粋な女
「おーーい、竜二ー!」
遠くの方から聞きなれた女の声が聞こえてきた。
目を集中させて確認すると、幼稚園らいの幼馴染の近藤 真鳴であった。近所の造り酒屋の娘である。
真鳴は手を振りながらこちらに向かってきた。
「やあ竜二。朝から何か悩んだ表情を浮かべてるけど、そんな顔は粋じゃないよ粋じゃ」
何が面白いという訳でも無さそうだが、真鳴は扇子を広げてフハハと笑ってみせた。
彼女は幼い頃から粋という言葉が好きなのもあって、非常にはっきりとした性格の持ち主だ。男女を問わず人気がある。背は普通ぐらいで髪は茶色でショートカットの前髪パッツンだ。
そして一番目につくのが……胸が大きい。いつも制服のボタンを3つぐらい開けていないと息が苦しいらしい。スカートも常に短いのを穿いているのだが不思議な事に、どれだけ走ったり風が吹いても、そのスカートは意思でも持っているかのように鉄壁のガードを見せるのだ。
「いやさ、俺たちの町も変わっていくもんだなぁと哀愁にふけっていてな。どうだ、粋だろ」
「それ粋っていうより、もうオッサンだと思うけど……」
少し表情を曇らせた真鳴であったが、またすぐに粋な笑顔に変わった。
「それでさあ竜二、先週の話の続きなんだけどさぁ」
「まーたその話か……。もう良いだろ。しつこいのは粋じゃないぞ」
「いやいや、中途半端に終わらせる方が粋じゃないってもんよ」
「そうでっか……」
先週の話とは、たまたま2人で帰っていた時に、噂好きの後輩の女の子から「竜二さんと真鳴さんはつきあってるんですか?」という質問が飛び出た。
俺は当然違うと答えたのが、何を思ったのか真鳴は扇子を広げて大げさに「あちゃーー、バレちゃったかー」と、言いやがった。一応後輩には誤解を解いたのだが、それ以降会うたびに「ねえ、実際に付き合ってみない?」と言われる始末である。
「ねえ竜二、私たち友達として長くやってきたけどさぁ、彼氏彼女になってさあ、粋な付き合いをしていこうじゃないか」
妖艶な笑を浮かべてこちらに擦り寄ってきた。真鳴特有のバラのような甘い香りが脳を直接刺激する。
俺の嗅覚は完全に支配されてしまった。
そして今度は視覚を攻めてきた。大きな胸を前に出し、元から際どい制服のボタンを更に一つ開けた。更に短いスカートを先のほうだけ、つまむ程度に上げた。
それだけで俺の視覚を支配するには充分だった。
俺は正気を保つために顔を大きく二回ぶんぶんと振った。
「あのさあ、俺は思う事があるわけだが」
「なにさ?」
「最近この町も風景が変わってきただろ。だからさ、変わらない大切さを学んだわけよ」
「うん」
「俺の寺も変わらない、お前の造り酒屋も変わらない。いやいや、変わらないって素敵だよね」
「うん……」
「そう言えば俺たちの通ってた小学校も変わったらしい。大きく改装があるそうだ。非常に残念だと思う。ああ、変わらないって大事。変わらないって素敵」
変わらないというのを強調され、粋な真鳴もさすがに少々落ち込んだ様子を見せた。
「もういい。分かった分かりましたよ。粋に友達としてやっていこうじゃないか。はあー……」
「そういう事だ」
そうして俺たちは昔と変わらず、いつもとわらない様子で歩き始めた。
「むむむっ!!」
学校へと向かう並木通りの途中、急に真鳴が体をぶるっと震わせた。
「どうした?」
「反応している……、私の粋レーダーが反応している……」
「気持ち悪いレーダーだな」
まるで犯人を探し出すかのように、真鳴は警戒しながら周辺を見渡した。
良く見ると俺たちの前に、カツアゲをしている他校の生徒3人がいた。みんな一目見ただけで不良と分かる格好をしている。ちなみにカツアゲをされているのはうちの生徒だ。
出来るなら、関わりたくない人達だ。
「おい真鳴、端通って行くぞ。あんな奴らを殴った日には、俺たちまで不良扱いされるぞ」
喧嘩も華という考えの真鳴なので、助けに入ると思ったが、俺の意見に頷いてくれた。
そして真鳴は息を大きく吸い込んで……
「ちょっと待ったあああああ!!!!」と、大きな声を出した。
不良達は一斉にこちらを振り向いた。俺は「やっちまった……」と小声で言い、目を逸らした。
俺の気持ちも知らずに、真鳴はどんどんと前に出ていった。その様子はまるで黄門様のようだ。とりあえず俺も後ろをついて行った。
「ああ? なんだテメェら? ぶっ殺されてえのか?」
まるでテンプレの如く絡んでくる不良達に対し、真鳴は同様の欠片も見せなかった。
「数人で一人をたかるなんてさ、君たちは粋じゃないにも程があるねぇ」
「あ? 息がどうしたって? テメェ舐めてんだろ!」
3人の中で一番大きいリーゼントの男が俺たちに近づこうとしたが、下っ端っぽい一番小さい不良がそれを止めた。
「ちょっと待ってください。女の横にいる男なんですが、かなりの強者に見えるのですが……」
不良たちの視線が俺だけに向けられた。
そして俺は──
「あっ、俺関係ないんでー。勝手にやっちゃって下さい」
と、シラを切った。
別にこいつらが怖いと言うわけではない。以前に真鳴が喧嘩仲裁に入っていくのを止めたときに、俺が真鳴に怒られたのだ。悪い事もしていないというのに。
そんな俺が腑抜けに見えたのか、不良たちには余裕が戻っていた。どう見ても似合ってないリーゼントをぶら下げ、大きい不良がまた前に出てきた。
「なあ姉ちゃん、良く見ると綺麗な顔してるじゃん。俺と付き合うってんなら許してやってもいいぜ」
不良たちは顔を見合わせながら笑った。
「あら残念、私が好きなのは粋な男であって、粋がってる男じゃないんだよねぇ」
「こいつこんな状況で何上手いこと言ってんだ……、しかもアニメで見たぞそのセリフ……」
「ちょっと竜二! 横から余計なこと言わないでよ! せっかく格好よく決まったのにぃ……」
ほーら、怒られた。
真鳴は不良たちに背を向け俺の方を向いている。その行為に大きい不良がキレてしまった。
「このアマが! 舐めてんじゃねえぞ!」
大きい不良は真鳴の胸ぐらを掴みに行った。
しかしその寸前──
「はっ!」
真鳴の扇子が男の顔を引っぱたいた。まるで音が出る火薬入りの銃みたいにスパンッという音が響きわたった。
大きい不良は横に弾かれて膝をついた。ダメージというより、驚いて動けなくなっているように見えた。
「おやおや、この程度で驚いてもらっちゃあ困るんだけどねぇ」
扇子を巧みに使い、まるで歌舞伎のような立ち振る舞いを真鳴は取っていた。
「や、野郎! なめんなよ!」
残りの2人も慌てて突っ込んできた。
「あらあら、女の子を野郎呼ばわりなんて、粋じゃないね」
そこから先は、まるで闘牛士を見ているような感覚だった。
一人目の不良をセンスで体ごと流し、体勢を崩した所に後頭部を叩いた。驚いた二人目には閉じたセンスで胸を突き、下から顔を叩き上げた。
2人共、致命傷とまでは全然行かなくても、すぐに立ち上がるのは無理そうな感じだった。
扇子を振って器用に閉じて、回しながらポケットの中に入れて見せた。
「すごいな。これが粋ってやつか」
俺は短くではあるが、最大級の賛辞の言葉をかけた。
真鳴も真剣な表情から一変、いつもの余裕ある笑顔でこちらを向いた。
弛緩した空気が俺たちを包んだ。
──しかし
「ぜってー殺す……」
一番最初に倒したはずの大きい不良が既に立ち上がって、再び真鳴の方へ向かっていた。彼の予想外の回復の早さと、真鳴が俺の方を向いてるのもあって気づいていない。
しかし俺には確信があった。真鳴は絶対大丈夫だという。真鳴が完全に警戒を解いているとは思えないし、いくら不意をつかれても実力差があるので対応出来るだろう。
万が一、真鳴が殴られたとしても大丈夫だ。俺が助けなくても大丈夫。後々めんどうな事に巻き込まれるのも面倒だ。大人しく最後まで見てるのが良い。
頭では分かっていた。頭では理解していたつもりが……
──気づけば体が動いていた
「ん? どうしたの竜二って、あ!」
真鳴が気づいた時には大きい不良が拳を上げて、今にも襲いかかろうとしている時だった。
俺は大きい不良の横から飛びつくように接近していった。
──そして、渾身の足払いが決まった。
大きい不良はまるでどけ座でもしているように真鳴の前で倒れた。
「あっ、ごめん!」
自分でも余りに無意識での行動だったため、ついつい不良に謝ってしまった。
不良も何が起こったのか分からなかったんだろう。取りあえず目の前にある物を見た。
──それは真鳴の美しい足だった。
大きい不良は徐々に視線を上げて行った。足から膝、そして太ももへと。更に上を見上げてみたが……
──そこからの視界は、扇子によって阻まれた。
「私は長いスカートが嫌いでね。基本的に隠し事をするのは粋じゃないって考えなのよ。だからいつも短いのを穿いているんだが、見せてしまっては粋どころじゃ無くなるからね」
「あ……ああ、あああ……」
不意の突撃も失敗して、更に覗きまで失敗したのがショックだったのか、大きい不良は震え始めた。
そんな彼に真鳴は顔をゆっくりと近づけて……
「あんたは、特別ね」
と言い、股間を蹴り上げた。
「はうあっ!!」
大きい不良は今度こそ前のめりになって倒れた。
「はーい、竜二、終わったわよ……って、何してるの?」
気づけば俺も軽く前のめりになっていた。男なら分かるだろう、見ているだけで苦しくなるこの感じを。
「いや……何でも無いです。それよりカツアゲされてた奴はどこ行った?」
「どうやら途中で逃げちゃったみたいだね」
既にカツアゲされた子のサイフを真鳴は持っていた。
「それじゃあそれどうする? 俺らが貰ってくか?」
「何言ってんのさ。探して返すに決まってんだろ。そんなお金の使い方、粋じゃないね」
粋って大変で、つまらねえ物だなあと思った。まさに骨折り損の草臥れ儲けである。
真鳴はサイフから生徒手帳を取り出し、持ち主の名前を確認して元に戻した。
「斎藤君か。よしっと。なあ竜二、今から学校に行く前にちょっと見て欲しい物があるんだけど」
「なんだよ」
また何か面倒事に巻き込まれると思った俺は、相当歪んだしかめっ面をした。
真鳴は腕をゆっくりと横へ広げていった。腕を軽く伸ばしきった所で止めた。顔は少し赤くて、少し照れているように見える。
そんな状況が、数十秒続いた。
「??」
何が起こるのか全く予想も出来ず、ただその光景を見る事しか出来なかった。
すると俺の方を見て、軽く笑窪が上がる程度にニッと笑った。そして軽く足をステップさせ、舞うようにして後ろを向いた。
風でスカートがふわりと宙を浮いた。
──ピンクだった。
もはや何がとは言わないが、ピンクだった。
堪能する暇も無く、すぐに扇子によるガードが入り、真鳴の短いスカートはいつもの絶対領域に戻った。
完全に呆気にとられた俺は、口を開けたままになっていた。
「そ、その……助けてくれたお礼だからね! 粋なお礼ってやつよ! は、はははっ!」
俺を見ることも無く、もはや笑いにもなっていない声を出しながら一人で走って行ってしまった。
恐らく粋な照れ隠しであろう。
そんな光景を見ながら、俺は
「いや、やっぱり粋って良いなぁ」
と、自分で自分の事を現金なやつだと思った俺であった。
「しかしなあ、自分で粋って言うぐらいなら、下着は穿いていて欲しく無かったなあ」
だよなぁ? と、俺は誰もいない方向を見ながら一人呟いた。