じいちゃんがいない世界
子供の頃からアニメや漫画が大好きで、気づけばあらゆる作品に触れて育った。
キャラクターの声やセリフ回し、紙の匂いまでも覚えているほど、二次元は自分の世界の大部分を占めていた。
大人になってもその熱は冷めなかった。
仕事を覚えて生活が変わっても、好きなものは変わらない。
夜にふらりとバーへ立ち寄り、グラスを揺らしながらウイスキーを飲む。
そんな静かな時間と二次元が、日々の楽しみだった。
そんなある日、大地震が起きた。
震度7。
ニュースの映像にはひしゃげた建物、崩れた道路、呆然とした表情の人々が映っていた。
ある地方は壊滅的な被害を受け、街の空気までも変わってしまったようだった。
会社で被災地支援が決まり、物資を積み込み現地へ向かった。
瓦礫の匂いが残る道路を歩き、集落ごとに水と食料、生活用品を配って回った。
老若男女問わず、多くの人が「ありがとう」と言って受け取ってくれた。
中には、皺だらけの手を差し伸べてきたおじいちゃんがいた。
その手は冷たかったが、握る力は驚くほどしっかりしていた。
そして、まっすぐな声で言った。
「ありがとう。」
その言葉は、単なる感謝ではなく、生きるための重みを帯びていた。
大変な活動だったが、人の役に立つということには確かに価値があった。
忘れられない経験になった。
あれから何年も経った今でも、ふとその出来事を思い出すことがある。
被災された方々にとっては辛い記憶かもしれないが、私にとっては人生の深くに刻まれた記憶だ。
その日も、いつものように何気なく思い返し、あのとき手を握ってくれたおじいちゃんの顔が浮かんだ。
すると――雷に打たれたような衝撃が走った。
私は気づいてしまったのだ。
世界の真理に。
この世界には――
一人称が「わし」で、語尾が「〜じゃ」で、和服を着たじいちゃんが存在しない。
人生を振り返ってみた。
今まで出会ったすべてのおじいちゃんを思い出そうとした。
しかし――いない。
一人もいない。
「わしももう歳じゃからの〜」
などと言う老人は、この現実世界に存在しなかった。
胸が大きく揺れた。
私は長年、自然にその存在が世界のどこかにいるものだと思い込んでいた。
しかし現実は違った。
これは大問題ではないか?
若者の夢を壊しているのではないか?
海外から観光に来た人の期待を裏切っているのではないか?
世の老人たちは、多くの夢と幻想を踏みにじっているのではないか?
なんと罪深い。
夢の国へ行ったのに、大きな耳のネズミがいないようなものではないか。
私は静かに、しかし内側から燃え上がる衝動に身を委ねて決意した。
――いつか必ず、私がなる。
世の誰もが心の中で思い描く「理想のじいちゃん」に。
そして胸を張って言うのだ。「わしこそが日本のじいちゃんじゃ」と。
その決意を胸に、私は雌伏の時を過ごした。何十年という年月が流れたが、思いは揺るがなかった。
むしろ、時間と共にその信念は確固たるものとなり、研ぎ澄まされていった。
意識してからというもの、街で多くのおじいちゃんたちを観察した。
しかし――理想の姿は一人としていなかった。
皆、普通だった。あくまで現実基準の、平均値のじいちゃんだった。
「お疲れさまでした〜!」
拍手に包まれながら花束を受け取る。
私は今日、社会人生活のすべてを注いだ会社を定年退職する。
長く過ごした職場には確かな情があった。
しかし、別れの時は来た。
「ありがとうございました。」
そう伝え、私は静かに職場を後にした。
――そして今日が運命の日である。
私は「私」を捨て、ついに「わし」になる。
その朝は、どこか輝いて見えた。
光が新しく、空気が澄み、世界が少しだけ違って見える。
同時に、胸の奥に微かな錆びついた感情が混ざっていた。
これが、きっと“わびさび”というものなのだろう。
以前から準備していた和服に袖を通す。
帯を締め、姿勢を整えると、鏡の中には確かに理想のじいちゃんが立っていた。
「まだ早いのでは?」という思いが胸をかすめたが、私はそれを振り払った。
――人生、志すのに早すぎることはない。
ここからが、わしのじいちゃん道の始まりである。
和食の朝食をゆっくりと味わったあと、温かい茶をすすり、一息つく。
心が整ったところで外へ出る準備をした。
今日の目的は、散歩である。
この姿を世間に示すのだ。
白髪の髭はずっと伸ばしてきた。頭は……まあ、自然に仕上がっている。
木製の杖を手に取り、背筋を伸ばす。
曲がった背中のじいちゃんも悪くはないが、私は凛とした姿勢が好ましい。
向かったのは近所の大きな公園。
犬を散歩させている人がよくいる。
そこできちんと挨拶をする――それが本日のミッションだ。
玄関の姿見で最終確認をし、深呼吸をして外に出る。
手にした杖は少し汗ばんでいた。
並木道には等間隔で大きな樹木が植えられ、濃い影をつくっている。
葉は濃い緑色で、夏の日差しを受けてきらめいていた。
和服は見た目よりずっと涼しく、風が胸元をすり抜けていく。
歩き出すとじわりと汗がにじみ、胸元の手ぬぐいでそっと拭った。
公園に到着し、まずはベンチに深く腰を下ろした。
焦ってはいけない。
状況を観察し、最適な相手を選び抜かねばならぬ。
すると――いた。
柴犬を連れた若い女性。
歩き方に余裕があり、日常の散歩に慣れている雰囲気がある。
あれだ。あの人にしよう。
杖をつき、意を決して立ち上がる。
太陽を浴びて柔らかく色づいた茶色の髪。
涼しげな薄手の服とパンツスタイル。
柴犬はアホ面で、わしの存在にまったく気づいていない。
そして――ついに声を発した。
「こんにちわじゃ。暑いのぉ〜。」
女性は自然な笑顔で振り向き、
「こんにちは。暑いですね〜。」
と優しく返し、そのまま歩き去っていった。
犬はすまし顔のまま尻尾を振っていた。
胸の鼓動が大きく跳ね上がる。
まるでマフラーを切った暴走族のバイクのように、ドドドと響く。
しかし同時に、理解した。
――あれは自然だった。
違和感はなかった。
驚かれもしなかった。
笑われもしなかった。
わしは、世界に溶け込んでいたのだ。
それは、何よりの証だった。
私は、ついに。
理想のおじいちゃんとして、一歩を踏み出したのだ。
散歩を続け、道ゆく人へ自然に声をかけることが、いつの間にか日課になっていた。
ある夕方、河川敷へ足を運ぶと、階段の上に一人の青年が腰掛け、沈みゆく夕日をじっと見つめていた。風に揺れる草、オレンジ色に染まる空。青年は肩を落とし、今にも夕日に向かって叫び出しそうな空気をまとっている。甘酸っぱい青春独特の空気が漂っていた。
わしはそっと近づき、声をかけた。
「どうしたんじゃ。そんなに肩を落として。」
突然背後から声をかけられた青年は驚いた表情を見せたが、わしの顔を見るとすぐに表情が和らいだ。年寄りにしか出せぬ、安心感というやつじゃ。これが“おじいちゃん効果”である。
青年はため息をつき、ぽつりと口を開いた。
「俺…今、悩んでて。」
「わしでよければ話を聞くぞ。」
わしは隣に腰を下ろし、空を仰いだ。青年は視線を落としたまま語り始めた。
「俺、本当はさ…元気で明るい人気者なんかじゃないんだ。」
「うむうむ。」
「本当の俺は、地味で暗くてさ。人に話しかけるのも億劫なコミュ障なんだ。」
「そうか、そうか。」
「でも、その本当の自分をみんなに見せるのが…怖いんだ。」
青年の苦しみは、本当の自分と演じている自分、その差に押しつぶされそうになっていることにあった。
わしはしばらく空を見つめ、静かに言葉を紡いだ。
「禅語にこういう言葉があるんじゃ。――『本来無一物』。」
青年がこちらを向く。
「ほんらいむいちもつ…?」
「うむ。本来の自分は、最初から"何も足す必要のない存在"という意味じゃ。仮面を被ること自体は悪いことではない。じゃが、自分に何かを足すとき、本質を見失うような足し方はしてはいけないのじゃ。」
青年はその言葉を噛みしめるように小さく呟いた。
「本質を…見失う。」
「うむ。もっと簡単に言えば――『お前さんは今のままで充分素晴らしい』ということじゃ。だから、自分を苦しめるための足し算は、そろそろやめても良いという話じゃ。今の自分をありのままに受け入れられれば自然とみんなに見せられるようになるのじゃ。」
夕日がさらに赤く染まり、青年の横顔を照らす。風がふっと吹いた。
青年は目を細め、ぽつりと言った。
「……ありがとう。」
わしはゆっくりと立ち上がり、背を向けた。
「ふぉふぉふぉ。老いぼれの戯言じゃ。若人よ、大いに悩むのじゃ。」
その声を置いて、わしは河川敷を後にした。
――「本来無一物」。
わし自身も若いころ、この言葉に苦しめられ、そして救われた。今こうして理想のじいちゃんを演じておるが、それは元の自分を否定した結果ではない。元の自分を受け入れた、その先の“進化”じゃ。
今日もわしは歩く。
わしが生きる限り、理想のじいちゃん像は途切れぬ。
そう、わしは――
地球最後のおじいちゃんじゃ。
お読みいただきありがとうございます(*'ω'*)




