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桜島の霞む日

作者:

友人4人とふとしたことから話が盛り上がり、1人ずつ何かしら作品を作ってみようとことになりました。あらかじめ決められた4つのキーワードの中から必ず3つ以上を使って作品作りに挑戦することに。


キーワードは「桜島、メガネ、機能停止、八月三十一日」です。


それでは以下、作品になります。よろしくお願いします。

 1


『八月三十一日午後九時に桜島を大爆発させ、島を機能停止させる』

という脅迫状が、鹿児島市役所桜島支所に郵送で送られてきたのは、八月三十一日の午後二時を過ぎた頃だった。

 役所の窓口で受け取った担当者は冗談だと思い放置していたが、上司である係長がこの手紙を発見するやいなや騒ぎ出して、警察に通報。夏休み最後の日とあって市内の警戒を強化していた鹿児島中央警察署の面々から、刑事第一課長の指示により当日の配置において比較的時間に余裕があると思われる三名が選抜され、本件の担当となって島に派遣された。


「ってさあ、こんなのどうせ冗談でしょ」

 桜島港に降り立った桜庭エリは、白い半袖シャツの襟元を指で摘んではためかせながら、後ろに続く二人の男性捜査員に毒づいた。大きな瞼を半分ほどに細め、眉間に縦皺を走らせている。

「それを確かめるのも仕事だ。むしろ島の安全を考えると、冗談の方が良いじゃないか」

 背が高くて逞しい体つきをした男性が、エリの毒をあっさり中和し、やや垂れた二重瞼を細めて笑った。外勤のためか肌は褐色で光沢を帯びている。ワイシャツから生えている腕は丸太のように伸び、その幹を覆う毛が潮風を受けてなびく。

「島本さんの言うとおりですよ、桜庭さん。何も起きない方がいいに決まってるじゃないですか」

 もう一人の男性捜査員が、島本に同意する。

「うるさいね、メガネは。いっつも島本さんのオウム返しじゃない。少しは自分の意見ってものがないの?」

「メガネじゃありません。九条和也っていう名前があるんですから」

「あ、言い返した。まったく、名字だけは立派なんだから。完全に名前負けしてるよねえ」

 島本とは正反対な、九条の白い瓜実顔に乗ったメガネを指さして、エリは意地悪げに声を押し殺して笑う。それを見た島本が、

「必ずしも名前負けしてるわけじゃないぞ。九条といえば貴族風な名字だし、見た目とも合ってるじゃないか」

 九条の肩をポンポンと叩き、うんうんと頷く。

「それもあんまり嬉しくないんですけど。どっちにしても、メガネはやめてください!」

 九条の叫びを無視して、島本とエリは役所へと歩き出した。

「それにしても久しぶりだ。実家に寄っている暇はないけどな」

「あ、そっか。島本さんは桜島出身だったね」

 島本は懐かしそうに頭を巡らせ、遠くを見る目をした。エリも手庇を作り、港の先に建ち並ぶ家々を見ながら目を細めた。

 時刻は既に午後四時を回っている。海鳥たちが甲高い声を重ね、蝉しぐれが降りそそぐ。脅迫状が届いたとは思えないほど、島は緩やかに流れる時間の中にあった。


 役所に着くと会議室に通された。脅迫状を受け取った若い担当者と係長、そして桜島駐在所の村木巡査が、三者三様の難しい顔をして一行を迎え入れた。村木が席を立ち、

「ええと、こちらが所轄署の……」

「島本太一警部補です。こちらの女性が桜庭エリ巡査部長、こちらのメガネが九条和也巡査です」

 島本の表現に、九条が眉をひくつかせる。事の経緯など知らない村木は、九条の表情の変化に気付くはずもなく、当時の模様を担当者から話すよう促した。

 担当者は本当に冗談だと思ったという。役所には日々多くの郵便物が届くし、こんなことに時間をかけている余裕もなかった。それで脇によけていたところ、かえって存在が目立ってしまい、係長がその封書に気付いて驚いたということだった。

「たとえ冗談でも、はっきりさせておかなければと思いまして」

 生真面目そうな四角い顔をした係長は、その顔のごとく生真面目に通報したというわけだ。

「なるほどね。それで、暇してた私たちにお鉢が回ってきたというわけか」

 係長、担当者、村木の目が一斉にエリに向けられた。顔立ちの整ったエリが発言したからか、「暇」という言葉に反応したのか判然としなかったが、三人の表情からおそらく後者と思われた。エリは三人の視線を受けて満足そうに頷いたが、島本が彼らの注意を引き戻すように口を開く。

「消印を見ると昨日鹿児島中央郵便局が収集し、今日の午後こちらに配達されたということですね。それはともかくとして、この文章で気になるのは要求が一切書かれていないということです」

 確かに一般的な脅迫状であれば、脅迫中止の見返りに何かしらの要求を行うものだ。だがこの脅迫状にそのような記載はない。

「つまり、暗に爆発を阻止せよと示唆しているのか、それとも本当に冗談か」

 島本は脅迫状を手にしながら、全員の顔へ視線をジャンプさせていく。

「どっちにしてもさ、爆発を阻止する方向にしないと、後々面倒でしょ。たとえ冗談でも捜査のポーズくらいはしとかないと、上から怒られちゃうよ」

 再び三人の目がエリに移る。そしてエリが大仰に頷く。

「もちろん総力をあげて捜査に取りかかります。ご安心を」

 エリの言葉が最も癇に障っていると思われる係長に向かい、島本は慇懃に答えた。その大きな背の影で、九条がメガネを震わせながら笑いを噛み殺していた。


 2


「桜庭さん、相変わらず自由奔放すぎですよ。聞いてて可笑しくて」

 九条は指を揃えた手で口を押さえ、貴族のような仕草で肩を揺すって笑った。

「正直者って言ってよ。思ったことは口に出さないと、ストレス溜まるでしょ」

「思う前に口が開いてるよな」

 島本が薄笑いを浮かべながら、手に持っていた大きなリュックを肩に掛けた。

「失礼ね。それにその荷物は何。船に乗る時にも聞いたけど、何で教えてくれないの」

「後で分かるよ。さあて、捜査開始だ」

 島本はエリの追求をかわし、前方の景色に太い腕を向けた。

 脅迫状の内容から、桜島の中心地である御岳の周辺に爆発物が仕掛けられる可能性が高く、その近辺で捜査を開始しようということになった。

 桜島は半径約五キロの円状の島だが、島の東南は地続きとなっており、おできを紐で括ったような、いわば変則的な半島といった形状をしている。市街地は島の北西に集中しているため、仮に何からの爆発物を仕掛けるのであれば、市街地側ではないかというのが島本の推測だった。

 昭和火口から半径二キロは立ち入り禁止区域となっているため、そのギリギリのラインまで出張ってみようということで、四合目にあたる湯之平展望所まで役所の車で送ってもらった。ここから先は徒歩で周辺区域の捜査を行う。

 展望所の駐車場から眺めただけでも東に御岳、中岳、南岳の桜島連峰が雄大な稜線を描いており、西に目を転じると、西日を受けて銀を流したように輝く錦江湾が眼下に広がっている。

「しっかし見晴らしいいね。ちょっとさ、展望所に行ってみない?」

 エリが駐車場の先にある展望所へ顔を向けた。桜の花びらをかたどった屋根が乗る、比較的新しい鉄筋造りの展望所だ。

「駄目だ。捜査が先だろ」

「ちぇっ、ケチ!」

 足を踏み出そうとしていたエリは動きを止め、

「いいなぁ、子どもは」

 展望所の付近に大勢いる客たちを羨ましそうに眺めた。夏休み最後の日とあって、家族連れや子どもたちの姿が多い。高らかな嬌声が周囲の木々に反射する。

「痛っ」

 九条が情けない叫び声をあげた。どうやらはしゃいだ男の子が激突してきたらしい。九条は額に癇筋を立てて子どもの顔を睨み、

「お兄さんは警察官なんだよ。逮捕するぞ!」

 両手を挙げて威嚇すると、子どもは怯えを顕わにして逃げていった。その様子を見ていたエリは呆れて口を尖らせながら、

「ったく、大人げない。笑って許すくらいの度量が欲しいね」

「子どもが僕の冗談を解さなかっただけです」

 九条はメガネの位置を直しながら言い繕った。

「行くぞお」

 島本は道路に向かってさっさと歩き始めている。エリも九条も慌ててその広い背中を追った。


 3


「あのさあ、こんな捜査に意味あるわけ?」

 道路を歩き始めて三十分ほどが経過し、さっきから苛立ちを抑えきれないといった顔をしていたエリが、ついに文句を垂れ始めた。

「確かに何のあてもなく歩いていて、これでいいのでしょうか」

 九条もキョロキョロと周囲をうかがいつつ、エリに同調する。

「あら珍しい。意見が合うなんて」

「ええ。僕も驚きです」

「何だと。生意気だ」

 エリが九条の腹に正拳突きを見舞ったが、九条は器用に避け、メガネを小刻みに揺らしてホホホと高貴そうに笑った。

「ああ、イライラする!」

 エリは頭を掻きむしり、憎らしげに九条の細長い顔を睨み付けた。

「もうそろそろ六時半だ。犯行予告時間まであと二時間半しかない。七時までこのまま行こう。それでも進展しない場合、このリュックの出番だ」

 島本が背中のリュックに顔を向ける。

「秘密兵器でも持ってきたんですか? 爆発物探知機とか」

「へぇ、そりゃいいね。もう使おうよ」

「違う。そういう物じゃない。だが、効果はてきめんだ」

 島本は不敵に笑うと、先に向かって歩き出す。二人は首を傾げながら、再びその大きな背中に引っ張られるようにして歩き始めた。

 さらに奥へ向かうと、陽も落ちてきて周囲の風景が暗闇に侵蝕され始めた。街灯もつき始めたが、その弱々しい白色灯は寂しさを強調するばかりだ。

「もう七時だな。あの辺にしよう」

 島本は前方のやや拓けた場所を顎で示すと、足早に向かった。エリも九条も疲労のためか、先ほどから極端に口数が減っている。二人はのろのろと前進し、肩を落としながら先に待つ島本の元に追いついた。島本は佇む二人を前にしてリュックを下ろし、おもむろに手を突っ込んだ。

「まずはこれだ」

 ビニールシートを取り出して広げると、地面に敷いた。

「あ、シートじゃん。やっと休めるう」

 エリが崩れ落ちながらシートに座ると、九条も腰を下ろして体育座りをした。

「次はこれだ」

 島本は包み紙に覆われた小物を三つ手に取り、エリに手渡す。

「何これ?」

「紙を剥がしてくれ」

「グラスだ。何で?」

「次にこれ」

 島本は魔法瓶を出して九条に渡すと、続いてアイスボックスの取っ手を持ち、シートの上に置いた。

「あっ、飲み物ですか。さすが気が利きますね!」

 九条が喜色満面の表情で、魔法瓶の蓋を回し始める。

「ただの飲み物じゃないぞ。最後に、これだ」

 島本は細長い物の先端を握り、天に掲げる仕草をして二人に見せた。九条がメガネの端を持ち、物体に貼られたラベルを凝視する。

「こ、これは」

「そう、銘酒桜島!」

 島本は一升瓶を突き出し、大見得を切るようにしてエリ、九条の順に睨みをきかせた。

「ええっ。勤務中にお酒なんて、正気ですか!」

「さっすが島本さん! 仕事中にお酒飲めるなんて、最高!」

 九条とエリが同時に叫んだが、その発言内容は真逆だった。島本は二人の反応を笑顔で受けると、杭を打つような勢いで一升瓶をシートの上に置いた。

「じゃあ私が作るよ。ロック? 水割り?」

 エリが目を輝かせて注文をとり始めると、

「俺はロックで頼む」

「僕は水でいいです」

「ロックと水ね。了解」

 エリは手際よく作っていく。夜空を眺めている島本と九条にグラスを手渡すと、エリ自身もロックを用意した。同時に島本がリュックからタッパーと割り箸を取り出す。

「桜島大根の漬物だ。つまみに最適だぞ」

「すっごい! ほんと気が利くね。じゃあ、乾杯!」

 エリは待ちきれないといった様子でグラスを持ち上げると、二人のグラスに合わせた。よほど喉が渇いていたのか、グラスの触れ合う音が消えないうちに三人とも口をつけて、一気にあおって飲んだ。

「ああ、美味いな」

「美味しい! 上物だね」

「うわっ! 水じゃない!」

 九条が舌を出しながら顔をしかめる。

「当たり前でしょ。水といったら水割りのことでしょ」

「こんなに飲んじゃいましたよ」

 九条は顔を赤らめ文句を言いつつも、残りの焼酎を飲み干した。

「メガネ、すごいじゃん。実はイケる口だね。ロックでいきなよ」

 エリがグラスになみなみと焼酎を注ぐと、九条はさらに半分くらいを一息に飲んだ。

「すごいね! 私も負けられない」

 エリも数口を一度に飲み、手の甲で口元を拭う。

「いいぞ、お前ら。景気づけだ!」

 島本も豪快にグラスを空け、手酌で何杯も飲み進めていく。

 満天の星が三人を見下ろす中、予告された犯行時刻約二時間前の光景であった。


 4


 あれから一時間以上も飲み続け、結局展望所まで戻ってきた。

 九条は泥酔状態で、島本が肩を貸してようやく駐車場まで辿り着いた。エリは鼻歌を奏でながら、途中で引き抜いた長い草の葉を振り回している。

 展望所は真っ暗で、ひっそりと黒い影を縁取っている。どうやらもう誰もいないようだ。

「あと三十分くらいしかないよ。私たち、よくやったよね」

 エリが九条の肩に向かって草を打ち付けた。だが九条は無反応だ。

「あはは。メガネはだらしないな」

「九条はもう駄目だな。ここに置いてくか」

 島本が体を傾け、九条を仰向けにしながら下ろす。拍子で後頭部を打ち、九条は「うーん」とうめいて、駐車場のアスファルトの上を転がり始めた。

「超ウケるんだけど!」

 エリが小躍りしながら九条の肩を押すと、その勢いでまた回り始める。

「メガネ、面白いよ! やればできるじゃん」

 エリは手を叩きながら、今度は足で蹴飛ばし始めた。

「おいおい、メガネが壊れちまうぞ」

 島本は呆れながらも、リュックから飲み口が飛び出している一升瓶の先を掴むと、そのまま引き抜いてラッパ飲みをし始めた。

「相変わらずウワバミだねえ。水道から焼酎が出るようにしてもらえば?」

「そりゃいいな。風呂に入りながら焼酎飲み放題だ」

「体の垢がいい出汁になるんじゃない」

「俺の出汁なら濃い目だな」

「うぇぇ、私は飲みたくない。あれ……あそこ。誰かいる?」

 おどけていたエリが島本を制し、目を凝らした。植え込みの裏で何かが蠢いている。エリが忍び足で近付くと、植え込みの中から何かが飛び出してきた。

「うわっ!」

「何だ、お前たち」

 驚きの声をあげたエリと島本の目の先に、小学生高学年くらいの子どもたちが数人現れた。

「こんな所で何をしてるんだ。危ないぞ」

 島本が一升瓶をリュックに戻しながら叱るような口調で言うと、一番背の高い男の子が口を開いた。

「ぼ、僕たち捕まってたんです! なんとか逃げてきて……」

「何だって」

 エリと島本が顔を見合わせた。二人とも、一気に酔いが飛んだように真顔に戻っている。

「どこで、どんな奴に捕まってたの?」

 エリがしゃがみ、子どもたちと同じ目線で優しく聞いた。

「展望所の奥だよ。三人くらいいた。みんな大人だった」

 男の子は視線を一瞬展望所に移して戻す。

「そうか。よく無事だったな。よし、ここは俺に任せて桜庭は子どもたちと港へ戻れ」

 島本が男の子の頭を包み込むようにして撫でながら、指示を出した。

「えっ。だって一人じゃ危ないよ」

「時間がない。もうすぐ九時だから急がないと。港に着いたら応援部隊を呼んでくれ」

「それなら今すぐ携帯で呼べばいいじゃん」

 エリが携帯電話を取り出そうとすると、

「いや、待て。あまり早過ぎると犯人を刺激しかねない。港まで戻らなくても、途中でいい。そうだな……ここを出て十五分したら電話をしてくれ。俺はそれまで様子をうかがうことにする」

「分かった。メガネはどうする?」

「仕方ない。放置でいいだろう」

「ええっ。さすがに気が引けるよ。万一死んだら寝覚めが悪いし」

「じゃあ、俺が責任を持って連れて行く。とにかく急げ」

 エリは躊躇したようだったが、すぐに意を決した顔になり、

「よし。じゃあみんな行くよ」

 子どもたちを先導して港の方へ足を向けた。

「島本さん、気を付けて」

 エリが手を振ると、島本は力強く頷いた。

 

 5


 エリと子どもたちは、ぶどうの房のように連なって、暗い夜道を進んで行く。子どもたちは幾分緊張気味に、黙ったままエリの背中についてくる。

 街灯の下で腕時計を確認すると、展望所を出てからちょうど十五分が経っていた。

「ちょっと待ってね。電話かけるから」

 エリが携帯電話を手にした瞬間、展望所の方角から足音が近付いてくるのに気付いた。耳を澄ますと、ドタドタとアスファルトを踏み鳴らす、その音量が大きくなってくる。

「みんな、私の後ろに」

 エリは身構えて子どもたちを背後に集めた。暗闇の中で人影が躍ったかと思うと、その黒い塊はモノクロからカラーへと変化するように着色され、人の姿がはっきりと浮き出てきた。

「島本さん!」

 エリが驚いて叫ぶと、

「逃げろ! 爆発するぞ!」

 九条を背負った島本が、物凄い形相でエリたちの前で立ち止まった。九条は荒縄のような紐で、島本の背中に括り付けられている。人形のように手足をぶらつかせ、首もあらぬ方向へ向いている。こうして連れてきたということは、息はあるのだろう。死んでいれば現場を保存する必要があるからだ。

「爆発って、どういうこと! あの脅迫は本当だったってこと?」

「詳しいことは後で話す!」

 島本は左手に提げたリュックを揺らしながら叫ぶと、右手を大きく振ってエリたちを促した。

 それを合図として、エリも子どもたちも走りだす。子どもたちの走りは案外にも速かったが、やはりエリや島本には及ばない。エリも島本も子どもたちのペースに合わせながら、夜道を先導していく。 

 やがて港の灯が見えてきた。走ってきたのと暑さとで、全員が汗を噴き出させ、息を荒げている。やっとのことで港へ到着すると、島本が背後にある展望所を振り仰いだ。

 その瞬間、凄まじい爆音が空を切り裂き、黒い闇の中、幾筋もの黄色い光が線をなぞっていった。

 エリも子どもたちも空を見上げ、その光を目で追うと、閃光が夜空に弾けた。黒いキャンパスに描かれた無数の光の絵が、港町を煌々と照らしていく。

「花……火……?」

 エリは眼前で展開される巨大花火を、不思議な面持ちで眺めている。すると、

「始まった! 明かりを消して!」

「町を暗くするんだ!」

 子どもたちが急に騒ぎ出し、港町の家々へと散っていく。それぞれの家が子どもたちの声に応じて明かりを消し、町が機能停止したように黒で塗り潰されていく。各家から出て来た人々は皆一様に空を仰ぎ、

「おう、始まったか!」

「ああ、綺麗だなあ!」

「たーまやー」

 などと叫んで盛り上がり始めた。ビールを片手に花火を愛でている漁師風のおじさん、扇子を扇いでにこやかに笑っているお婆さん、乳飲み子を抱えて微笑む若い女性……町中の人々が軒先に姿を現し、幸福そうな顔をして天を見上げている。

 子どもたちは「やった、やった!」と大はしゃぎで、家々から出て来た別の子どもたちとハイタッチしながら、花火の光を全身に受けている。

 それらの光景を見ながら、エリは呆然としていたが、

「爆発って、こういうこと?」

 一気に気が抜けたような笑みをこぼすと、その場にへたりこんだ。

「粋なもんだろ。脅迫状なんて手の込んだことしてさ」

 島本がエリの頭に向かって言うと、

「えっ。知ってたの?」

 エリが驚いて立ち上がり、にやついている島本を睨みつけた。

「そう怒るな。ま、知ってるも何も、俺も一役買わせてもらったクチだからな」

「どういうこと?」

「元々は島民だけでやる手はずだったんだ。最初は脅迫状なんて考えもなくて、ただ回覧板で『八月三十一日に島の電気を消して空を見ましょう』ってやるだけだった。俺はこの島の出身だから、親父からこの話を聞いて、ぜひ参加したくなってさ。でも今日は市内の警戒に注力する日だろ。どうしようかと思ってたんだが、刑事課長に相談したら乗り気になって、行って来いって。で、俺たちを島に送り出す口実として脅迫状仕立てにして、招集してもらったというわけだ」

「はぁ?」

「そうそう、そう言えば展望所で、九条が子どもに『警察だ』って言ったら怯えてたろ。子どもたちは本当に警察が来るとは思ってなかったんじゃないかな。その後は役所の連中が上手いこと取り計らってくれたようだがな。花火を打ち上げてるのは役所の職員たちと村木巡査だ」

 島本は背中で唸っている九条を下ろし、その場に寝かせた。

「あの役所の人やお巡りさんもグルだったってわけ? ったく呆れる。だいたいどうして刑事課長がこんなこと許可するの。おかしいじゃない」

「おかしくないさ。事情を話したら快諾してくれた」

「どんな事情?」

 島本は手に持ったリュックの中に手を突っ込み、小さな四角い箱を取り出した。

「これだ」

「何それ」

 エリが眉をひそめると、島本は箱の蓋を開けた。箱の中にある物が、花火の光を吸収して七色に煌めく。

「結婚しよう、エリ」

 指輪を前に、島本は真剣な表情でエリの目を見つめた。花火の輝きの下で、和紙に朱を落としたようにエリの頬に赤みが差し、

「ど、どうしてこんな時に」

「こんな時? お前、前に言ってたろ。花火の下でプロポーズされたら最高だねって。だから今日しかなかったんだよ」

 エリははっとして目を見開くと、両手の指を口元に添えた。

「そんなこと、覚えててくれたの?……馬鹿じゃないの」

 極彩色の花火が映りこむ黒い瞳を濡らしながら、エリは左手を差し出した。島本が太い指で指輪を摘み、エリの薬指に通していく。

「ぴったり」

 エリがはにかみながら顔を上げると、島本がエリを抱きしめた。島本の厚い胸に頬を当て、エリは彩られた夜空に目を向けた。光が降りそそぐたびに明滅する桜島が、霞んで見えた。

「やったあ!」

「こっちも大成功!」

 いつの間にか子どもたちが二人の周囲を取り巻いており、大袈裟に囃し立てる。

「あんたたち!」

 エリは島本の腕を払いのけようとしたが、その腕は彫像のように固く、頑として動かない。

「ちょっと、太一!」

「花火を見よう」

 島本は微笑しながら空を見上げた。

「ったく、仕方ないね」

 エリは諦めたように小さく笑うと、弾ける天空を見つめ、愛おしそうに目を細める。

「う~ん」

 脇で転がっていた九条が、メガネの損傷を気にしながら上半身だけ起こし、

「あれ? 爆発……じゃないぞ。花火?」

 花火に気付いて立ち上がった。それを見たエリが、

「そっか、だからお酒を用意したのか。確かにメガネがいたら邪魔だもんね。でも私が水割りを作らなかったらどうする気だったの」

「俺が無理矢理飲ませたさ」

 島本は笑みを含ませながら答えた。

「なんなら最初から連れてこなくても良かったのに」

「二人きりで来たら、お前に怪しまれるだろ」

「そうかもね。私の勘は鋭いからね。それに、どうりで脅迫状に中止の要求が書いてないわけだ。目的がこれじゃ書けないよね」

「そのとおり。いろいろ手が込んでるだろ?」

「やり過ぎ」

 抱き合っている島本とエリに九条が気付き、

「あれっ! あれれっ? どうしたんですか、お二人さん。えっ、まさか!」

 一人で興奮しながら、二人のそばに走り寄ってくる。島本とエリはそのままの姿勢で、

「ま、そういうこと」

 同じ言葉を放ち、同じように笑いだした。


八月三十一日午後九時、予告通り桜島で花火が爆発し、町の灯は消え機能停止に陥った。


                                           おしまい

お読みいただき、ありがとうございました。


なお、桜島の描写に実際と異なる点もあるかと思いますが、ご容赦ください。

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