27.兄と妹
暫しの間お互いに同じほどの視線の高さで睨み合った後、それを外したのは彼の方だった。
大きく息をつき、見た目以上にがっしりとしているだろう体格とは思えない流れる動作で傍のソファに腰を下ろす。
無言で促したジャンフランコに頷き、ダグラスもその正面に腰を下ろした。
空気は未だ緊迫したままだったが、殴り合いには発展しないと判断したのかそっとエドウィンが退室して行くのを視界の端で確認する。
改めて見た彼は調査書と寸分違わない人物のように思えた。
目を瞠る美貌を持ちながらも特定の恋人は持たず、仕事が恋人だと公言している。
実際彼はホテル王として君臨する父親に劣らない才覚の持ち主のようだ。
そんな男がマリアと親密にしていると知った時にはどうしようもない苛立ちを感じたものだが、今は僅かに違っている。
心の奥底で嫉妬が燃え盛るのは否定しようもない、しかしマリアを助け出すに顔の広い彼は大きな力となるだろう。
何よりマリアが彼を望んでいるのなら、今彼女の心の支えになってくれているかもしれない。
「一体何がどうなっている?この数ヶ月、君は一体何をしていた?」
何故彼にそれを問われるのかはわからなかったが、ダグラスは沈黙を守りやがて言った。
「貴方こそ今までどこに?」
「出先で内乱があって連絡手段が絶たれていた。漸く監禁状態から逃れて連絡がついたと思えば彼女が行方知れずだって言うじゃないか!君はわからなかったのか、彼女は家まで手放したっていうのに!」
苛立ちを紛らわせようとしたのかジャンフランコはドンと目の前のテーブルに拳を叩き付ける。
一点に留まらせておけない彷徨う視線が彼の怒りを表しているようだった。
「どういう意味だ?」
遂にそう尋ねてしまえば、刺し殺すような視線が向けられる。
「愚か者とは君の為にある言葉のようだな、ボルジャー。君を僅かにでも買い被った僕が馬鹿だった!」
「マリアは貴方の紹介で農場を売ったはずだが」
「それが彼女には必要だった……そして君にもね。君は気付きもしなかったと言うのか?彼女があの場所から離れて一人になった時、追いかけもせずにいたと?」
首を振ったダグラスにジャンフランコがフンと鋭く息を吐く。
「そうだ、君は彼女を追いかけたな。だからこそ大丈夫だと思っていたんだが……とんだ間違いだったようだ」
「知っていたのか?」
「知っていたかだって?勿論知っていた、彼女が如何に傷付き不安だったか、僕は君より知っているさ!」
再びテーブルに拳を叩き付けようとした彼は、しかし空中で止め指が白くなるほど強く手を握り締めるとやがてそれを自分の膝の上に置く。
そしてダグラスは本当に彼が彼女をよく知っていると知った。
ダニエルにはなかった正当な怒りがそこにある。
彼女の事を知っているのなら、そして彼女を大事に思えばこそ、むしろこの反応は当然の事だった。
「そうだな……俺は何も知らなかった、知ろうとしなかった。いつも自分の目先の事ばかりで」
「見当はついているのか?」
「ヴィーンラット男爵をご存知か?」
マリアの事をここまで思いやるのなら自分の身辺も調べさせたに違いない。
間を置いて頷いたジャンフランコを見、ダグラスは重い口調で切り出す。
「少なからず彼が関係している。今は彼が少し前に購入した女性用の家具の配送先を調べているところだ」
「君の件に巻き込まれたのか」
「いや……その可能性は今のところ半々だろう」
「どういう事だ」
躊躇ったのは一瞬だけだった、マリアを救う為には例え親の敵だろうと気に留めている暇はない。
やがて粗方を話し終えたダグラスは、いつの間にか項垂れ膝に置いた両手を細かに震わせているジャンフランコを見る。
彼のショックは計り知れないものがあるだろう、ダグラスとて目の前で彼女を攫われたショックからまだ正確に立ち直れている訳ではないのだ。
以前自分の与り知らぬ所でマリアが危険な目に遭ったと知らされた時には目の前が真っ暗になった気がした。
彼も今それと戦っている。
「では、僕も同罪だったという訳だな」
不意に発した彼の言葉を計りかねダグラスが聞き返そうとする前にジャンフランコが自嘲する。
「そうではないかと思っていたところがあった、けれど僕はその可能性を自分の中で捻じ伏せたんだ」
「一体どういう意味だ?」
何とも言えない奇妙な表情をした彼は、まるで呪いの言葉でも吐くように慄いているようだった。
しかしやがて彼は震える声で言う。
「僕には妹がいた、彼女の両親が亡くなって遠戚から引き取った血の繋がらない妹だった」
ダグラスと同じく一人息子であった彼は彼女をとても可愛がったと言う。
五つにもならなかった少女はとても愛らしい顔立ちをしていて、彼はまさに天使とばかりに扱った。
どこへ行くにも連れて歩き、自分を慕い歩み寄って来る彼女に一種の孤独は全て吹き飛んだ。
ダグラスにはそれがどういったものであるかよくわかっていた。
彼もまた偉大な父を持ち、己の才覚に疑問を抱いた事もあったのだろう。
そんな時に周囲は全て敵に見え、自分自身にさえ疑心暗鬼に囚われる。
だからこそ無垢な心でダグラスは自分を慕うマリアが一層大切に感じた。
ジャンフランコは一瞬緩めた表情を再び険しく歪め大きく息を吐き出す。
だが自体はそう穏やかに進まなかったようだった。
「当時あまり詳しい事はわからなかったが、彼女の両親は事故でなくなったと言われていた……しかしそうではなかったんだ」
「まさか」
「殺されていたんだ、彼女が住んでいた場所で内乱があってそれに巻き込まれたようだった。どうしてなのか、今でもそれはわからない、けれど――」
彼は自分の中で激しく渦巻く感情を何とかしようと、ダグラスと同じように強く拳を握りソファへとそれを叩きつける。
二度三度とそれを繰り返し、彼は恐ろしくしわがれた声でやがて言った。
「妹も殺された。誰もが事故だと言ったがあれはそうじゃない!彼女は両親と同じように何らかの理由で殺されたんだ!罪もない、あんな……あんな小さな子をっ」
潰されたような声を絞り出した彼は充血した目で宙を睨む。
「犯人の調べはついたのか?」
慎重にそう言ったダグラスにジャンフランコは忌々しげに首を振った。
そして深呼吸を繰り返し彼が懐から取り出したペンダントを差し出され、ダグラスは訝しげに思いながらもそれを受け取り鋭く息を飲む。
爪ほどの小さな丸いロケットが開かれた中には、自分のよく知る少女が微笑んでいた。
「マリア!?」
「違う――僕の、妹だ」
ダグラスは信じ難い思いでペンダントから顔を上げジャンフランコを凝視する。
しかしそう言われても到底すぐには頷けないほど、ダグラスの記憶にある少女の頃のマリアそのものなのだ。
わざわざ彼が作らせたのだろう、恐らく長い間色褪せる事のないように加工されたらしい絵の中の少女は、陽に溶けてしまいそうなまでの金色の髪も早朝の空のような瞳の色も何もかもがよく似ている。
よく見れば彼の妹の方が少しふっくらとしていて唇が薄いくらいだが、それでもマリアがこの年の頃にこの少女と並べば身内以外はわからなかったに違いない。
動揺を何とか治めたダグラスがペンダントを返すと、彼はそれを愛しげに、そして悲しげに見て再びポケットに収める。
「妹の事はずっと調べ続けて来た、しかし不可解な事が多過ぎるんだ。最初に彼女を預かったと言う親類は、彼女達が元々どこでどう暮らしていたのかさえ知らなかったらしい。独りになった彼女を預けに来たのはその町の保安官で、そしてその保安官も少し目を離した隙に彼女を連れて来たという人物を見失った」
「確かに、不可解だな。しかしそれは貴方の罪では……」
「いいや、僕はもしかしたらと思っていたんだ。彼女が……マリアがあまりに妹に似ていたから」
掠れた声で言う彼にダグラスは酷く胸騒ぎと嫌な予感がした。
「もし妹と彼女に血の繋がりがあったならと、考えなかった訳じゃない。でも僕はそれを否定した、妹のようになる訳がないと」
彼はそう言いながらも常にその不安を抱えていたのだろう、マリアの動向を誰かに報告させていたからこそこうして一も二もなく飛んで来たのだ。
ただそれは最悪のタイミングと、誤算があった。
彼女が離れた事で己の気持ちに気付くはずの男は愚鈍のままで、彼女を守るどころか敵に居場所を教えてしまったに等しい。
ダグラスの鼓動は痛いほど胸を叩き続けている、それはやがて頭に到達し全身を駆け巡り始めた。
もし、彼の言う通りにマリアが彼の妹と何かの縁があったのなら?他人の空似などではなかったのなら?
無意識にダグラスは上着の胸ポケットへと手をやった、だがそこにはすでに慣れ親しんだあのブローチの感触がない。
「貴方はマリアから何か聞いてはいないか?彼女には……」
ダグラスは思わず言葉を切ってしまう。
それを口にする事は何故か躊躇われる、口にしてしまえば自分自身でもやはり否定して来た何かを肯定してしまいそうな気がしたから。
大きく息を吸い、しかしダグラスは決心した。
例えどんな事であろうとも、マリアが直面しているかもしれない問題から目を背ける訳にはいかない。
「彼女にはもう一人母親がいた可能性がある」
「何だって?」
「彼女が母親から遺される形になったブローチの台座に、もう一人の母と言う記述があった。まるで隠されるようにして」
もしマリアが見つけていても文字ですらない跡などそう疑問には思わなかった事だろう。
マリアが攫われたという状況下だからこそダグラスも疑問にした事だ。
恐らくあれは読まれる事は想定されていない、しかし書かずにはいられなかった――そんな気がした。
「いいや、少なくともマリアはそんな事は知らないだろう。聞いた憶えもない」
「そうか……。ランドリアーニ、貴方の妹が暮らしていた場所に心当たりは?」
「内乱に巻き込まれたのと独りになったショックの所為か、彼女は家に来た当時話せなかったんだ。彼女がたった一つ持ち出して来ていた玩具の生産先を調べたが、大量生産され過ぎていてどこで買った物かもわからなかったよ」
緊張感漂う部屋の中に暗い何かが忍び寄って来るのがわかる。
疲れたように息を吐き出し、ジャンフランコは片手で顔を覆った。
ダグラスも息をつきたいのを堪え、自分を取り戻すように言う。
「マリアが貴方の妹のような目に遭う確率は低い。もし彼らの目的がマリアであるのなら」
今となってはそれに希望を見出しているのが皮肉だった。
しかしどんな事に利用されようとしているのかはわからないが、彼らにマリアを亡き者にしようとする意思は恐らくないだろう。
まだ、今は。
自分の恐ろしい考えにダグラスは顔を歪めた。
彼女が再び攫われてからすでに両手では足りない日数が過ぎている、その間に彼らが考えを改めないとも限らない。
「君は、彼女を愛しているか」
唐突に投げられた言葉にダグラスは一瞬声を失いかけたが、躊躇いもなく頷いた。
「愛している」
今更だろうと過去を変えられなかろうと、それだけが無理に目を背けないではいられないほどいつも確かだった。
本当に妹のように接していた時も、そうではなかったのだと気付いた時も。
ジャンフランコは真っ直ぐに見据えるダグラスに対峙し、刺すほどの視線を投げて来る。
「僕は君が憎いよ、極端に言えばもっと殴りたいほど」
しかしそう言った彼は僅かに歪んだ笑いを浮かべた。
「けれどそれをマリアは望まない。ボルジャー、僕は彼女を愛しているよ。妹の生まれ変わりとしてね」
今度こそ絶句したダグラスに彼がそのまま複雑な笑みを深める。
「彼女もそれは承知していた、僕が常に失くした妹の身代わりを求めていると。恋人だった女性にすらね、その罰は僕にではなく彼女に当たってしまったが……。マリアとは心から望むものを求めて彷徨う同士だったんだよ」
その言葉に漸く彼がマリアに過剰とも言える施しをしていた理由を垣間見た。
傍から見ればそれは男女の愛情があるように見えただろうが、彼らはそうではなかったのだ。
ある意味二人が人目を忍んで逢瀬を重ねていたという調査書の意味が理解出来る。
マリアはきっとこの男に、昔の自分の面影を見ていたに違いない。
いつでも自分を受け入れ背を向けられる事など考えもしなかった「兄」であった頃のダグラスに。
何度受けても慣れる事はない、彼女を傷つけた自身の痛みはきっと一生続くだろう。
それでも、知らぬふりをしていた頃に戻ろうとは思わない。
「君はこれから先、どんな彼女の選択も受け入れなければならない」
「わかっている」
「例えマリアが許しても、君の罪が消えたなどと思うな」
「わかっている」
恐ろしく長く感じる間彼はじっとダグラスを見据え、そして漸く一つ頷いて視線を外す。
「同時に僕の罪も消えない。そしてこれは、マリアの意思を無視して私利私欲に利用しようとしている何者かも一緒だ」
ダグラスはそれにゆっくりと頷いた。
「各国にあるうちのホテルは好きに使ってくれて構わない、手配しておこう」
「感謝する、ランドリアーニ」
「いや。今は一刻も早くマリアの行方を探し当てない事には」
再び両者に沈黙が降りると、外から微かに通りを行き交う馬車の音がする。
今は頭の中から追い出したかったが、ダグラスの頭には様々な最悪の可能性が浮かばずにはいられなかった。
「もし、だ。もし彼女が僕の妹の血縁だとして、一体それがどうだと言うんだろう」
彼も同じ状況だったのだろう、何かを話していたようだった。
あまり希望を見出せる話題ではなかったが、可能性がある限り考えなくてはいけない事だ。
ただダグラスにも正解はわからない。
「そうだ、貴方はハーサリェルストと言う国を知らないか?昔マリアが――」
ダグラスは言葉を止め、顔色を変えたジャンフランコを見やる。
「知っているのか?」
「いや、わからない。けれど、僕の妹が熱を出した時に魘されながら言っていた言葉だ。その時は彼女が元いた国の言葉の一つなのかと思っていた。どこにあるんだその国は!」
立ち上がりかけた彼を手で制し、ダグラスは首を振る。
そして互いに強い失望が襲ったのを悟った。
「調べてもそんな国も都市もどこにもなかった。もしかしたら国民だけが使う呼び名なのかもしれない。しかしマリアが昔その国からやって来たと言ったのは事実だ」
「マリアからそんな事を聞いた事はないよ」
ダグラスもそれに頷く。
マリアは幼い頃独特の発音で違う国の言葉らしきものを話していたが、ある時を境にまるですっかりその記憶を失くしたように話さなくなってしまったのだ。
歪んだ口元に手をやって覆うと、叫び出してしまいたいのを堪える。
全て昔から何かが掛け違っているような気がしてならない。
強くなる鼓動が耳のすぐ傍で聞こえ始めた。
「キャスリンが――マリアの母親が彼女を連れてやって来たんだ」
「彼女の母親も関係者であった可能性もある、か」
目の前に黒い何かがそびえ立っている気がした。
もし全てが符合してしまうのなら、彼女が狙われていたのは最近の事ではなかったのではないだろうか?
だが何故わざわざこの時期を待つようにしていたのか、それにも疑問が湧く。
不気味なほど意図が掴めない。
「彼女の両親は事故で亡くなったと言っていたね」
槍でも投げ込まれたような思いがしてダグラスは俯かせていた顔をはっと上げる。
「仕組まれていたと言うのか!」
「その可能性もない訳ではないと思う。全く、こんな憶測しか出来ないなんて」
ジャンフランコが苛々と舌打ちしたが、ダグラスの思考は昔に飛んでいた。
考えもしなかった事だ、しかし彼女の両親の事故には少々不可解な点もあったのは事実だ。
馬車の手綱を握っていたのは少し深い森でも慣れていたジェシーだった。
小動物でもいてそれに驚いて馬が暴れでもしたのだろうと誰かが言っていたが、引いていた馬はダグラスもよく知るおっとりとした馬で幾ら突然小動物が飛び出して来たところで我を失うほど驚くとは考え難い。
そしてジェシー達が転落した崖はいつも彼らが通る場所よりも幾分か離れている。
あの馬が驚いたとして、そこまで馬車を引き摺って崖に飛び込むような真似をするだろうか。
当時は誰も彼もがパニックに陥って、彼らが他界した現実を受け止めるのに精一杯だった。
そしてダグラスと同じくもう少しでも冷静だったのなら疑問に思ったであろう父も原因の追究をする余裕はなかった。
「なんて事だ……」
呟いたダグラスに彼が訝しげにして視線を向ける。
「心当たりが?」
「そう、かもしれない。説明がつかない訳じゃないが、そうだとも言い切れない点は幾つもあった」
ダグラスは唇を噛んでどうしようもない後悔に苛まれる。
あの時もし誰かが故意に事故を起こした可能性を考えてさえいたら、マリアや双子達へ及ぶ危険にも備えられたかもしれない。
「その件が確定した訳じゃないが、どうやら相当過激な連中には変わりがなさそうだな」
深い憎しみを込めてジャンフランコが言う。
ダグラスはそれに答える余裕もなく、震える拳を強く握り締めた。
「解せないな。もし彼女が目的なら、何故数年もの間彼女を放っておくような真似をしたんだろう」
「わからないが、マリアが一人きりになるよう仕向けられていたかもしれない。ヴィーンラットからは俺の親しい者が被害に遭うと警告らしきもの受けた」
それに彼は眉根を寄せ、ペンダントが入っているポケットへ手を差し入れる。
何かに縋りたいような気持ちはダグラスも同じだった。
「君はそれでマリアを避けていたのか?」
「いや……俺自身が愚鈍だった所為さ」
静かにダグラスはそう言った。
「例の国については僕も心当たりから探ってみるよ」
「心当たり?」
「アンダーグラウンドのね」
ダグラスもそれに眉根を寄せ、握り締めて白くなった膝に置かれたままの拳を見下ろす。
そんなものとマリアが関わりがあるとすれば、一層彼女の安否が不安だった。
心は急いても暗闇に手を伸ばしている如く、掴もうとしてもただ宙を切るばかりで。
一度手を放してしまったばかりに、彼女がそのまま闇の中に転げ落ちて行くのではないかと――。
「そうだ、君にもう一つ聞きたい事があった」
立ち上がったジャンフランコがダグラスを振り返る。
「君は彼女に触れる事は出来たか?」
唐突で意図がわからない問いかけだったが、ダグラスは頷いた。
「そうか……どうあっても、君は彼女の特別なんだな」
苦笑すら浮かべた彼に戸惑い、自分だけがそうではなかったと言う。
そう、ダニエルとてマリアとは嫉妬をするほど固い抱擁を交わしていた。
「彼は友人だと言ったんだろう、だからそれは違う」
一体何がどう違うのか、問う前に彼は小さく息をつき再び背を向けた。
「ランドリアーニ」
「君が今すべき事は彼女を助け出す事だ」
ジャンフランコが出て行ったドアを暫く見詰め、ダグラスは出しかけた言葉を喉の奥へと押しやる。
マリアが自分をどう思っているか、今はそれを問題にしている時ではない。
ダグラスは立ち上がり、忙しなく窓の向こうを見やる。
報告が数時間で入る訳もないとわかってはいたが、ホテルに向かって来る馬車をつぶさに見詰めた。
窓から離れ部屋をうろついては窓に近付きを繰り返し、やがてダグラスは踵を返して部屋を出た。