その3 窓の灯
窓の灯(青山七恵、河出文庫、2007年)
青山七恵さんは、私の好きな作家の一人です。特に情景描写の細やかさ、美しさがすばらしく、それをもって登場人物の心情の揺れ動きを浮かび上がらせる鮮やかな筆致は、見事というほかありません。
喩えるなら、夜中のベッドで隣に眠る恋人のようなものでしょうか。こちらの心にぴったりと寄り添う作品を書く、素敵な作家さんです。
本書『窓の灯』は、そんな青山さんの2005年に発表されたデビュー作。
主人公は『まりも』という少し変わった名前の、二十歳くらいの女の子。親元を離れて大学に進学するも早々に辞めてしまい、実家に帰ることもせず、かといって働き口を探すでもなく、近所にある小さな喫茶店に入り浸り、日がな一日アガサ・クリスティやエラリー・クイーンなどを読み耽る日々を送っていました。
そんな彼女に、ある日、その喫茶店の女主人である『ミカド姉さん』が声をかけます。まりもはミカド姉さんの計らいで、店の二階にあるアパートに住み、姉さんの仕事を手伝うようになります。
冒頭は、そんなミカド姉さんとの出会いから半年ほどが過ぎた、梅雨明けの夏。
まりもの住むアパートの、向かいの空き部屋に若い男性が越してきて、まりもが自分の部屋から彼の部屋の窓を見つめているところから始まります。
〝カーテンが揺れている。〟
ストーリーのあらすじは、他人との距離がうまく取れないでいたまりもが、何人もの男を虜にしながらも誰にも入れ込むことのない美しい姉さんとの共同生活や、そんな姉さんが唯一特別な想いを寄せる初老の『先生』の来訪などを経て、自身と周りの関わり合いに目を向けていく、というもの。
まりもは、向かいに青年が引っ越してきてから、レースのカーテンに遮られてぼんやりとしか様子のわからないその部屋を、夜中にこっそり盗み見るようになります。やがてそれだけでは飽き足らなくなり、深夜の街を徘徊していくつもの家の『窓』を見て回るようになります。
そこに見えるのは、自分とは無関係の他人が、淡々と生活していく様子。それは〝テレビのニュースを見る〟ようなもので、〝私に何も与えてくれないし、私のほうだってそこから何かを受け取るつもりもない〟。
一方で、〝私はあの人たちが知らない姉さんを、きっと知っている〟はずだったのに、当の姉さんは先生の来訪で〝中学生みたいに浮かれて〟います。
まりもの不安や不満は日に日に募ります。深夜の徘徊さえ慰めにはならなくなります。そしてついに、まりもは、姉さんと先生の前で、わざと彼らを傷つけるような言葉を吐き出します。しかし、それも、ただ口にしたまりもが傷ついただけで、姉さんにも先生にも何一つ届くことなく終わります。
そして迎える、ラストシーン。
まりもは、それまでカーテンに遮られて見えなかった向かいの青年の姿を、初めて目にします。青年もまりもに気づいて振り向きます。まりもがその場で一礼すると、青年のほうも一礼を返します。
〝そう、そうだ。わけないことだ。その気になれば、私はあの窓からだって手を振ることができるのだ。〟
そうして、まりもの世界が少しだけ開けたところで、物語は閉じます。
目は心の窓、という言葉があります。
読み終えたとき、ふと、そういえば最後に誰かの目をまじまじと見つめたのはいつのことだったろう、と思いました。
@wiki 青山 七恵(あおやま ななえ、1983年1月20日 - )は、日本の小説家。埼玉県大里郡妻沼町(現・熊谷市)出身。筑波大学図書館情報専門学群卒業。2007年、「ひとり日和」で第136回芥川龍之介賞受賞。