その4 華氏451度
華氏451度(著:レイ・ブラッドベリ、訳:宇野利泰、ハヤカワ文庫SF、原作1953年、訳1975年→改2008年)
深夜……ベッドに横になったはいいものの、なんとなく眠る気になれず枕元のスマートフォンを手に取って、ブックマークしているサイトを見て回り、それでもどこか満たされない気持ちになって気の向くままニュースサイトや動画サイトを巡っているうちに、ふと、窓の外から鳥の鳴き声が聞こえ、うっすらと明るむカーテンの色にぞっと背筋が凍りつく……。
なんて体験をしたことがあるのは、恐らく私だけではないでしょう。
〝火の色は愉しかった。〟
の一文から始まる海外SFの傑作『華氏451度』。原題は『Fahrenheit451』。本が発火する温度であり、主人公・モンターグの職業――『焚書官』の象徴として、彼の被るヘルメットに刻まれた数字でもあります。
舞台は、近未来のアメリカ(ちなみにここでいう近未来とは、本作が書かれたのが1953年であることと、『1960年以降、原子力戦争を二回も経験している』という作中の描写を考慮すると、想定されているのは二十世紀末くらいだと思われます)。『本』が禁じられ、それを所持している人の家にはただちに『焚書官』がやってきて、石油を撒き散らして一切合切を焼き払ってしまいます。
そんな世界での人々の生活は、しかしながら、とても愉しげでした。なぜならそこには『本』の代わりとなる娯楽がいくらでも溢れていたからです。〈海の貝〉と呼ばれるイヤホン式の小型ラジオや、壁一面がスクリーンとなっているテレビ壁が、その代表格。街を歩けば大音量のキャッチコピーやカラフルなコマーシャルが絶え間なく感覚を刺激して、たとえ飽きても飽きたそばから次の娯楽が提供されていきます。
尽きることのない娯楽・享楽・快楽の奔流――本を読まなくなった人々は、静かに思索に耽ることも、世の中について深く考えることもなくなります。ひたすら心地よい刺激だけを求める薬物中毒者のようになった彼らは、偽りの幸福を与える社会に飼い馴らされ、その日その日を刹那的に生きているのでした。
物語は、『焚書官』たるガイ・モンターグが、とある少女との出会いをきっかけに本を読むようになり、人間らしい知性を取り戻そうと社会と対立し、ついに街を飛び出して、いくつもの『本』をその頭の中に記憶している同志の輪に加わり、『戦争』によって破滅を迎えた文明の再生のために歩み出したところで、おしまいとなります。
多くの優れたSFがそうであるように、この作品もまた、的確に現代の有り様を予言しています。本書が警鐘を鳴らしたテレビに始まり、パソコン、ポータブルプレイヤー、携帯電話、VR機器――これらの便利なツールを用いることにより、私たちは簡単に、いくらでも『愉しさ』を得ることができます。例えばタイムラインを流れる〈フォローアカウント〉の呟きを眺めているうちに一日を終えたり、あるいは〈友達〉からどれだけたくさんの『いいね!』をもらえるかに心血を注いだり――エトセトラ、エトセトラ。
〝きみの〈家族〉は、きみを愛しているのか? そのたましいと心情とをかけて、愛していてくれるのか?〟
テレビ壁の向こうから一方的に話しかけてくる役者たちに熱中する妻に、モンターグはそう尋ねます。
〝あんた、幸福なの?〟
時々は、胸の深いところに、そう問いかけてみてもいいのかもしれません。
@wiki レイ・ダグラス・ブラッドベリ(Ray Douglas Bradbury, 1920年8月22日 - 2012年6月5日)は、アメリカ合衆国の小説家(SF作家、幻想文学作家、怪奇小説作家)、詩人。
*
ご覧いただきありがとうございます。ひとまず見本的に四作ほど取り上げてみました。
今後は気が向いたときに更新していきます。