革命家とテロリストと 3
相も変わらず、今日も青年は一ヶ月前に発売された雑誌に目を通していた。
しかし、今日はいつもと部屋の雰囲気が違う。少女がテーブルの上に広げられた新聞を読んでいるのは、既に日課となっている光景だったが、今日は、読んでいるというよりも睨みつけていると言った方が、正しかった。
「トーヤ、やっぱりアーカルに戻りましょう」
(またそれか)
新聞の一面を見てからというもの、少女はひっきりなしにその言葉を繰り返すのだった。
青年が町で新聞を買った時から、良くない予感は感じ取っていた。一面に炎上する車と、巨大なフォントで書かれた見出しを見れば、誰だって眉を細めるというものだ。青年はアーカルの言葉が読めなかったので、いったい誰がその車に乗っていたのかまではわからなかったが、それでもその国にとって重要な誰かが死んだということだけは、いやでも伝わってきた。
「戻ったって、どうにもなんねーよ。黙って大人しくしてろ」
ソファで横になる青年は、雑誌から目を逸らさずに少女に言う。
「でもアラン・コアがピンチなのよ? 黙っていられないわ。誰かが助けにいかないと」
「お前が行っても、なにも変わんねーだろ。第一、お前の言い分が正しいんなら、爆破テロの犯人はその姫様じゃないんだろ? だったら誰かが姫様の味方するさ、たぶん」
炎上する車に乗っていた重要人物は、アフメト・ウスラ導師その人だった。
次期権力者の首が飛んだとなれば、新聞の一面を賑やかすには十分なビッグニュースだ。そして、その首を飛ばしたのが、革命の英雄、アーカルの姫、アラン・コアとなれば、三流ゴシップもびっくりの大スキャンダルだった。
「もちろんよ。彼女のカリスマをなめないで。彼女について行った近衛兵たちなら、死んでも彼女を守るわ」
「そりゃ御見それしました。ってか、近衛兵って?」
「……あなた、革命の時、いったい誰に雇われてたのよ……」
最近、少女の青年に対する畏敬の念というものがめっきりなくなっていっているような気がする。それを感じさせるに十分な、少女の怪しいものを見るような視線を雑誌で防ぎつつ、青年は答える。
「革命軍が雇った派兵会社に、さらに雇われてたからな、俺は。詳しい状況なんざ聞いてなかった。とりあえず、赤地に青の剣が入ってるマークにバツ印付けてる奴が味方とは聞いてた」
「赤地に青の剣は近衛兵団の印よ。近衛兵団はね、大統領官邸だとか、国会議事堂だとかがあるアーカル大統領府を守る武装組織なの。アラン・コアはそれの一部隊の隊長をやってたわ」
「女隊長か。かっこいいね」
青年は口笛を吹きかけたが、鋭い視線を感じ、姿勢を正す。
「で? どうしてその姫様は大統領に立てついたんだ?」
真面目に話を聞いている素振りを見せないと、少女が癇癪を起こしかねないので、興味がなくても青年は続きを促す。
「重税の上にイカレた法律のせいで民衆が喘いでいるというのに、無能をひけらかす独裁者に嫌気がさしたんでしょう。彼女は彼女についてくる近衛兵たちと共に、のちにオルホン革命といわれる戦いを始めたわ」
(なんだかえらく饒舌だな)
若干しらけ始めてきた青年を置き去りにして、少女の語りは止まらない。
「といっても、彼女と近衛兵の戦力なんてたかが知れてるわ。大統領府に残った近衛兵団と比べれば拮抗どころか明らか劣っていた。そこに手を貸したのがアーカルの豪族たちよ。バチエ政権が倒れて得をするのはなにも民衆だけじゃないわ、増税の波に流されないように豪族も必死だったのね」
少女の目がキラキラと輝いているように見える。どんなに可愛い子でも、無邪気に政治問題や歴史について語りだす子は怖いな、と青年はこの時思った。
「資金源を得た彼女は、中東で流行っていた傭兵という存在に目をつけた。後はあっという間。なだれこんだ傭兵の軍勢に大統領府は落とされたわ」
「へぇー」
何度も読み返した雑誌を見るよりも、少女の演説の方がマシか、と考え直し、おざなりの相槌を打つ。
「その後、臨時大統領になった彼女は、バチエ大統領がつくっていた議会と内閣を解散させて、新しい国の担い手を決めるために、選挙の公示を行ったのよ!」
「わぁー、すごーい」
少女はあたかも自分の功績のように語り、その小さな胸を張る。どうやら少女の中ではアラン・コアは親の仇ではなく、救国の英雄として奉られているようだった。
「だからなによりも国のことを考えて動く彼女が、国の足を引っ張るようなことをする筈がないの……」
「………………あ、うん、そうだな」
反応が遅れたのは、間違いなく、少女の話を右から左に受け流していたせいだろう。
「アフメト導師は別の誰かに殺されたのよ。間違いないわ」
「じゃあなんで、アーカルの姫様が殺ったってことになってんだよ」
青年のずっと言いたかった一言だった。
「火のないところに煙は立たないって、東のことわざにあるぜ? アラン・コアだって今回の件になんかしら絡んでるのさ。お前が誰を信じるのかはお前の勝手だが、俺はあの女を知らないし、信用もできない」
「……なによ。彼女の写真見て、鼻の下伸ばしてデレデレしてたくせに」
少女が不服そうに青年を見やる。
「それとこれとは話が別だ。せっかく生きてここまで来れたのに、わざわざ死に行くようなことができるか、っての」
ハァ、と少女は嘆息をついた。
「そうね。行っても無意味よね。どうせ、アランはあなたみたいな腰抜け相手にするわけないもの」
少女との会話はフラストレーションが溜まる一方だ。そういう風に少女が仕向けていると気付いていても、青年はイライラを押さえきれない。
「なーんで、そんなアーカルの姫様にこだわるんだ? 命の恩人だったとか?」
「私は大統領府に軟禁状態だったから、話し相手は近衛兵のつまみ者だったアランぐらいだったの……」
突然、神妙な顔つきになったかと思うと、重々しく言葉を綴り始める。
「あの土地で絶対的な権力を持っていた母に嫌われてたから、私の存在に気付いていても、私にあえて接触しようとしてくる人なんて誰もいなかったわ。でもね、アランだけは違った。彼女は、私の、唯一の友達だったの」
「なにかと思えば泣き落としかよ……」
そう呟くと、青年は再びソファに横になって雑誌を広げ始めた。
少女はその様子に大層不満そうだ。目を細め、頬を膨らませる。
「あなた、私のこと助けたわりには私に全ッ然、興味ないよね。そんなに興味ないなら、どうして助けたりしたの?」
青年は雑誌から目を逸らし、少女の瞳を捉える。青年は困ったように顔をしかめる。眉間に皺が寄っているところを見ると、少女のことが煩わしくなったのだろう。
「人助けに理由が必要?」
「少なくとも、あなたは理由のない行動をするタイプではないと思うわ」
チッ、と舌打ちが聞こえた気がした。しかし、あまりにも小さな音だったので、それが偶然出た音なのかそれとも本当に舌打ちだったのか、少女には分からなかった。
「単なる気まぐれだ。それ以上の理由なんざ、ない」
再び雑誌で顔を覆う。
しかし、そのことを青年は直後に後悔する。雑誌に視界を奪われていたせいだろう。少女が椅子を降りていたことに気がつかなかった。青年が少女がすぐ近くに来ていたことに気付いたのは、ソファで横になる青年の上に乗りかかってきた時だった。
「なにしてる」
少女の意図がまったくわからない。青年が唖然としているのをいいことに、少女はそのまま背中に手を回し、抱きつく形で静止する。少女は、思いのほか、軽かった。
「あのさ、ダイナマイト体に巻きつけて抱きついてきた、自爆兵を思い出すから止めて欲しいんだけど」
それでも少女は動かない。このままでもしようがないので、青年はその状態のまま起き上がる。必然的に少女の手は離れ、二人の顔は額がつくほどに急接近する。少女は慌てたように顔をそむける。
「なにがしたいんだよ? 今日のお前なんだか変だぞ」
「……だって、トーヤが全然かまってくれないんだもん」
青年の方を向こうとはしなかったが、小さな声でそう言ったのは聞こえた。青年の背中から引きはがされた両手を、せわしなく胸の前でモジモジさせるのは子供の頃告白してきた女の子を思い出させる。
(……ガキが)
「ごめんなさぃ……」
今にも泣きそうに謝りながら、少女は降りようとする。突然、少女の視界に大きな手が過ぎて行く。
「えっ?」
少女が青年の方を振り向くよりも早く、青年は少女を抱き寄せるのだった。そのまま青年が横になったせいで少女の姿勢も強制的に横になる。
「ムぅ! ムムぅッッッッぅ!!!」
少女の右の手刀が青年の脇腹に突き刺さる。
「イッッッテェェッ! なにすん――」
「息できないっ!」
少女の絶叫と共に左の手刀も脇腹に吸い込まれていく。
「てめぇ、せっかく人が優しくしてやろうとしてんのに感謝の一つもないのかよ!」
「あれが優しく!? 清純無垢な美少女にいきなり獣のように襲いかかってくるとかなに考えてんの!?」
「ハァ!? お前が抱きついてきたから抱き返してやったんだろーが!」
脇への手刀のコンボを両手でガードしつつ、青年も叫ぶ。
「タイミング悪いし、あんたゴツゴツしてて全然気持ち良くない! 失格!」
少女が後ろにのけぞるように倒れこみ、そのまま青年の足の上で体を縮め体育座りのようになると、体を広げるその反動を利用して脇腹にドロップキックをかます。
「っと。ってどこ行くんだよ!」
ドロップキックの着地を上手く決めることができず、ソファから落ちていった少女は立ち上がるとそのまま歩いていってしまう。
「ケダモノに抱きつかれたからね。シャワー」
小さな背中はシャワールームに消えていく。
「………………そこまで言う?」
青年は引きとめることもできず、黙ってその背中を見送ったのであった。




