ニブい人
言葉にしなくても伝わる想いって、…多分あるよね?
「沢田さんって優しいですよね。いつもありがとうございます。」
彼女が笑顔で礼を言う度に、宝くじが外れたような気持ちになる。
俺は普段、決して優しいタイプの男ではない。それなのに…。
何故気付かないんだ?
同僚ですら、他の人に対する態度とは違う事に薄々気がついているはずだ。
初めは男慣れした女でうまくあしらわれているのかとも思った。
でも違った。
彼女はニブいんだ、究極に。
きっと今までにも、このニブさに痺れを切らして諦めた奴らが少なからずいるに違いない。
そう、いつの間にか俺は仕事のアシスタントであり相棒である彼女、恵を好きになってる。
恵は笑顔が可愛くて感じがいい。気もきく。ちょっと抜けた所もあるけど、仕事には責任感もあるし、お人好しで悪口も言わない。同性からの悪い噂も聞いた事がない。
なのに、なんで男の影すらないんだ?
「恵はね、自分の立ち位置と男の好意が驚く程にわからない子なの。わざとじゃないから憎めないんだけどね。」
俺の同僚で恵を昔から知っている厚子は言う。
下心を持って近付いてくる男も、『こんな私に優しくしてくれるなんて、とても親切な人なのね!』というオーラで手出しが出来ないのだろうと。
それは、わかる。俺がそうだから。
いっそストレートな言葉で気持ちを伝えてしまおうか…そう考えた事もある。しかし、彼女の笑顔に気をよくして真顔で告白なんかしたら
「私…そんな気持ち全然ありませんでした…」
と涙ながらに断られ、次の日からギクシャクとした空気の中で仕事をしながら、自分の暴走を呪う事になるに決まってる。
今の平和な距離感を断ち切る勇気は俺にはなかった。
いっその事、相棒でなければ当たって砕けろ的なぶつかり方も出来たかもしれないのに。でも相棒でなければ好きになる事もなかった…矛盾したジレンマをいつも抱えていた。
それはそんな煮え切らない想いを抱えて過ごしていたある日の事。
飲みに行った帰りに社の前を通ると電気がついていた。気になったので立ち寄ると、やっぱり恵が1人で残業をしていた。
帰り際に、他の部署から明日の会議で使う資料の間違いを指摘されたらしい。担当者も捕まらず、やむを得ず修正データを作っていると言う。
「そんなの明日担当者にやらせなよ」という俺に
「でも…明日の朝一の会議で使う資料だし、このままじゃいろんな人に迷惑かける事になっちゃうから」と言いながら手を動かしている。
まったくお人好しだ。しかも要領が悪いときてる。
こんな場面に遭遇するにつけ、こいつはこの先ちゃんと厳しい世間の荒波を乗り越えていけるのか心配になる。いつか誰かに騙されて痛い目にあうのではないかと。
実は俺が彼女に惹かれる最大の理由が、その不器用さなのではないかと思う。
俺は日頃『大人っぽくてセクシーな“出来る女”にグッとくる』と公言しているし、今まで付き合った相手も好意を寄せてくる相手もその手のタイプだった。それなのに、なぜか恵を放っておけない。
「ちくしょう、担当者に絶対奢らせるからな!」
俺は悪態をつきながら、既にプリントアウトした資料の束を手にした。それを見た恵は
「沢田さん、私1人で平気ですよ。酔っ払いなんか居なくっても大丈夫でーす」とキャラっと笑いながら言った。酒のせいもあっていつもの三倍は健気に愛おしく感じた。
「おマヌケの恵ちゃん1人に任せたら会議に間に合わないだろ。相棒の俺まで株がさがるよ」
「ひどい!」
笑いながら殴るふりをした後に、恵は少し無言になった。そして、
「…でも、私いつも困った時に沢田さんに助けてもらってますよね。ホントに感謝してます」
と俯きながら言った後、少し真剣に、俺の目を見て
「いつもありがとうございます」
と言った。
普段から俺は恵が何かする度に、からかったりキツい事を言ったりしてしまう。恥ずかしいが小学生が好きな女の子をイジメてしまうあれだ。つい度が過ぎて涙目にさせてしまった事も多々ある。そんな時は激しく後悔するのだが、恵はちょっとした事で簡単に許して機嫌を治してくれる。
例えば、取引先からの帰りにコンビニで買ったスイーツや貰い物のちょっとしたノベルティを、
「余ったからあげる」
なんてバツの悪さをごまかすようにぶっきらぼうに渡すと、ニヤっと笑って
「しょうがないから許してあげます。」
と謝ってもいないのに許してくれた上にご機嫌になってしまう。
そんなお手軽でいいのか?逆に心配になるが、ニコニコしている恵を見ると俺もつい頬が緩んでしまう。
…だからその一瞬の真剣な眼差しに不覚にも動揺してしまった俺は、手にしていた資料の束を落としてしまった。
「もう!何やってるんですか!?私じゃあるまいし」
恵は呆れ顔で床に散らばった書類を拾い始めた。
ゴメン、と謝りながら一緒に拾うが一枚足りない。床に這いつくばって見回すと少し離れた所に飛んでいた書類を見つけた。
「あった!」
思わず声をあげた。それを聞いた恵の
「本当ですか!?」
という喜びの声と同時にガツン!という鈍い音が響き渡った。
音の方を見ると、恵が頭を押さえて机の下にうずくまっていた。どうやら机に潜って探していた時に俺の声を聞いて嬉しくて立ち上がってしまったようだ。
なんとも恵らしい、信じられないドジ。
俺は笑いながら近寄り恵の顔を覗き込んだ。
「大丈夫?」
そう聞くと涙ぐんだ瞳で
「頭くらくらしてます」
と目を瞬かせた。
「これ何本?」
指を顔の前に見せる。
「三本です」
「お名前は?」
「恵です」
泣き笑いの顔で答える。
脳震盪は起こしてなさそうだ。
「じゃあギュッと目をつぶってごらん」
「はい」
恵は素直にぎゅーっと目をつぶった。
その素直さがあまりに可愛くて、気がついたら軽くキスをしていた。
恵は驚いた様子で目をまんまるに開けて暫く固まっていた。
気持ちが伝わった事を期待しながら、恵を見つめていた俺に彼女は
「…今のはキスですか?」と聞いた。
俺は落胆しつつも、思わず吹き出してしまった。
「そう、特別なおまじないの。治っただろ?」
と言った。
恵は戸惑ったような、はにかんだような表情で
「びっくりして治まりました。」
と小さな声で言った。
その後、何もなかったように作業を終えて2人は社を出た。強い風が吹いていた。俺は風上に回った。風になびく髪を押さえる恵を見て気がついた。ああ、俺はこうやって恵の盾になりたいんだ。恵が俺の盾に守られて安心して笑っていてくれる事が俺を幸せな気持ちにさせるんだ。
俺の気持ちが彼女に伝わったのかはわからない。キスまでしたのにいつもと変わらない態度の恵はどこまでニブいんだろう。
でも恵の笑顔が何か晴れやかに見えたので、今日はこれでいいかな、と思った。
恵が何か呟いたが、風の音で聞き取れない。
「何?聞こえなかった」
聞き返すと恵は軽く溜め息をついて
「沢田さんが相棒でよかったです」
と、大きな声で言った。
半分がっかり半分照れ臭い気持ちで
「バーカ」
と頭を小突いた。
「私の気持ち気付いてたんですか?って言ったのに。やっぱり伝わってないのかなあ…」
恵が小さな声でまた何か呟いていたけど、今度も風で聞き取れなかった。
もっと恵を知りたいし、俺の事もたくさん話したい。今度の週末、何か理由をつけて食事にでも誘ってみよう。
その時にはニブい彼女に伝わるようにはっきり告白でもしてみるか。
言葉にしないと、フンワリとしか伝わらない気持ち。
じれったいけど、そんな時が楽しかったりする。
周りの事にはとても気がきくのに、自分へのそんな気持ちにニブい人。
なんとなく愛おしく感じます。