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§2 少女と講義と数奇な運命

 魔法とは精霊の理だ。起源が醜き世界である人間たちにとって,その理とはすなわち奇跡であり,一切を理解するに能わず,分解することはできない。むしろ,そういった立場をとる「自然科学」なる手法は禁忌とされてきたような節もある。だから,我々人間は歴史の中で精霊そのものに対する解釈を深め,繋がりを強めるという手法をとった。


 今より千年も昔の古代,観測こそ真理であるという自然科学を好んで用いた異国の民どもが居たようだが,彼らは歴史の中で淘汰されてしまった。今では彼らの思想は異端であるとして,教会の位の高い者たちですら閲覧することも適わない。


 だがそうすることで確かに我々は繫栄してきたのだ。現に,この王都には多くの建造物が立ち並び,数え切れぬほどの王国民たちがそれぞれの日々の営みに追われている。その規模といえば,大陸を含めても有数である。


 だから,私は自然科学という手法は好きになれなかった。


 ひとときはその合理性に惹かれ,数学なる世界に足を突っ込もうとしたこともある。だが貴族の余興としての学問であるそれは,あまりに無駄が多く感じられ,すぐに興味が失せてしまった。そこに精霊の神秘はない。ただひたすらに,人工的な,醜い世界が広がるのみであった。


 私は今一度前に向き直った。


 黒い石板に浮かぶ白の粉は,黒色にコントラストして美しく映え,文字を成し,文章として並んでいる。石灰を固めて印字に用いるその技術は,今や学問の世界では当たり前になっている。


 ―だが,書かれている内容は,あまりにも,当たり前とかけ離れていた。私の無知故という可能性は無きにしも非ずではあるが,それにしても変だ。文章の間に再々挟まれるそれは,恐らくは数学記号であり,数学の言語だ。文脈的に,文章はその意味を説明しているのだろうが,そもそもの意味が分からなかった。言語それ自体は間違いなく普段用いているものだが,並ぶ単語の意味が分からない。まるで,自国の言語で異国の者と話しているかのような,そんな奇妙な感覚にに陥ってしまいそうだった。


 だが,理解できることもあった。綴られる現象は,確かに魔法的に引き起こせるものであり,それ自体には馴染みがある。


 間違いない。この教授を名乗る少女は,魔法の理に数学を持ち込んでいるのだ。だが一番の奇妙さはそこではなかった,説明の中で,「精霊」という単語は一度も出てこない。恐ろしい程に不気味。だが少女は堂々とした佇まいで,自身の世界がさも当たり前であるかのように語る。


「えーっとなのですね…つまり,基本はこの3原則。物体は止まっていれば止まり続け動いたら動き続ける,運動すれば速さと質量の積が保存する,力を及ぼせばその反対の力を受ける,の3つなのです」


「それぞれ,慣性の法則,運動の法則,作用反作用の法則というのですね」


 少女は畳んでいた指を一本ずつ開きながらそう言って,3本の指を開き示す手を満足げな表情で掲げた。


「ねぇアルヴァン…ボクちっともわかんないや。魔法って難しんだねぇ」


 そのように小声で囁いてくるのは隣に座るウィルだ。安心しろ,俺も分からない,と返したかったが,己の中に微かに残るプライドがそれを押し留めた。魔法や精霊神話の知識にはそれなりに自信のあった私は,心のどこかで達観していたようである。


 実のところ,魔法に数学が持ち込まれたという話は聞いたことはあった。ごく最近,占星魔法を研究する一派が,星の軌跡を予測するために数学を用いたのだという。名前を思い出そうにもおぼつかないが,この魔法研究院にいる教授のだれかであったことは覚えている。詳細は知らない。数学で凄い発見をしたらしいという話を聞いたことがある程度だ。


 それを加味しても,目の前の少女が語る世界はあまりにも異質,いや「異端」だった。精霊の理を人間の言葉で分解しようとするその姿勢は,まさに「自然科学」である。私はこの事実に気付いた瞬間から,ある使命感に燃えていた。この少女が持つ思想が異端であるかどうかを見極めなければ,かつての古代の民を淘汰したような毒が世間に広まってしまうではないか。


 焦燥していたのかもしれない。少女の話が一区切りしたというところで,私はすかさず挙手をし,問うた。


「先生。その論には『精霊の意思』が含まれていませんが,既存の魔法体系とはどのような関係があるのでしょうか」


 一瞬の静寂のち,ざわめきが辺りを包む。私に集まった視線はすぐに少女の方へと向かい,質問に対する回答を待ちわびるかのようである。


 思いもよらぬ質問だったのか,少女は茫然として立ち竦んでいる。そして,その状態のままゆっくりと口を開き,


「き,既存の魔法体系は取り入れてないのですね。でも『せいれいのいし』ですか?まるで神様の仕業みたいなのは感じたことあるのですよ」


 そう言って,彼女は数式らしきものを書き散らし始めた。


「変分法の物理学というのがあるのです。ある汎函数に対する作用積分というのを考えると,なんとその値が最小となるように物理現象が起こるのです!すごいのです!神様はと~っても倹約家なのですね。しかもしかも,その汎函数はあらゆる変換に対して対称性を守るように設計しないといけなくて,それがこの世の理ともいえる様々な保存則と対応してるのです!とても美しい物語なのです!これってきっと神様の仕業なのですねっ」


 一体どこで呼吸を入れているのか。目を輝かせながら無邪気に語るその様は,年齢ほどもない彼女の身長も相まって,まるではしゃぐ子供の様である。そう,子供が話すような内容など大抵は筋が通っていないもので,大人には理解できない。つまりは,この話は聞くに値せぬ空想物語なのだ。


 私は,もう結構,と制止を促そうとした。だが少女は構わず続ける。


「…けどそれを実感するには,高等院の皆さんはまだまだ準備が足りてないのですね。だからこれだけは覚えておいてほしいのです――」


 そう言って深く息を吸い込み,その儚げな容姿とはまるで対照的な力強さで次の言葉を紡いだ。


「――神さまがくれたこの世界は,とても美しい,のです」


 その言葉に,私は息を吞んだ。


 彼女は人差し指を口にあてがった。いたずら心に目覚めた子供が,口封じを促すような仕草と表情で。


「そんな,かみさまの数字あそびを知るのは…まだちょっとお預けなのですね」


 私は,胸の奥に灯る微かな炎を感じた。



======================



 昼下がりの食堂は,思い思いに談笑する学生たちの声で賑わっていた。長卓に並べられた皿の上には,焼き立てのパンや香草を散らした煮込み料理,そして湯気を立てるスープが所狭しと並んでいる。鼻をくすぐる香ばしい匂いは,午前の講義で疲れた頭をいやが上にも空腹へと誘った。


 私はウィルと向かい合い,匙を手に取りながらも,心はまだ先ほどの講義室に囚われていた。


「まったく,あの少女は一体何者だ……」


 気づけば,思いの丈が口をついて出ていた。精霊の理を一切語らず,数式だけで魔法を説明するなど聞いたことがない。いや,説明というよりも,私にとっては暗号の羅列に過ぎなかった。


 ウィルは匙を口に運びながら,苦笑いを浮かべる。


「だよねぇ……。あんなに小さい子の話なのに,正直,ボクは半分も分からなかったよ。いや,半分どころか一割も怪しいかも」


「俺とて同じだ。言葉は確かに我らの言語だが,並ぶ概念がまるで異国のもののように感じられた」


 匙を置いて,深く息を吐く。胸の奥に燻るものは,理解できない悔しさか,それとも自分の信じる世界が揺さぶられた不安か。どちらにせよ,落ち着かぬ感情ばかりが残っていた。


「けれどさ」

 と,ウィルはパンをちぎりながら続ける。

「ボク,ちょっとワクワクしたよ。ああいうわけの分からない話って,なんか危ないけど,惹かれるものがあるんだよねぇ」


「特に最後の一言!精霊神の世界が美しいなんて当たり前だけど,学びを深めれば,もっと綺麗に見えるのかなぁ」


「……」


 思わず黙り込んでしまう。信徒としては到底受け入れがたい異端の思想。しかし,一方で――理解できぬものを理解したいと思う欲求もまた,否定し難く胸の奥に息づいていた。そんな私の逡巡を見透かすように,ウィルは話題を変えた。


「そうそう,明日には研究室配属の掲示があるんだって。知ってた?」


「研究室配属……?ああ,そういえば」


「うん。どの教授の下で学ぶか,明日の午後に掲示されるらしいよ。ボクらが対象だって聞いた」


 研究室配属――すなわち,学問としての進路を決定づける重大な節目だ。私は思わず背筋を正した。


 配属先は完全に教授陣側の裁量で決定されるらしい。入学後の能力試験,受講の傾向などを加味し,最もその生徒が適していると考えられる研究室やテーマに配属する。噂では受講態度なども影響しているらしく,私がいつになく積極性をアピールするのはこのためである。


 望むらくは,精霊学の研究がいい。聖典に正しい解釈を与え,より精霊との共存に相応しい人間の世界や魔法観を構築していくのは,長くの夢であった。


「そうか……それなら,明日は一緒に確認に行くか」


「賛成!」


 ウィルは笑みを浮かべ,器用にパンをスープに浸して口へと運ぶ。その屈託のない様子に,胸にこびりついた不安がわずかに和らいでいくのを感じた。




 翌日,合流した私とウィルは,校舎の奥に設けられた石造りの掲示場へと足を運んでいた。広い吹き抜けの回廊にはすでに多くの学生が押し寄せ,ざわめきが石壁に反響している。


 掲示板の前に集まるのは,誰も彼もが同じ濃緑の学生服を纏った者たちばかりだ。華やかげに装う者どもは従者を侍らせながら,皆一歩引いた位置に陣取っている。彼らの表情は一様ではない。期待に目を輝かせる者,不安に唇を噛む者,祈るように手を組み合わせている者――未来の一端を見ようとする緊張が場を支配していた。


 人いきれと熱気に押され,私は無意識に胸元のペンダントへ手をやる。銀の六芒星は,温もりを宿したように指先にひんやりと馴染んだ。


「ほらアルヴァン,前へ出よう!」


「お,おい……」

 

 背後から押されるようにして,ウィルが笑顔で私の腕を引いた。彼の金の髪は光を弾き返すように煌めき,その陽気さは重苦しい空気を一瞬だけ和らげる。


 私たちは肩をすぼめ,他の学生たちの隙間を縫うようにして前へと進んだ。紙が何枚も貼り出された大きな木製の掲示板が視界に入る。筆致の整った黒文字が,未来を告げるかのように並んでいた。


 目を走らせる――


「……あった!僕らの名前!」

ウィルが声を弾ませる。


 確かにそこには「アルヴァン・ローレンス」「ウィル・オズモンド」の文字が並んでいた。そして,隣には同じ配属先が記されている。


『先進天文研究室』


 胸の奥に熱が広がるのを感じた。望みの精霊学ではない。だが天文といえば,天界を司る数多の精霊たちの,我々が目にすることのできる威光の一端――精霊界をより深く観察する上で,これ以上の場はない。私は胸を張り,思わず小さく頷いた。


 だが。


「……え?」


 次に目に入った一行で,思考が途切れた。


『指導教官:ノエラ・ハーシェル』


 その瞬間,耳の奥でざわめきが遠ざかっていくように感じた。まるで時間が歪み,音も色も曖昧になる。昨日教壇に立っていた,あの亜麻色の髪の少女――常識を軽々と踏み破る異端の語り部。その名が,確かにそこに刻まれていた。


「……おい,冗談だろう?」


 隣ではウィルが額を押さえている。信じ難い,という感情は彼も同じらしい。


 私は再び掲示を凝視する。だが文字は幻ではない。そこにある現実だ。

 胸の内に押し寄せるのは混乱か,それとも……期待か。


 ――数奇な運命の歯車が,確かに動き始めていた。


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