私綺麗?
私は――口裂け女。
かつて1979年、日本中を恐怖に陥れた伝説の怪異だ。
「私、綺麗?」と問いかけ、逃げる者を追い、口を裂く。
それが“私”という存在だった。
しかし時代は変わった。
誰も怖がらなくなったし、誰も夜道を歩かない。
スマホの光の中では、私など存在しないも同然。
それでも私は、習性のように夜の路地を彷徨っていた。
ある晩のこと。
静まり返った住宅街の細道で、一人の男に出くわした。
私はお決まりの問いを口にした。
「私、綺麗?」
男は一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐに優しく微笑んでこう言った。
「綺麗です。」
……変わった奴だ。
私はマスクを外し、裂けた口を晒して再び問う。
「これでも、綺麗?」
男は一歩も引かず、こう言った。
「本来如是」
耳慣れぬ言葉に私は眉をひそめる。
「禅語です。今ここにあるそのままのあなたが、すでに尊く、美しいという意味です」
私は鼻で笑った。
「なら、貴方も私と同じにしてあげる」
「それはお断りします。本来如是。私はこのままでいいんです」
屁理屈をこねる奴だと思った。
だが、襲う気にはなれなかった。
私はふいに、彼を見逃して歩き出した。
「……本来如是、か」
その言葉が、心に引っかかった。
あの夜から、何かが変わった。
問いを発することはやめた。
鏡に映る自分の顔に、「綺麗か?」と問うこともやめた。
月日は流れ、ある日ふと古本屋に立ち寄った。
そこで再び彼と出会った。
「久しぶりですね。今も美しいままです」
照れくさくて、返す言葉が見つからなかった。
それからだ。少しずつ、人の中に戻る努力を始めたのは。
長い髪を整え、口元を覆う布に柄を選び、季節の花を飾るようになった。
やがて――彼と結婚した。
裂けた口は変わらない。でも、笑うと彼も笑う。
子どもも、私の顔を怖がらない。
今、私は「美しさ」を問いかけることはしない。
ただこう思うのだ。
――本来如是。そのままの私で、もう十分。
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