肝試し(修正版)
実在の人物とは全く関係ありません。
小学生低学年の頃は毎日のように一緒に遊んでいた三浦隼。しかし、高学年になると違うクラスになって疎遠になり、おまけに中学も違ってしまったので、高校二年生の夏には思い出すことすら少なくなっていた。
そんな三浦から電話が掛かってきたのは両親の出掛けている一人きりの暑い夜。花火大会に行く相手もいなくてソファーに寝そべっていると、パッヘルベルのカノンが部屋に響いた。
「もしもし、三浦隼と申します、あの、慎一朗くんいますか?」
「あぁ、おれ、だけど」
「お、慎一朗?」
受話器の向こうが明るくなる。
「久しぶり、覚えてる?」
「覚えてるよおい、三浦か!」それからしばらく思出話に浸った。薬品室に忍び込んで学年集会で怒られた話、小学生ながら好きなクラシックの曲について語り合った話、柔道場でチャンバラした話……。
「そんでさ、結局取り上げられたんだよな」
「そうそう、おまけにベイブレードまで取り上げられてさ」
「……なぁ慎一朗、そんな思い出、またつくんねぇか?」
「いいけど、何すんの?」
「肝試ししようぜ。」
一週間後、廃校になった中学校へ行くことになった。かつてナイフ片手に男が侵入し無差別に生徒や教師を五名殺害するという事件が起きたという有名な学校だ。廃校前で夜七時に待ち合わせ。おれは一番に着いたので最近流行りのソルティライチを飲みながら待つことにした。自動販売機から取り出したペットボトルは水滴が付いていて、おれはシャツでそれを拭いた。
「さすが慎一朗早いね」
小走りで駆けてきたのは齋藤結姫。男二人で行ってもしょうがないということで、同じ小学校の結姫も誘うことになっていたのだ。結姫は隼とは違い、中学、高校も同じなのでおれとは毎日会っている。しかしもちろん、隼とは会うのが久しぶりだ。ちなみに、結姫はユキと読むのだが、小学校時代はその漢字からケツヒメと呼ばれていた。
「隼ちゃんはまだ?」
隼は女子からは隼ちゃんと呼ばれていた。
「まだだよ、全く言い出しっぺは一番に来いよな」
腕時計を見ると七時十分前だったので、そこまで責める程でもないかと思い直した。
「でもさ、隼ちゃん変わってないよね。肝試し行こうなんて」
隼は小学生の頃からオカルト系が好きだった。
「小学生の頃さ隼ちゃん、七不思議を解明する、とか言って、一人で音楽室こもっちゃってね」
「そうそう、あったね。結局、本当に動いたとか言ってたけど誰も信じなかったんだよな」
当時、音楽室のベートーベンの絵が動き、夜な夜なピアノを弾くという噂がたっていた。隼は一晩音楽室にこもり、翌朝、噂は本当だったと騒いでいた。実際、夜中にピアノの音が聴こえたと近所の人が証言したが、隼はピアノが上手かったので、自演だろうということになった。
「そういや、あの絵、学校のじゃないんだよな」
「そうそう、香純先生の私物だったらしいよ」
香純先生というのは当時の音楽の先生だ。きれいな人だったのを覚えている。おれと隼が怒られた際、おれの反省文が素晴らしかったと誉めてくれた変わった人でもある。ちなみに、それ以来おれは反省文を書くのが得意だったりする。
「あの……。」
突然の声に驚いて、おれは靴が脱げそうになりながら振り返り、結姫はおれの肩をつかみながら、ヒャ、と声をあげた。
「なんだ野口くん、驚かさないでよ!」
結姫は野口くんを叩いた。おれは喉元まで上がってきた心臓が胃の中へ落ちていくのがわかった。「ごめんね、おくれて」その大きな体には似合わない小さな声で、野口くんが呟いた。
「あぁ、いいの。気にしないで。言い出しっぺがまだだしー」
そういうと結姫はおれの方に向き直り、もう五分だよ、とふてくされた。
「てか、野口くんなにその荷物」
結姫が言うまで気づかなかったが、野口くんは大きなリュックサックを背負っている。結姫がそれを開くと中からお札やらなんやらが大量に出てきた。
野口くんは高校からの友だちで隼とは初対面だ。しかし、霊感があるらしく、肝試しなら誘おうと結姫が言い出した。実際のところおれも初対面に近いほどの仲なのだが。
そこにやっと、主役が登場した。
「隼ちゃんおそい!」
「ヒーローはおくれて来るものなんだよ」
これで全員がそろった。
「この学校では五人の人が殺された。」
わくわくした目で、隼が話し出す。
「職員室で教師が一人、体育館で教師が一人、生徒が三人だ。」
それだけ言うと、レッツゴーと叫びながら隼は門の中へ駆けて行った。慌てるようにおれらもついていった。セミの声も聞こえず、静かな夜だ。
門の内に入ると景色が一変した。いや、景色というより、雰囲気が一変したのだ。おれは霊感がある方ではないと思うが、ヤバい、と、ただヤバいと感じた。
「なんか死神でも出てきそうな雰囲気だよね」
控えめに、積極的でないことを結姫がアピールした。
「いやいや、死神ってのは死んだ魂をあの世へ連れてく死後の職業なんだよ。だから、生きてる人間にはなんにもしないの」
隼の反撃に、結姫は、さすが隼ちゃん、と呟くしかなかった。隣の野口くんは無言で(いつも無口だが)ガタガダと震えていた。
「今、勝手に閉まらなかった?」
結姫の声に振り向くと、門が閉まっていた。
「ヤバいよ隼、解散にしようよ」
おれの叫びも笑い飛ばして、隼は先に進んで行く。仕方なくおれらもついていくことにした。
校舎内に入ると夏にも関わらず肌寒く、頬が張り詰めた感覚に陥った。三人は恐怖のあまり口をきゅっと結んでいたが、隼はずいぶんと楽しそうだった。
中は真っ暗だったので野口くんの持ってきた四本の懐中電灯を灯した。皆、無言だったが、隼だけは、ルーモス、と唱えながら懐中電灯を前に向け、ご機嫌だった。オカルト好きと霊感があるのとは関係ないのね、と、結姫が囁いた。辺りは懐中電灯に照らされ不気味に浮かび上がっていた。学校は木造で廊下の木の節が浮かび上がる度にぞっとした。窓には光が反射して、くすんだ光が眩しい。
「じゃ、まずは定番の理科室からにするか」
断る間も与えずに隼はがらりと扉を開けた。
「何もない、か」
おれが言うと人体模型をコツコツと叩いていた隼も、そうだな、と返しまた扉を開こうとした。
「開けないで」
めずらしく野口くんが大きな声を出した。確かに、おれでさえ扉の向こうになにか嫌な感じがした。
すると、逆の扉が勢いよく開いた。全員が絶叫して理科室から飛び出した。四人で走る廊下。さすがの隼も走っていた。
「まだきてる」
結姫が叫ぶ。振り向くと、なにか、が追ってきているのがわかった。
すると、先頭を走っていた野口くんが立ち止まりリュックサックから巻物やらお札やらを取り出した。なにか、が野口くんよりこちらへ来れなくなったのを感じたが、野口くんが心配でおれと結姫も立ち止まった。
「かまうな、あいつは大丈夫だ」
隼が叫び、おれと結姫を走らせた。三人で走っていると階段にぶつかった。おれと隼は二階へ、結姫は地下へ向かった。隼もおれも、結姫、と叫んだが引き返す気にはなれなかった。
二階はさらに邪悪な空気に包まれていた。一息もつかせずに隼がおれの肩を叩いた。
「来たぞ。」
顔を上げるとまた、なにか、が近づいてきていた。一階のと同じく実体はないものの、男の子であることはわかった。
「隠れろっ」
隼は目の前の部屋におれを押し込んだ。男の子が隼を追っていったのがわかった。
おれはとりあえずそこにあった椅子に腰かけた。それにしても教室にしては広いな。懐中電灯で部屋を照らすと、驚くべきことに気づきおれは扉へ突っ走った。
ここは職員室だ……。
扉を開けようとするが開かない。すると後ろから視線が。おれは慌てていた手を止め、固まった。そしてゆっくりと振り向いた。
絶叫する気満々だったおれは呆気にとられた。そこにいたのは、香純先生だったのだ。
「慎一朗くん?」
そこにいたのはきれいな香純先生だったが、顔は青白く手足は透けていて幽霊であることは間違いなかった。
「職員室で亡くなった教師って」
「そうよ、あたし」
香純先生は顎に人差し指を当てて言った。
「あの、先生、大変なんです」
先生の手をつかんだ。てか、透けた手はひんやりとしたが、つかめた。
「結姫や隼も来てるんです、助けてください!」
「結姫って、あの、ケツヒメちゃん?」
そうだけれども。
「そうです、早く!」
しかし、先生は一歩も動かない。
「大好きな慎一朗くんの頼みなら聞いてあげたいんだけど」
先生が指を指すと、さっきまで開かなかった扉が勝手に開いた。
「あたし、地縛霊だからこの部屋から出れないのごめんね」
おれは突風に吹かれたように飛ばされ、廊下に投げ出された。バタンと閉まった扉の奥から「それから、隼くんにはあたしのこと言わないでね」と、声がした。
隼のことや地縛霊のことなど、聞きたいことはたくさんあったが、二度と扉は開かなかった。さらに、それより重大なことが生じた。三人目の生徒の霊と結姫が階段を上ってきたのだ。しかし、なぜだか結姫の方が優位に立っているようだった。野口くんのリュックサックの数珠を使っているのだ。結姫が霊を廊下の隅まで追い詰めると、「慎一朗、塩!」と言った。しばらく、おれも霊もポカンとしていたが、おれはその意味に気づいた。霊の頭にソルティライチをかけてやると、霊はゆっくりと消えていった。
「塩は塩でもこれも効くのか」
空になったペットボトルは手汗で濡れていたのでシャツでそれを拭いた。
それから、結姫とともに一階に向かったが、ふたりで凍りついた。階段の下から隼を追っていった男の子がおれらを見上げていたのだ。
「にげろっ」
と、おれの合図で駆け出した。走った先に音楽室が見えたのでそこに逃げ込んだ。音楽室には鍵が付いているはずだからだ。
案の定、内側から鍵をかけられる扉だった。しかし、結姫はまだ叫んでいる。
「今度は何!?」「あの絵……。」
見覚えのあるベートーベンの絵だ。そして、その絵から這い出したベートーベンはこちらににじりよってきた。
「隼ちゃん嘘じゃなかったね」
「今それどころじゃないね」
そのとき、ベートーベンの喜びの歌が部屋に響いた。おれの携帯番号だ。おれが飛び上がり、携帯番号を取り出した。が、「待て」と、ベートーベンが言った。
「おぉ、この曲だ。ありがとう」
そういうと、ベートーベンは絵へ帰って行った。結姫はきょとんとしていた。
電話に出ると相手は隼だった。
「おい、大丈夫か?」
「わかんないけど、助かったみたい。てか、なんで、」
「おれもあの夜、それで助かったんだ。ピアノで夜通し喜びの歌を弾いて」
続けて隼が言った。
「それに前にクラシックについて語り合ったとき、おまえはカノンと喜びの歌が好きだから、大きくなったら家電をカノン、携帯を喜びの歌にするって言ってただろ」
覚えていたのか。
「ありがとう。そんな昔のこと」
おれも思い出した。
「そういえば隼は、家電が桃色片思いで携帯がyeah!めっちゃホリデイだったな」
「そうそう!おれの好きなクラシック!」
「それ、クラシックじゃねぇって。変わってないな」
そう言い、おれは電話を切った。
「思い出って、ほんとは色褪せないものなのかもな、ケツヒメちゃん」
音楽室の鍵を開け、扉を開く。
「慎一朗、待って!」
結姫の呼び掛けはもう遅く、目の前には血だらけの男の子が立っていた。こいつを忘れてた。
「ぼく……」
完全にビビりまくって動けないふたりに、男の子が話しかける。
「ぼく、前場っていいます。お兄さんたちの友情に感動しました」
「はぁ」
「ぼく、生まれ変わったら友達をたくさんつくります」
それだけ言うと、男の子はどこからともなくサッカーボールを取り出し、蹴りながら去っていった。
「まずは手始めに、ボールは友だち!」
しばらくふたりはぼーっとしていたが、我に帰り、廃校から出ようと歩き出した。結姫とは仲の良い方であるが、色んなことがありすぎたせいでお互いほとんど口を開かない。木造の廊下を踏む二組のスニーカーの音が、みしみしと静かに空気を揺らした。肩が触れるか触れないかの結姫は集合した時より一回り小さかった。結姫の今日の服装は淡い色のワンピースにウエスト辺りでベルトのようなもの(ファッションに疎いおれには正体がつかめない)を巻いた、胸の強調されたものだということに今気づいた。窓に描かれた月はスポットライトだった。天井の電球はおれを笑うようにパチパチど光った。……パチパチと?
おれと結姫が同時に振り向くと、そこには黒い体の大きな男が立っていた。
「夜の学校に、しの、しのしの、忍び込む、な、な、御天道様が、見て見て」
黒い男は禿げていて、訳のわからないことをぶつぶつと言い続けていた。おそらく、最後の教師の霊だろう。具体的なことは全く不明だが、今までの霊と比べても桁違いに恐ろしい存在だということが、なんというか所謂シックスセンス、第六感といった感覚ですぐにわかった。
走り出すふたり。結姫はおれの手首をつかもうとしたがそれを振りほどいた。
「別々に逃げよう。助かった方は廃校から出て助けを呼ぶんだ」
結姫とおれは別々の方向へ曲がったが、黒い男は迷わずおれの方へ来た。目の前は化学実験室と看板があり扉が閉ざされている。おそらく鍵がかかっている、つまり突き当たり行き止まりだ。
追い詰められたおれは絶体絶命に叫んだ。ソルティライチのペットボトルを投げつけたりもしたが全く効かなかった。こんなことなら結姫を連れて逃げればよかったと自らの過去のパトスを恨んだが、結姫がいたところで共倒れだと意外にも冷静な自分も脳内に介入してきた。
黒い男がさらに近づく。目の前で手を振り上げる。初心者のバイオリンのような音とともに強烈なパンチが飛んでくる。
薄目を開ける。黒い男の姿は見えなかった。代わりに、どこかで見たことのある外国人の後ろ姿がそこにあった。
ベートーベンの指揮棒が黒い男の右腕を貫いている。
「やめ、御天道、おて、て、て、て、てん、お」
黒い男はカセット半挿しの口調になった。ベートーベンはフェンシングのように指揮棒で黒い男に攻撃し続ける。おれは一目散に逃げ出した。結姫と歩いていたときのように、いや、走っているためそれ以上に床が軋むはずだが、そんな音は耳に入らなかった。廊下を曲がり、そこにあった非常口の扉を開ける。人影が! おれは女々しくも悲鳴をあげて尻餅をついた。人影も尻餅をついた。
「お、慎一朗」
「なんだ、隼か」
しかし、隼は突然険しい顔になりおれを引き寄せた。おれの膝下に折れた指揮棒が投げ捨てられた。
「おて、忍び、シノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノシノ」
隼はおれを引っ張りながら、黒い男を左手で殴り付けた。さらに隼の右の拳が黒い男の顔面にヒットした。続けて隼の体が半回転し左足が弧を画いたとおもうと、後廻し蹴りが黒い男の、またもや顔面にヒット。黒い男は窓ガラスを突き破り、薄闇の世界に見えなくなった。呆気にとられるおれに何の配慮もなく隼が話しだす。
「慎一朗、今日お前を呼んだのはただの思い出作りなんかじゃないんだ。すまない。お前にしかできないことをやってほしい」
そこまで隼が話すと、窓から黒い男が飛び込んできた。不意をつかれた隼はなぎ倒され、黒い男はそのままおれに身体を向けた。
「あぶない!」
どこからともなくサッカーボールが飛んできて、おれの腹に突っ込んだ。そのまま割れた窓から外へ投げ出され、サッカーボールごとおれは校門まで飛ばされた。
校門には野口くんと結姫が、野口くんが造ったのであろう儀式場のようなしめ縄の中にいた。
「慎一朗!」
何をしているのかと訪ねる前に、金色の高級車がおれらのもとへ飛んできた。ほぼ同時に黄色いバイクと壊れかけの自転車がウィーリーしながらやって来た。
「肝の座ってる知り合いを四人呼ぶように、野口くんからいわれたの」
バイクは二人乗りで、同じクラスの石原小太郎と久地まゆこが乗っており、自転車にはこれも同じクラスの松木岳が乗っていた。
「みんな、急に呼び出してごめん」
続いて車から一人の男が降りてきた。
「おまえ、あのときの。あなる」
小太郎たちは男と知り合いのようだ。ちなみに、彼は語尾にあなると言わないと気がすまないタイプの人間だ。
「みんな、知り合いなの? 二人は?」
野口くんとおれが首を振ると、結姫は男の説明を始めた。
「この人は樋口さん。お父さんの勤めてる自動車メーカーの社長さんなの」
野口くんとおれは樋口さんから名刺を受け取った。
その後、樋口さんと小太郎たちとおれは結姫から説明を受けた。野口くんが隼を救うため儀式を行うこと、それには五人の人間が必要なこと。
「それなら慎一朗がきたから、ま……久地さんは儀式に入らなくていいんじゃない?」
岳くんの一言に、そうね、と返事をして久地さんは一歩さがった。おいおいおれも入ってるのか。
しめ縄の正方形の中に、樋口さんが中心、その他四人がそれぞれ角に並んだ。野口くんがその外からなにやら祈りを捧げている。
「あ、あれ!」
野口くんの少し後ろで小さくなっていた久地さんが叫ぶ。指差した方向を見ると、校庭で黒い男を隼、ベートーベン、サッカーの少年が取り囲んでいた。
「みなさん、成仏せよ、とお唱えください」
野口くんの囁きに五人が応じると、黒い男のもとへイカズチが落っこちた。目が眩んで前が見えなくなるが、結姫と岳くんが驚きのあまりひっくり返ったのはわかった。
目が慣れる。少年は成仏したのか姿がなく、ベートーベンは絵に戻っていた。そこには、隼と黒い男のみが対面していた。
「完全に失敗してんじゃないか!あなる!」
「いや、一応成仏させはしたから成功と言っても……」
「過言だよ!あなる!」
しかし、戦場の変化は少年とベートーベンの件以外にもあった。隼の服装がTシャツに短パンから喪服のようなものに変わっていたのだ。そして、徐に黒いネクタイを外すといつの間にかネクタイは黒い大きな鎌に変わっていた。その鎌で黒い男に襲いかかるが、黒い男は両手でその鎌を受け止めた。
「なんだよ、あれ」
岳くんが尻餅をついたままおびえるように囁いた。しかし、樋口さんは別のところに驚いているようだった。
「あれ、三浦隼じゃないですか」
「そうですけど、お知り合いですか?」
樋口さんにおれが応じる。
「知り合いではないけれど、よく覚えてるよ。うちの自動車が起こした唯一の事故の死者だからね」
困惑するおれに樋口さんは話続ける。
「十億で揉み消してやりましたよ」
おれは言葉を返そうとしたが遮られた。鎌によって跳ねられた黒い男の左腕が飛んできたのだ。幸い、左腕はしめ縄の内側には入ってこられないようだ。「隼ちゃん、死神みたい……」
死神。ブーメランのように返っていった左腕に喉を掴まれている隼を見ながら考えた。おれにしかできないこと。
黒い男は夜の学校に忍び込んだことを怒っているようだった。きっと学年主任か生活指導か、そんなような地位なのだろう。
「野口くん、その筆、貸してくれる?」
お札のようなものになにやら書いている野口くんから筆を借りると、おれは樋口さんの名刺に文章を書いた。反省文だ。
それを黒い男に"提出"しようと足を踏み出すと、しめ縄から出るなと野口くんに咎められたので、久地さんが黒い男のもとへ走った。
あのあと、隼は黒い男とともに消えた。しかし、着信音は変えないだろう。
「でさ、聞いてくださいよ」
後輩の前歯くんがにやつきながら話す。
「いきなりさ、あの、なんでしたっけあれ。松浦亜弥の……、まぁいいや、あれが流れまして。誰かと思えば前に座ってた男で、しかもそいつ喪服で。」
完