Conclusion:31 独りぼっちは終わっていた
独りで戦うのが正しいと思ってた。
一人で背負うのが強いと思ってた。
…………でも、違ったんだな。
――――桐久保カルマ
『さぁ、あなたの依り代はここにいる! あなたの贄はここにある! いざ来たれ、魔神!』
魔神の魔力を取り込んだ親父は、高らかに、歓びを滲ませた呼び掛けを行った。
その言葉に呼応し、親父が取り込み、纏っていた魔力が膨れ上がる。
『やめろ…………やめろ、親父!』
止められなかった。
そんな思いが胸中を占領する。
『負けなのかよ…………オレの、負けなのかよ!』
悔しさのあまり、情けなさのあまり、そう叫んでいた。
魔力を纏う親父は、歓喜に満ちた表情で、その魔力を取り込み続ける。
『これで、僕はようやく…………』
だけどその時、異変が起きた。
『……っぐ!? ぐぅうっ!?』
突然、親父が苦しそうな呻き声を上げる。
『ぐ、ぐぅ…………あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!』
『い、いったい何が………?』
頭を抱え、倒れ込みのたうち回る親父は、言葉を紡ぐ。
それは先程までの歓喜とは正反対の、絶望と驚愕に満ちた、悲痛な声。
『なんだ………この、力は!? これは、魔神、じゃ、ない…………?』
そして次の言葉でオレは、親父の絶望の意味を知る。
『嘘だ…………嘘だ、そんな…………魔神が、僕の、神が…………
―――死んで、いた?』
その言葉と共に、親父の動きが止まる。
オレはこのとき、どこか油断していたのだろう。もう親父がこれ以上、狂う事は無いのだと。自我を失うことはないだろう、と。
だから、次の光景を、信じることができなかった。
自分の人間を捨ててまで縋った相手が死んでいた。それを知った親父の心は、ついに―――
『ふ、ふはは、はは…………はははははははっはふっははーははははっふふは!』
―――完全に、壊れてしまった。
哀しみながら、笑いながら、怒りながら、呆れながら、親父は狂った咆哮を上げる。
『ああ、嗚呼、吁、アア、亜唖、そうか、ソウカ、添うか、挿花、嗚呼、そうか!』
『お、親父?』
『だったら今度は、神を蘇らせよう!』
『なん………っ!?』
『もっと沢山の魂を用意してさ、もっともっと沢山時間を使ってさ、それでも足りないなら、もっともっともっと、もっと沢山の人間の魂を使ってさ、今度は魔神を蘇らせよう! そして、その後で、沢山魂を供物にしよう!』
絶句した。
その発言にも、行動にも、そしてなにより、様々な表情を次々に入れ替え、顔を涙と血で汚したその顔に、その心に、言葉が出なかった。
『おい……おい、親父…………』
『そうだな、そのためにはまず何が必要かな? そうだな、そうだね、まずは手足となる魔人どもか。だったら魔人を作るために…………』
『親父!』
ぶつぶつと、とんでもない思考をし始めた親父を制止すべく、オレは大声で呼び掛ける。
すると、ピタリと声が止む。そして、こちらを振り向く。
『…………やぁぁ、カルマくん』
『―――っ』
そして合った目は、どこまでも黒かった。
アジア人特有の黒目ではない。親父が今流している血と同じ、どこまでも禍々しくて、見ていて嫌悪感を催す程の闇だった。
『カルマくん、ねぇ、カルマくん。僕さ、これからまた戦争を始めるんだけど、準備に時間がかかるから、もう少し待っててよ』
『っ! ふざけんな! そんなこと、認められるかよ!』
激昂して叫んだその声に、親父がダルそうに手を振るう。
直後、凄まじい衝撃がオレを壁に叩きつけた。オレは壁を突き抜け、階段の踊り場までの転げ落ちる。
『カルマくん。君が僕に…………息子が! 父親に! 命令を、するな!』
『ぐふっ…………初めて、見たぜ……アンタの怒った顔なんざ』
『僕は、これから準備に入る。邪魔をするなら――――――殺す』
そう言って、オレを一瞥した親父は、部屋の中に戻って行った。
『させる、かよ…………っ!?』
階段を登ろうと立ち上がったとき、不意に膝の、いや、体全体の力が抜ける。
『え?』
限界だった。いや、限界は既に来ていたのだ。それを魔力で補い、気力で誤魔化して来た。
なら、この限界は体の限界ではない。気力と魔力の限界なのだ。
だが、気力はまだ残ってる。魔力が、足りない。
『くそ! 動けよ! なんで、なんでここで、こんなときに!』
やるべき事はまだ残ってる。
約束したんだ、妹と! 親父を止めるって!
約束したんだ、幼馴染と! もう喪わないって!
約束したんだ、恋人と!
―――絶対、帰るって!
情けない自分の体を叱咤し、這いつくばりながらも、懸命に階段を登っていく。
『まだ倒れるには早すぎる! オレは…………オレはまだ!』
――――ドクン…………せ……い……
微かに、何か聞こえた気がした。
『はぁ、はぁ………っ……はぁっ』
何とか登りきり、オレは最初の部屋に入る。
―――そこで見たのは、嵐だった。
神殿の上に昇った親父を中心に魔力が繭のように球状となり、圧倒的な魔力の嵐が、吹き荒れていた。
そして、その嵐を止めようと、人魔と神騎が攻撃を繰り広げていた。
だが、その攻撃はすべて嵐に墜とされ、飲み込まれていた。
「カルくん!」
『カルマ様!』
その時、オレを呼ぶ二つの声が聞こえた。その方向、後ろに顔を向けるとヒナタとルル、オレの大切な二人がそこにいた。
『お前ら、なんで…………』
ここに? と続く言葉は出せなかった。
なぜなら、その言葉を遮るように、二人がオレに抱きついて来たから。
『ああ、カルマ様! こんなに傷だらけになって…………もう、もうこれ以上、貴方一人に戦わせることなど、わたくし達にはできません!』
「そうだよ、カルくん………もう、休んで良いんだよ? 後は、私達に任せて?」
ルルが涙ながらに縋りつき、ヒナタがオレを優しく抱き締める。
その二人の優しさが暖かくて、心地よくて、つい、その言葉に甘えてしまいそうになる。
――――でも
『ダメだ。二人とも』
「『え?』」
『これは、この戦いだけは、譲っちゃいけねぇんだ…………』
「でも、カルくん!」
『この戦いは親父が始めたことで、みんなを巻き込んだのは、息子のオレなんだ!
…………オレ達家族が起こした戦いは、オレが止める。止めなきゃ、ならないんだ』
オレの言葉に、二人は沈黙する。
「だけど…………だけど!」
ヒナタが涙を流しながら強く抱きついてくる。
「もう、こんなにボロボロで、魔力も………、マルカちゃんも、居なくなって…………っ!」
『そうですわ! こんな状態で戦えば、貴方は…………カルマ様は、死んでしまいます! わたくしに、わたくし達に、それを見過ごせと、貴方は申すのですか!?』
二人を、泣かせてしまった。
二人の言い分は正しいのかも知れない。…………いや、正しいのだろう。
いつだってオレは、正論に対して、意地と、自分勝手な使命感で抗っていた。
だから、これもオレのちゃちな意地であり、身勝手な我儘なのだろう。
―――だけど、それがなんだ。
それがわかったところで、理解したところで、今までも結局、それを押し通して来たじゃないか。
それを今更、こんなときに曲げたら、これまで押し通して来た意味が無いじゃないか。
オレはこの日のために、この時の為に、無理を、我儘を押し通して来た。
「また…………一人で戦うの?」
『――――』
ポツリと小さく、しかしこの距離では、はっきりと聞こえる声で、ヒナタが呟いた。
「また一人で抱え込んで、一人で抗って、独りで戦うの? カルくん」
涙ぐんだその言の葉は弱々しくて、震えていて、オレを責めるように、心配しているように、ゆっくりと綴られていく。
「独りは止めたんじゃないの? ねえ、もう一人で戦うのは止めたんじゃないの? 私たちを、頼ってくれるんじゃないの? ねえ、カルくん!」
弱々しかった問いは、徐々に大きくなり、そして完全に涙声になりながら、彼女はその潤んだ瞳でオレの目を見続ける。
「私は、君にまた会えて嬉しかった! 君を傷つけて怖かった! 君に頼られて、愛されて、私は幸せだった! 君と共に戦えて私は、何も怖くなかった! ずっとずっと、隣にいるって、君と約束した! なのに、なのに君は、また一人で、独りぼっちで戦おうとしてる!」
激情に駆られた声は高く、肩に乗せられた両の手は、きつく握り締められている。
「君は独りぼっちなんかじゃないって、気づいたんでしょ!? 背中を、肩を支えてくれる友達が、仲間がいるって、気づいたんでしょ!? だったら頼ってよ! 君のお父さんだからって、君の家族の問題だからって、私を、仲間を、のけ者にしないで!
…………私はずっと、私がずっと、最後まで君の側にいるから」
最後の言葉に、力は乗っていなかった。
言い終わった彼女は、嗚咽を漏らし、涙を流し続ける。
『全く、ヒナタさんに言いたいことを全部言われてしまいましたわ』
泣いているヒナタの背中を擦りながら、ルルは困ったように呟いた。
『カルマ様。わたくし達は確かに、貴方より弱いかも知れません。ですが、いつでもわたくし達は、貴方の力になりたいと思っております。
どうか、お一人で戦おうなどと、思わないでくださいまし?』
二人にそう言われ、オレは俯いて思考する。
一人で戦うのは、確かにもうやめた。やめた筈だった。だけど気づけば、オレはいつの間にか、これは桐久保家の戦いだ、オレがケリを付けなくちゃいけないって、そう思い込んでいた。
――――あんだけマルカに、叱られてたのにな。
「私達は独りではない」―――そう言って消えた彼女が今のオレを見たら、なんて言うだろうな。
いや、多分きっと怒られる。しこたま怒られる。
だから、というわけでは無いが、
『ヒナタ、ルル…………オレに、力を貸してくれ』
そう言って、オレは頭を下げた。
それを見て目を丸くした二人は、互いの顔を見合わせ、ぷっ、と小さく吹き出す。
「全く、いっつも遅いんだから、君は」
『ホントに、ですわね』
そうして、二人は満面の笑みを浮かべた。
二人に肩を貸してもらい、立ち上がったとき、
――――ドクン………せん………い……。
『!!』
また、音と声が聞こえた。
――――ドクン………せんぱい…………
「え? 今のは?」
『もしかして………?』
どうやら、オレだけが聞こえたわけでは無いようだ。ヒナタとルルも、周囲を見渡す。
――――ドクン…………先輩…………
――――ドクン………ぼ先輩…………
声がどんどんハッキリとしていく。音も、微かだった物が、次第に力強くなっていく。
音の源はどこかと見渡すと、母さんの形をした魔像が、正確には、その胸に埋め込まれた拳大の赤い宝玉が、脈動音と合わせるように明滅していた。
――――ドクン…………桐久保先輩!
――――ドクン………桐久保先輩っ!
そして完全に聞こえた声は、オレ達のよく知る声だった。
『…………神谷、なのか?』
神谷真琴。魔神の器であり、オレ達の後輩だった、口の悪い仲間。
――――何、情けない顔してるんですか! て言うか、何朝霧先輩泣かしてんすか! ぶっ飛ばしますよ!?
『………へっ、案外元気そうじゃないか』
――――ああ? なにカッコ付けて話そらしてんすかバカなんですか? 言っときますけどここにある魔力使ったら先輩なんて指先ひとつで宇宙の彼方イス○ンダルまでぶっとびますよ?
『口悪いな!?』
むしろグレードアップしてないか、これ?
――――まあ先輩がナルシストでキザでおバカなイケメン擬きなのは今更だとして
『喧嘩売ってんのか!?』
――――先輩、そんな体でどうやって戦うつもりなんですか?
『それは…………』
正直、考えてはいなかった。
――――どうせ、さっきまで見たいに、『負けられないから気力で何とかする!』的なこと考えてたんでしょ? やっぱりバカじゃないですか。
…………図星を突かれて、オレはぐうの音も出ない。
『…………ぐう』
訂正。ぐう位は何とか出た。
――――だから先輩、魔力を補充してください。
『え?』
――――俺の宝玉の中には今、大量の魔力があります。それを使えば、先輩の魔力なんて一発で…………
『ダメだ!』
神谷の言葉を遮り、オレはそう叫んだ。
『それは、親父に殺された、なにも知らない人達の魂からできた魔力だ。それは、使えない…………』
当然だ。それを使えば、オレはきっと親父と同じになってしまう。
今ここで、それを使うわけにはいかなかった。
しかし、オレのそんな不安を打ち消すように、神谷の言葉がかけられる。
――――大丈夫ですよ。これは、俺自身の魔力ですから。
曰く、器の中にある魔力のすべては、神谷が宝玉になったときに解放された、彼自身の魔力であり、人間の魂からできた魔力は現在、親父を覆い尽くしている、あの繭を形作っているらしい。
そして、なにより―――
――――俺を喰らうことで、先輩は皆の力を受け入れることができる。
何せ、相手の魂術をコピーする先輩と、俺の魂を受け入れる性質が合わさるんですから。
『喰らうって、お前…………』
――――いいんです。だって、俺はもう、あの時には戻れないんですから。
その言葉に、オレの胸中は後悔に埋め尽くされた。
『ごめん、助けてやれなくて』
――――いいんですよ、もう。ただしその代わり、絶対に勝ってください。そしたら、許してやりますよ。
そんな軽口を織り混ぜた許しに、オレは小さく笑う。
『ああ、勝って見せるさ、なんとしてでも』
そしてオレは、神谷の宝玉を、手に取った。
『ところで神谷さんよ』
――――なんです?
『この宝玉、拳くらいの大きさなんだけどさ、まさか【魔神変躯】みたいに物理的に喰うわけじゃないよな?』
――――はぁ、何言ってるんですか? 先輩。
『そ、そうだよな! やっぱりこれは、冥道の力で喰うべき…………』
――――物理的に喰うに決まってんじゃないっすか!
ほら、一息に!
『無茶ぶり!? …………ええい、ままよ!
ガリッ!
……………痛い…………』
歯が折れるかと思った。
6000字…………6000字かー
いつもの倍だね!




