出会い
初投稿になるので、至らぬところもあると思いますが、宜しくお願いします!
まさに、血の海だった。
その血だまりの真ん中に横たわる男は、まるで、血の池に沈んでいく罪人のようにも見える。
まともな人間がいれば阿鼻叫喚といった景色なのだろうが、近くに佇むのはその男を殺した人殺しなのだから、この表現は相応しくないのだろう。
足元に転がるのは、なにも一体だけではない。その青年の見える位置だけで、二体の屍を確認できる。この二体が今回のターゲット、バチエファミリーだった。バチエ家の当主、そして妻。
父方の祖父母、兄弟筋の家族、その他の諸々の親族は、既にこの世にいないだろう。一族根絶やし。その最重要ターゲットの殺害が、青年に与えられた任務だった。
青年は、振り返り、部屋の外に出て行こうとする。
だが、二の足を踏めずに、立ち止まる。僅かに響いた、自然では決して出ない、かすかな音を、青年は聞き逃さなかった。
振り返る青年の目には、生の鼓動は見えない。ただ、ただ、静かに横たわる二体の屍があるだけだ。それでも、青年にはクローゼットの中にいるその子が、『視えて』いた。
足音を立てないように、血だまりを踏まないように大股で、クローゼットに近づき、手をかけた。木製の寂びれたクローゼットは、小さく音を立てて、開いていく。
「君は、誰だ?」
クローゼットの中には、確かに、少女がいた。
「ネシャート・バチエ」
少女が身をかがめているせいで、青年の視線は下に向けられる。
子供特有の、真白な瞳に浮かぶ、黒目がちな瞳孔は、深淵と呼ぶに相応しい。
「バチエということは、君は彼の娘か?」
後ろに転がる屍の一つを親指で指しながらながら、尋ねる。
「ええ、そうよ」
「……俺がここになにしに来たか、知ってるか?」
「あなたの言う、『彼』の家族を皆殺しにするため。でしょう?」
ハァ、と青年が嘆息をつく。そして、疲れたように目頭を押さえた。
「それがわかっているのなら、わざわざ、殺される理由になることを言うな。君の処置に俺が困るだろう」
青年の言葉に、少女は、睨みつけるような表情で、言った。
「どうして? 私の頭を、あなたの持っている銃で、撃ち抜けばいいだけの話でしょう? 父にしたように」
今度は、青年が、睨みつけるような表情になる番だった。
「なぜ死に急ぐ? 君が絶望しているのはわかるが、殺してくれと、頼むこともないだろ」
「私が絶望しているとわかっているのなら、わかる筈よ。私にはなにも残ってはいないわ。死にゆくだけ。ここで、あなたに殺されるか、後で、首をくくるか。早いか、遅いか、よ」
「そんなことない」
青年の口調が、徐々に、熱を帯びる。
「君には未来がある。見た感じ、十代に届くか、届かないかくらいの歳だろ? まだまだ、これからだろ」
「なにもないわ。未来はたった今、あなたが殺してしまった。それに、あなたは、私が絶望していると言ったでしょう。その通り。あなたが、正しい。末期癌の患者と一緒よ。なにも残ってない。患者も、私も、死を待つだけだわ」
「大丈夫だよ。未来なら、残っているさ」
ふと、少女の瞳が揺らいだように見えた。
「どこに?」
「俺と一緒に来ればいい。安全な所まで連れて行ってやる」
縮こまった少女に、手を、差し伸べる。
しかし、少女の瞳は、再び、暗く堕ちて行く。
「……まるで、幼子を誘拐する人攫いのようなセリフね。どうせ、私のことを遠い国に連れて行って、言い値で売り飛ばすつもりでしょう」
「そんなこと、したりしないよ。……困ったな。どうやったら、俺のこと信用してくれるだろ?」
青年は、苦笑いに近い、微笑を浮かべる。
「家族を皆殺しにした男を信用する方法があるのなら、私が教えてほしいわ」
少女は、胡散臭いものを見るような顔をした。
「それは誤解だよ」
「? え?」
「俺がここの担当になったのは、たまたまだよ。別に、俺が選んだ訳じゃない。ひょっとすると、別の奴がこの仕事をしたかもしれない」
「………………」
少女は、無反応で、話を聞いている。ただ、その瞳の奥が揺れているが、わかる。
「なにが、どう転んでも、こうなってた。だとしたら、俺を恨むのはお門違いだ。恨むなら君の家族を殺すよう指示した奴らを恨め。そうすりゃ、俺を信用できるだろ?」
「でも、私を殺さないと、あなたが不利益を被るわ」
「……ファミリーの排除が仕事の内容だからか?」
少女が、不敵に、微笑む。少女が、初めて見せる笑顔は、子供とは思えない程、美しく、妖艶で、どこか、歪んでいた。
「そうよ。その仕事をしくじることになるの。あなたは、その責任を負わせられるかもしれない。もしかしたら、殺されちゃうかもね」
少女は、さも愉快そうに、カラカラと笑う。
「それはないよ。君の名前はリストに入っていないからね」
「リスト?」
「ああ。ブラックリスト。殺害予定者名簿だ。そこには、二人分の名前しか入っていない」
「じゃあ、あなたは仕事だから、人を殺しているのね?」
青年の様子に変化は見られない。しかし、青年の瞳孔が、僅かに開かれるのを、少女は見逃さなかった。その些細な変化に喜んだのか、少女の口元はさらに歪んでいく。
「嘘つき。あなたに、私は救えないわ」
「嘘なんか、ついてない。絶対に君を助けてみせる」
青年は、哀しげに願いを込める。
「いいえ、嘘をついてる。私を救おうとしているのは本当ね。でも、その方法で本当に、私を救えると思ってる?」
青年は、隠すこともなく、表情を変える。見開かれた目が表すのは、間違いなく、驚愕だった。
「……君は、いつから、この中にいたんだ」
少女は、今にも大声で笑いだしそうなくらい、幸せそうだ。狂おしい程、欲する物を見ているように、狂喜の笑みを浮かべている。
「初めから。あなたが、ここに来てからの一部始終を、私は見ていたわ」
「どうして……」
青年の瞳が濁っていく。瞳の中に、泥が、堕ちて行く。少女の瞳と同じように、深淵に近づいて、濁っていく。
「どうしてですって? あなたが来るのが、私には、『視えて』いたから。あなたと同じよ」
「見えてるって、なにが……」
「すべてよ。あなたが隠さなくても、私は、初めから、知っていたわ」
少女の文脈のつながらない話に、青年は混乱した。しかし、意味だけは伝わった。
「あなたの行動は、なにもかもが矛盾しているわ。だって、あなた、私の父を撃つ前に言っていたじゃない。天罰だ、って。天罰を受けるのは父だけじゃないわ。父の血を引き継ぐ私もよ。そうでしょ?」
青年は黙っている。虚空でも見つめるように、不気味に微笑む少女を見ている。
沈黙が続く。青年に真実を話す気がないとみると、少女は、再び、責めたてるように言葉を紡ぐ。
「……そうね、天罰ね。父が死んだのも、私が一人ぼっちになって、孤独に苦しまなければいけないのも。すべては神様のご意志ね。だって、私の父は、最低の独裁者だもの」
唐突に、少女は顔を伏せた。語尾が消え入りそうな少女の声を聞いた、青年の目には確かに、火が、宿った。
「お前は、そう思うのか?」
見上げる少女は、青年を追い詰めていた時の会心の笑みはなく、虚ろというよりも、むしろ、諦めに近い表情を浮かべていた。
「いいえ。父は踊らされていただけ。舞台の脚本と演出をしていたのは、母よ。父を評する人達は、そこのところがわかっていないわ。その点、あなたは、しっかりと見抜いていたようだけど」
「そうだな」
カチン、と撃鉄を起こす冷たい音と共に、少女の真上に冷たい言葉を降らせる。青年の手にする玩具のようなそれは、既に、少女の小さな顔を捉えていた。
「お前も、あいつらと一緒だったんだな。人々が飢えに苦しんでいた時に、国のトップでありながら、無策で無能であり続けた。革命の総仕上げが、まさか、小さな女の子を処刑することだとは思わなかったよ。……無邪気で無垢な女の子だったら、ともかく、すべてを知っていたのなら、お前もバチエファミリーの一員だ」
額に銃口が突き付けられた時、少し、硝煙の臭いがした。
「ええ。どうあがいても、私は、バチエの人間よ。どうやら、あなたは、バチエの因果から私を断ち切ろうとしてくれたみたいだけど、私は、自分に嘘はつかないわ」
青年の眉間に皺が寄る。疑うような顔で、尋ねる。
「リストにお前の名前はないんだ。お前、隠し子かなんかなんだろ? 給仕の娘だとか、なんとか言ってれば、殺されなくても済むんだ。どうして、バチエの家族であることにこだわる?」
「こだわってなんかいないわ。ただ、自分に嘘をついて、生き残りたくないだけ。それをしてしまったら、私は、父や母と同じになってしまうもの。たとえ、死ぬことになっても、私は悪に屈しないわ」
眼前の死に泣きそうな顔をしたままだったが、少女の瞳は、深淵ではなく、多くの光を集め、黒曜石のように輝いていた。
「……なんか、しらけるね」
言って、青年は鼻で笑い、銃口を少女から外したのだった。
「なんて顔してんだよ。生殺与奪の権利は俺にあった。殺すも生かすも、俺次第、だろ?」
小さな顔に不釣り合いな、大きな黒曜石が不安げに揺れる。
「でもッ、私を殺さないとあなたに迷惑がかかります!」
「殺されたいの? 別に、そうゆう訳じゃないだろ?」
青年は、おどけた様子で言う。ついさっきまでの緊張感は微塵もなく、小さく、小躍りまでしている。
「お前は、お前のやり方で正義を通したんだ。俺も、俺のやり方で正義を通すさ」
「ッ! 人を殺していい正義なんかある訳ないでしょ!」
「そんなことないさ。本当の悪党は、死ぬしかないと思ってる。人類のための悪は、正義さ」
「じゃあ、あなたはこれからも悪を殺していくの? もっと、もっと、たくさん!」
当然といったような、自信に満ち満ちた目で青年は、迷いなく告げる。
「もちろん。この世から悪党がいなくなって、幸せになるべき人たちが、幸せになるまでな」
信じられない、そう、少女が呟いた気がした。
「そんな逆説的な正義の味方、この世界にいる訳ない……」
「いるさ、目の前に。とりあえずは、いたいけな少女専用のヒーローにでもなりますかね」
手を差し伸べる。リトライは、今度はしっかりと実を結んだ。
少女の手はしっとりと、湿っていた。青年は、少女と出会ってから、ずっと、少女が手を握りしめていたことを思い出す。
(なんだ、やっぱり怖かったんじゃん)
そのまま、腕を引き少女を立ち上がらせる。
「……私の存在が世間に知れれば、この国すべてが敵になるわ。それでも私を守ってくれるの?」
様々な、疑念と心配を内側に抱え込んで、不安そうに、上目づかいで見上げてくる。
「大丈夫だよ。たった一国に負ける程、俺は弱くない」
過度な自信に、疑わしげに、少女は眉をひそめた。
「心配?」
「いいえ。あなたを、私の希望だと思うことにする。迷うことは、やめるわ」
青年は、再び、鼻で笑う。
「希望はお前の方だよ。お前が、人々を希望(カナン)に導け」
「え?」
なんと言ったのか聞こえず、少女は青年の手を引っぱり、見上げる。
「なんでもないよ。こっちの話」
二人は、もう、振り返らず、まっすぐ部屋を後にした。




