AIが進化した時代の悩み
今よりもAIが発展した20XX年、世界は光の速さで動いていた。
かつて「AIができれば人間はもっと楽になる」と言われていた。
しかし現実は違った。
高性能AIが最適解を一瞬で導き出すせいで、人々の仕事は加速度的に早くなったのだ。
AIに入力し、結果を受け取り、すぐに次の作業へ。
それが当たり前になった社会では、「考える」より「捌く」ことが優先された。
誰もがAIに合わせて働いた。効率、即応、処理速度――まるで人間がAIに使われているかのようだった。
私もその流れに必死でついていった。
高速仕事術の本を読み、効率化アプリを入れ、毎日タイマーをセットし、完璧な人間を演じた。
けれど、心のどこかでは常に疲れ切っていた。
「もう終わったのか、じゃあ次これやっといて」
そんな言葉を受け取るたびに、溜息が漏れる。
休む間もなく、終われば次がくる。次が終わればまた次が――。
そしてある日、体が突然動かなくなった。
壊れたのはAIではなかった。私だった。
真っ暗な部屋の中で横たわり、私はぼんやりと天井を見つめるだけの日々を送った。
何がいけなかったのだろう。なぜ私は壊れてしまったのか。
そんな問いを繰り返しながら、答えは出ず、時間だけが過ぎていった。
ある夜、眠れずにネットを徘徊していたとき、偶然一つの配信に辿り着いた。
「禅系Vtuber・空」と名乗る少女。声はまだ幼さが残る。現役中学生だという。
彼女が紹介していた禅語はこうだった。
「今日紹介する禅語は――水急不月流です」
「激しく流れる川でも、水面に映る月は流されない。」
「どれだけ流れが速くても、月はそこにあるんだよ。私たちも、流れに負けずに、自分でいようね」
その言葉が、胸の奥にすっと差し込んだ。
私は激流の中にいた。でも、それは自分が自分を“石”だと錯覚していたから。
流れにより身を削る“石”だと。
本当は――私は月になれたはずだった。
川に流されるのではなく、流れを見下ろす月であればよかった。
周囲の評価や効率に飲まれるのではなく、心をひとつ、静かな場所に浮かべておけばよかった。
そうすれば、自分を失わずにいられたのに。
「水急不月流」
その言葉を胸に、私は立ち上がる。
私は、月になる。
もう、流されない。
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