王様「おでんください」 コンビニ店員「はぁい」 (卅と一夜の短篇 第14回)
私は、この世界の王である。
住まいは極東の海に浮かぶ島国・日本。急に王と言われてもピンと来ないだろう。そうだな、世界各国に首相や大統領がおり、その国を指揮しているだろう? それと同じで私はこの地球という星の最高指揮官に当たる。いや、指揮官は言い過ぎだろうか。代表と言った方がしっくりくる気がする。……信じられないという目をしているな。まあそれも仕方のない事だと思う。
私には七人、直属の配下がいる。その下に数十人ずつの配下がいる。彼らは世界各地域に散らばっており、私の言葉は彼らを通して各国の代表の耳に入る。表舞台では彼らが政治活動を行い、その裏では私達が見守っているのだ。そうやって世界は回っている。
例えばだ。
私がひと言「現在任期中の米大統領を辞めさせろ」と言えば、半年以内にはそうなるだろう。あるいは「次のメイクトレンドはマロ眉」と言えば、徐々に世界はマロ眉トレンドに移行していく事になる。
どうだ、すごいだろう。
……まあ、例を出しただけでそんな馬鹿な事はしない。王だからと言って無責任な事をホイホイ言うことはない。安心してほしい。世界を無駄に混乱させる事は、王の望む所ではないのだ。然るべき時に、然るべき者が、行き先を導く。これでいい。
ピピピピと携帯電話のアラームが鳴った。さて、そろそろ仕事に行かなければいかない。私は立ち上がり、冷蔵庫を開けた。昨夜作っておいた冷たい麦茶を水筒に入れる。その水筒と財布と鍵をバッグに入れ、外へ出た。仕事と言ったが、王の業務では無い。インターネットが発達し、自宅にいながら世界と繋がる事が出来る今日、メールとニュースをチェックすると、世界情勢に大まかな事は把握できる。各国の舵はその国の代表がとっているで、よっぽどの事がないかぎり、その国の指針に口を挟む事はない。だが、世界のバランスが崩れぬよう、必要な調整は行う。放っておけば容易く破滅に向かうこの星の舵をとっているのだ。
そこそこ年季の入ったアパートの自宅を後にし、本日の現場へ向かった。うん? 自宅がしょぼくないかって? 世界を統べるようなすごい人物なのだから、さぞや素晴らしい豪邸に住んでいるのだろうと考えるのは間違っている。そんな事をしても目立つだけだ。目に見える指導者すでにいる。本物の王はその裏でひっそりと、そしてどっしりと構えておれば良い。私の存在は公にはしない。それは身をひそめる為であり、身の安全を守る為だ。この広い地球上でたった一人、誰よりも強い権力を持っているのが知れたらどうする。取り入ろうとする者、懐柔しようとする者、恐喝しようとする者。あとを絶たないだろう。それらから身を守る為に信頼できる警護を付けたり、堅牢な城塞を建てるのはいささかもったいない。世界規模の管理をするのだから、お金はいくらあっても潤沢とは言えないのだ。大切に使わなければいけない。そうすると身を潜めてひっそりと暮らす方が効率が良い。誰だって、工事現場にいる交通整理の光る棒振りおじさんが世界の王だとは思いもよらないだろう。おじさんが棒で照らしているのは道路だけではない。地球の行く末もだ。ああ、肩が痛くなってきた。一般人に擬態するのも容易ではない。
仕事が終わると、王は帰路へ着く。適度な肉体疲労と、仕事を終えた充実感が心地いい。タオルで浮き出る汗を拭いながら、我が家へと歩みを進める。
ここで私のひそかな楽しみを紹介しよう。なに、世界の王と言えど、そんなに大したことではない。
——おでんだ。
ジャパニーズ・ソウルフード・ODEN。
ジュワッと汁が溢れる大根。おでん色に染まった玉子。他にも魅力的な子が多数。湯気の立つホカホカの汁に浸かったおでん達を、私は愛してやまない。
うちの近所には一年中おでんを販売しているコンビニがある。珍しいだろう。夏場におでんを買う人はあまりいないのだろうが、私は違う。毎日これと決めた3つだけ、おでんを買う。暑かろうが寒かろうが関係ない。実は曜日毎に買う具を決めているが、まあここでは割愛しよう。そのコンビニに到着した。
ピンポーン。来客を告げるチャイムが店内に響く。
「いらっしゃいませぇ」
まず私は迷う事なくアルコールコーナーへ向かう。第三のビール350mlを2本とった。レジへ向かう途中にスイーツを横目で見る。……いつかティラミスを食べてみたいが、まだ買う勇気はない。諦めてレジにビールを置いた。
接客をするのは若い店員君。新顔だ。
おい、新入り君よ。王はおでんを所望するぞ。私はすっと、おでんコーナーを指差す。
「玉子と厚揚げ、それと大根。ひとつずつ」
「はい、おでんですねぇ」
店の外に出ると、まだ陽が高かった。むっとした熱気が身体にまとわりついた。これからますます暑くなるだろう。ビールとおでんが入った袋を握りしめ、私はまた歩き出した。
アスファルトの道路を進みながら、私はふと考える。どうして我々は自我を持ち、生きているのだろう。喜怒哀楽の感情に揺さぶられ、時に生き残るための本能が牙をむく。誰かが笑えば誰かが泣く。生きる為に他の命を頂く。生きたいと思っている者がおり、死にたいと思っている者がいる。決して平等とは言えない世界だ。しかしこれは何千年、何万年と続いた命の連鎖の結果。いろんな要素が複雑に絡み合い、作用し、命が繋がれてきた。気の遠くなるような年月をかけてだ。きっとこれからも続いていくだろう。この膨大な時間を考えると、私の人生など一瞬に等しい。「生きる」とは我々が考えるほど意味なんてないのかもしれない。
しかし、私は思う。
人間は、命は。
幸せになる為に生まれてきたのだ。
豊富な水と豊かな自然に恵まれ、たくさんの命が生きているこの美しい地球。
私はそれを守りたい。
「あ、あの! お客さま!」
考え事をしていたら、後ろから声をかけられた。振り向くとさっきのコンビニの若い店員君だった。走ってきたようで息が乱れている。
「すいません、俺、カラシと割り箸入れるの忘れちゃって!」
そう言うと黄色いカラシの入ったパックと割り箸を一膳差し出してきた。わざわざ追いかけてくれたのか。「そそっかしくて、すいません」と苦笑いした彼。私は微笑ましい気持ちになった。ありがとうと礼を言い、箸とカラシを受け取る。疲れた身体に、やる気が充填された気がした。
もうすぐ自宅に着く。
さあ、これからまたひと踏ん張りだ。
私は、この世界の王である。
ちなみに好みの女性のタイプは石原さとみだ。