その10 真夏の航海
真夏の航海(著:トルーマン・カポーティ、訳:安西水丸、講談社文庫、2015年)
時は1940年代後半、舞台はアメリカ・ニューヨーク。
主人公・グレディは、上流階級生まれの、目前に社交界デビューを控えた十七歳の少女。しかし十四歳にして突然〝鋭い感受性〟を身につけた彼女は、社交パーティなんて〝馬鹿な真似〟はしたくないという〝ひねくれ者〟でした。
冒頭は、そんなグレディが、両親と姉の四人で食事をしているシーンから。欧州旅行へ出かける両親の、その船出の朝のことです。グレディは心配する母親や突っかかる姉を言いくるめ、一人きりで〝死んだような夏のニューヨーク〟に残ろうとします。彼女には知られてはいけない秘密がありました。グレディは恋をしていたのです。
かくして、異常な暑さに見舞われることになるニューヨークを舞台に、一夏の恋の物語が幕を開けます。
などと言うと、いかにもメロドラマが始まりそうですが、そう一筋縄にはいきません。お話は、グレディと彼女の恋のお相手――ブロードウェイの外れにある駐車場で働くクライド、そしてグレディの幼馴染みで彼女に複雑な思いを寄せるピーターの三人が中心となって進んでいきますが、各章ごとに彼女たちにまつわる人物が次から次へと登場するので、むしろ群像劇のような印象を受けます。
そのキャラクターの立ち方たるや、これぞカポーティ一流の筆捌きというもので、第一章で旅立ってから一切姿を見せない母・ルーシーでさえ、〝二ページも使った高額な海外電報〟という形で強烈な存在感を放ちます。それは、ほんのワンシーン、数台詞しかないキャラクターも同様です。
そうして、まるでカフェの中から大通りを眺めるように、行き交う人々――入れ替わり立ち替わり表れては消えていく鮮烈なキャラクター――を見ているうちに、だんだんとその街の姿――1940年代のニューヨークの有り様が、不思議なほどはっきりと目の前に浮かんできます。生まれてもいない時代の、行ったこともない街だというのに。これはなかなかに得がたい体験です。
もちろん、本筋であるグレディたちの恋模様も、目が離せません。たぶんに詩的な文章で描かれる心の機微は、私にはちょっと高度過ぎて手に負えない部分もありますが、にもかかわらずページを繰る手に震えが走るのですから、本当に恐ろしいです。
なお、この『真夏の航海』は、カポーティの死後に『発掘』された幻の初期作品という位置づけです。元々はお蔵入りしていたものだそうなので、初めてカポーティを読む、という方にはややハードルが高いかもしれません。例えば『ティファニーで朝食を』といった有名作に触れてから、食後のコーヒーのように楽しむのがよいかと思われます。
また、この作品はカポーティの幻の傑作であると同時に、イラストレーター・安西水丸さんの数少ない翻訳小説、という側面もあります。文庫版の表紙は安西さんのイラストで、これを見てジャケ買いした、という方も多いのではないでしょうか。
カポーティと安西水丸――どちらのファンにとっても外せない、珠玉の一冊です。
@wiki トルーマン・ガルシア・カポーティ(Truman Garcia Capote, 1924年9月30日 - 1984年8月25日)は、アメリカの小説家。
@wiki 安西 水丸(あんざい みずまる、本名:渡辺 昇、1942年7月22日 - 2014年3月19日)は、日本のイラストレーター、漫画家、エッセイスト、作家、絵本作家。




