだか直感した。今まで一度も送られてこなかったのに突然メールが来た事を無関係だとは思えない。
「ねぇ、今日は来るの早かったね?」
相手の考えを探りつつ、場を取り繕うように声をかけたが、美波の反応はあまり良くなかった。
「そうだね」
何事もなかったように、また前だけを見て歩く美波に俺は何も言えなくなってしまった。手持ち無沙汰から咲の長くて黒い髪を触っていた。この長い髪が外界から俺を守ってくれているようにも、閉じ込めているようにも感じられた。すると髪が突然、カラスが翼を広げたように大きく広がった。
「着いたよ」
どうやら美波が屋上へと続くドアを開け、風が中に入り込んできたようだ。外に出ると二人で思わず背伸びをしていた。少なからずこのまま緊張状態で話をするわけではなさそうだ。
「咲、この街がすき?」
美波はこちらを見ずにフェンスの向こう側を見ながら言った。咲の考えは分からないが、俺は山に囲まれ、海が広く見える病室からの景色が好きだった。だからあまり迷わずに答えた。
「私は好きだよ、この景色。美波は?」
「私は、山に護られているようで少し神秘的だなって思うよ。でも昔からここに住んでいると嫌な部分もいっぱいあるけどね」
そう言って美波はくるりと回りこちらを振り向いた。その勢いがあまりに良かったので履いていたスカートの裾が持ち上がっていた。おもわず髪をふりほどくように首を振り、視線を外した。
「咲、春休み中に街の外に出かけようって約束したの覚えてる?」
美波が笑みを浮かべながら聞くのでさっきのことは気にしている様子はなかった。しかし、そんな約束を俺が覚えているはずがない。
「覚えているはずないよね。だってそんな約束してないもん」
そう言った美波の顔から笑顔が失われていた。
「え?」
いつもの笑顔が消え、腕を組む美波は別人のように立っていた。
「あなたは誰なの!? サキはどこに行ったの?」
その声があまりにも悲痛で、俺の心を突いた。だが、まだ核心を突かれた訳ではない。
「何を言ってるの? 私が咲でしょ」
「嘘だよ。今朝のメールで確信したよ。だってサキ、小学校の修学旅行には行かなかったじゃない。修学旅行だけじゃない。遠足だっていつも体調悪くなって一緒にどこかに出かけられた試しがないもん」
美波の目が光りで反射していた。もしかしたら目に涙がたまっているのかもしれない。それを見ると考えてしまった。美波と咲はいつ出会って、そして、それからどんなことをして遊んで、何に共感して笑って泣いたか。そういった様々な時間を二人で共有したんだと思う。だが、突然現れた俺などただの異物だ。もう何を聞かれても何も答えられないだろう。
一呼吸した。肩の荷を下ろすかのように。俺はバレてはいけない理由が何一つ考えられなくなっていた。
「いつからそうだと思ったんだ?」
咲の口調でなく、いつもの俺の口調にしてもやはり声は確かに咲なのだ。
「いつもサキは私のことをみーちゃんって呼ぶのに入院してからあなたは私のことを美波って呼び捨てで呼ぶのがずっと違和感だった」
(それならもう出会ってからずっと疑って見られていたのか)
この二人が本当に長い間、共に過ごしていたのだと考えずには居られなかった。
「降参だ。俺は咲じゃない。だが、勘違いしないで欲しい。俺がなりたくてこうなったわけじゃない。起きたらこうなっていたんだ」
負けを認め、謝罪をしたかった訳ではないが思わず言い訳のようなことが口からあふれ出てしまった。どうやら少なからず動揺していたようだ。しかし、謝る前に美波は貯めていた涙が目からあふれ出した。泣いている美波が妹の結衣に見えた。髪型が一緒なだけで性格は全然違うのに。
「美波、ごめん。だます気は無かった。ただ……」
「気安く呼び捨てしないで! あなた結局だれよ?」
俺の顔をまっすぐに見つめる瞳を一度真っ正面から見つめてしまってはもう嘘はつけないと確信できた。
「お、俺は・・!!」
しかし、胸が手で捕まえられたように感じ、手を胸に当てた。でも、痛みはひかなかった。血が上から順に引いていくように感じられて、そこで俺は膝から崩れ落ちた。
「さ、サキ!?」
目を閉じて気を失う前に、美波がそう呼ぶのが聞こえた。その声は本当に友の姿をした俺へも心配する声のように聞こえた。