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26.御伽噺のように

 戻った国は少しだけ暖かく感じられる。 


馬車に揺られている間ずっと頭の中を渦巻いていた思考は飛び込んで来た衝撃によって中断された。


「ダグラス!マリアは!?」


 己の腰に抱き付いているクリスティアンとキャサリンに向かって、ダグラスは微笑もうとし失敗してしまう。


それは僅かに一瞬の事だったが、素早く二人は察したようだった。


「来ていたのか」


「この間からおばさんがこっちのホテルに部屋を取ってくれたんだ。休日はここに来てる」


 がっかりとしてそのままへたり込みそうなキャサリンの隣で、やはり浮かない顔のままクリスティアンは言った。


何とか二人を励まそうとし手紙の事を思い出したダグラスは二人を自分の部屋まで急き立てた。


やって来た部屋を見渡してもう何年も過ぎたような感覚に陥りながら、ダグラスは使用人にお茶とお菓子を言い渡すと二人をソファへと促す。


不安そうな顔をしたままの二人は寄り添って座るとダグラスを見上げた。


「マリアから返事を預かって来たよ」


「本当に!?」


 ぱっと顔を輝かせた二人は、しかしすぐに肩を落として俯く。


どんな返事が来たのかが心配なのだろう、テーブルの上に差し出された手紙を見ようともしない。


「さあ、早く読んであげるといい」


 そして漸く頷いて、手紙を手に取ったクリスティアンがあっと声を上げた。


「これ僕達が出した封筒だよ!」


「ああ、生憎、彼女の持っていた紙がなかったんだ。君達の手紙の裏に返事があるよ」


 ダグラスの言葉に背を押されたのか、二人は視線を交わして頷くと封筒からそっと手紙を取り出し、その裏側にすぐ目を留める。


二人の目から大粒の涙が零れるのはあっという間だった。


すぐにキャサリンは声を上げて泣き出し、クリスティアンはぐすぐすと鼻を鳴らす。


ダグラスは立ち上がって机の引き出しからハンカチを二枚取り出して二人に差し出した。


それに顔を埋めて二人は暫くの間泣いていた。


 港に着いてすぐ二人の身辺警護に当たっていた一人が状況報告にやって来て、馬車の中でダグラスがいない間の二人の生活についての報告書は読んでいる。


しかし実際こうして目にして見るのとでは大きな違いがあったと痛感した。


自分が同じ年頃の時は何もかもが精一杯で特に気付きもしなかったが、改めて見る二人はすっかり大人びて見える。


ダグラスも知っている甘ったれで小さな少年少女とは違い、顔付きも体付きも大人に近付いている事がすぐにわかった。


恐らく精神的にも彼らは近付いている。


「ど、どうしてマリアはまだ戻って来れないの?仕事って、一体何をしているの?」


 ダグラスは考えあぐね、どう答えていいものか判断に迷う。


そうはいっても二人はまだ子供と呼べる年であるには変わりがない、元の村ではすでに働き始める子も多くいるがある意味二人はそうした教育を受けては来なかった。


しかもこんな状況でマリア自身が狙われまたしても攫われたなどと話して、二人にとっていいものかどうか判断がつかない。


話してしまったのなら二人がこれからの生活に影響を来たす事は火を見るより明らかだ。


そしてそれはマリアの望むところにはないだろう、彼女は弟妹の生活を壊す事など望んでいない。


「前と同じような事だと聞いた。それから、向こう先で学校に通えない子供達に勉強を教えたり」


 これは後でダニエルから聞いたというエドウィンから聞いた事だ。


彼女はあの小さな村で以前と同じように精一杯働いていたらしい。


そして閉鎖的な集落が多い中、村人が一体となってマリアを隠していたのはひとえに彼女が好かれていたからだと。


ダグラスはあの村に行った時に必死で自分を追い払おうとした恰幅のいい女性を思い出した。


「向こうでも彼女はとても好かれているみたいだ。だから、もう少しいて欲しいと望まれているんだよ」


「僕達だって、マリアに帰って来て欲しいのに……」


 そう言ったクリスティアンの表情はダグラスもよく知る昔のままの幼い少年のままだ。


二人が項垂れ沈黙している間にお茶とお菓子が運ばれて来たが、二人は以前のようにすぐ手を伸ばすような事はしなかった。


それどころかちらりと一瞥しただけでまたすぐに視線を落としてしまう。


「少し先に伸びると言うだけだ。手紙を見ただろう、マリアも君達に会いたいんだよ。でも我慢してる」


「うん……」


「マリアは君達がちゃんと学校生活を楽しむ事を望んでいるんだ、わかるね?」


「うん……」


 クリスティアンとキャサリンが代わる代わる頷いて手紙を抱き締めるとクリスティアンが懐にしまい、ダグラスが勧めたお茶を漸く手に取る。


目や鼻を赤くしたまま二人はカップの少しずつ飲み、何とか落ち着きを取り戻して来たようだった。


 それにしても、とダグラスは内心自嘲してしまう。


二人にはこんな事を言いながら、自分は恐らくマリアの願い通りには行動出来ない。


いつだってそうだ、彼女が願った時にはそれを叶えてやる事も出来ないのに、どうして彼女が自分を好きになったのか今となっては不思議で仕方がない。


彼女の幸福を手放しで喜べるとは思えない自分が存在するのを知っている。


あれだけ彼女を追いやったのは自分だ、それなのにいざ彼女が他の誰かを見つけたらと思うと目の前が真っ赤になる。


けれど、それでも、彼女の無事には代えようがない。


「学校はどうだい?」


「うん、楽しいよ。随分慣れたし。ただキャサリンが料理を作って食べさせようとするんだよね」


「もっと喜ばしい顔が出来ないの、クリス」


「喜ばしい時にはそういう顔をするよ」


 キャサリンがクリスティアンの腕を叩くと、漸く笑顔が戻って来た。


それにほっとしつつ、少し紅茶をズボンに零してしまったクリスティアンが部屋を出て行くと、身を乗り出して来たキャサリンに思わず首を傾げる。


「ねえ、ダグラス。私ヘンリエットから言付かって来たの」


「母さんから?」


 神妙な顔で頷いたキャサリンに、どことなく嫌な予感を覚える。


しかし次の彼女の言葉はダグラスの予想を遥かに斜め上に飛び越し、うっかりお茶を噴き出して咽た。


「ラモーナって言う人が誰かと正式に婚約したんですって。……汚いわねえ」


「なんだって?」


「だから、ラモーナって言う人が」


「いや、……ああいい、わかった」


「誰なの、ラモーナって。言っておくけど、ダグラス、浮気なんかしてたら私が承知しないわよ」


 次々に言葉の銃で撃たれているような感覚に陥り、ダグラスはハンカチで辺りを拭きながらがっくりと脱力する。


よもやその忠告が時すでに遅しだと言ったらどんな銃口を向けられる事か。


「二人が喧嘩したたのは何となくわかってるの。ねえ、もしかして私達の所為?」


「違うよ、君達の所為なんかじゃない。俺が……すまない、マリアを傷つけた」


 一瞬険しい顔になったキャサリンは、しかしふと顔を緩め、少し大人びた表情を見せた。


彼女はある意味マリアと違い、どことなく早熟なところがある。


幼い頃マリアの隣を譲ろうとしなかった彼女だが、しかしダグラスが他の少女と話しているのもいい顔をしなかった。


そうして今になって、彼女は彼女でダグラスをマリアの相手だと認めてくれていた事を知る。


「二人の事情はわからない、多分私が口を出す事でもないんでしょうね。でも、じゃあ、必ず仲直りして。マリアはダグラスの事が好きだから、きっと許してくれる」


「……そうかな」


 苦笑とも自嘲ともつかない笑みが思わず零れた。


マリアは確かにダグラスをもう許しかけている、しかしそれはダグラスが望むものとは少し違った形だ。


皮肉にも、自分達の願いはいつもどこかですれ違う。


信じられたらと思うが、人の愛情は時に強いが時に儚く脆い。


ダニエルの言ったようにマリアが強くあろうとしているのなら、それだけに心配と不安が募る。


まるで彼女のその頑張りが、ぴんと張られた細い糸のように思えてしまうからだ。


どこともわからぬ場所に連れ去られ、どうしているかもわからない今、彼女の糸がいつ切れてしまうかもわからない。


「私達の事も許してくれたんだもの、きっと大丈夫よ。自信を持ってダグラス。昔は姉さんを取られるみたいで嫌だったけど、二人が一緒にいる事も少なくなって、寂しいと思ったのも本当なの。悔しいけどマリアの一番はいつも貴方なのよ」


 袖まで散ってしまっていたお茶を拭きながら、ダグラスはその言葉に答えられずにいた。


もし全ての事情を話してしまったのならきっとキャサリンは激怒した挙句、ダグラスには任せておけないと自分でマリアを探し出そうとしかねない。


後ろめたい思いもするが、事情を話すのはマリアを取り戻してからでも出来る。


そしてそれこそがキャサリンにとってもクリスティアンにとっても、マリアにとっても重要なはずだった。


「あら、ダグラス、なんだかあちこちに痣があるわよ。一体どうしたの?」


「ああ、ちょっと……向こうの船員のいざこざに巻き込まれてね」


 半分まで捲くった腕からは未だ濃くあの時の乱闘の痕が残っている。


痛みは少なくなったが、紫色のそれを見てダグラスはぎりと奥歯を密かに噛んだ。


マリアの傷はそのままになどされていないだろうか、ロープが擦れて出血しただけで傷は浅いようだったが放置すれば腐ってしまう。


それにあの男達がマリアを丁寧に扱うなどとは期待出来ない。


「あ、こっちにも痣がある。変な形になってるわ」


 肘の少し上辺りを指差したキャサリンにダグラスは少し笑って頷いた。


「そっちはかなり昔からあるんだ、母さんは昔遊んでいて木から落ちた時のものだろうと言っていたけど」


「ふうん。ダグラスにもそういう時期があったんだ」


 意外そうに言ったキャサリンにダグラスは頷きながら苦笑する。


まだ自分の出生を知らない頃の事だ、あまりよく憶えてはいないがなかなか活発な子供だったらしい。


腕だけではなくその名残が様々にダグラスの体には散っていた。


 戻って来たクリスティアンも交え二人の学校の様子を聞きながら雑談し、そして迎えが来たのに二人は躊躇いながら席を立つ。


ロビーの出入口まで来て二人が振り返り手を振った。


「ねえ、またマリアの様子を見に行く?」


「ああ、勿論」


「その時も出来たら手紙を貰って来てくれる?」


「わかった、約束するよ」


 努めて笑顔で頷いたダグラスに二人は漸く少し強張った顔を解し、背を向けてホテルを出て行った。


そしてすかさず歩み寄って来たエドウィンに向かってダグラスも奥にしていた緊張を露わにする。


「例の物は?」


「届いております」


 その言葉を聞くなりダグラスは足早に部屋に戻り、机の上に置かれた書類を手に取った。


ダニエルは思ったよりも早く行動に移してくれたようだ。


椅子に座る間も惜しんでそれを読み耽っていたダグラスはとある記述に目を留める。


ヴィーンラットが自分の名義で購入した物のリストだ、彼は大体会社名義で購入している為か数はそう多くない。


ダニエルかその親族かが今も続けて調査していたらしい、そしてその中に幾つか数ヶ月ほど前に購入した物が挙がっていた。


女性用の家具やドレスが購入されている、しかもそのどれもが一から製造を注文した物のようだ。


ヴィーンラットに配偶者はいない、調書が正しければ彼の兄弟もすでに他界しており彼らに子供もいないはずだった。


「可能性がない訳じゃない、か」


 小枝を掴むような思いでダグラスはエドウィンを呼び、家具の配送先を調べるように言った。


特注までした家具なら専門の者に任せた配送をさせるだろう、それが当たればマリアが連れ去られた居場所も近くまでは突き止められる。


 こうなったら地の果てまでも追いかけるのみだ。


例えそれが今まであれほど固執していた立場を失う事になっても、そしてマリアの願いに背いても。


今まで自分を一番に支えてくれたマリアに感謝をしている、自分を息子だと心で認めてくれた両親にもだ。


だからこそもう逃げ出してはならない。


言い訳も口実も何もかも必要がない、これ以上愚か者になってはならない。


 彼女の言う通りだと今酷く痛感した。


思えば様々な人に支えられて来た、そして自分は正しくそれらを顧みては来なかった。


マリアが何を思っていたのかが漸くわかって来る。


自分一人で遣り遂げた気になっていた何もかもに、支えてくれた人々の思いがあったのだと。


 マリアが知ればどんなに怒って嘆くかわからないだろう。


しかし今躊躇いはなかった、それどころかどんな事でも遣り遂げるという闘志に満ちている。


自分を信じてくれる人々がいるという思いがこんなにも自分を奮い立たせると知った。


「ダグラス様、明日の朝には揃いそうです」


「そうか。……エドウィン、俺などについてくれてありがとう。父とは比べものにならないこの未熟者に」


 入って来たエドウィンが告げて再び出て行こうとする背にそう言う。


すると彼は振り返り胸ポケットに差していた丸い眼鏡をかけると、その奥の青い目を穏やかに細める。


「ダグラス様、時に誰しもが未熟なものです。この私も、まだまだ人生において学ぶ事は山ほどあるのですよ」


「俺は……マリアを追う。彼女を何としても取り戻さなければならない。もしその気があるのなら父の執事に戻れるよう俺がかけ合う」


 エドウィンは彼にしては珍しく声を立てて笑った。


「私は貴方様につくと自分で申し出ました。お忘れですか?」


「だが、俺は父の会社を継ぐ事はないだろう」


 言葉にして意外にも自分が諦めの色を滲ませなかった事にはっとする。


いつの間にか決心していたらしい、それだけが自分の道ではない事を。


マリアもどこかこんな気持ちで故郷を手放す事を決めたのだろうか?


「またお忘れですね。私はD&F社の執事ではありませんよ。私は、エイブラハム様とヘンリエット様のご子息であるダグラス様にお仕えしているのです」


「……ありがとう」


「それが私の老後の楽しみの一つなのです、礼には及びません。ですが欲を言えばもう一つ叶えて欲しい夢がございます」


「何でも言ってくれ」


 にこにことしたエドウィンは再び眼鏡を外して言った。


「お二人のお子様を是非抱かせて下さい」


「…………それは、……どうだろう……」


「是非」


 にこにことしたまま被せて言うエドウィンに引き攣った笑みを返しながら、「努力する」とだけ漸く返す。


とりあえずそれで妥協したらしい彼は頷いて部屋を出て行った。


 叶えられるものなら勿論叶えてやりたい、エドウィンはずっとボルジャー家に仕えて働いてくれた身であるし、何よりそれはダグラスが心の奥底で願う事でもあるのだから。


だが夢は夢であり、現実は遠い。


もし自分が物語の王子のようであったのなら、飛んで行けるだろうに。


否、そもそも王子ともある者が彼女を傷つけはしないだろう。


 無様で不恰好――それが現実の自分だった。


彼女の物語は両親を亡くした時から波乱で綴られている、いつか彼女にも王子が現れてしまうのだろうか。


こんな自分とは違い、最初から彼女を愛し守り、そして彼女に愛される男が。


「さしずめ俺は王子の登場までに働く脇役だな」


 自嘲しながらも、しかしそれも厭わない。


役が与えられずとも、彼女の未来に登場する事がなくとも、それでもいい。


「マリアはハッピーエンドが好きなんだ」


 そう、幼い頃彼女が好んで読んでいた絵本は皆そうだった。


いつか本の挿絵にある王子が自分に似ていると言われた事もある。


容姿だけが似ていても、それに近付く事も出来ない。


「橋渡しでも何でもしてやるさ」


 いつか、彼女に王子が現れてしまったのなら、それが彼女の幸福な未来なら。


例えばヒーローになり損ねた男がヒロインを思って心で泣く話だって、そう悪くもないと言い聞かせてみる。


マリアが笑顔である、その事に意味がある。


「ダグラス様、お客様がお見えです」


 少し慌てた口調のエドウィンがそう言ってノックをしたのにダグラスは訝しげに思いながらも返答した。


この場所に尋ねて来る者などそうはいない、少し前まで婚約者となるはずだったラモーナですら自らダグラスの元に尋ねて来た事などない。


 誰とも予想がつかないまま、開かれたドアから入って来た人物を見て上げそうになった声を堪えた。


マリアが最初に連れ去られた後に調べたところ、彼女の働き口を二度世話している男だ。


それだけではなく、ホルブルック夫妻に彼女を引き合わせたのも彼だったようだ。


名前こそ知ってはいるがダグラスも見たのは初めての事だった。


漆黒の髪を靡かせ真っ直ぐにダグラスの元へと歩み寄った彼の髪と同じ色の目が怒りで渦巻いているのがわかる。


「ダグラス様!」


 飛んで来た拳は敢えて避けはしなかった。


少しふらついたが体勢を立て直したダグラスにもう一度拳が振り上げられたが、やがてそれは向かって来る事なく下ろされる。


「君には俺を殴る権利がある、ジャンフランコ=ランドリアーニ」


 何かが流れる感触のする口元を拭い、ダグラスは彼から目を逸らさずに言う。


「開き直るのか、ダグラス=ボルジャー!」


 彼の大きな怒声がダグラスの内臓さえも揺さ振ったが、それでも怯まなかった。


マリアにでさえ詰られるのは覚悟している、このくらいで動揺している訳にはいかない。


もしかしたら彼が彼女の王子かもしれないのだ。


それでも今、御伽噺のように王子に倒されている暇はない。





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