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その1 ブラームスはお好き

ブラームスはお好き(著:フランソワーズ・サガン、訳:朝吹あさぶき登水子とみこ、新潮文庫、1961年)

 ブラームスはお好き。


 どこかで聞いたことのあるフレーズだ、と思いました。

 古い映画のタイトルか、キャッチコピーにもじられて使われていたか、あるいは何かの作品で引用されていたか。いずれにしても、確かにどこかで目にしたか耳にしたことのあるフレーズでした。


 ブラームスはお好き――これにしよう、と思いました。


 パリを舞台にした、一人の女性と二人の男性の恋愛模様を描いた小説。ヒロインのポールは三十九歳。内装デザイナーをしていて、ロジェという年上の恋人がいます。ロジェはポールを愛していて、心の拠り所としていますが、ときどき若い女性と短い関係を持ちます。ポールはそんなロジェに理解を示ししつつも、ふと部屋に一人でいるときなどに、強い孤独を感じます。

 物語が動き出すのは、ポールが仕事のために訪れたとある夫人の家で、その夫人の美しい息子・シモンと出会ってから。この二十五歳のナイーブな青年は、どこか影のあるポールに、彼女を一目見た瞬間から夢中になります。ロジェとの先の見えない関係に疲れ、シモンの一途な恋心にほだされていくポール。二人は次第に深い関係へはまりこんでいき、最後には破局を迎えます。


 恋はナマモノ。それはふとした瞬間に生まれ、やがて死んでいきます。そして死んでしまった恋は、もう生き返ることはありません。

 その亡骸を抱いて眠るとき、人は孤独を感じるのだと思います。ポールはシモンと出会う以前、ロジェも含めて三人と恋をしていますが、そのどれもが既に亡骸となって彼女のアパルトマンの部屋の片隅で埃を被っていました。それらは彼女に過去のほかは何も残しませんでした。ポールとシモンの恋は、初めから破滅して終わることが運命づけられていたのです。


 生きている恋に触れている人は、きっと幸せだと思います。

 たとえその恋が死んでしまっても、亡骸が傍にある間は、孤独ですがまだ幸せだと思います。

 本当に悲しいのは、亡骸さえどこにいったのかわからなくなってしまうことです。

 ゆえにポールは、最後にシモンではなくロジェを選んだのではないか、と私は思います。ロジェとの恋はもう終わっていますが、ロジェ本人がそばにいる限り、亡骸はロジェの形をしてそこに在り続けます。シモンを選んだ未来では、おそらくポールは最後の最後で何もかもを失うでしょう。それでも構わないと捨て身の恋に落ちるには、彼女はもう若くなかったのです。


〝ブラームスはお好きですか?〟――そんな口説き文句を受けて、〝ブラームスを好きだろうか?〟と自らに問いかけるくらいには。

@wiki フランソワーズ・サガン(Françoise Sagan、1935年6月21日 - 2004年9月24日)は、フランスの小説家、脚本家、映画台本作家。本名はフランソワーズ・コワレ(Françoise Quoirez)。ペンネームは、マルセル・プルーストの小説『失われた時を求めて』の登場人物 "Princesse de Sagan" から取られた。

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