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08.「マリア」

 時間の感覚がわからないまま、マリアは寝てはっと目が覚めるを繰り返し、やがてノックされた扉に顔を上げた。


入ってマリアに歩み寄った青年は鎖の両端に足首と同じ金属の輪が付いた物を差し出してくる。


マリアはその様子に片眉を上げた。 


「私がそれに腕を通すと思っているの?」


「そうせざるを得ないだろう、このままこの部屋にいる気じゃなかったら。しっかり湯浴みしておいで」


 言うなり鎖をマリアに投げて、青年はベッドの足元にしゃがみ込み一瞬で鎖を外してしまうと、マリアが気付いた時にはそれを自分のベルトに付けていた。


じりと後ろに下がったマリアを見て青年は僅かに笑う。


「僕を抱えて逃げるかい?自分でも痩せ過ぎだと思うけど、君よりは随分重いと思うよ」


 馬鹿にした風でもなく青年は淡々とそう言って立ち上がりマリアを促す。


じっと鎖を見詰めたマリアはむずむずと鳥肌が立つのを堪えて輪に両手を通した。


それを青年の手が押すように触れると一瞬でマリアの両手にしっかりと輪が嵌る。


少なくともまたあの妙な匂いを嗅がされて眠らされるよりはマシだと自分に言い聞かせて、マリアは扉から出る青年の後に続いた。


 廊下に出ても壁の高い位置に所々例の小窓が付いているだけで、外がどうなっているか全くわからない。


しかしそう粗末な作りではないという印象だ、部屋もそうだったが床も壁もしっかり作られている。


歩いていても床がギシギシと聞き慣れた音で鳴ったりはしない。


だからこそに余計不可解な思いが募った。


「ここだよ。さあ、入って」


「貴方も付いて来るの?」


「まさか。鎖は伸ばして外で待ってるよ。こうしてね」


 言うなり後ろに下げていた鎖をベルトに繋いでいた鎖に付け、今度は端をベルトに付けるとマリアに繋がっていた方の鎖を外す。


量を増した鎖はお互いの間でジャラリと床に垂れた。


そしてそれをドアの下の僅かな隙間に通してしまう。


「鮮やかなものね」


 巧く手で覆って外す様が見えないようにしている、皮肉げにマリアがそう言うと青年は肩を竦める。


「兄より力はないけど、手先は器用な方なんだ。手の方は入っている間外してあげるよ。……さあ行って、必要な物は中にあるから」


 手枷を外され言われて渋々と開けられたドアの向こうに入り、マリアは憎々しげに辺りを見回した。


あの簡素な部屋や廊下は何だったのかと言いたくなるほど、小さな脱衣所だろう部屋から見えるのは細部まで作り込まれた浴場だった。


四方を囲む柱には花や蔦が彫り込まれ、石造りの浴槽はマリアがいた部屋何個分かというほど広い。


 何度も閉められたドアの方を確かめながら服を脱ぎ、マリアは鎖を引き摺って恐る恐る浴場へ足を踏み入れる。


何らかの匂いがする湯気に咽そうになりながら、しっかりと体と髪を洗った。


 どうするつもりかはわからないが、どうやらあの部屋に閉じ込めておくだけのつもりではないらしい。


そして体を洗う必要があるという事は、もしかすれば人前に――外に出る機会がある。


無理に抵抗してまた力任せに閉じ込められるよりは、表面上大人しくして隙を見るべきだろう。


 思考に耽りながら体を洗い、すっかり別人の肌のようになったところで、マリアは着ていた服も洗ってしまおうと脱衣所に戻った。


そして元の服は消え失せ代わりと言わんばかりに置かれた、また新しい上等なブルーのドレスにかっとなったままドアの向こうに叫んだ。


「私の服はどうしたの!?」


「汚れていたから捨てたよ。服はそこに置いただろう」


 いつの間にか脱衣所に忍び込んでいた事にマリアはぶるぶると拳が震え、それをどこかに叩き付けたくなるのをぐっと堪える。


恐ろしくゆっくりと息を吐き出し、籠に入っているドレスをうんざりを見下ろした。


 こんな物なんか着たくない、どれほど自分が相応しくないか思い知らされるだけだ。


こんな――あの、王女様のようなドレスなんか。


「っ……」


 マリアは再び浴場に歩いて行って、頭からお湯を被る。


落ち着かなければいけない、自分でも情緒不安定なのはわかっているが、ヒステリーを起こしていては好機を見失う。


そうだ、落ち着いて、そしてここから……あのクレイジーな人達から逃げ出さなければならない。


ここがどこだろうとこのドレスさえ持って逃げ遂せれば、売って旅費くらいには出来るだろう。


そうして一番に弟妹に会いに行こう、とにかく一刻も早くあの子達の無事をこの目で確かめたい、マリアは心の中で決意を固めるように繰り返す。


 ぶるぶると頭を振って体を拭くと、並んでいた香水だかの瓶には一切手を触れず、半ば勢いでドレスに腕を通した。


少しサイズ違いなのにほっとしつつ壁に掛けてあった姿見で自分を確認する。


 農場で毎日陽の下に出て働いていた頃より、肌が本来の色を取り戻しつつあった。


その所為で陽に焼けた髪は一層黄金色に近く見える、根元をよく見ればキャスリンの髪とは少し違っていた。


マリアはじっと今も尚母と同じ色の瞳を見詰めて、その先の問い掛ける。


――お母さん、私は頑張れるはずよね、そうでしょう?


 ぐっと拳を握ったマリアはゆっくりと鏡から視線を外し部屋を出た。


「よく似合うよ、……」


 再び手枷を嵌めた青年が何か呟いたが、マリアは聞き返さず歩き出すその後を追う。


来た方向とは反対側に歩きながら、相変わらず絵画も何もない廊下が永遠に続くのではないかという錯覚に囚われそうになった。


何度か角を曲がり、一体どれだけ大きな屋敷なのかとマリアが訝しげに思い始めた頃、漸く一つの扉の前で青年が立ち止まる。


これまで通り過ぎたどの扉とも違う重厚な造りに思わず足が引けた。


「怯えなくてもいい、中には誰もいないよ」


 青年はポケットから幾つか鍵を取り出すと、ガチャンガチャンと音を立てながら扉の鍵を一つずつ外していく。


やがて開かれた扉の先へ促す青年を一瞥し、前後に気を配りながらマリアはそっと先の部屋へと足を踏み出す。


 先程入った浴場ほどの広さの部屋で上品な家具に囲まれている、一番に目を引いたのは正面の壁に掛けられた一際大きな肖像画だった。


マリアが着ている物と同じブルーのドレスに垂らされた緩い曲線を描く金糸のような髪に滑らかそうな白い肌、そして長い金色の睫毛に縁取られた大きな瞳は朝靄の中の青空のようだ。


薔薇色の唇には温かい微笑みが浮かび、その大きな瞳で見詰める先に愛しい人がいるのではと思わせる。


どこかの姫君と言われても疑問に思わないほど、肖像画の中でさえも気品に満ち溢れていた。


「……誰?」


 閉まった扉の音にマリアが青年を振り向くと、青年は真っ直ぐその肖像画を見詰めまた遠い目をする。


「ハーサリェルスト初代帝王が尤も愛した妃だよ。名は――×××」


「リュ……ティ、リア?」


「発音が少し違う。でも概ね合っているかな」


 再び肖像画を見上げたマリアに青年は言った。


「×××――唯一の女性と言う意味だ。或いは処女神、始まりの乙女」


 その言葉に何故かマリアはぞっと寒気を覚える。


酔ったような青年の声が少し遠く感じた。


「君が知っている言葉で類似しているのは『イヴ』だ。ああ、そうだ、君の名前もそれに通じるところがあるね?」


 咄嗟に頭に自分の名を浮かべたマリアはせり上がって来た吐き気を堪えた。


マリアの名前をつけたのはキャスリンだと聞いた事がある。


 ――いや違う、偶然だ、一体この世界に何人同じ名前の女性がいると思う?


必死に自分を抑え言い聞かせたマリアに青年は言う。


「そうしていると本当に生き写しだ。やはり君は生まれ変わりに違いない。帝国に再び栄華を齎す女神のね」


 勢いよく青年を再び振り返ったマリアはきっと睨み付ける。


確かに少しばかり似ているかもしれないが、容姿が似ているだけで人違いされたのでは堪ったものではない。


むしろマリアは似ても似付かないと思った、まさに王妃に生まれ付いたかのような人と自分とでは。

しかし青年はそんなマリアを意に介さない。


片眉を上げてどうして疑うんだと言わんばかりの青年の顔に視線を突き刺した。


「顔が似ているというだけなら探せば他にもいるわよ」


「そうかな。シャーニアが攫ったのは確かに君だ、そうだろう?」


「誰の事を言っているのかわからないわ」


 苛々とマリアがそう言うと、青年は少し考えるように視線を上にやる。


「そう、確かキャスリンと言ったかな。君は彼女に育てられた、娘として。他に当て嵌まる年頃の女性はいない」


 どんと全身に何かがぶつかったような衝撃を受けマリアは痛いほど目を見開いた。


「十年ほど前から調べはついていたんだ。君の乳母だった彼女は君の母親と偽って、髪さえ君と同じに染めていた。幸い瞳の色は似ていたから上手く誤魔化せたんだろうけどね」と続けた青年にマリアは訳もわからず首を振る。


ぐわんぐわんと耳鳴りがして、ともすれば震えた膝はすぐにでも折れそうだったが懸命にそれを立たせた。


 思い返せば母に似ていると繰り返したのは父だった、父がそう言う時決まって母は少し寂しそうに微笑むのだ。


キャスリンは母じゃなかった?――違う、そんな事はありはしない、あれだけ愛情深い母親は他にいない。


「……嘘よ」


 掠れた声を絞り出し、マリアは必死にそう言う。


だが青年は憐憫の眼差しを向け緩く首を振った、さも哀れだと言いたげに。


「確かに君が末裔だという証拠は残念ながら確たる物はない。けど君の乳母として働いていたシャーニアの残した物はある。……見てみるかい?君の事も書いてあるよ。彼女の母親は君が育った国の出身で、文字もそれで書いてあるから心配しなくていい」


 マリアの返答を待たず扉のすぐ脇にあった本棚の鍵を開け一冊の本を手に取り再び棚を閉めると、青年は革表紙の厚いそれを差し出して来る。


頭は警鐘を打ち鳴らしたが、やがてマリアは震える手でそれを受け取った。


つまりこれを書いた人物がキャスリンでないとわかればいいのだ。


そんな事は、あるはずがないに決まっているのだから。


 ぎゅっと本を握り締めきっと青年を見上げる。


「十年前にも調べはついてたですって?だったら何故見付けた時に私を攫って来なかったのよ。これは母が書いた物なんかじゃないわ、読めばすぐわかる事よ」


 それでもいいのかと挑発したマリアに青年はどこまでも平然と肩を竦めた。


「こっちも色々と事情があったんだよ。それでも納得出来ないと言っても、いずれ君自身が動かぬ証拠になるだろう。それに君の貞操はいつだって守られた、そうだね?」


 再び襲った衝撃にマリアは青褪めた顔で呆然と青年を見る。


まさかずっと見張っていたとでも言うのだろうか、マリアは思い当たる節に眉根を寄せた。


そんなマリアを引っ張るように再び元の部屋に連れ出し、青年は「ゆっくり読むといいよ」と言い残してベッドに鎖を繋げ手枷を外すなり出て行った。


 ベッドに座り込み膝の上に置いた本の重みがずっしりとマリアに圧し掛かる。


深緑色の表紙は蔦のような細工に縁取られていて表題はない。


暫くじっとそれを見下ろし、やがてマリアは震える手にもう片方を添えページが破れないよう慎重に捲り始めた。









 中はシャーニア=フィンベルという女性の日記だった。


王族の親類だが血縁はなく、日記は伯母の紹介で来客に当てられる侍女として城に上ったところから始まっている。


彼女がまだ十六の時だ、少女らしくこれからの決意に満ち溢れた書き出しだった。


 シャーニアはとても素直な性格だったのが、その明け透けな感情の吐露からも窺える。


同じ侍女仲間に意地悪をされてやり返してやったとか、下男の一人がさっぱり仕事をしない役立たずだとか、今日の食事はどうだったとか、思った事をすっかり書いていた。


中でも彼女がやがて傍につく事になった王妃が如何に素晴らしいかは特に詳細に書かれている。


初代王妃に似た美しい金色の髪が美しくて羨ましいとも。


――彼女は赤茶色の髪だった。


 一人娘だったシャーニアは幾つか年上の王妃を姉とも慕い、二人はとても親密に接するようになったとある。


事実彼女は事ある毎に王妃に何か問題が起きると、まるでそれを我が事のようにして悩みを書き綴っていた。


とりわけ多く問題視され始めたのが王妃の不妊の兆候だ。


医師から体に問題はないとされていたがなかなか子が出来ず、悲しみに暮れる王妃に対しシャーニアは自ら薬草を取りに行ったとまで記している。


 そして数年が経ち、とうとう王妃が待望の御懐妊となった。


だがその頃には帝国の情勢が非常に不安定になり始めているとある。


元々帝国にいた人間が反旗を翻し密かに勢力を増大しているとシャーニアも聞いたようだった。


それは徐々にシャーニアの目にも露わになって行ったようで、日記には日々王妃と王女の安否が気遣われている。


 しかしそれは少しずつ別の不安に苛まれていく。


「ハーサリェルスト帝国」は他国の「選ばれた人間」が集まり築いた幻想の国だった。


王族の婚姻は初代以降近親間で繰り返されているとシャーニアは帝国が脅かされる最中で知ったのだ。


 それでも彼女は王妃と王女に対しての忠誠を失いはしなかった。


それどころか二人の平穏が失われつつあると知ってシャーニアの気持ちは更に高まったようだ。


まるで初代王妃の生まれ変わりとも言われた同じ髪と瞳の色を持つ王女を彼女は溺愛し、熟練の侍女頭と共に乳母として懸命に勤めた。


王女が肩辺りに火傷を負った時には眠りもせず付き添って、回復したと喜び、傷が多少残ってしまったとページが丸い染みで滲んでいる。


王女もまた少しずつ言葉を話し出すようになると、シャーニアを本当の母と思い込んだように彼女に接したようだ。


 やがて時は来るべき時に来た。


反帝国同盟が遂に目前まで迫り、最早開城は疑いようもない。


 日記には自決を覚悟した王妃から託された王女の事で最後が締め括られている――正確にはそれ以上書けなかったのだろう。


恐らくこれは彼女が「残して行った」物ではなく、落として行った、もしくは思い出す余裕もなかった物ではないか。


それほどまでに最後に書かれた文字は切迫し震え切っていた、脱走を謀る時に少しでも正常を保とうとでもしたのかもしれない。


 何度も何度も、王妃の為にも王女をお守りするのだと、その決意が繰り返されている。


――初代王妃の名前をも受け継いだ愛されるべき王女、例えばこの帝国の地を二度と踏む事がなくとも、然るべき幸福を掴み取る星の下に生まれた娘。


その幸せを見守り、そして王女が確かなる幸福を掴んだ時こそ、王妃との約束が果たされる。


 「その為に私はあらゆる事をしてみせよう。王女の母になる事も、そう偽る事も。私は神をも欺く事をここに誓おう。王妃と、私達娘の為に。娘の名前はもう決めてある、母の母国で教わった聖女の名前だ。私の愛しい乙女、私はこの身を捧げよう」――。









 マリアは微動だにせず掠れた文字を見下ろしたままでいる。


最後の文字が跳ね上がるのは母がした癖だった、そして筆圧が強く曲線で字が滲むのも。


 一体母は十七年間もどんな思いで自分を育てたのか、マリアには見当もつかなかった。


愛情深い人だった、与えられた愛情が偽りだとは思わない。


しかしそれ以外の何かも確かにあったはずだ――父は知っていたのだろうか。


 マリアは慈しむように指でそっと文字をなぞり、目から零れるものを慌てて拭った。


これが確かに母の物であるかはもう確かめる術がないけれど一つだけ確かな事がある、キャスリンは娘として「マリア」を愛してくれた。


「王女」ではなく「マリア」として、自分の娘の幸せを願ってくれたのだ。


そうでなければとっくにマリアはキャスリンの母としての愛を疑っていただろう。


マリア、マリアと繰り返し自分を呼ぶ母の優しい声が胸に木霊する。


自分ではもう原因さえ憶えていない、うっすらとした痕の残る肩に触れた。


 ――キャスリンは、確かにマリアの母だった。


例え血の繋がりがなくとも、他にどんな事実があろうとも、マリアの中ではこれが真実だ。


綴られた「王妃」を悲しいとは思う、しかしマリアの母はキャスリンだけだ。


ジェシーが父であるように、クリスティアンとキャサリンが弟妹であるように。


「逃げなきゃ……でも、どうやって」


 長く息をつき落ち着きを取り戻すと、マリアはぎゅっと日記を抱き締めてじっと足元を見詰める。


 「彼ら」はマリアに何かをさせようとしている、それは間違いない。


単に王女云々でこんなドレスを着せている訳でもないだろう、敬意を払うべき存在ならあんな風に手荒に攫ったりなどはしないのだから。


そう、所詮「王女」など彼らの何かしらの計画の手駒に過ぎないのだ。


恐らく帝国の再建にマリアの存在がどういった形でかで必要になるのだろう。


 ふと青年の言葉を思い出し、マリアは眉根を寄せると日記にそっと顎を置いた。


十年も手を拱いていた理由が何かあるのだ、マリアがあの場所からも弟妹からも離れ一人きりになる時を図らずしも待っていた形になった理由が。


そしてそれは彼らの弱点となり得るかもしれない。


 マリアは足に繋がっている鎖を追ってベッドの足元へと座り込む。


金属で固定されたベッドの足元に通されている鎖はまるで最初からそうして作られたかのように何の変哲もない。


しかし青年が何の道具も使わずこれも、そして手枷も外してみせた。


「何かのトリックがあるんだわ」


 そう口にしてマリアは大きく頷いた。


闇雲に引っ張っても駄目、鎖の輪を抉じ開けようとしても駄目、垂れている方の鎖をぶつけてみても駄目。


ふうと息をつき緩く首を振って、もう一度様々な角度から鎖を外そうと試みる。


例えば先程のようにどこかへ連れて行かれ人前に出されたとして、この鎖が外されないままの可能性もあるのだ。


その時までに外し方をどうあっても習得しなければならない。


 鎖を握り締め、部屋の中央でぽつんと座り込んでいる自分を顧み、少し笑いが零れた。


今は本当に独りきりだ、しかしこれからの人生もそうして生きるのなら、これが当たり前になる。


察してくれる人も気遣ってくれる人もいない、今度こそ自分の人生を自分自身で左右するのだ。


「馬鹿にしないでよね、これでも昔からこういうのは得意だったわ」


 マリアは昔の自分を思い出し、口元に今度ははっきりと笑みを浮かべた。


 勝気という訳でもなかったが、マリアは何かと負けず嫌いだった。


誰かに負けるのではなく、自分が出来ない事が嫌だったのだ。


それで随分両親やダグラスを困らせていた時期がある、大きな木に登ってみたり深い泉で泳いでみたり……随分怒られた記憶もあるがそれでも思い出は皆優しい。


 よし、とマリアはぐっと気合を入れてレースのついた袖を捲り上げる。


いつからそんな自分を忘れていただろう、自分自身を考えるよりまず弟妹や家の事を考えてすっかり置いてきぼりになってしまっていた。


「ママ、パパ、見ていて。二人の娘を、見ていてね」


 幼い頃のように、日記に向かってそうマリアは囁く。


どれだけ王女様のような生活が待っていたとしても、山ほどの宝石やドレスに囲まれても、「ここ」にマリアの幸せはない。


 ここを出て弟妹の笑顔を見に行こう、きっと学校で楽しくやっている。


それからホレーショーやバーバラ、ホルブルック夫妻に挨拶をして、そして新しい仕事を探そう。


どこでもいい、煌びやかでも何でもない普通の生活の中にきっとそれを見付けられる。


そうしてみせる、何度繰り返しこの願いが潰されようとも。


 母が、命懸けで自分をここから連れ出してくれたように。


今度は自分で、自分の意思で飛び出すのだ。





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